第14話 吸血鬼な俺と、甘い告白
俺は尻もちをついたまま、優しく微笑む先輩を凝視する。
「ん? どうした?」
先輩は俺を見つめたまま小首を傾げる。
そのいつもの微笑みを見ていると、徐々に落ち着きを取り戻して視界が広がっていく。
俺たちが今いるのは、『全てが真っ白な空間』としか表現出来ない場所だ。色が全て統一されているため、床をなぞっても何だか実感が無く、まるで宙に浮いているかのような感覚に襲われる。
先輩は俺の肩から手を離すと、顔をずいっと近づけてくる。
「本当に大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「えっ? えっと、先輩は?」
「ん、私か? 私はすこぶる元気だぞっ」
「じゃなくて、何で俺たちこんなところに?」
俺がそう聞くと、先輩は目を白黒させる。
「何でって、最初からずっとここにいただろう?」
「は? そんなわけっ」
そうだ。そんなわけがない。俺はさっきまで……。
あれ? 何処にいたんだっけ?
「やっぱり君は無理をしすぎだ。少し休もう」
「え?」
先輩がそう言った次の瞬間、全てが真っ白な空間は俺の部屋へと変わっていた。
「は? え?」
机やベッドの位置、クッションの位置まで俺の部屋そのものだ。
「よっこらせ」
しかし、先輩はこの異常な空間に動じず、何事も無かったかのように俺のベッドに腰かける。
俺は、悪い夢でも見ているのか?
「先輩」
「ん?」
「俺、やらなきゃいけないことがある気がしてるんです」
先輩は、何も言わず俺をじっと見上げている。
「俺、こんなことしてる場合じゃない気がして。何か、凄く大事なことを忘れているような。わかりますか?」
俺がそう聞くと、先輩は深く頷く。
「うん、わかるよ」
「本当ですか⁉ じゃあ……」
「真面目な君は、不安に駆られているんだな」
「え?」
先輩は的外れに優しい目を俺に向けてくる。
「友達のこととか、将来のこととか、そういうことばかり考えて、いつも不安なんだろ?」
「いや、そうだけど、そうじゃなくて、何て言えば良いのか」
思い出せ。正気を保つんだ。俺は今、何故ここにいる? 今、何をするべきだ?
「まあ、一旦腰かけたたまえ」
先輩がベッドをぽんぽんと叩くと、俺は導かれるようにそこに座る。
「いつか、ちゃんと言わないとと思っていたことなんだが」
「はい?」
「いつも、ありがとう」
そう言って不器用に照れ笑いをする先輩に吸い込まれそうになる。
「君は、いつも私たちのことを考えてくれているよな。自分のこともあるのに、一度も弱音を吐いたことがない」
そうだ、俺はいつも皆のことを考えていたんだ。
「そうです。ずっと、そのことを考えてて」
「私たちの願いは、そんな君を少しでも休ませることだ」
先輩の手が太ももの付け根あたりにそっと添えられる。
「妖崎君も、リン君も、もちろん私も、いつも君に迷惑をかけてしまって申し訳ないと思っている」
「いえ、そんなの。俺は、やりたいことをやってるだけなので」
「でも、少し疲れたな?」
本音に寄り添うようなその問いかけに、俺は思わず頷いてしまう。
「今だけ、少しだけ休もう。ダメか?」
そう聞かれると、断る理由が無い。
確かに、今まで頑張ってきた分、少しだけ休んでも良いのかもしれない。
「じゃあ、少しだけ」
「よし来た! 難しいことは後で考えれば良いさ」
先輩はそう言うと、自分の太ももをぺしぺしと叩く。
「ほら」
「え?」
すると、先輩はわざとらしく頬を膨らませる。
「え? じゃなくて、膝枕、してあげると言ってるんだ」
「そ、そんなっ、えっと」
まるで恋人にするようなその提案に、思わずたじろいでしまう。
「それとも、こういうことがご所望で?」
先輩は悪戯っぽい笑みを浮かべながらスカートの裾をちらっと摘まみ上げる。
健康的な太ももの間から横縞模様の小さな膨らみが覗き、俺は咄嗟に目を逸らす。
「見たな?」
「見てません」
「嘘だ。ばっちり見てたぞ」
「見てませんってば」
「むむ……強情な後輩にはこうだっ!」
「おわっ!」
先輩は背後から両手で俺の顔を掴むと、そのまま自分の太ももの上に押し付ける。
「ちょ! 何勝手に!」
「嫌か?」
小首を傾げて僅かに微笑み、俺を見下ろすその表情に、俺は何も言えなくなる。
開きかけていた口を閉じて先輩の太ももに頭を預けると、上から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「君は案外素直だ」
「先輩がずるすぎるだけです」
「何だそれ。変なの」
そう言って俺の頭を撫でる先輩の手が、泣き出してしまいそうなほど優しい。
「よしよし」
「今日の先輩、何か変ですよ」
「そうか? いつもこんな感じじゃなかったか?」
「全然違います。いつもはそんな落ち着いてないでしょ」
「そうか。じゃあ、これから気を付けるとしよう」
そういえば俺、何をしようとしてたんだっけ。
「ほら、肩も凝ってる」
「ちょ、やめ、くすぐったっ」
ああ、きっと、先輩に会いに来たんだ。それなのにあんなに焦ってたら、そりゃ心配されるよな。
「うなじ、綺麗だな」
「どこ見てんすか」
首筋の辺りに先輩の気配を感じる。
こんな時間が一生続けば、俺はきっと、幸せに……。
「好きだよ。正也君」
しかしそのとき、背筋が一気に凍る。
俺の全身を『違和感』という名のウイルスが駆け巡り、一ミリたりとも動けない。
今、何て言った?
「本当は、君の口から言ってほしかったんだが」
「今、何て?」
「え?」
「だから、今何て言ったんですか」
「えっと……好きだ、と」
ああ、なるほど。
そういうことか。
「そう、ですか」
気付かなければ、どれだけ幸せだっただろうか。
認めなければ、どれだけ楽だっただろうか。
「正也君?」
俺は起き上がり、額に手を当てて項垂れる。
「どうしたんだ?」
俺の肩を掴む、『先輩らしき人』の手を振り払う。
「えっ」
「俺、もう行かなきゃいけないんで」
吐き捨てるようにそう言って立ち上がる。しかし、『そいつ』は未練がましく俺の制服の裾を掴む。
「待ってくれ。嫌な思いをさせたのなら謝る。もう少しだけここにいてくれないか?」
「……言わないんだよ」
「え?」
振り返り、見下ろす。最近していなかった卑屈な笑みが、驚くほど自然に出来た。
「あの人は、そんなこと言わないんだよ」
「……」
理解出来ない、と言うようにぽかんと俺を見上げる。それを見てると、何だかこいつが可哀想に思えてくる。
「あの人が俺のことをどう思ってるか知ってるか?」
「……いいえ」
「都合の良い友達、だよ。笑えるだろ」
制服を掴むそいつの手が僅かに強張ったのがわかる。
「それ以上でも以下でもない。そもそもあの人は超わがままで、超自分勝手な人でさ。たとえ俺のことを好きになっても簡単に告白なんてするわけがない。もっとこう、俺の外堀を埋めていって、依存させて、もう先輩無しじゃ生きていけないってなったときに、百パーセント勝てるってときにするんだよ。俺は、そういう人だと思う」
俺を見上げる真っ直ぐな視線と目が合う。
今しがた俺が吐いた言葉に、多分に俺の卑屈な性格が溶け出ていることに気づくと、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「じゃあ、そういうわけで俺は行くから。ていうか、夢ってどうやったら醒めるんだろうなぁ。ほっぺたとかつねれば良いんかね」
「何故、あなたはそこまで頑張るんですか」
顎に手を当てて思案していると、そいつはベッドから立ち上がって俺の目を見据える。
「その人のことが好きなんですか」
「はは、そう来たか」
俺は少し笑うと、まるで許しを請う犬のようにそいつを上目遣いで見る。
「それって、わざわざ言わなきゃダメか?」
すると、そいつは口を抑えて笑い始める。
「笑えます。そんなことのために安定を犠牲にするなんて」
「でも、あんたも昔はそうだったんじゃないか?」
そいつの笑い声がピタリと止む。
「好きなものや好きな人のために、何かを犠牲にして、がむしゃらに追いかけて、そんな時代があったんじゃないか?」
そいつの目の中に一瞬写った光を、俺は見逃さない。
「諦めたのか」
「うるさい」
「もう、自分のために頑張るのは疲れたか」
「黙れ」
「そんなんだから、他人をぞんざいに扱えるのか」
「うるさいうるさいっ! わかったような口を利くなっ!」
俺の部屋らしきこの空間に、そいつの叫び声の余韻と荒い息遣いだけが残る。
「やっと正体を現しましたね。夜切先生」
ハッと顔を上げたそいつは、既に夜切美緩の姿に変わっている。俺は夜切を不敵な笑みで見下ろす。
「お互い、腹を割って話しましょうよ」
俺はほっぺたをつねると、笑顔の形になるように口角を持ち上げる。
意識が徐々にはっきりしていくような感覚を覚えると、視界が眩しい光で覆われていく。
「お先」
一瞬、視界が真っ白になったかと思うと、次に見るのはまぶたの裏、真っ黒な世界だ。
「ん……?」
夢から醒め、ゆっくりと目を開ける。どうやら俺は保健室のベッドに寝かされているようで、身体の上に何かが覆いかぶさっているのが見える。
徐々に視界がクリアになってくると、それの正体がわかった。
「お、おはようございます。先生」
そう言うと、夜切は眼鏡を外して挑戦的に微笑む。
「おはよう。じゃあ早速始めましょうか」
夜切の細い指が首筋を伝うと、くすぐったさと同時に絶望が襲ってくる。
「話し合い、とやらを」
とても話し合いをするような雰囲気ではない夜切を見上げ、俺は引きつった笑みを浮かべた。
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