第2話 二人の皇子

 「イレン、こちらへ」

 「はい」

 王宮内の自宮へ戻ったシュオウは、イレンに奥に来るように命じた。自宮のなかでも公的な表の空間と、私的な空間がある。下級宮人は多くの場合、奥の私的な空間に立ち入ることが禁じられていた。しかし、イレンは特別だった。シュオウの幼馴染という理由で、下級宮女の身分でありながら、常にシュオウに付き従うことになっていた。

 当然のように、イレンはシュオウの”お手付きだ”という噂は公然のものだった。シュオウの正妃が亡くなる前、病気になる前、それどころからシュオウが有力豪族の娘を娶る前のイレンが14歳の時から、イレンはシュオウの宮の宮女ではないにもかかわらず、専属側仕えとしてシュオウが手離さなかったのだ。

 「疲れた―――」

 シュオウは、豪勢に織り上げられた喪服が乱れるのも構わずに、寝椅子に体を投げ出して座った。

「イレン―――あの話をしてよ」

 さっきまで厳しい顔をして王者の風格を漂わせていた皇子は、今は少年のような顔つきで、幼馴染にいつもの思い出話をせがんだ。シュオウは、たびたび、イレンと過ごした子どもの頃の郊外の屋敷の話を聞きたがった。「薄の原」と呼ばれるその田舎でシュオウが10歳になるまで過ごした時間は、シュオウにとって幸福なものなのだろう。イレンが14歳になって下級宮女として都に呼び出されるまでの4年の間、イレンとシュオウは会うことなど無かった。皇子と田舎の小村の長の娘である。宮廷が派閥争いで揺れていたために、たまたま預けられていた田舎で皇子が近所の娘と同じ年だっただけである。二人の運命は二度と交わることなどなかったはずだった。でも、イレンは都―――正確には行政長官の命令で宮女として仕えるように命令を下されたのだ。

 イレンやイレンの一家に逆らう選択肢などありえなかった。イレンに持ち上がりかけていた隣村のよく働く男との縁談も、当然沙汰止みになった。

 「そうですねえ、じゃあ、薄の原の秋の話をしましょうか」

 イレンは、シュオウから離れた床に直に座った。シュオウにはいつも隣に座るように言われるが、子どものときならいざ知らず、はるかに高い身分の人間と同じ位置に座るなど有り得なかった。

「シュオウ様もご存じの通り、薄の原は秋には一面の黄金色に染まります。それが風に揺れて、金の波がどこまでもどこまでも走っていく―――」

 イレンは何度となく語った話を始めた。女性としては背が高く、低めのイレンの声は、気を張り詰めているシュオウの神経の昂りを静めていく。


 「お眠りになられたか」

 イレンは安らかな顔をしているシュオウに、柔らかな布をかけて、灯りをいくつか吹き消した。

 いつもの儀式、いつものシュオウ様。

 ―――これでいいのか、いつまでこのままでいるのか。

 そういう思いが湧き上がってくる。どす黒いものが内側から湧き上がってくることから目を逸らして、蓋をする。それを考えて何になるというのか。

 イレンは、小さな鏡を取り出して髪を整える。そこに映っているのは、ごく平凡な顔だ。結い上げた髪は豊かだが、簡素な簪が1本のみ、薄い化粧を施した垢ぬけない女がそこにいた。容姿に夢を見たのは、王宮へ来る前までだった。宮殿には全国津々浦々から美しい男女が集められて、宮人として働き、ときに高貴な人の寵愛を受けていた。イレンは頭の良い子だったから、宮廷にやってきた14歳のときにそれをはっきりと自覚した。

 この平凡な容姿だからこそ、敵はまだ少ないのだろうとさえ思えた。

 「う……」

 イレンはシュオウを振り返った。寝言のようだ。寝乱れていてさえ美しい容姿だと、シュオウを見つめて思う。並み居る妃たちもかなわない美貌。だからこそ、「皇子は自分が美しいから、美しいものに興味がないのだ」と言われるのだろう。

 

 イレンはシュオウから与えられた貴重な鏡を胸元の袷にしまうと、足早に何重にもかけられた帳を抜けて、奥の宮から表へつながる廊下へ出た。

「イレン、何しているの」

 その声にハッと顔を上げる。咄嗟に胸元の鏡を押さえたことに、イレンは気づかなかった。

「カリュウ様」

 イレンは跪いた。廊下の端だったので、砂利に足をつく態勢になる。足の爪に小さな石が食い込む。

「立って、イレン。丁度いいところで出会った。来て」

 美しい顔をした弟は、イレンの躊躇などお構いなしに、イレンの腕を取って立ち上がらせた。そのとき、彼がイレンの胸元の袷の下の堅そうなものに目を素早く目を走らせたのにイレンは気づかなかった。

「第二皇子様、そんな下々の者に直接触るなど―――」

 カリュウの後ろに控えていた武官がイレンを突き放そうと動いた瞬間、武官は皇子に腕をひねられていた。

「痛っ」

 痛みに思わず声を上げた武官に、皇子が告げる。

「イレンを丁寧に扱わない者がいたら、明日、首が飛ぶと思え」

 美しい顔の怒気を孕んだ凄みに、武官のみならず周囲の従者たちはみな震えあがった。

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薄の原は黄金、空は青 暁 雪白 @yukishiro-akatsuki

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