第16話 吸血鬼な俺と、シン・文芸部


「……というわけで、文芸部の顧問になりました。夜切美緩です。どうしようもないクズですが、仲良くしてくださると嬉しいです」




 壇上で夜切先生が頭を下げると、それを聞いていたリンと妖崎に緊張感が走ったのがわかる。




「サキュバスって、本当にいるの?」




 リンが妖崎にそう聞くと、妖崎は顎に手を当て小さく頷く。




「聞いたことはあります。サキュバスの形跡は全国各地に残っていますから。ですが、それを自分から告白する人はそういないのではないかと……」


「皆!」




 不穏な空気を感じ取ったらしい先輩は、教卓を両手で叩いて注目を集める。




「夜切先生は正也君に勧誘され、正也君の説得に応じる形で顧問になることを了承した。賢い諸君なら、これがどういうことかわかるはずだ」




 まるで開戦前夜の演説みたいな勢いだ。心なしか唾を飲み込む音も聞こえてくる。




「正也君、あなたって人は本当に」




 しばしの沈黙の後、妖崎は俺に鋭い視線を向けてくる。




「な、何だよ?」


「別に。ただ、罪な男の子だなと思っただけです」


「何だよそれ。別に悪いことなんて何もしてないだろ?」




 俺をジッと見てくる妖崎に弁明していると、窓側の席に座っているリンが腕を組んでふんっと鼻を鳴らす。




「ま、まあ、これで名目上は堂々と活動出来るようになったことだし、コミュ障の正也にしては良くやったんじゃない?」




 偉そうにそう言ったリンが机の下で激しく貧乏揺すりしていることについて、俺は何も言わないことにする。




「リン君の言う通りだ。正也君と先生のおかげで私たちは正式に部として活動することが出来る! 非常にめでたい!」




 壇上の隣の椅子に座っていた先輩はそう言うと立ち上がり、腕を組んでうんうんと満足気に頷く。




「じゃあ、俺たちって今まで何だったんですか?」




「ん? まあ言うなれば、変な人たち、だな!」


「清々しすぎる」


「それでは先生、どうぞ私の座っていた席へ」


「あ、うん」




 先輩はそう言って、夜切先生を所定の位置と思われる場所へ誘導する。じゃあ最初からそこに座るなというツッコミは面倒くさいのでしないことにする。




「私、正也君、リン君、妖崎君、そして、顧問の夜切先生、これで文芸部の完成だ! 素晴らしい! 本当に」




 先輩はそう言うと、教卓に手を置き、喜びを噛みしめるように口元を引き結ぶ。


 完成って何だよと思いつつ、先輩のその表情を見ていると俺にまで感情が伝播して、ただ微笑むことしか出来なくなってしまう。


 どうやら妖崎も同じようで、さっきまでの不貞腐れた表情から一転、温かい表情に変わっている。


 リンに至っては恍惚とも取れる眼差しを先輩に向け、口元をだらしなく緩めている。こいつ未だにあの先輩が好きとか、やっぱり相当な変人だな。




「それはそうとして、まだ部員のことをよく知らない人もいるだろう」




 先輩はそう言うと、俺たちをグルッと見渡す。


 そして俺と目が合うと、ふっと微笑んだ。




「例えば、正也君は相当な女好きだ、とかな」


「ないことをカミングアウトすな」


「確かに、ここまでとは知りませんでした」




 何故か妖崎が続くと、リンが堪えるように笑い出す。




「女好き、確かにそうかも」


「何なんだよさっきから」


「つまり」




 夜切先生が先輩に切り出す。




「それぞれ自己紹介していこうってこと? 櫻さん」


「そ、そういうことです! 流石先生!」




 うえぇマジかよ。




「ひえぇ、で、でも、私はさっきしたから」


「いえ、夜切先生にも、好きなものとか言ってもらいますからね」


「ええっ⁉ じゃ、じゃあ新入りで、とりを務める花もない私から……」


「ちょっと待ってください」




 夜切先生が椅子から立ち上がろうとしたそのとき、リンが血相を変えて立ち上がる。




「櫻先輩、一つ聞きたいことがあるんですが」


「どうした? リン君」


「あの、根も葉もないことかもしれませんが」




 リンはそう言うと、その怪訝そうな視線を夜切先生に向ける。




「私たちが喋った秘密が、外に漏れないという保証はどこにあるんですか?」




 その瞬間、部室の空気がピンと張りつめる。


 先輩は教卓の上に頬杖をつき、薄ら笑いを浮かべてリンを見つめる。




「ふーん、リン君は、私たちの秘密を誰かが言うと思ってるのか」


「まあ、その、可能性の話ですが」




 リンがチラッと視線を向けるその先には、さっきまで保健室のベッドで俺に馬乗りになっていた夜切先生がいる。


 リンと目が合ったらしい夜切先生は、何故かニヤリと笑みを浮かべて気持ち悪いくらいに目を泳がせる。




「わ、私のこと、ですか」




 リンは一瞬眉間に皺を寄せた後、おずおずと口を開く。




「櫻先輩はこの部の部長だし、皆のことを考えてくれてる。麗佳ちゃんも、たまに怖いところがあるけど、そんなことする人じゃないし」




 うんうん、俺は俺は?




「正也は、信頼出来る」




 え、俺それだけ?




「先生は」




 しかし、俺が茶化す隙間も無いほど、リンは夜切先生を睨みつける。




「さっき、正也のこと襲おうとした、サキュバスなんですよね?」




 いや、実際襲われたんだけどね? あれは色々としんどかったなー。




「つまり、私のこと、まだ信用出来ないってことですか」


「まあ、そういうことです」




 リンの気持ちもわかるけど、実はもう言っちゃってるんだよなぁ。まあそういう問題でもないのか。助けに入らないとなぁ。


 そんなことを考えていると、ふと夜切先生と目が合う。




「えっ」


「あの、正也君」




 夜切先生は恥ずかしそうに指をいじりながら、上目遣いで俺を見てくる。




「正也君は、私が皆の秘密をバラしたら、私のこと嫌いになる?」




 一瞬、何を聞かれたのかわからなかったが、脳内で復唱してすぐに理解する。




「え、ええ、たぶん、嫌いになりますね」


「わ、わかった。じゃあ、やらない」




 は? と思ったが、夜切先生は自信満々に真っ直ぐにリンを見据える。




「私は、皆の秘密をバラしません。何故なら、正也君に嫌われたくないからです」




 静まり返った部室に、夜切先生の言葉の余韻だけが残る。




「もし嫌われたら、惨めな私がもっと惨めになる、ので」




 言葉足らずだったと勘違いした夜切先生が、さらに追い打ちをかける。




「こんな私が、私を差し置いて誰かを好きになるなんて、もうないと思うので……これじゃ、ダメですか?」




 夜切先生がそこまで言うと、リンは小さく笑う。


 もう、そこまで言われたら言い返す言葉が無いだろう。




「いえ、大丈夫です」


「本当? 良かったぁ」


「ごめんなさい。疑って。でも、負けませんよ」


「いえいえそんな……! え?」




 意味深な言葉を残したリンは、夕日を背に浴びて俺たちを堂々と見下ろす。




「私は筧リン。正也と麗佳ちゃんと同じクラス。実家は代々祓魔師の家系で、でも私は落ちこぼれ。中途半端な自分がずっと嫌いだったけど、正也と櫻先輩に励まされて、こんな私でも堂々として良いんだって思えた」




 リンと目が合う。リンが照れくさそうにはにかむ。




「文芸部には成り行きで入ったけど、今は皆のために私のやれることをやりたいって思ってる。将来は生徒会長になりたいから、櫻先輩の仕事の補佐も頑張りたい、です」




 先輩はリンと目が合うと、何故か娘を見守る父親のように目を細めて何度も頷く。きっと仕事の話をはぐらかしたいのだろう。




「あ、あの、一つ質問良いですか?」




 そんなとき、夜切先生が申し訳なさそうに手を挙げる。




「どうぞ、先生」


「あの、リンさんは祓魔師、なんですよね?」


「一応はそうです。力も弱くてほぼ素人ですが」


「じゃあ、私のことを祓ったりとか、しちゃうんですか?」




 リンはきょとんとした後朗らかに笑う。




「いやいやそんなことしませんよ。心配しなくても大丈夫ですから」


「出来ない、の間違いな」




 すぐさまツッコむと、祓魔師の能力によってノータイムで首を締め上げられる。腹の底から何かが込み上げてきて、それが口から飛び出す直前に解放されると、俺はしばらくこいつに逆らわないことを決意する。




「次は私ですね」




 妖崎が立ち上がる。その美しい立ち姿と長い白髪に、全員が目を奪われる。




「妖崎麗佳です。正也君と同じ吸血鬼です。私は正也君よりも血が濃くて、正也君よりも強いです」




 燦々と照り付ける太陽の下、屋上で妖崎と対面したときのことを思い出す。正攻法ではまず間違いなく彼女には勝てないだろう。




「でも、誰よりも正也君のことが好きです」




 ん?




「私は正也君の幼馴染です。子供の頃から正也君のことを知っています。一番正也君歴が長いです。私が、劣等種である人間に負けるはずがありません」




 何言ってだこいつ。




「じゃあ、誰も知らない正也の秘密言ってみてよ」




 何でリンも乗っかるんだよ。




「そうですねぇ。正也君はおもらしするとそれがバレる前に必ず……」


「わぁああああ!」




 続く言葉を大声でかき消すと、余裕しゃくしゃくの妖崎に舐め回すような視線を向けられる。




「普段の冷静な正也君も好きですけど、慌ててる正也君も好きです」


「あ、うっ」




 夕日に照らされた妖崎の白髪が普段以上に綺麗に見えて、俺は必要以上のリアクションを披露してしまう。




「正也君、ついでにそのまま、自己紹介」




 頬杖をついてどこか遠い目をしている先輩にそう促されると、咳払いをして空気をリセットする。




「えっと、妖木正也。一年生。リンと妖崎と同じクラスで……ってそれはもう言ったか。えっと、一応吸血鬼だけど悪いところだけ受け継いでて、性格もあまり良くなくて、どちらかと言うとクズで……」




 あれ? 言葉はスラスラ出てくるのに、自分の言葉の気がしない。


 こういうとき、どういうこと言えば良いんだっけ? あれ?




「正也君」




 弾かれるように顔を上げる。


 先輩の目の奥に吸い込まれる。


 期待してるよ。


 そう言われているような気がした。




「でも、そんな自分も嫌いじゃないって思ってる」




 そうだ。自信持て。




「今まで、誰かにコントロールされて生きてきたような気がしてる。家系とか、親とか、俺も無意識にそういう人たちの都合を考えてた。でも、そんなのもううんざりだ」




 呼ばれた気がしてリンを見ると、力強い頷きを返される。




「俺は、俺と、俺の好きな人たちとなら、自分らしい人生を歩めると信じてる」




 妖崎を見ると、優しい微笑みを返される。




「どんなことがあっても諦める予定はない」




 夜切先生に視線を移すと、まるで新婚の夫を見るような視線を返される。




「最後に、普段はこんなこと言うキャラじゃない。以上」




 逃げるように席に着くと、ほー、とか、ふー、とかいう声にならない声が所々で聞こえてくる。




「正也君は意外と熱いからなぁ」




 先輩がそう言うと、俺以外の皆は一様にうんうんと頷く。




「だって、本音ぶっちゃけないと許さないみたいな雰囲気だったでしょ」


「ふふ、そうだな」


「じゃあ次は私が……」




 そう言って立ち上がろうとした夜切先生を、先輩は片手で制する。




「先生はさっきので十分伝わりました。ありがとうございます」


「本当? 良かったぁ」




 それから先輩は教卓に両手をつくと、全員の顔をゆっくりと見渡し、一言。




「私は、私だ」




 何だそれ、とツッコめないようなオーラが、今の先輩にはある気がした。




「生徒会長、成績優秀、容姿端麗。品行方正、ではないがな。ほぼ完璧! それが皆の部長だ!」


「ドMだけどな」


「そっ、そういうところも、無きにしも非ず!」


「仕事しないけどな」


「きゅ、休養を多く取る質なのだ!」


「容姿だけな」


「ま、正也君! ちゅちゅしみたまえ!」




 俺がくすぐったそうに笑うと、笑いが部室中に伝播する。




「ごほん」




 先輩が咳払いすると、皆の視線が再び先輩に集まる。




「さて、私は今まで、欲しいものは全て手に入れてきた」




 先輩は深いため息をつくと、昔を懐かしむような遠い目に変わる。




「今の地位だって、この部だって、みんなそうだ。これまでがそうだったから、これからもそうだと信じている」




 ピリッとした緊張感が俺たちの間に走った後、先輩は朗らかに笑う。




「これから皆は、とても刺激的で、とても楽しい経験を沢山するだろう。何故なら私がいるから。私が、先導するから」




 次に先輩は、軽く俯いて自嘲気味に笑った。




「きっと皆後悔するだろう。それはジェットコースターが動き出したときと似たような感情だ。これからどこに行くのか、果たして無事に帰ってこれるのか、心配しても遅い。もう動き出した」




 その瞬間、先輩が手を叩く。


 パンッ、と乾いた音の後、俺たちの目に飛び込んで来たのは、先輩のいつも通りの自信満々な表情だ。




「夏休み、予定通り合宿を行う。そして皆には小説を書いてもらう。テーマは、自分の好きなもの、だったか、これは変更しよう」




 先輩は天井を見上げ、少し経った後、ニコッと笑って頬に当てていた右手の人差し指を立てる。




「わたしの好きな人」




 テーマを変更? わたしの、好きな人?




「好きな人と自分を紐づかせて、自分のことを知るきっかけにしてほしい」


「先輩、ちょっと」




 手を挙げて立ち上がろうとすると、先輩の手に制される。




「さっきも言ったろう? もう遅い」




 先輩はそう言って挑戦的に口角を吊り上げる。




「私を先頭に、動き出したんだから」




 そのとき先輩に対して覚えた感情は恐怖だろうか、それとも不安の類だろうか。


 答えを出せない俺たちは、とりあえずその船にしがみつく以外に選択肢が無いようだった。






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