第13話 吸血鬼な俺と、謎の女教師
夜切先生とのどこか不気味な初対面の後、俺は言葉に言い表せない不安を抱えたまま放課後を迎えた。
俺の異変を察知したのか、リンや妖崎に度々夜切先生と何を話したのか問いただされたが、俺は詳しいことを話すつもりは無かった。夜切先生と会うのは俺一人じゃないとダメだと思ったからだ。
「夜切先生のこと、顧問に勧誘するの?」
そんなことを考えながら帰り支度をしていると、前の席に座って不安そうな表情のリンにそう聞かれる。
「まあ、そのつもりだけど」
「でも、ちょっと、あれじゃない?」
「あれって何だよ」
「いや、その、何と言うか」
リンは俺から目を逸らすと、顎に手を当てて軽く俯く。
「でも、リンさんの言うこともわかります」
既に帰り支度を済ませたらしい妖崎が、机を挟んで俺とリンの間に立つ。
「あの先生、ただならぬ雰囲気を感じますよね」
妖崎が言うと俺は深いため息をつく。
「まあ、言いたいことはわかるよ。不登校だったって聞いて、先輩の言ってたことも理解出来たし。でも、だからと言って引き下がれないだろ」
「いや、そうなんだけど。そうじゃなくて」
尚も言葉を濁すリンに業を煮やし、俺はバックを担いで立ち上がる。
「そういうことの一度や二度くらい、誰にでもあるだろ。気にしすぎだって」
「正也……」
「じゃ、俺そろそろ行くから」
俺は漠然とした不快感を覚えながら教室のドアに手をかける。
「正也!」
振り返ると、リンと妖崎はまだ不安そうな顔をしていた。
「何かあったら絶対呼んでね」
「絶対ですよ! 正也君」
「……お前ら母ちゃんかっつーの」
俺はドアを閉めると真っ直ぐに職員室に向かって歩き出す。
学校に行きたくなくなることの一度や二度くらい、誰にだってあるだろう。
気弱そうに見える夜切先生のことだ、生徒になめられて馬鹿にされて、どうしようもなく居心地が悪くなったのだろう。俺もその気持ちはわかる。リンや先輩と話すようになるまでは世界に自分一人だけのような錯覚をしていた。
「失礼します」
職員室のドアを開けると、何故か夜切先生の座っている席が一目でわかった。
「夜切先生に用があって来ました」
軽く一礼して職員室を進んでいく。職員室の一番奥から一つ隣の列の、給湯室に近い席に座っている夜切先生の近くに立つと、また軽く一礼した。
「妖木正也です。約束通り来ました」
そう言うと、夜切先生はキーボードを叩く手を止めて笑顔で僕を見上げる。
「ありがとうございます。来ていただいて」
「いえ、約束なので」
俺がそう言うと、夜切先生は少し首を傾げる。
「もしかして、負い目とか、責任みたいなものを感じてます?」
「いえそんなことは。ただ、ちゃんと話をしたいなと思って」
そう、俺は夜切先生とちゃんと一対一で話す必要が……。
あれ、そういえば、何で俺一人じゃないといけないんだっけ?
「お友達は一緒じゃないんですね?」
「はい、そうですね」
「何故ですか?」
「何故って……」
やっぱり、何度考えても答えが出ない。夜切先生にそう言われたから、としか答えられない。しかしそれは、根拠と言うにはあまりに薄弱で、漠然としたものだ。
「あなたは賢いんですね」
「え?」
「普通誰も、疑問なんて持ちませんよ」
「何の話ですか?」
「去年私が副担任だったクラスは、誰一人疑問を持ちませんでした」
夜切先生の言葉を聞き流してしまいそうな自分を押し殺し、疑問を喉から上に押し上げる。
「それって、休職してたことと関係あるんですか?」
「あなたは知らなくて良いんです」
「わかりました」
おい待て、何で納得してんだよ?
「これからいくつか質問するので答えてください」
「……はい」
夜切先生はニッ、と口角を吊り上げる。
「何故、あなたのおじいさんは、眷属を増やせない吸血鬼のことを気にかけるんですか?」
眷属を増やせない吸血鬼、それは紛れもなく俺のことだ。
「利用価値があるからではないでしょうか」
「価値? どんな?」
「例えば……」
「例えば?」
今俺は、恐ろしいことを言おうとしている。しかし、理性の奥の本能に抗えない。
「例えば、俺の友達を食い物にするとか」
「友達とは誰ですか?」
「妖崎と、リンと……櫻先輩」
夜切先生はそれを聞くと、あぁなるほどと呟いてクラス名簿を開く。
「えーと、妖崎麗佳さんと筧リンさん。そして生徒会長の神野櫻さん。なるほど、特にこの生徒会長の子を眷属に出来たら勢力が大きく拡大しそうですね」
「……何で、そんなことを聞くんですか」
「あなたは気にしなくて良いんです」
「そうですか」
いや、違う。そうじゃない。
「俺は、気にしない」
違う。目を覚ませ。あいつらに何かあったらどうする。
「気にしない」
もし先輩があいつの手に落ちたら。
俺はそのとき、舌を噛み切って死ぬだろう。
「俺の友達に手を出すな」
夜切先生はクラス名簿を捲る手を止め、逡巡の後ゆっくりと俺を振り向く。
「今、何て?」
「俺の友達に手を出すなと言ったんです」
夜切先生は信じられないというように何回もメガネの位置を直す。
「そ、そんな。私の催眠は完璧だったはず」
「何故、俺のことを知っている?」
夜切先生の机を叩き、俯く彼女の顔を覗き込む。
その瞬間、職員室中の視線が俺に集まっていくのを感じるが、そんなのお構いなしだ。
「お前はあのクソジジイの仲間か? 何故催眠の真似事が出来る?」
「こ、答える必要はありませんっ。質問をやめ……」
「情報は等価交換だ」
その強い口調の後に、彼女の強張る頬を優しく撫でてやる。
笑顔から滲み出る殺気を抑えるのは、この理性をもってしても不可能だ。
「じゃないと痛い目を見ることになる。わかるな?」
「……なるほど」
しかし、夜切美緩は僅かに微笑むとメガネの位置を直す。
「私も、あなたが欲しくなりました」
「はぐらかすな。答えろ」
「ええ、焦らなくても、これからゆっくり教えてあげます」
彼女は俺の腕を掴み、その小さな右手と俺の手を恋人のように絡め合う。
「所詮男は、サキュバスに勝てないということを」
次の瞬間、意識が薄暗い世界に落ちる。
僅かに目を覚まし、ぼやけた視界がクリアになってくると、力無く項垂れる俺の目の前にいる人物の正体がわかった。
「正也君?」
先輩は心配そうな表情で小首を傾げる。
「先輩、俺、行かなきゃ」
俺は咄嗟に立ち上がろうとする。しかし先輩は、そんな俺の肩を素早く掴む。
「まあまあ、そう急ぐな」
「でも、俺がこんなんじゃ皆が!」
「もう良いんだよ」
「え?」
次に先輩は、俺に同情の目を向けてくる。
「君はもう、充分頑張ったんだから」
そして、思わず甘えたくなる程優しく微笑むのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます