第2話 嫌われ者の俺と、人気者の先輩 その2
暑い。だるい。きつい。帰りたい。
俺と先輩以外に誰もいない屋上で、柵にもたれかかりながら、俺はそんなことを考えていた。
「どうした? 体調が悪そうだが」
「いや、そりゃ、俺吸血鬼ですし」
「この程度の日差しでもきついのか?」
「あー」
俺は、じりじりと肌を焼いていく日差しを見上げる。
「普通の人間ならどうってことないかも知れないすけど、吸血鬼にはきついっすよ」
「どういう風にきついんだ?」
「えっと、肌がじりじりと焼かれて、溶けちゃいそうな感じ、ですかね?」
「そ、それは中々、中々だなっ」
先輩はそう言いながら色白の肌を擦る。
今の率直な感想を言おうと思ったが、無駄に喜ばせるだけな気がしたのでやめた。
「ほんと先輩って」
気楽で良いですよね。と言おうとしたそのとき、頭に何か乗せられる。
「えっ?」
「無いよりはマシだと思って、私のハンカチ。使ってくれ」
「えっ、あ、どうも」
実際、何も無いよりかはいくらか楽になる。少なくとも頭は守られているという安心感。それと、どことなく花の良い匂いが漂ってきて……。
やばいな。今ちょっとにやけてる。
「どうした? やっぱりそれじゃ足りないか?」
「いえっ、大丈夫ですよ。ありがとう、ございます」
ふいっと顔を逸らす。見られたら、喜ばせるだけだから。
「思えば私は、君について知らないことばかりだ」
空を見上げながら、先輩が少し恥ずかしいことを言う。
「まあ、出会って一か月ちょっとですし」
「そうか、もっと長く一緒にいたような気がしていた」
「まあ、あんなこともありましたし」
「そうだな」
シーン、と効果音がつけばどれだけ楽か。だけど、現実はアニメや小説じゃないし、ただ気まずい時間が流れていくだけだ。
「今朝は、何故来なかったんだ」
「え、いやっ、ちょっと、用事があって」
「変に真面目な君のことだ。もう部活には顔を出さない気でいたんだろう?」
「いやっ、そのっ」
何か、何か良い言い訳はないか? 先生に呼び出されてたとか。ちょっと体調悪かったとか、そういう……。
「そうなったら私は、本当に寂しいぞ」
「えっ」
ちょっと困り眉になって、伺うような目。キュッと引き結ばれた唇は、目の前の女の子が本音で話してくれている証拠だ。
なのに俺は、必死でくだらない言い訳を考えていた。
「すみません。実はその気でした」
「やっぱりそうか。なら、来て良かった」
「でも、あのやり方はどうかと思いますけど」
「ええっ⁉ やっぱりまずかったか?」
「当たり前でしょ。あんなんやったら、本気で先生に怒られますよ」
俺がそう言い放つと、先輩は両手で顔を覆う。
「やっぱりそうだよな。私、こういうとき居ても立っても居られなくなってしまって」
「でも俺、先輩のそういうところ好きっすよ」
「っ!」
先輩は急に顔を上げて、俺の目をじっと見つめてくる。
え? 急にどうした?
「今、何て?」
「え? だから、そういうところ好きだなって」
「そ、それは、どういう意味だ⁉」
ずいっ! ずいっ! と必死の形相の先輩が近づいてくる。
「何すか怖いっすよ!」
「だ、だって今、好きって!」
「なっ! そういう意味なわけないでしょ! 話の流れ的に、そういうところも良いんじゃないですか程度のもので!」
「ず、ずるいぞそんなの! 何でもありじゃないか!」
「そんなこと言われても」
そのとき、急に風が吹いた。
それは、思わず倒れてしまうような強いものではなかったけれど、俺の頭に乗っていた先輩のハンカチなら軽々しく飛んでいってしまいそうなもので。
先輩がそれをキャッチしたとき、俺の弱すぎる体幹は先輩を受け止めることが出来なかった。
「あの、先輩?」
先輩が俺を押し倒している恰好。先輩はすぐにどくと思っていたが、俺の顔をじっと見下ろしたまま動かない。
「先輩?」
「私、わからないんだ」
「な、何が?」
「昨日あんなことがあってからずっと、君のことを考えると胸がざわざわして、夜も眠れなくて」
「せ、先輩」
先輩がすごく怖い思いをしたことは想像に容易い。
いくらドMだと言っても、そんなに仲良くない男に急に押し倒されて、挙句の果てには血も吸われて、恐怖を感じない女の子など存在しないだろう。
やっぱり、会うべきじゃなかった。
「だから、もう一度」
「ん、んん?」
あれ、なんか見たことあるぞこの表情。
「もう一度、私の血を吸ってくれないか⁉」
「は、はああああ⁉ 何でそうなるの⁉」
「だって、昨日のことを考えると、その、濡れてしまって」
「女の子が濡れるとか言うなっ! 馬鹿っ!」
「そ、そうだ私は馬鹿だから! だから、何回もやって刺激に慣れるしかないんだ!」
「やぁだぁよぉ! 昨日飲んだし! ちゃんとお腹いっぱいになったし!」
「それでも!」
俺の顔の横に先輩の両肘。
視界一杯に広がるのは、無駄に良い匂いのする先輩の首筋。
くらくら、する。この匂いを嗅ぐと!
「それでも、お願いします。ご主人様」
「……人にお願いする態度じゃねえだろ」
「きゃっ!」
先輩の胸倉を掴むと、一気に引き寄せて首筋に噛り付く。
興奮して血流が良くなった先輩の身体は、俺の喉に次々と血を送り込んでいく。
「んやっ、あっ!」
ビクビクと震える先輩の腰を左手で抑えつけながら、本能のままにその味を堪能していく。
「い、痛っ! 痛いよぉ。正也君っ」
先輩のそんな声も無視して、さらに深く噛り付く。
次に罪悪感に襲われたのは、先輩に覆われているおかげで涼しく感じ始めたときだった。
「俺、ちゃんと部活行きますから」
「本当かっ⁉」
「ただし、先輩の監視役として、です」
「それでも、それでも良いよ。ありがとう」
先輩に押し倒されたまま抱き締められると、日差しが顔に当たって目を細める。
「ちなみに、今のどうでした?」
「痛くて、すっごく気持ち良かったぁ」
「あぁ、マジできもいっすね」
先輩の身体がブルブルっと震えたのを見て、俺はため息をつく。
俺は先輩が暴走しないように監視して、先輩は俺が暴走しないように(殆ど私利私欲だと思うが)一緒にいる。
「放課後もお願いな?」
「それはまじで勘弁してください」
傍から見たら奇妙な関係だと思うが、俺ららしいとも思った。
しかし俺は、いずれ先輩が『吸血鬼とつるむとはどういうことなのか』を知ることになると思うと、チクりと胸が痛んだ。
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