第11話 兄と妹
蘭姫と桐人の訪問から一夜が明けた。
結局あの後は桜河にずっと触れられていて食事の時間やお風呂以外は撫子を離さなかった。
いつもよりスキンシップが多いと感じていたら撫子と桐人が楽しそうに話していたのを見て嫉妬したらしい。
撫子や桐人に他意はないが花嫁に対する寵愛が強い神である桜河は見ていられなかったのだろう。
嫉妬した気持ちを聞いていつもとは違うまるで子供のように拗ねる表情に撫子は心の中でこっそり可愛らしいと思っていた。
撫子も桜河が好きだが触れられたりキスされたりすることに未だ慣れることはなく煩いくらい心臓が鳴っていた。
自室に戻った後も頬の熱さがなかなかとれず、早く寝てしまおうと布団に潜り込んだのだった。
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む日の光が寝ている撫子をそっと照らす。
眩しさを感じゆっくり瞼を開ける。
布団に入ったままサイドテーブルの上に置いてある時計を見るとそろそろ起きないといけない時間だった。
上半身を起こし両腕を上げて伸びをする。
ふうっと息を吐きぼんやりとした頭を働かせる。
(今日は崇明お兄ちゃんと会う日……)
撫子は五つ年上の幼なじみ、清瀬崇明の顔を思い浮かべる。
今日は崇明と会って先日の求婚の返事をする日だ。
崇明は先日から海外の出張に赴いており今日の午前中に帰国する予定だ。
次期社長である崇明は多忙を極めており、帰国してすぐ会うのは気が引けたがこういうのは電話ではなく直接会って伝えたかった。
崇明の個人的な連絡先が書かれた紙を鈴代家に置いたままだったので番号が分からなかった撫子は彼が務める会社に言伝をしたところ本人から折り返しで屋敷に電話がきた。
求婚をされたときは桜我に対して強い敵意をみせていたので心配したが電話をしているときの崇明は特にいつもと変わった様子はなく撫子も少し安堵した。
(もし関係性が変わってしまったらって思うと怖いけど崇明お兄ちゃんを信じなくちゃ……)
以前桜河に言われた言葉を思い出す。
自分が兄として慕っていた相手を信じてみてはと。
撫子は掌をぎゅっと握り、ベッドから降りたのだった。
昼食と身支度を済ませ屋敷を出る。
待ち合わせの場所は崇明と幼い頃よく遊んでいた公園だ。
隣にいる桜河をちらりと見る。
外出をする際は桜河か護衛が傍に付く必要があるのだが今日だけは遠くで見守っていてほしいとお願いをした。
即答ではなかったが撫子の思いを汲み取り今日だけという約束で了承を得た。
公園の周辺は住宅地で人も多く桜河の瞬間移動の力を行使すると目立ってしまうので今日は車で向かう。
我が儘ばかりで申し訳ないと伝えたが桜河に『それでいいんだ』と言われ頭を撫でられた。
撫子は普段甘えたり人に頼ろうとしないのでこれくらいは桜河にとって我が儘ではないのだろう。
桜河と共に車に乗り込むと早速走り出す。
窓から見える流れる景色を瞳に移しながら待ち合わせ場所へ向かった。
公園の入り口に車が着くと崇明が敷地内のベンチに座っているのが見えた。
待ち合わせの時間にはまだなっていない。
撫子も早めに屋敷を出たが彼はもっと早く到着していたのだと分かり慌てて運転手が開けたドアから降りる。
撫子は車から降りた桜河と向かい合う。
「ここで待っていて下さいませんか?」
「……分かった」
やはり最初は了承したものの、自分の花嫁を傍においておきたいのだろう。
渋々といった様子で頷いた。
「ありがとうございます」
撫子は頭を下げて待っている崇明の元へ向かった。
小走りで自分の元へやって来る撫子に崇明はすぐに気がついた。
「撫子!」
片手を上げて座っていたベンチから立ち上がる。
「遅くなってごめんね。待った?」
「全然。まだ時間前だし俺もさっき着いたばっかりだから」
微笑む姿を見ていつもと変わらない崇明に安堵する。
「ここ座るか?」
崇明が座っていたベンチに視線を向ける。
「うん」
頷くと崇明はポケットからハンカチを取り出し撫子が座る位置に広げる。
「ありがとう」
気遣いまで出来る崇明に驚きながらも礼を言い、座った。
隣に崇明も座る。
「出張お疲れ様。疲れたでしょう?」
スーツ姿の彼を見て空港からそのままこちらへ着てくれたのだと分かった。
「ありがとう。でも平気だ。社長になるんだからこれくらいこなしていかないと」
言葉の通り疲れた表情には見えずしかも安心させるように笑いかける崇明を見て尊敬の念を抱く。
次期社長に就任するために必死に努力する姿は昔から変わらない。
忙しいはずなのに撫子が鈴代家にいた頃は不遇な扱いをされているのを心配して様子まで見に来てくれた。
それがどれだけ救いだったか。
変わらず接してくれた崇明に感謝の思いしかなかった。
「この公園懐かしいな」
崇明が辺りを見渡しながら呟く。
遊具などは昔と変わっておらずその光景に懐かしい気持ちになる。
「うん。崇明お兄ちゃんと初めて会ったのもこの公園だった。友達がいなくて一人ぼっちで遊んでたら声をかけてくれたんだよね」
「そうだったな。あ、あの高い木」
ふと公園にある一本の背の高い木を指差す。
「撫子、夕方になったらあの木から伸びる影がお化けみたいだ~ってよく俺にしがみ付いて泣いてたっけ」
「も、もう!昔の話でしょう?」
「ははっ。悪い悪い」
頬を膨らませて軽く怒る撫子に本当に反省しているのかしていないのか分からない笑顔を浮かべながら謝る。
「……ふふっ」
幼い頃の恥ずかしい思い出を話され怒っていた撫子も何だか可笑しくなって思わず吹き出す。
しばらく笑い合うとふと静かな時間が流れる。
他愛のない会話で肩の力が楽になり今だったら言えると掌を握り締め隣に座る崇明に向き合う。
「崇明お兄ちゃん、この前の返事なんだけど……」
「……ああ」
一瞬息を呑む音が聞こえ彼も返事を聞く覚悟が出来たのだと理解した。
(きっと大丈夫)
そう心の中で唱えながら真っ直ぐに崇明を見る。
「崇明お兄ちゃんの気持ちには応えられない。ごめんなさい」
頭を下げる撫子。
求婚の返事を聞いた崇明がどんな顔をしていたのかは分からない。
見るのも少し怖い気持ちもあった。
ぎゅっと目を瞑り崇明の言葉を待つ。
「……顔上げろって」
その言葉におそるおそる顔を上げると崇明は小さく微笑んでいた。
「ちゃんと伝えてくれてありがとう。あいつのこと好きなんだろう?」
遠くにいる桜河に視線を向ける崇明。
「うん」
頷く撫子を見て崇明はベンチから立ち上がり撫子もそれに続く。
ふわりとしたそよ風が二人を撫でる。
返事は良いものではなかったが不思議と穏やかな時間に感じた。
崇明は隣にいる撫子を見る。
その瞳はまるで実の妹を見るかのような優しい瞳だった。
「撫子、幸せになれよ。何か困ったことがあったら兄貴に頼れ」
「崇明お兄ちゃん……。うん、ありがとう」
撫子が頷いたのを見ると急に崇明が桜河の元へ走り出す。
「え……?」
ベンチに敷いていたハンカチを取り慌てて追いかけるが崇明は昔から足が速かったのでなかなか追いつかない。
崇明が桜我の元に駆け寄り何やら話をしている。
「あいつのこと泣かせたら許さないからな」
真剣な目で話す崇明に桜河も表情を一切崩さない。
「無論だ」
その言葉に崇明はふっと微笑んだ。
「撫子のこと頼んだぞ」
先日とは違う崇明の表情に桜河は一瞬目を見開いたがすぐに元の表情に戻った。
しかしそこから怖さや威圧感は感じられなかった。
「ああ」
言葉数は少ないがしっかりと頷く桜河を見て崇明は自分の思いが伝わったのだと確信した。
会話が終わったタイミングで撫子が追いついた。
「はぁはぁ……。何の話をしていたの?」
息を整え不思議そうな顔をしている撫子に崇明は笑いかける。
「男同士の話だ」
「……?」
珍しく撫子に甘い桜河も会話の内容を話そうとしない。
撫子はあまり追求するのも気が引けそれ以上聞くのを辞めた。
ちらりと崇明が自身の腕時計を見る。
「俺そろそろ行くから。また何かあったら連絡しろよ」
ポケットから手帳を取り出し携帯の番号を書いてそれを破り撫子に渡す。
「うん。あ、このハンカチは洗って返すよ」
「いや、いいよ。俺もまた地方に出張だし」
「……分かった。ありがとう」
撫子がメモを受け取りハンカチを渡すと崇明は二人を見る。
最初は突然現れた神に自分の想い人をとられ花嫁との絆など信じないと思っていたがこの二人を見て気持ちが変わった。
見守っていても良いのではと。
「じゃあな」
「うん。またね」
その場から去って行く崇明を見つめる。
(自分の気持ち…伝えられて良かった)
これからも幼なじみ、兄と妹という関係は続くのだと胸を撫で下ろした。
いざとなったら頼れる存在がいるというのは心強い。
去って行く背中を見つめていると手を差し出される。
「俺達も行こう、撫子」
「はい……!」
恋い慕う彼の手をそっととる撫子。
晴れ渡る青空の下、二人はゆっくり歩き出したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます