第10話 吸血鬼な俺の過去と、世界一モンスターな先輩

 五時限目の授業開始のチャイムが鳴り、俺は俯きがちに口を開く。




「まず、この世界には俺みたいに不完全な吸血鬼と、妖崎みたいにほぼ完全な吸血鬼がいます」




 俺がそう言うと、先輩は目を丸くする。




「君が、不完全?」


「そうです。だって、俺が先輩の血を吸っても俺の眷属にならないでしょ?」


「眷属?」


「吸血鬼の僕ってことです。主の言う事を全て聞くようになるんです」




「な、なるほど」




 先輩は神妙な面持ちで軽く俯く。流石に生々しすぎたか?




「それはそれで良い、な」


「先輩、自分の性癖に正直すぎませんか?」


「えへへ、それ程でも」


「いや褒めてない褒めてない」




 だらしなく表情を崩す先輩を一旦置いておいて、静かに寝息を立てる妖崎に視線を移す。




「完全になるか不完全になるかは単純に血の濃さで決まります。妖崎の家系は代々吸血鬼同士で子供を作ってきて、俺の家系はたまに人間と交わっているのでそうなるんです」


「それって、許されるのか?」


「え?」


「えっと、適切な表現かはわからないが、きっと本家みたいなところがあるのだろう? そこが、人間と結婚することを許すものなのか?」




 子供みたいに純粋な疑問をぶつけられ、思わずフッと笑ってしまう。




「許されるわけないですよ。俺の父親はそのせいで本家での居場所が無くなって、俺もそんな父親を見るのが嫌で家を飛び出して、今は父親から援助を受けて生活してます」


「そ、それはその、大変、だな」


「ええ、とても。そしてその本家というのが、妖崎家なんです」




 俺がそう言うと先輩は弾かれたように妖崎に視線を移し、白髪の眠り姫を凝視する。




「通りで、上品な雰囲気を持っているわけだ」


「やっぱり教育がしっかりしてますから。本来、本家の子と爪弾き者の子が交流するなんてあり得ないことなんですが、昔こいつの方から声をかけてくれて」




 綺麗な白髪と澄んだ瞳、白い肌とひ弱な身体。それでも俺に一生懸命付いてくる昔のこいつは、女だということがわかった今でも弟のように感じられる。




「でも、さっきこの子は」




 先輩の戸惑いがちの目を見ると、同意を込めて小さく頷く。




「人が変わってしまったようで、最初は全く気が付きませんでした。きっと本家の、爺さんの影響だと思います」


「妖崎家の、お爺さん?」


「ええ、そいつはとことん秘密主義で、吸血鬼の子供が普通の学校に通うのも渋るような人で、それにそいつは」




 由緒正しき和室にヨーロッパの剣や骨とう品をアンバランスに配置し、着物を崩して着たままふんぞり返っている。


 そして、そいつが俺をじっくりと見下ろしながら口を開く。




「吸血鬼こそがこの世界を支配すべきだ、と」




 奴の醸し出す嫌味ったらしい程の威圧感を思い出すと、胃がひっくり返るような不快感に襲われる。




「正也君⁉ 大丈夫か?」




 先輩に背中を擦られるが、苦しさや気持ち悪さや腹立たしさは心臓の辺りを渦巻いたまま消えない。




「リンも、俺と同じような立場で」


「うん、うん」


「あいつはいわゆる祓魔師だけど、中学の頃から他人と思えなくて」


「そうだな。君は、優しいからな」


「俺たちが自由になるには本家と話をつけるしかなくて。でも、俺らはまだ子供で。いつ屈服させられるかわからなくて」




 寝息を立てている妖崎に視線を移すと、視界がじんわりと潤んでいく。




「いっそ、悪魔になれたら楽だったのに」


「正也君……」


「ごめんなさい。くだらない話しちゃって。忘れてくださ……」




 次の瞬間、ふかっ、と音がするような柔らかいものが顔に押し付けられる。


 その匂いは嗅ぎ慣れた先輩のもので、それでいて今まで嗅いだことのないくらい甘ったるいものでもあった。




「話してくれてありがとう。辛かったろう?」


「辛かった。すごく」


「今は、甘えて良いんだぞ?」




「……うん」


 先輩の包容力に当てられて思わず軽い返事をしてしまうと、先輩の身体が大きくブルッと震える。




「先輩?」


「ま、マズいな。これは」




 先輩は股間を俺の脚に擦り付けると、俺の顔をさらに強くその胸に引き寄せる。




「いつも責められてばかりだったし、君が自分から弱みをさらけ出してくれるのは初めてで。この感情、何と言えば良いのだろう」




 さらに俺の顔をその細い両手で包み込むと、とろけきった顔を晒した。




「愛おしい、と言えば良いのかな」


「は?」


「きっとそうとしか言えないんだ。わかるだろ?」


「え? えっと」




 先輩は俺の返事を待たずに、いや、最初から返事などいらないと言うように俺の首元に顔を埋める。


 そして、俺の首元に吸い付くようなキスをした。




「ちょっ⁉ 先輩⁉ まだ昼だし、人来るかもだし、ていうか隣に妖崎いるし⁉」


「らいじょうぶだ。んっ。らいじょうぶ」




 首元を温かいものが這いずり回り、意識がボーッと遠のいていく。


 生温かいものは首筋を登っていき、遂には俺の耳にまで到達する。




「ひっ⁉ 先輩! ちょっと!」


「じっとして。今日は、私に任せてくれ」




 先輩のクリアな声が脳に響くと、腹の奥から何かが込み上げてきてたまらなくなる。




「せ、先輩!」


「きゃっ!」




 その感情に流されるまま思わず先輩を押し倒してしまう。先輩の瞳にほんのりとハートマークが浮かんでいるのが見える。


 先輩は自分の人差し指を軽く噛むと、薄っすらと微笑む。




「やっぱりこの光景がしっくりくるな。君もそうだろ?」


「そ、そんなことは」


「素直になってくれよ。私の可愛い後輩君」




 先輩は俺の首に手を回して引き寄せ、俺の耳に口を近づける。




「私は、君が不完全な吸血鬼で良かったと思ってるよ」


「え?」


「だって、私は私の意識を保ったまま、君にずっと痛めつけてもらえるだろう?」




 この人はいつもそうだ。いつも自分に正直で素直で、どんなわがままも圧倒的なカリスマで押し通してしまう。


 俺も、あなたみたいになりたい。




「あっ、もっと、もっと強く!」




「あっ! ああーっ! 何やってるんですかあ!」




 その叫び声に顔を上げると、顔を真っ赤にしてこちらを見下ろしている妖崎と目が合う。


 鋭く伸びた歯から先輩の血が滴る。


 あ、やべ。言い訳出来ねえ。




「あの、えっと、これは」


「妖崎君」




 言葉に詰まる俺を他所に、先輩はスッと立ち上がって妖崎を正面から真っ直ぐ見つめる。




「君、私の可愛い後輩を自分の物にしようとしていたらしいな?」


「へっ? そ、そうですけど……というか、学校で不純異性交遊なんて! 許されると思ってるんですか⁉」




 そう言われたら何も言い返せない。しかし、先輩は一切怯むことなく妖崎に一歩近づく。




「それがどうした」


「へ?」


「せ、先輩?」




 そして先輩は妖崎の鎖骨辺りに人差し指を突き立てた。




「私はとてもわがままだ。子供の頃から欲しいものは全て手に入れてきた。執着心もとても強い。ぽっと出の君に、可愛い後輩を易々と渡すつもりはない」


「何でそうなるの? それに、俺は物じゃないんですけど」


「私は子供の頃からずっと正也君のことを想ってたんです! あなたこそぽっと出の泥棒猫です!」


「あれ、俺の話聞いてる?」




 しかし本当に俺の話が聞こえていない様子の先輩は、妖崎の決意を聞くと自嘲気味に笑った。




「そんなに正也君が欲しいと言うのなら」




 そして先輩は懐から一枚の紙を取り出した。




「何ですか、これ」


「入部届けだ。どうしてもと言うなら正也君のいる文学部に入部しなさい」




 こ、この人っ。




「ぶ、文学⁉ 私、子供の頃から小説が大好きなんです! それに、正也君もいるなんて!」


「入ってくれる?」


「も、もちろんです! 小説とか書いたりするんですか?」


「ええ、たまにね」


「す、凄い! 部活動っぽい!」




 忘れてた。この人、図抜けた運動能力と強運の他に、学年一位を取り続ける明晰な頭脳を持った生徒会長だったんだ。


 振り返って人差し指を鼻に当てる。悪戯っ子みたいに楽しそうに笑う。


 ようこそ妖崎麗佳。世界一わがままな女子高生が仕切る空間へ。


 今日の授業が終わったチャイムを聞きながら、俺はまだ純粋で綺麗な女の子に同情したのだった。




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