第22話 吸血鬼な俺と、長い一日の出口


「は、はいっ! どうぞ」




 そして俺は、大浴場の入り口に立っている夜切先生にそう返事をしてしまう。




「あ、ちょっと、やっぱり無しで!」


「お、お邪魔します」




 しかし俺の咄嗟の切り替えしも虚しく、夜切先生はドアを開け、その色白でスラッと伸びた脚で風呂場に侵入してくる。


 スーツ着てるときから常々思ってたけど、夜切先生って本当にスタイルが良い。身長は決して高くないけど、何と言うか脚が長くてボンキュッボンで……。




「あ、あの」


「ひゃいっ!」


「ちょっと、見すぎ、というか」




 バスタオルを裸体に巻いた夜切先生は、俺の視線から隠すようにバスタオルを持ち上げる。


 それによってプルンと揺れる胸に釘付けになる前に、気合で視線を外す。




「な、何のご用ですか」


「あ、えっと、背中を流してあげようと思って」




 ひた、ひた、と夜切先生が俺に近づいてくるのがわかる。その度に俺の心臓のBPMが段階的に跳ね上がっていく。




「ち、違くて。何で、こんなこと」


「だって、今日の正也君、凄く頑張ってたから。お礼しなきゃと思って」




 夜切先生はそう言うと、俺の背後にゆっくりとしゃがむ。後ろを振り返らずとも、人一人分の体温が背中に伝わってくる。




「な、何で先生がお礼を?」


「私、こんなんでも皆の顧問だよ? だから皆の代わりに、ね?」


「で、でも、こんなの」


「……やっぱり、私じゃダメかな?」




 夜切先生が低い声でそう言うと、悪寒が背中を撫でる。




「私、普通にブスだもんね。櫻さんとか妖崎さんの方が良いよね? あ、正也君はリンさんの方が良いんだっけ。やっぱり積み上げてきた思い出とか、それに基づく確かな関係性が恋愛感情に直結してるのかな? てことは私って負けヒロイン? 待って何も言わなくて良いから全部わかってるから。私って昔っから」


「先生落ち着いて! そういう意味じゃなくて!」




 鏡越しに夜切先生と目を合わせるが、すぐにふいっと視線を外される。




「じゃあ、どういう意味?」


「……」




 そう聞かれると返答に困るが、俺は、今の率直な気持ちを伝えることにする。




「普通に、嬉しいです」


「何が?」


「先生が、こうやって、来てくれて」




 すると、背中を伝う嫌な悪寒が徐々に弱まっていく。




「普通に?」


「いや、実は滅茶苦茶嬉しいです」


「……ふへへ」


「ひゃ!」




 突如俺の背中にくっ付いたもの。それは実際に見なくても、その信じられないくらい柔らかい感触で明らかだ。




「私、今日正也君が私以外の子といっぱいイチャイチャしてるの見て、凄く嫉妬したんだんだからね?」




 首筋を舌先でチロチロとくすぐられながら呟かれると、壊れそうな理性を全身全霊で抑え込む。




「せ、先生なんだから、我慢したらどうですか」


「やだ」


「滅茶苦茶我儘じゃないですか」


「そうだよ? 我儘だから、こうやって誰よりも正也君とくっ付いていられるの」




 ああヤバい。もう普通にヤバい。何でこんなことに……っ!




「じゃあ早速、お背中流していきまぁす」


「はい……うっ⁉」




 にゅるにゅると俺の背中を撫でていくもの、それはさっきまで俺の背中に当たっていたものと同じ感触だ。




「ちょ、先生! 普通に洗って!」


「えぇ? 全然普通だよぉ?」


「いや明らかに普通じゃないですって!」


「それとも、やっぱり私じゃ嫌?」


「えっ、いえ、そんなことは、ないです」


「じゃあ大人しくてて? 旦那様?」




 だ、旦那様⁉ 俺のこと言ってんのか⁉ 間違いない、今の夜切先生は普通の状態じゃない! 原因はわからないけど……。




「ほら、大人しくして?」


「ちょ、先生っ」




 背中にコリコリっとした何かが擦りつけられる。




「いい加減にっ……!」




 とうとう我慢ならず振り向いたそのとき、バランスを崩して夜切先生に覆いかぶさってしまう。




「先生、すみません……」




 その光景は、とてもすみませんで済むようなものじゃなかった。四つん這いの俺の下敷きにされた先生のバスタオルは吹っ飛び、俺は夜切先生の胸を鷲掴みしていたのだから。




「ご、ごめんなさいっ!」




 咄嗟に手を離そうとするが、夜切先生はとてつもない反射神経で俺の腕を掴む。




「はうっ⁉」


「良いんだよ? このままで」


「で、でもっ」


「でもじゃない。良いの」




 夜切先生は俺の首に手を回し、胸に引き寄せる。


 ああ、ほのかに、だが確かに甘い匂いが鼻孔を……。




「んん?」




 瞬間、俺の嗅覚は確かに『異臭』を捉えた。




「どうしたのぉ?」


「……先生、何か喋って」




 俺は夜切先生に顔を近づけると、鼻に全神経を集中させる。




「え~何ぃ~? 正也君大好きっ」


「ちょ、先生っ! 信じられないくらい酒臭いんですけどっ⁉」




 俺は鼻を抑えて咄嗟に立ち上がると、クソ酔っ払いも立ち上がって追撃してくる。




「え~? 何ぃ?」


「何ぃ? じゃなくて! 何飲んだんすか! めっちゃ酒臭いんすけど!」


「えっとぉ、缶ビール三つと何とか殺しってやつ一パック?」


「な、何でこんな短時間にそんな量飲んだんすか!」


「だってぇ、寂しくてぇ」


「わ、ちょっ!」




 クソ酔っ払いに力強く抱き締められ、身動きが取れなくなる。


 もう力を解放させるしかないかと諦めかけた、そのとき、




「清掃で~す」


「っ⁉」




 声の方を振り返ると、大浴場のドアの向こうに人影が見えた。




「せ、先生っ! 離れて!」


「やだ」


「ああもうっ!」


「入りますよ~」


「あ、ちょ、待って!」




 そして、大浴場に入ってきたその人を見て空気がピンと張りつめる。


 大浴場に入ってきたのは、ブラシを片手にこれまでにない程不機嫌そうな表情をしている先輩だった。




「せ、先輩?」


「ごめんね~。今ゴミ掃除しま~す」


「あっ、櫻さん! 久しぶり~」


「さっきも会ったでしょう、が!」




 しかし、先輩が不機嫌なことなど察知出来るはずもないクソ酔っ払いは、先輩に腕をガッと掴み上げられる。




「ふえっ?」


「ほら、さっさと歩いてください」


「やだ~」


「じゃあ生徒に対する淫行、今日にでも学校に報告しますが、よろしいですか?」




 いつもとは比べ物にならない程冷徹な口調。すると夜切先生の顔がみるみるうちに真っ青になっていく。




「そ、それはやだっ。職無しって、こんな私が職無しって、それこそ価値無しっ」


「じゃあさっさと歩くっ」


「ひいぃ~」




 先輩は夜切先生を更衣室まで引っ張っていくと、すぐに大浴場に戻ってくる。




「君、大丈夫か? 変なことされてないか?」


「へっ?」




 そう聞かれると、さっきまでの光景や感触がフラッシュバックするが、俺は全力で首を横に振る。




「そうか、なら良かった」


「先輩、怒ってます?」


「ん? そりゃあな。こんなことされたら、何で君を一番風呂にしたのかわからない」




 腕を組んでそう言い放った先輩は、視線を落として顔を真っ赤にする。




「先輩?」


「あ、あの、それ、隠してもらえると嬉しいんだが」


「えっ、ああ! すみません!」




 どうやらずっと反応しっぱなしだったらしいそれを慌ててタオルで覆う。




「まあ、それで私のことをひぃひぃ言わせてくれるならそのままでも良いんだが」


「いえ、大丈夫です」


「ぐっ、頭は冷静だな。まあ、もう邪魔者はいないからゆっくりくつろいでくれ」




 先輩はそう言って踵を返す。


 そっか、先輩は俺のことを気遣って、心配してここまで来てくれたんな。


 素直じゃないけど、良いとこあるじゃん。




「先輩」


「ん?」




 先輩は振り返らずに返事をする。




「ありがとうございます」




 そう言うと、先輩は少し笑った気がした。




「いえいえ、どういたしまして……」




 そして、少し振り返った先輩は、俺を見て目を見開く。




「正也君!」


「へっ?」




 重力が真っ逆さまになったような感覚の後、目の焦点が定まらなくなってその場に倒れる……。


 その前に、先輩が俺の頭をキャッチしてくれた。




「……君! ……か! おい!」




 先輩が必死に何か言っているが、何を言っているかさっぱりわからない。


 どうやら俺は、気付かないうちにのぼせてしまっていたらしい。


 俺は、遠くなっていく意識に身を委ね、目を閉じた。








「おはよう」




 目を開けると、暗闇の中にぼんやりと先輩の顔が浮かぶ。




「……先輩っ! 俺!」


「しっ」




 俺に馬乗りになっている先輩は、俺の唇に人差し指を当てる。




「静かに」




 こんなシーン、どこかで見たことがある。




「皆にバレないようにしてくれ」




 徐々に目が慣れてくる。先輩は悪戯っぽく笑っている。




「これから、私たちだけの時間が始まるんだから」




 たっぷり眠って体力満タンの俺でも、先輩の我儘を突っぱねる気は全く起きなかったのだった。






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