第12話 吸血鬼な俺と、早速崖っぷちの文芸部

「諸君、文芸部は廃部の危機に瀕している」


 夏休みまで一週間を切った今日の朝、先輩が文芸部の教卓に両手をついて俯きがちにそう言う。


「諸君! 文芸部は廃部の危機に瀕している!」

「いや二回言わなくても、どういうことなんですか?」


 先輩はバッと顔を上げたかと思うと、すぐに泣きそうな表情で教卓に伏せてしまう。


「諸君……」


 あーダメだ。今日は話にならない日だ。


「先輩、でも、うちは部としての最低人数は満たしてますよね?」


 リンがそんな先輩を見て不思議そうにそう言う。

 リンの言う通りそれは間違いない。この学校で部として認められる最低人数は四人だ。一昨日、リンと妖崎を半ば強引に部に加入させたおかげでうちは正式に文芸部として認められたはずだ。

 いや待てよ。ていうことはこの前までうちは部じゃなかったということか? 良く言えば同好会とか? そんなんでよく活動認められてたな。まあ、これ以上の詮索は先輩の裏の顔を見てしまいそうだからやめるか。


「そうだ。人数は満たしてる。人数は」

「部長、まさか顧問の先生が見つからないなんていう話ではありませんよね?」


 馬鹿め妖崎。お前はこの学校に転校してきたばかりだからこの女が学校内でどれ程の権力を持っているか知らないのだ。

 この神野櫻は容姿端麗、頭脳明晰、その上友達想いの三拍子揃ったスーパー完璧学生。そのあまりのカリスマから学校内にファンクラブを持っていると噂されていて、この前も部に行くのが億劫になった俺と話をするためだけに屈強な男たちを引き連れて朝のHRを中断させた。

 そんな先輩に限ってそんな話あるわけ……。


「せーかい」

「えっ?」


 尚も教壇に突っ伏している先輩の方から不穏な言葉が聞こえてきた気がする。


「先輩、今何て?」

「だから、せーかいだよ。顧問の先生が見つからないんだ」

「はあ、部長ともあろう方が情けないものですね。ここは一つ、妖崎家の権力を使って……」

「そ、そんなっ! あの先輩がっ⁉」


 衝撃の現実を受け止めきれず、俺は思わず立ち上がって先輩の方に歩いていく。


「先輩! 本当に?」


 先輩はのっそりと顔を上げて俺を見る。くまがくっきりと残って見るからに疲れきっている。


「正也君、本当だよぉ。今までは生徒会長パワーでどうにかやってきたが、どうやら誰もうちの部員を管理したくないみたいなんだ。学校中の先生に頼み込んだんだがさっぱりで」

「やっぱり」


 振り返ると、リンが頬杖をついて呆れ顔を浮かべていた。


「な、何だよリン。心当たりあるのか?」

「心当たりも何も、妖崎さんと正也の授業ボイコットが原因なんじゃない? 様子を見る目的としてもそこに櫻先輩もいたわけだし、ね?」

「そ、そうか」


 言われてみればそうだ。いくら喧嘩や体調不良が原因だとしても妖崎は転校初日の授業を休んだわけで。しかも俺は普段から問題児として見られてるはず。その二人を学校内で圧倒的なカリスマを誇る先輩が監督してるとなれば、触らぬ神に祟りなしと考えるのが普通なのだろう。


「それでも、外面だけは一丁前な先輩でもダメなんて」

「それは素直に褒め言葉として受け取っておくよ」


 部室が諦めムードに包まれる中、妖崎は勢いよく立ち上がって先輩を睨みつける。


「で、でも! それじゃ私と正也君のハネムーンはどうなるんですか!」

「すまん妖崎君、今のままじゃハネムーンは無理そうだ」

「おいおい勝手に結婚さすなー」

「お泊り会が無くなるなんて、私そんなの嫌です!」


 今にも泣き出しそうに唇を噛み締める妖崎を、俺らはまるでぐずる子供を見守る親のように見つめる。

 妖崎は今まで自分を押し殺してきた。その苦しさはきっと俺の比じゃないのだろう。本家からの圧力や普通の人間と違う自分の特性、そして彼女の脳裏に深く刻み込まれているらしい俺の記憶。

 もしかしたら妖崎が本当の自分でいられる場所はもうここしか無いのかもしれない。


「先輩、何か方法はありませんか?」


 俺がそう聞くと、先輩はうーんと唸った後にパッと顔を上げた。


「そういえば担任の先生から聞いたんだが、今日一年二組に副担任の若い先生が復帰してくるらしい」

「ほ、本当ですか!」


 喜びも束の間、ある違和感を覚える。


「復帰って、元から学校にいたってことですか?」


 そう聞くと、先輩は眉間を指で抑えながら頷く。


「そうだ。去年新卒で一年生のクラスに赴任してきた先生なんだが、諸事情で休職していたらしくてな。詳しくは私も知らないんだが」

「でも、チャンスですよね? その人なら俺たちの事情も知らないし!」


 しかし先輩は、いきり立つ俺を見てため息を一つつく。


「それがな、正也君。結構難しいかもしれないぞ」

「え?」


 俺らに対する固定観念が強い既存の教師よりも、新しい先生の方が勧誘の成功率は上がるに決まっている。

 だから俺には先輩のそのジト目や言葉の意味がわからなかった。

 そう、実際にその先生を見るまでは……。


「と、いうわけで、今日から新しくこのクラスの副担任になる夜切美柑先生だ」


 そう言ったのは担任教師であり、本人ではない。

 当の夜切先生は俯いたまま突っ立って何も喋らない。かと思えば徐に振り返り、美柑の文字を消して『美緩』と書き直した。恐らくそっちが正しい漢字なのだろう。


「え、ああ、すまんすまん。美緩先生な。最近記憶力弱くなっててなー、娘にも馬鹿にされる始末で」

「……」


 担任教師の気を利かせた自虐ネタにもピクリとも反応しない。


「……マジかよ」


 俺と同じことを考えているであろうリンと目がう。

 まず問題の一つは夜切先生のそのビジュアルだ。

 恐らく年は二十代前半、恐らく大学を出たばかりなのだろうが、長い髪はボサボサでスーツも皺だらけだ。希望に満ち溢れている二十代前半の女性のイメージからかけ離れていて、さらに縁の太い黒メガネが芋っぽい雰囲気を補強している。


「ね、ねえヤバくない?」

「ねっ、ヤバいよね」

「でもおっぱいだけはデカくね?」

「それな。でもいくらなんでも、なあ?」


 徐々にクラスの馬鹿共のヒソヒソ声が大きくなっていく。無理もない。彼ら陽キャからしたら学校は自分たちが主役の輝かしいステージだ。そこへ唐突に某ホラー映画の主役みたいな女が現れたら拒絶したくもなるだろう。


「こらお前ら! 静かに!」


 担任が注意したところで彼らの動揺は収まらない。

 ああ、こりゃ勧誘どころの問題じゃないわ。そう思った次の瞬間だった。


「が、頑張ります」


 しーん、と逆に音が聞こえてきそうな程教室が静まり返る。

 声の主は夜切先生。彼女は僅かに顔を上げると光の無い目を恐る恐る俺たちに向けてくる。


「私、教師なのに不登校になった社会不適合者ですが、それでも自分が望んだ仕事なので、頑張ります。それでも、ダメですか?」


 いや、そう聞かれても。俺らが決めることじゃないし。自己肯定感低すぎだろ。


「ぷっ、ふふ」


 そんなことを考えていたら思わず笑ってしまった。


「あっ」


 そして、目を見開いた彼女と目が合った。


「……失礼します」


 夜切先生は深々と一礼して早足で教室を去っていく。


「ちょ、夜切先生⁉ ホームルームこれからですよ!」


 担任の焦る声も振り切って、神経質なハイヒールの音が遠ざかっていく。

 夜切先生が俺を見るあの目。

 あれは、明確にショックを受けた人の目だった。


「先生! 俺行ってきます!」

「お、おい待て! 妖木!」

「うわー、陰キャいきり立ってんじゃん」

「ワンチャンあるとでも思ってんじゃね?」


 事情を知らない能無し共の声を振り切って走っていく。夜切先生は俺の足音を聞いても全く止まる気配が無い。


「先生! ねえ!」


 それどころか、俺の声を聞いてスピードを上げているようにも感じる。


「夜切先生!」


 仕方なく肩を掴むと、夜切先生はやっと止まった。


「先生、さっきは笑っちゃってすみません。あれは、決して馬鹿にしたとかそういうわけじゃなくて、思わず、というか。上手く説明出来ませんけど」


 やべえええ! 謝罪文考えてなかった! 意味わかんない雰囲気になってるじゃねえか!


「……今、名前」

「え? ああ、えっと、夜切美緩先生、本当に、すみませんでした!」


 俺がそう言って頭を下げる直前、夜切先生は唐突に俺を振り返る。


「今、名前呼んでくれました⁉」


 そのまま正面衝突しそうになってしまい、慌てて仰け反る。


「おわっ、危なっ! えっ? 名前?」

「わ、私の名前! 覚えてくれた子、初めてかも、しれないから」


 夜切先生はそう言うと俯いてその長い髪で顔を隠してしまう。髪の間から覗く顔が若干赤くなっているように見える。


「名前なんて、皆覚えてると思いますけど」


 俺がそう言うと、夜切先生はまるで眩しい光から目を守るときのように両方の手の平を俺に向けてくる。


「そ、そうですよね! すみません、あはは。私なんて自己紹介も満足に出来ないクズだから、名前も覚えてもらえてないと思ってて、あはは」


 何だろう、この人様子おかしくないか? そう思いつつも改めてしっかり謝ることにする。


「先生、さっきは笑っちゃってすみません。全然馬鹿にするとかは無くて、ただちょっと、可愛いなって思っちゃって。それも失礼かもしれませんけど」


 そう言って夜切先生の顔色を伺うと、一拍置いてボンッと頬を赤らめる。


「そっ! かっ! 可愛いなどと、私にはもったいないこっ、お言葉です。へへへ。ごほっ、げへっ」


 夜切先生は理解不能な笑い方をしながら黒縁メガネを不自然に何回も持ち上げる。

 この人、変だな。確実に。


「別に私は何とも思ってないので、君も、その、気にしなくて大丈夫ですから」


 そうは言うが、あれは確実に気にしてる人の行動だろう。


「取って付けたように聞こえるかもしれませんが、俺も夜切先生の気持ち、わかります。クラスの大多数から否定的な目で見られて、最悪な気分ですよね。本当にすみません」

「君も、そういう経験が?」

「え、ええ。入学してすぐに問題行動起こしちゃって、それからずっと……」

「……へえ」


 夜切先生は軽く俯くとニヤッと口角を上げる。


「先生?」

「いえっ、何でも。何でもありません」


 そう言うと、夜切先生はやっとリラックスした表情で俺を見上げる。


「前のクラスではずっとやりづらいままでしたが、君みたいな生徒さんは初めてです。何だか上手くやっていけそうな、感じ?」


 そう言って小首を傾げる仕草に、ちょっとドキッとしてしまう。


「そ、それは良かったです。それで、あの、実はちょっとお願いしたいことがあって」

「正也君!」


 振り返ると、妖崎とリンが俺に向かって駆けてくるのが見える。きっと急に教室を飛び出した俺と夜切先生を心配してくれたのだろう。


「それでは、私はこれで」

「あっ、夜切先生!」


 そう言って踵を返す夜切先生に向かって思わず手を伸ばしてしまう。

 しかし、夜切先生はそんな俺の手の上に細い指を置いて悪戯っぽく微笑んだ。


「正也君、放課後、職員室まで来てください。お話はそのとき」

「えっ、あっ」


 俺が返事をする前に、夜切先生は踵を返して歩いていく。


「正也君、大丈夫でしたか?」

「正也、何か勘違いとかされなかった?」

「いや、大丈夫。大丈夫」


 俺はしばらく夜切先生の背中を見ていた。

 あれ? 俺って、あの人に名前教えたっけ?


「放課後、話すことになったから」


 きっと、名簿か何かで俺の名前を知ったのだろう。


「本当ですか⁉ 良かったぁ。流石正也君です」


 真面目な先生だから、一人一人名前を覚えていたのだろう。


「とりあえず今は戻ろう? 先生も心配してるし」


 考えすぎだ。考えすぎ。


「あ、ああ」


 俺は頼もしい二人の後ろを歩きながら、しかし後ろを振り返る勇気を出せず、漠然とした不安を抱えながら歩いていったのだった。

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