第20話 吸血鬼な俺と、血生臭い料理教室
大広間に併設されたキッチンはとんでもない惨状になっていた。
まず、あの大鍋に大量に入っている紫色の液体は何だ? 毒か? 生物兵器か? そろそろこの別荘にガスが充満してくるのか?
「正也君! リン君は大丈夫そうだったか?」
「は、はあ」
そして、何故先輩はキッチン中にその紫色の飛び散らせながら平気な顔でいられるのだろう。
妖崎はそんな先輩の様子を見ると膝から崩れ落ちる。
「こ、これが、人間の料理、何ですか?」
「か、勘違いするな妖崎! こんなの喜んで作ったり食べたりするのはあの化け物くらいだ!」
「正也君、妖崎君、手が空いてるなら手伝っておくれよ」
「ヒイッ!」
謎の調合を続ける魔女に薄ら笑いを向けられると一気に背筋が凍る。
「先生は洗車で忙しいみたいだからな」
あのやろう逃げやがったな! と思うと同時に、そのままコンビニで弁当でも買ってくれないかなとも思ってしまう。
「……先輩、それは何を作ってるんですか?」
しかし、疲れてる皆にコンビニ弁当なんて食べさせて良いはずがない。勇気を振り絞ってそう聞いてみると、先輩は心底不思議そうに首を傾げた。
「何って、カレーだろ?」
そして先輩は、今自分がかき混ぜている液体を見て、同じように心底不思議そうに首を傾げた。
「カレー? のはずなんだがな」
ダメだこいつ。早く何とかしないと。
「先輩、そこどいてください」
「えっ⁉ でも、今日は私が!」
「気持ちはわかりますけど、今日は俺に任せて。先輩は見ててください」
「わ、わかった。でも、そろそろ完成だからな?」
「ええそうでしょうねぇ!」
俺は鍋を掴むとそれを全て一気にシンクに流し込む!
「あああああああああああっ!」
「よっしゃ駆除完了!」
「私の子供がっ! 何てことするんだ! この悪魔っ!」
「料理を子供扱いすな! そもそも料理でもねえよこんなの!」
「酷い! 君は自分の子供にもそう言うのか⁉ 出来損ないでも子供は子供だぞ!」
「問題になりそうな話すんな! 先輩は座って待ってて!」
「うっ、うぅ」
むせび泣きながら席につく先輩を尻目に、俺は異臭を放つ鍋を洗い始める。
「ま、正也君っ!」
見ると、そこには復活した妖崎が立っていた。
「何だ?」
「私にも、手伝わせてください」
「お前、料理の経験は?」
「あ、あまり無いですけど」
「だろうな。怪我したらやべえから、お前は先輩と一緒に見てろ」
そう言って洗い物に戻ると、妖崎が俺の方に近づいてくる気配を感じる。
「お手伝いくらいなら出来ます」
俺は洗い物を続けながら、横目で妖崎を見る。
「五人分だぞ。並みの量じゃねえ。厳しい戦いになる」
「覚悟の上です」
「ダメだ。正直言ってお前からはあの化け物と同じ匂いがする」
「ちゃんと言うこと聞くので! 手伝わせてください!」
妖崎はそう言うと、俺に向かって深々と頭を下げる。
俺は、妖崎の覚悟を感じ取り、深々とため息をついた。
「ちゃんと言うこと聞くんだな?」
「はいっ!」
「じゃあ、とりあえず材料を確認してくれ。それで何作るか決める」
「は、はいっ!」
さっきのリンの看病と言い、妖崎はずっと手持無沙汰だったのだろう。
既に何かやらかした人ならともかく、今の妖崎を暇にさせるのは流石に可哀想だ。
「にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、ひき肉、はちみつ、スパイス、カレールー、ですね……」
「本当にカレー一本か。じゃあカレーにするか」
「だからカレーだって言ってるじゃないか!」
キッチンの目の前の観客席のような席に座った先輩に、洗い終わったおたまの水滴を飛ばす。
「ぴゃっ」
「お黙りっ! 先輩は黙って見てなさい」
俺は鍋に油を引くと、火にかけて肉を焼く準備をする。
「妖崎は野菜切っといてくれ」
「はいっ!」
妖崎は元気良く返事をすると、にんじんを手に取って手際良く両端を包丁で落とす。
「おっ」
それからピーラーで素早く皮を取り除くと、迷い無く食べやすい大きさにカットしていく。
「妖崎お前、普通に出来るじゃん」
「私昔から、使用人の調理を見るのが好きなんです」
「なるほど、頼りにしてるぜ。お嬢様」
「任せてください。料理長」
肉を炒め終えると、妖崎が切った野菜を炒め始める。玉ねぎのみじん切りは流石に粗いが、どれも女の子でも食べやすいサイズで、初心者にありがちなミスも無い。逸材だぜこいつは。
そして、具材を炒め終えると水を入れ、沸騰させた後に丁寧にアクを取っていく。
「随分手際が良いな」
先輩がそう言うと、俺は得意げに鼻を鳴らす。
「まあ、昔から料理は作ってましたし、一人暮らしならカレーの作り置きは定番なので」
「ふへへっ、君は良いお婿さんになりそうだな」
「先輩は今のままだと良いお嫁さんになれそうにありませんね」
「な、何だよぉ! お世辞くらい言ってくれても良いじゃないか!」
先輩の膨れっ面を見て少し笑うと、タイマーを確認する。最初はどうなることかと思ったが、後はルウを入れて隠し味を入れるだけだ。
「よいしょ」
ルウも入れたし、一旦火を止め……。
「痛っ!」
ようとしたそのとき、妖崎が悲鳴を上げる。
何事かと妖崎を見ると、妖崎の人差し指から血が流れているのが見えた。
妖崎は左手に包丁を握っていて、まな板にはおしぼりが落ちている。恐らく、包丁に付いた野菜を拭こうとして指を切ってしまったのだろう。
「妖崎君! 大丈夫か!」
「痛ったたぁ」
苦悶の表情を浮かべる妖崎を見て、俺は衝動的に動き出していた。
「ひゃっ!」
妖崎の人差し指を咥えると、軽く血を吸う。
美味しい。だが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「ま、正也君……!」
戸惑う妖崎を尻目にポケットから絆創膏を取り出すと、指を圧迫しすぎないように巻いていく。
簡単な処置を終えると、ほっと一息ついた。
「良し……あっ」
いや、良しじゃないだろ。今俺、衝動的に凄いことを……。
「あの、正也君?」
顔を上げると、茹でダコのように顔を真っ赤にさせた妖崎が立っていた。
「あの、今、血を?」
「ご、ごめんっ! 自分にするみたいにしちゃって! ごめん、悪気は無いんだけど」
いやいや待て待て。吸血鬼が無断で血を吸って、悪気が無いとか通用するか?
「正也君、私で良いなら、今すぐにでもあなたの眷属に……」
「うわわわ待て待て! 俺は眷属増やせないから大丈夫! 安心しろ! グッドラック!」
「良いなぁ妖崎君、私も血吸ってほしいなぁ」
「えっ? はっ?」
気付けば俺は、血を吸われることに飢えた二匹の獣に取り囲まれていた。
「ほら、正也君っ。首筋ですよ。吸ってくださいっ」
「君~? 私を放ったらかしにした責任を取ってもらおうか?」
「わっ、あわわっ」
首筋を露わにした、見てくれだけは美少女二人に迫られ、俺の思考はショート寸前に陥る。
だ、誰か、助けてくれ……!
「皆、何やってるの?」
声の方を振り返ると、汗だくでぐったりしている夜切先生が玄関に立っていた。
「せ、先生っ! 助けてくださいぃ!」
「えっと、よくわからないけど、それ、放っておいて大丈夫?」
「えっ?」
先生が指さす方を見ると、そこにはぐっつぐつに煮込まれてほぼ固形になりかけているカレーがあった。
「あっ! ああああああっ!」
俺は獣たちの手を振りほどいて火を止めるが、既に手遅れなことを悟る。
「俺のっ、俺の子供がぁあああああ!」
俺の泣き叫ぶ声は、この山中に響いたのだった。
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