第3話 ツンツンなあいつと、言い残した言葉

 嵐のような朝が過ぎ去り、教室に夕日が差す頃、俺は至って無感情に『それ』を見ていた。


 カッカッカッ。


 先輩は何やらいきり立って、黒板に真っ白のチョークを突き立てていく。


 その先輩というのは、表の顔は皆憧れのカッコいい生徒会長。しかし裏の顔はエロい小説大好きのドマゾというとんでもない人物だ。




「正也君! これを見ろ!」




 先輩はそう言って自信満々な表情で振り返ると、その本性とは正反対に真っ白な文字の羅列を見せつけてくる。




「妖木正也の友達を増やそうプロジェクト?」




 黒板には確かにそう書いてある。




「この妖木正也って、俺のことですか?」


「日本全国探しても、この奇怪な名字は君しかいない! 断言しよう!」


「大きく出たなぁ。にしても、何で急にそんなことを」


「私は、今朝君のクラスの教室に行って気が付いたんだ!」


「な、なんすか急に!」




 先輩はグイグイッと顔を近づけてくる。


 先輩の顔は無駄に整っている。だから、素面のときに見ると、こう、無理やりドキドキさせられてしまう。悔しいけど。すごく悔しいけど!




「私は、気が付いてしまったんだ」


「だから、何を」




 先輩は物憂げな表情に変わると、俺の目をじっと見つめてくる。




「君、もしかして嫌われてるのか?」


「なっ!」




 唐突なノンデリカシー発言に戸惑っていると、先輩は腕を組んで部室内を歩き始める。




「だって、普通の高校生なら、朝学校に来て友達とお喋りしたりするものだろう? そういった雰囲気が全く無いように見えたものでな」


「先輩、喧嘩売ってます?」


「ああいや! そんなつもりは無いんだ! ただ、本当にそういう風に見えてしまって、すまない」


「はあ、まあ別に良いですけど。本当のことですし」




 実際、奴らに積極的に嫌われているようには感じないが、どこか避けられているような空気は感じている。


 例えば授業中に当てられて発言したときとか。体育のサッカーでボールが回ってきたときとか、『妙に警戒されているような』空気を感じることがある。


 それはそれで自由に動けるし、悪くはないのだが。




「んで、そんな可哀想な俺に、人気者の生徒会長さんが直々にお情けをくださるというわけですか」


「そ、そういう言い方だぞ! 私以外にそういう物言いをするのはやめたまえ!」


「あんたには良いのかよ」


「私は別にお情けとか、そういうわけじゃなくてだな。ただ本心から、こう、ああもう何で上手く言えないんだ!」




 おっ? こういう表情は初めて見たぞ。




「うう、あ、あんまり見るなっ」




 頭を抱えてのたうち回って頭をフル回転させてはいるが、俺の視線を気にして恥ずかしそうに唇を尖らせる。


 可愛いなあ。見た目だけなら。




「君には良いところがたくさんある!」




 先輩はそんな可愛らしい仕草から一転、ビシッと人差し指を俺に向ける。




「うえっ? 例えば?」


「たっ例えば! 目つきが鋭いところとか!」




 よいしょ。




「背はそんなに高くないのに、心の底から見下してくる感じとか!」




 よいしょよいしょ。




「あと、やたらと口が悪いところとか!」


「それ全部先輩の特殊な好みっすね」


「はうっ」




 言葉の右ストレートをくらった先輩は頭を抱えてうずくまる。




「もう良いっすよ。俺なんて元から嫌われ者だし、出来損ないの吸血鬼で、皆に迷惑かけたこともあるし」


「……」


「気持ちはありがたいっすけど、良いんすよ。そういうの」


「……君は」


「はい?」


「人のことを、誰よりもよく見ていると思う」




 でまかせにしては確信を持った言葉に聞こえた。




「何でですか?」


「人の核心を突くようなことは、人のことをよく見てないと言えないと思う。それに、人の気持ちもよく考えているように見えるし。つまりは、その、上手く言えないんだが」




 先輩は足を抱えてうずくまりながら、チラッと上目遣いで俺を見る。




「頭が良くてたまに優しいところが、君の良いところだと思うぞ?」


「……先輩」




 先輩はバッと立ち上がると、俺に背を向けて両手で顔を覆ってしまう。チラッと見えた先輩の顔は、俺に血を吸われているときと同じくらい紅潮しているように見えた。




「私は、君のそういうところをもっと色々な人に知ってほしいんだ。今の君は、不当に嫌われているように見える」


「なるほど。つまり先輩の周りで、俺の悪口言ってる奴がいると」


「えっと、悪口というわけでもないんだが」


「筧リンでしょ」




 先輩信者で先輩に気に入られるためなら手段を選ばないあいつのやりそうなことだ。今更驚きもしない。


 しかし先輩は、一拍置いて意外そうな表情で振り返った。




「そうだが。やはり君たちは」


「はい?」


「ああいや、何でもない。うん。やはり身近な人間の印象から変えていくべきだろうなっ」


「別に俺はこのままでも良いんですけど」


「私が良くないんだっ」


「だから、何でですか」


「えっ? だから、その、もうっ! 意地悪な質問をするのはやめてくれ!」




 そんなに意地悪な質問だったか? 友達だからとか、適当な理由はいくらでもあるように思えるが。




 トットットットッ。




 そんなことを考えていると、廊下を小走りでこちらに向かってくる足音が聞こえてくる。


 駆け足で、狭い歩幅。この時間にこの部室に用がある人間と言えば、




『俺も、もう部活行かないつもりだから』


「やべっ」




 今朝あいつとしたばかりの約束。それを当日中に破ったと知られれば、あいつは烈火のごとく怒り狂うだろう。


 それだけは、絶対に避けなければいけない。




「先輩、こっち!」


「えっ⁉ 正也君⁉」




 咄嗟に先輩の手を掴み、走り出す。


 部室の隅に鎮座している、今は使われていない扉付きの物置棚に駆け込むと、急いで扉を閉めた。




「ふう、これで良し」


「正也君、こ、これは一体どういう?」


「あっ、すみません! 実は今朝、リンの奴ともう部活行かないって約束しちゃって、見られたらまずいと思って」


「あ、足音で彼女だとわかったのか⁉」


「しっ、もう来ます」




 部室の扉が開く音。困惑の足音。




「あれ、声が聞こえたと思ったのに。もう帰ったの?」




 扉に取り付けられた小窓を覗くと、部室を見渡して困惑しているリンが見えた。




「これ、あいつの鞄? もしかして置いたまま帰った?」


「やべっ」




 何やってんだ俺。鞄がそのままなら隠れた意味が無いだろうがっ。


 しかし、リンは少しムッとしながら俺の鞄をつつくだけで、次に黒板の前に立った。




「何これ? あいつの友達を増やそうプロジェクト? 無理でしょ」


「はっきり言われるとムカつく……!」




 ふつふつと湧き上がってくる怒りを抑えていると、リンはチョークを持って黒板に何か書き始める。




「何だ?」




 リンが何を書いているのか見ようとするが、生憎彼女の身体に隠れて何も見えない。


 そんなことをしていると、先輩の縋るような手に制服を掴まれた。




「先輩、すみません。もう少しだけ我慢してください」


「無理だ」


「後でお詫びしますから」


「ムラムラ、してきてしまった」




 見下ろすと、仄暗く狭い空間の中でぼーっと俺を見上げる先輩と目が合う。




「は⁉ ちょ、節操無さすぎですよっ」


「君が、君が悪いんじゃないか。こんな狭いところに、君の匂いが、たくさん、だから」




 匂い? そう言われて鼻を利かせてみると、先輩のほんのりと甘い匂いが鼻孔を突く。


 まずい。この匂いを、嗅ぐと、俺は、




「正也君、じっとして」


「先輩っ⁉」




 あろうことか先輩は俺に顔を近づけると、それから俺の首筋にゆっくりと口を近づけていく。


 先輩の唇が触れるか触れないかのところで、先輩は悪戯っぽく笑った。




「ふふっ、立場逆転だな」


「そんなこと言ってる場合ですか!」


「たまには、私が年上らしくするのも良いだろう?」


「あっ、ちょ」




 信じられないくらい柔らかくてとろけた感触が、首筋の一点から脳に広がっていく。


 感触、音、何よりこのシチュエーション。


 誰かに助けを呼びたくなるほど強い刺激に襲われると、思わず大きな声を出してしまった。




「あ、ぐっ!」


「えっ、誰かいるの?」




 リンが恐る恐るこちらに向かってくるのが見える。


 お、終わる。友達作りどころか、俺の学校生活そのものが終わる!




「リンちゃーん」


「あ、はいっ!」


「何で敬語? 正也君は?」


「あ、えっと、もう帰っちゃったみたい」


「そっか。じゃあまた明日にしよ?」


「うん」




 リンは廊下にいる誰かと会話をすると、俺たちが隠れている物置棚を一瞥してから素早く黒板の文字を消していき、部室から出て行った。




「先輩っ、もう良いですよっ」


「んっ、んっ?」




 まるで赤ちゃんみたいに俺の首筋にしゃぶりついている先輩を引き剥がすと、物置棚の扉を開け放つ。




「はーっ、もう、先輩、あれはヤバすぎですって」




 肺に思い切り酸素を取り込みながらそう言うと、先輩は唇に指を当て、物欲しそうな表情で小首を傾げた。




「でも、気持ちよさそうだったぞ?」


「そ、そういう問題じゃない! 馬鹿っ!」


「ふふっ、さっきから君の方が子供みたいだ」




 ああもう、そういう表情されると調子狂うだよなあ。




「そ、そういえばあいつ、黒板に何か書いてましたよ」




 しかも、俺に何か用事があるような感じだった。




「あー、消されてて見えないかあ」


「どれどれ、君の年上の私が見てあげよう」


「年関係無いですけど」


「こうやってチョークでなぞっていってだな」




 先輩がチョークで文字の後をなぞっていき、言葉が浮かび上がっていく。




「今朝は言いすぎた。ごめん」




 先輩の声で再現されたそれは、超が付くほど強情なあいつからは想像もできないような言葉だった。


 中学の頃からずっとそう。自分から謝るようなことは絶対に無いし、そもそも自分の非を認めない。


 そんなあいつからの言葉だと思うと、胸が温かくなっていくのを感じた。




「そ、そっか。そうだったのか」


「先輩?」




 先輩は急に顔を赤らめると、足早に歩いていきガラッと勢い良く部室の扉を開けた。




「どこ行くんですか」


「せ、生徒会に顔を出してくる。君は、もう帰っていいぞ」


「えっ? 唐突ですね」


「ああ、急に、頭を冷やしたくなってな」


「そ、そうですか」




 そして先輩は、照れ笑いに似た表情を浮かべた。




「それと、すまなかった。あんなことをして」


「は?」




 先輩は謎の謝罪を言い残すと、ダッシュで部室を去っていく。




「何だ? 急に」




 廊下を駆けていく先輩の後ろ姿は、まるで俺から逃げているように見えた。


 先輩が挙動不審なのはいつも通りだが、さっきのは何かこう、何か違ったような。




「ま、明日になればいつも通りだろ」




 俺はそんな楽観的な考えと共に、黒板の前に椅子を持ってきて座る。


 あいつが書き残していった言葉をなぞっていると、少しだけ人に優しくなれそうな、そんな感じがした。


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