第3話

「すみません」


 翌日、あの痩せた少年がやってきた。少年の隣に立つラクダも同じように痩せ細っていた。

 だが、艶やかなネクタイをした姿は長年主あるじに仕えてきた執事のような貫禄かんろくかもしている。

 訪ねる医師を間違えているかのような栄養失調っぷりに安藤も思わず、食べようとしたお菓子を渡していた。


「あの、ボクのラクダにも手術をお願いします」


 話を聞くとどうやら昨日のたるオヤジ、否、アルコの向かいに店を構えているらしい。強豪店が近くにあることで売上は伸び悩み、今では落ち込む一方という。

 そしてアルコはまだ手術もしていないうちから自慢して歩いているということが分かった。


「お願いします。今度の視察がラストチャンスなんです。父の遺してくれた店を潰すわけにはいきません。ボクには幼い妹と病気の母を守る責任があるんです」


「そうは言っても……」


 ――どんッ

 舞い上がった砂の中央には少年が投げた袋。目の前に現れた袋はとても重量がありそうで少々地面が凹んでいる。


「うちの店の全財産です。これでアルコさんのラクダより魅力的にしてください」


 小銭ばかりだがかなりの額だった。アルコには遠く及ばないが、これだけの額を稼ぐのは至難の業だったことだろう。


「それなら余計にお断りします」


「金……ですか? 金額が足りなかったんですか」


「違う」


「だったら……体ですか!? 変態そうな顔して男のしかも骨が服を着ているようなボクを……まさか! 妹を、妹を狙っているんですかッ! この鬼畜」

「断じて違う!」


「そこまで言うなら仕方ない。母さん、先に逝くことをお許しください。そして妹を頼みます……」


「何をする気だ」


 少年は地面に寝転ぶと布切れのような服をめくりあげ、腹部をあらわにした。


「ほら若い内臓ですよ。この辺の医者ならどんな手を使ってでもほしいものですから高く売れますよ」

「いらねーよ!」

「だったら、ボクはどうしたらいいんですか」


 地球を叩き割る勢いで地面を叩く少年。

 時折吹く強風でめくれ上がる扉代わりの暖簾のれんの奥で地元の大人たちがヒソヒソとこちらをチラ見している。


『すごい光景ですね。で異国の男性が幼い少年を膝まづかせて仁王立ちとは』


 フリーズする安藤の隣でトロワがプククと笑う。


「少年、とりあえず立ってくれ。少年がすべきなのはラクダを整形させることじゃない」


「……そうですか。あなたは異国の出だから分からないでしょうけれど、このラクダは我々の看板。パンフレットぐらいしか知識のない金のある客は、より立派は看板の方が信用できるとそちらに行くでしょう?」


 少年の希望を宿さない瞳に安藤は寒気を覚える。

 だからこそ、


「少年がすべきなのはできる限り清潔感を出すことだ。店の細かいところまで徹底的に掃除し、ラクダを洗い店一番の高価な布を着けさせろ。そしてどんな客にも平等に接することだ」


「そんなこと……」


 少年は少し後ろにたたずむラクダを見る。

 するとラクダはゆっくりとまばたき返した。それはまるで主人をなだめる執事のよう。


「分かりました。うちのラクダが『信用してもよい』と言うのでその通りにすることにします。けれど、もしチャンスを逃したときはあなたが店の商品を全て買ってくださいね」


 ラクダを連れて少年は去っていった。


 夜空のようにキラキラとした輝きを取り戻した少年の瞳を安藤は綺麗だと思った。

 希望を宿した深い瞳、惜しいことをしたかもしれない。


『嫌ですよ』


「しないよ、しない」


 視界いっぱいのトロワに安藤は尻餅をつく。

 頭を振ってなんとか物騒な思考を切り替える。


「トロワの瞳も深い色だったなって思っただけ」


『どうだか。安藤は信用できませんからね。それに私はこの体も気に入っています。安藤の脳を使えばこのように衣替えもスルスルと』


「やめろ! 俺の脳みそを勝手に使うな」


『余っているんだからリサイクルしなきゃ』


「俺の脳みそを不要品扱いするな」


 空中をイルカのようにくるくると回るトロワ。

 それを追いかける安藤。

 布の奥で地元民が足早に去っていく。奇声を上げて室内を走り回る異国人には大男でも震えあがって逃げていった。

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