第17話 吸血鬼な俺と、アチアチの車内


「これが先輩の言うジェットコースターですか」




 席の真ん中に座った俺は、車内全員に聞こえるくらいの声量でそう言う。




「こういうアトラクションだと思えばいいだろう」




 運転席の夜切先生の横、助手席に座った先輩がそう言い放つ。




「でも地獄にアトラクションは無いですよね?」


「君は地獄を経験したことがあるのか?」


「ええ、車内温度四十度の地獄をたった今ね」




 真夏の四十度の炎天下の中、それと同じかそれ以上の気温の軽自動車は先輩の別荘目指して高速道路を駆けていく。


 エアコンという文明の利器を失った俺たちにとっての唯一の救いは、小指程に開けた窓から入ってくる隙間風だ。




「私がメンテナンスサボってたせいで……ごめんね」




 そう申し訳なさそうに呟いたのはハンドルを握る夜切先生だ。




「いえいえ、元はと言えばこんな無茶なスケジュール組んだ先輩が悪いので」


「何がだ。午前中に茨城の別荘に着いて、日川浜海水浴場で泳いで、霞ケ浦で遊覧船に乗って、夜は別荘の近くにキャンプ場があるからそこを借りて……楽しみだな!」


「無理に決まってるだろそんなの!」


「でも、私が頑張れば行けなくもないかも……!」




 先生は俯きがちにそう言うとアクセルを踏み込む。俺の左右から小さな悲鳴が上がる。




「先生無理しないで! 今日はゆっくり休んで明日に備えましょう! 一週間もあるんですから!」


「そうだね。一週間。私はその間リモートで仕事……帰れば先輩から小言……教師辞めたいぃ」


「せ、先生、手伝えることがあれば、手伝います」


「うぅ、ありがとう」


「まあ、今日は別荘でゆっくりでも良いかもな」




 この状況で何故か涼し気な先輩は、頬杖をついて流れていく景色を眺める。




「君たちには小説を、書いてもらわなければいけないからな」




 先輩が俺たちに書けと命じた小説のテーマは「私の好きな人」。あまりの無茶ぶりに俺は思わずため息をつく。




「ほんとに書くんですか、それ」


「もちろんだ」


「先輩もですか?」


「もちろん。私も、好きな人について書こう」




 そう言う先輩と車内ミラー越しに目が合う。どこか艶めかしく見えた先輩のその視線に、俺は思わず目を逸らしてしまう。


 大丈夫。気にすることはない。きっと官能小説好きの先輩のことだ、この前みたいに俺を登場させてからかって遊ぶだけだろう。いつものことだ。




「ひゃっ!」


「えっ?」




 俺の左隣に座ったリンが悲鳴を上げて手を振り払う。どうやら俺は考え事に夢中でリンの手を触っていたことに気付かなかったらしい。




「あ、ごめん」


「もう、気を付けてよね!」




 リンは頬を真っ赤にして俺を睨みつける。




「ごめんって、気を付けるよ」




 俺はそう言って右側に寄ると、今度は妖崎の左肩にぶつかってしまう。




「あっ」




 俺を見上げてにんまりと笑う妖崎と目が合う。




「もうちょっと近くに寄っても良いんですよ? 正也君」




 妖崎は俺の太ももに手を添えると、そのまま俺の脚を自分の方に引き寄せていく。




「ねえ? もうちょっと」


「お、おいっ」




 しかし、今日の妖崎は正直言って可愛い。


 その細い肩と脚を露わにした真っ白のワンピースと、わざとらしく大きな麦わら帽子がその整った顔と長い白髪に視線を誘導させる。こいつに童貞を殺して楽しむ趣味があったとは見損なった。


 それに比べて……。




「何よ」




 ただでさえ中学生みたいなスタイルのリンが短パンとサンダルを履くと本当に少年のようで、さらに長袖の白シャツの胸に刻まれた『クレイジーボーイ』という文字は、何かの罰ゲームなのかと疑ってしまう。




「何なのよ」


「別にぃ?」


「何よその目は! 言いたいことがあるなら言いなさいよ!」


「リンさん、正也君は、リンさんの可愛い姿を見れなくて残念がってるんですよ」


「おいお前」




 妖崎がひょこっと顔を出してにやつきながらそう言うと、リンはそっぽを向いてキャップを深く被る。




「別に、可愛いなんて思われなくて良いし」




 しかし俺は、謎の球団のロゴが刻まれたその黒いキャップとリンの拗ねた表情に何故か目を奪われてしまった。




「でも、帽子は可愛いよな。似合ってる」




 そう言ってキャップのロゴ部分をなぞると、リンは咄嗟に頭を抑えて涙で潤んだ目を向けてくる。




「かっ……!」




 リンは口をわなわなと震えさせている。




「か?」


「あ、あぅ」




 そしてリンは頭から湯気のようなものを噴き出してシャットダウンしてしまう。




「おい大丈夫か! 熱中症か⁉」


「ま、正也君! 正也君! 私の帽子はどうですか?」


「は? 麦わら帽子? まあ可愛いと思うけど」


「そ、そうじゃなくて! さっきリンさんにやったみたいなの! 私も欲しいです!」


「何言ってんだお前。それよりリンが! ねえ、先輩!」


「正也君! 車内をもっと熱くさせてどうするんだ!」




 先輩に苦笑交じりにそう言われるが、何のことかわからず首を傾げる。




「リン君が君にそういうスキンシップをされて、照れないわけがないだろう」


「は?」




 そう言われてリンの方を振り向く。




「……」




 リンを見て、ゆっくりと瞳孔が開いていくのが自分でもわかった。


 肌が触れ合えるくらい真横に座ったその女の子は、まるで野獣から身を守るときのように脚を抱えて身を縮こませている。


 左手でキャップのつばを抑え、キャップと右膝の間から俺を見上げる。


 俺が何も言えないのは、涙で潤んだその優しい目のせいだ。




「あっ」




 何を言おうとしたのかは自分でもわからない。口を開いたその瞬間に車はトンネルに侵入し、車内は瞬く間に暗闇に包まれてしまった。


 リンの手は?


 俺は、思わず、というか本能的に、リンの手を探していた。


 さっき触ったときみたいに、そこにあるだろ。


 何でこんなことを? 身体が熱い。気温のせいじゃない内側からだ。




「あっ」




 あった。


 触った。


 細い。小さい。可愛い。




「リン」




 リンは全く抵抗しない。怖いくらいに。


 試しにその人差し指を軽くつまむと、ピクッと動いた後に指を絡めてくる。


 イイってことか?


 いや待て何がイイんだ?




「あっ、ちょ」




 そうこうしている間に俺とリンの手はくっ付いて隙間が無くなっていく。


 そして、最後にお互いの親指でお互いの手の甲を包み込むと、俺の頭はいよいよオーバーヒート寸前になる。


 ん? ちょっと待てよ。




「あれ?」




 ちょっと待てちょっと待て。リンの人差し指がこの位置で、親指がこの位置って、おかしくないか?


 俺の左手と鏡合わせってことか? いやそれはおかしい。リンって俺の左隣にいるはずじゃ……。


 その謎は、トンネルから出た瞬間に解決した。


 ニヤニヤと性格の悪い笑みを浮かべ、助手席から身を乗り出している先輩と目が合う。




「正也君、場所を選びたまえよ」


「は、え?」


「ちょ、櫻先輩と正也君⁉ 何してるんですか!」




 妖崎の叫び声によって正気に戻る。どうやら俺は、リンの手を握っていると思っていたがその実、先輩の手をにぎにぎしていたらしい。




「わ、うわあっ!」




 思わず先輩の手を跳ね除けると、先輩は口を抑えてにししと笑う。




「暗闇が終わったら大惨事、みたいな漫画あったな? 知ってるか? 正也君」


「あ、あんた何で!」


「正也君こそぉ、リン君に何をしようとしていたんだい?」


「えっ、いやっ」




 そこを突っつかれると、俺は何も言えない。




「でも、気付いてほしかったなぁ。私と正也君は、何度も手を握っているんだから」


「うっ」




 先輩がそう言った次の瞬間、左脚のすねにリンの強烈なキックをくらう。




「まあ、正也君と触り合ったのは手だけじゃないけどな」


「正也君どういうことなんですか! 説明してください!」


「うっ!」




 もう一発、強烈なキックをくらう。


 これは、妖崎に説明する前にリンに説明しなきゃいけないな……。


 そう思ってリンの方を振り返る……。




「ん?」




 リンは何故か口を両手で抑えて背を丸めていた。




「リン?」




 心配になってリンの肩に触れたそのとき。




「うっ」


「う?」




 リンは俺の左足にゲロをぶちまけたのだった。




「わ、うわあああああ!」


「リン君⁉ 本当に熱中症だったのか⁉」


「先生! 車止めてください! リンさんが!」


「わ、私の車ぁ~」




 幸い、先輩の別荘はすぐ近くだったらしく、高速道路を降りた俺たちは車内を掃除しながらゆっくりと山を登っていく。


 その間、リンは窓を全開にして風を浴びながら悶えていた。


 本当に大丈夫か? 俺の夏休み。


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