第9話 吸血鬼な俺と、真面目な先輩のお願い
妖崎の鋭い歯が俺の首に触れたそのとき、俺は燦々と輝く太陽を見上げて引きつり笑いを浮かべる。
「まさかお前に感謝する日が来るとはなあ」
次の瞬間、俺の肩を力強く掴んでいた妖崎の手が滑り落ち、目一杯開かれたその口も力なくゆっくりと閉じていく。
「正也君!」
この騒ぎを聞きつけて飛んできたらしい先輩が屋上の扉を開け放つと、俺は先輩の不安そうな表情に手の平を向け、まだこちらに来ないように合図する。
「おい、大丈夫か」
俺は脱力した妖崎の小さな身体を受け止めると、ポケットからハンカチを取り出して妖崎の虚ろな目の上に被せた。
「太陽……私としたことが、冷静ではありませんでした」
妖崎は俺とは違って吸血鬼の性質を色濃く受け継いでいる。力も強く俊敏に動ける上に、その身体能力に見合った強い繁殖欲も持ち合わせている。
俺よりももっと吸血鬼らしい吸血鬼。
なら、弱点も俺以上に利くはずだ。
「最初から、こうするつもりで?」
「ああ、お前の自己紹介が本当だったことを考えてな。それでも、先にお前が倒れるかどうかはギャンブルだったけど」
「はは、ずる賢い、人間らしい、考えです」
「負け惜しみなら後でいくらでも聞いてやる。今は休め」
俺がそう言ったのを合図に妖崎はすーっと深く息を吐いて瞼を閉じる。鼓動が落ち着いていくのを確認すると、遠くで心配そうに成り行きを見つめている先輩に目配せする。
俺の緊張の糸が切れたことをすぐに察したらしい先輩は、すぐさま俺に駆け寄って腕を背中に回し、身体を持ち上げてくれる。
「全く君はいつも、他人のために無茶をしすぎだ」
「そういう性分なもんで」
「とにかく早く保健室に行くぞ。歩けるか?」
「先輩、俺は良いから、この子を先に保健室に連れて行ってあげてください」
俺がそう言うと、先輩は目を白黒させてから挑戦的に笑ってみせる。
「生意気な後輩め。この私が、満身創痍の君を置いていくとでも思うか?」
「えっ? おわっ!」
先輩はそう言うと妖崎を左脇に、俺を右脇に抱えて走り出す。
そうだ、この人もこの人で、他人のためにあり得ない無茶をする人だった……!
「先輩! 無理しないでください!」
「……本当は君のことを食べようとしたこの子に丸一日説教を垂れたいところだが」
「は?」
先輩は俺を見下ろすと、睨むような、それでいて慈しむような視線を向けてくる。
「私は、君たち吸血鬼について知らないことが多すぎる」
「……先輩」
「君たちからの信頼を得るためにも、今は私に出来る精一杯をしよう」
「先輩、ごめんなさい。俺、今までそういうこと説明する余裕なくて」
俺がそう言うと、先輩は俺に顔が見えないようにしてグッと顎を引く。
「そ、そんなに悪いと思っているなら、保健室で休んで元気になった君が嫌がる私の首元に無理やり鋭い歯を突きつけてだな、今までよりもっと乱暴に罵りながら血を吸ってもらいたいんだが」
「前言撤回。全然悪いと思ってないわ。気色悪い」
俺は、先輩の嬉しさで歪む顔を見上げて心底そう思いながら、それでもこのどうしようもなくドMで真面目な先輩に感謝しているのだった。
「よいしょ、着いたぞ。これで良いか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
ちょうどお昼休憩で無人の保健室に運び込まれた俺と妖崎は、そのままふかふかのベッドに寝かされる。
「君は大丈夫そうだが、妖崎君はどうする? 何か特別な処置とかは?」
「いえ、特には必要ありません。そんなに日光浴びてなかったですし、濡れたハンカチをまぶたに被さるようにおでこに置いて、安静にしてれば勝手に回復します」
「わかった。君のを借りるよ?」
「あ、はい」
先輩は腕まくりすると俺のハンカチを水で濡らし、それを遠目からでもわかるくらい慎重に優しく妖崎のおでこに置く。
いわゆる本物の吸血鬼である妖崎が強い日の光に当てられてこうなるのはわかるが、人間と吸血鬼の間のような俺がこうなるのは単純に体力不足が原因のような気もする。もう少し真面目に運動してみるか。
そんなことを考えていると、ベッドに腰かけて安心したように微笑む先輩に顔を覗き込まれる。
「君は体力不足なんじゃないか? ん?」
「んなことないっすよランニングとかしてるんで」
「あっ、君の可愛い癖。嘘をつくとき右上を見る」
そう言って指をさされながら指摘されるとちょっとムカつく。
「右上じゃないですカーテンを見てるんです」
「それと、焦ると早口になる。私は、君のことならいっぱい知ってるんだぞ?」
「はいはいわかりましたよ。敵いませんよ」
「ふふ。そう、君のことは知ってるつもりなんだが」
先輩は俺の左隣のベッドに寝ている妖崎に視線を移し、目を細める。
「君たち吸血鬼のことはさっぱりだ。人の血を吸って、日光に弱くて、力が強いことくらいしかわからない」
そして先輩は、妖崎に向けていたものと同じ視線を俺に向けてくる。
「言える範囲で良い。頼むよ。もっと君たちのことを教えてくれ」
俺は先輩のその視線に既視感があった。
それは、思い返しても今まで他人に向けられたことがないもの。俺が子供の頃ずっと人に向けていたもの。
『僕を仲間外れにしないで』
「わかりました」
覚悟を決めてそう呟くと、先輩の瞳がキラリと輝く。
「ただし、絶対他言無用で……今まで散々深く関わっといて、今更ですけど」
「任せてくれ。私は自分が傷つけられるのは好きだが、友達を傷つけるのは嫌いなんだ」
この人本当にどうしようもないなと思いつつ、俺は頭の中の苦い思い出をしまったタンスを開けることにする。
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