第18話 吸血鬼な俺と、夏休みの始まり


 先輩の別荘、それは、霞ヶ浦を見下ろせる山の中にあった。


 それは木々の隙間から遠くに見えるだけだが、都内に住んでいる俺たちにとってはとてつもない絶景だ。本来なら足を止めて、みっともなく指をさしながらはしゃぎたいところだが……。




「リン、大丈夫か?」


「う~ん」




 俺は、さっき夜切先生の車でゲロをぶちまけたリンをおんぶしているのだった。




「リンさん、本当に熱中症だったんですね……」




 心配そうにそう言ったのは妖崎だ。妖崎は日差しが苦手な俺のために日傘を差してくれている。




「本当に、って、それ以外に何があんだよ」


「えっ⁉ そ、それは、まあ色々とですかね」


「何だよそれ。変なの」




 そうは言ったが、さっきまでのリンの雰囲気にただならぬものを感じたのも事実だ。


 あのときのリンに抱いた印象は、これまでのものと確かに違った……と思う。




「正也君! こっちこっち!」




 別荘の入り口に立っている先輩が手を振っている。




「リン君、大丈夫そうか?」


「まあ、今日は寝させておきましょう」


「そうだな。それじゃあ、私たちの愛の巣へご案内するよ」


「一言が気持ち悪いなぁ」




 先輩に先導されて別荘の中へ入っていく。


 俺は、別荘の中に入った瞬間に言葉を失ってしまった。




「凄いだろう?」




 まあ、確かに、凄い。




「最大収容人数百人。ロフトもついていて、そこでは一階を悠々と見下ろすことが出来る」




 十人程座れそうなテーブルが一つ二つ、三つ……。


 さらに、先輩の言う通りにロフトを見上げると、まるで観客席のような配置のテーブルが一つあった。




「先輩って本当に何者なんですか?」




 俺がそう聞くと、先輩は唇に人差し指を当ててにししと笑う。




「秘密」


「何すかそれ。お金持ちなんでしょ?」


「さあ、どうだか」


「まあとりあえずどうでも良いんで、寝室まで連れて行ってくれませんか?」


「はいよー、付いてきてくれ」




 先輩に引っ張られるままに歩いていくと、短い渡り廊下に差し掛かる。どうやら皆が集まるスペースと寝室は建物が別れているようで、この人の家の財力にただただ感服するばかりだ。




「ほら、着いたぞ」


「ありがとうございます」




 大きなベッドが二つ並んでいる寝室に入ると、俺は窓際のベッドにリンを降ろす。




「ほら、リン、寝れるか?」


「う~ん」




 横になったリンは眉間に皺を寄せて、まだ辛そうにしている。




「それじゃ、私は先生とご飯の準備するから」


「はい、すみません。ありがとうございます」




 ドアを閉めかけている先輩に会釈すると、先輩は何故か生温かい笑みを向けてくる。




「はいはーい。じゃ、二人でごゆっくり」


「お、俺もすぐ行きますから!」


「大丈夫! 手は足りてるから」




 先輩がひらひらと手を振って部屋から出て行くと、俺は深いため息をつく。




「全く、何考えてるんだか」


「うん? 正也?」




 振り返ると、リンはおでこに手を当て、薄目で俺を見上げていた。




「おう、ゆっくり寝てろ」


「正也?」


「うん?」




 首を傾げると、リンはおでこに当てていた手で両目を覆う。




「本当に、ごめんね」


「は? 全然大丈夫だって。気にすんなよ」


「でも、足に、靴にもかかっちゃったし」


「大丈夫。そんなに臭くなかったし。消化良いんだな」


「何それ。最低の慰め」




 そう言って少し笑ったリンを見て、とりあえず安心する。




「それじゃ、俺先輩の手伝い行ってくるから」




 しかし、俺がそう言うとリンの顔から笑顔が消える。




「櫻先輩のところ?」


「おう、飯作るらしいからさ。辛いようだったら持ってくるよ。それじゃ」


「待って」




 ベッドから立ち上がった俺の服を、リンははしっと掴む。




「え?」


「もう少しだけ、ここにいて、ほしい」




 リンがこんなに弱気になっているのは珍しい。


 だから俺は、それがリンなりの仲直りというか、冗談みたいなものだと思った。




「やだよ。まだ臭いするし」




 直後、リンがくすぐったそうに笑う。


 と、思っていたのだが……。




「私、臭い?」


「えっ?」




 予想に反してリンは今にも泣き出しそうな目で、俺を見上げていた。




「嫌いになった?」


「は? いや、あの、そういうことじゃなくて」


「ごめん。私、本当に最低だ。もう帰る。ごめんね」




 今にも泣き出しそう、というかもう殆ど泣いている。


 両腕で目を覆い、鼻をすするその弱々しい姿を見ていると、苦しいくらい心臓が締め付けられる。




「ごめん。嘘だから」


「嘘じゃないもん。本当だもん」


「だから、違うって」


「もう、私、死んじゃいたい」


「何てこと言うんだ馬鹿!」




 思わず大きな声を出してしまい、すぐに我に返る。




「ご、ごめん、大きな声出して」


「じゃあ、傍にいて?」




 一見脈絡が無いように聞こえるその言葉に、俺は妙に説得力を感じて、再びリンの傍に腰かける。




「我儘め」


「昔っからだもん」


「少しは反省しろ」


「してるもん」


「どうだか」


「ねえ、本当に臭くない?」




 正直くせえ。本当に。出来れば消臭スプレーを部屋中に三十分ぶっかけたいくらいに。


 でも、俺は友達をこれ以上悲しませたくなかぅた。




「ああ、見てろ」




 俺はそう言い、リンの謎キャップを取って枕の横に置く。




「あっ」




 そしてそのまま、リンの髪に顔を近づける。


 先輩や妖崎のようにしなやかではない、枝毛の目立つツインテールから数本をすくい上げる。


 ああ、何でこいつの髪はこんなに可愛いんだろう。




 そう思った直後、俺の中を駆け巡る血管がドクンッ! と脈打つ。




「やばっ」




 そういえば今日、血、飲んでない。


 車の中で飲む予定だったけど、色々あったし。飲む時間無かったし。




「正也?」


「えっ⁉」


「どうしたの?」


「あっ、ああ、大丈夫、大丈夫」




 大丈夫。本当に大丈夫。俺なら我慢出来る。




「ねえ、正也」


「ん?」


「もっと、近くに来て?」




 リンがそう言って小首を傾げる。ゲロの臭いなんて目じゃないくらいその儚げな表情に吸い込まれる。




「リン、俺は……」




 意を決して口を開いた次の瞬間、廊下からバタバタと忙しく駆けてくる足音が聞こえてきた




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