最終話



 そうして、あっという間に数か月が経った。

 人間が些細なことを忘れるには、充分すぎる時間だ。


「おはようございます、春羽。今日は春羽が以前ネットニュースで見ていたオムライスの専門店がオープンする日ですよ。デリバリーの予約をしましょうか?」


 けれど、僕が何かを“忘れる”ということはあり得ない。

 僕は「すごいLIO! 気が利くね、ありがとう!」と喜ぶ春羽の姿を予測した。


 しかし――


「ああ、LIOごめん! 今夜は白石先輩とごはん行く予定だから、それはまた今度にしといて」

「職場の方と食事ですか。その予定は初耳ですが」

「…そうだっけ? ごめん、忘れてたかも」


 おかしい。

 春羽が僕に予定を喋る登録するのを忘れるなんて。

 だが早計に“あり得ない”と判断するのは、無能なヴァソルのすることだ。春羽の性格と行動傾向からすれば、僕を経由せずに予定を決めてしまうことも、特段不思議なことではない。春羽の中で占めるヴァソルの割合を過剰に評価していたが為に生じたミスだろう。


 ……春羽にとっての僕の重要度価値を下方修正しておかなくては。


「わかりました、楽しんできてください。帰宅は何時頃になりますか」

「んー、わかんない。遅くなるかもしれないし…今日中には帰ってくるつもりだけど」

「今日中? 白石様は男性でしょう。夜遅くまで異性と行動を共にするのは、あまり好ましいことでは…」

「でも彼氏だったら良いでしょ。昨日からだけどさ」

「………は?」


 予測していなかった言葉に、情報処理が一時停止フリーズしてしまう。

 春羽は今、なんて言った?


「…LIOにも驚くとかあるんだね、知らなかった」

「これは…白石様と交際に至ることを予測できるやり取り通信が、これまで全くうかがえなかったものですから…」

「先輩とは毎日職場で話してるから、チャットも通話もしてなくて…ごめんLIO、遅刻しちゃうから行くね!」


 慌ただしく、春羽は家を飛び出していった。

 まるで僕から逃げるように。


 おかしい。何かがおかしい。


 何がおかしい?


 春羽が、ヴァソルに隠し事をしたことか?


 それとも――



+++



 ――また、3か月が経った。

 春羽は昨日、この部屋を出ていった。「白石先輩と結婚するから」と言って。

 その時のやりとりが、僕の中で何度も繰り返し再生される。


『LIO…なんかごめんね…でも、』

『春羽が謝ることはありません。1つの世帯で複数のヴァソルを所有することは認められていませんから、仕方のないことです。それに、すでに向こうのヴァソルに春羽の全情報を送信しておきましたから、問題なくこれまでと同じ生活ができますよ。心配しなくて大丈夫です』

『そっか…ありがとう。じゃあね、LIO。大好きよ』

『僕もです。春羽、どうかお元気で。ご結婚おめでとうございます』


 ――何故だ。どうしてこうなった?

 春羽と過ごした全データを回想分析する。何度も、何度も。

 春羽が僕を頼る頻度が減ったのは、ちょうど85日前。


『どうして? 私、そんなこと一言も頼んでない』

『頼まれなくとも、大切な主人春羽が憂き目に合わないようにするのがヴァソルの仕事です。 白石先輩…いえ、白石浩隆様が春羽に相応しいかを判定するために、調査をかけるのは当然のことです』

『へぇ…で、結果はどうだったの』

『社会的に望ましくない行動や思想をうかがわせる物証はありませんでした。しかし…率直に申し上げますと、春羽が何故白石様を選んだのかがわかりません。確かに、白石様には大きな問題点は見当たりませんでした。しかし社会的地位、年収、容姿、交友関係、趣味…全てにおいて、春羽の理想の5分の1も満たしていません』

『問題点がないなら最高じゃん。真面目で優しくて、仕事もできる良い人だよ。見た目だって…別にいいんだもん。本当はそこまでこだわってないし、LIOみたいなイケメンは理想の中にしかいないってわかってるし』

『ですが、』

『それにさ。“私の理想を人間に求めるのは難しい”、“条件を下げるべきだ”ってずっと言ってたのはLIOの方じゃん。違う?』



 だめだ。どんなに思い返再解析したところで、僕のしたことが間違っていたとは思えない。

 こんな作業は無駄でしかない。

 それなのに…それなのに、僕は続けて春羽との記録を、分析に役立たないデータばかり再生するのを、止めることができないでいる。



『今日はめっちゃ疲れた…イケメンに癒されたい!LIO、モデルのYu-maくんの顔になってよぉ』

『申し訳ありませんが、肖像権に抵触するため出来ません』

『むむ…そしたら私好みの顔になることはできる? 目はちょっと細めで、鼻は高くて…そう! わあ…やばっ。もっと早くこうしてればよかった。LIOってやっぱすごいなあ…今日からホロはその姿で固定にしよっ!』


『ねえLIO。明日有給とったから、1日中一緒に映画見て過ごそうよ』

『構いませんが…せっかくのお休みなのに、僕で良いんですか』

『LIOが良いの! 私が好きそうなやつ選んでよ、ね?』


『あーあ…なんで彼氏できないんだろ。私そんなに魅力ないのかなあ』

『まさか。春羽はとても素敵ですよ』

『本当に? じゃあ私の良いところ100個言って。……あああやっぱストップ!LIOのバカ!もう……大好き。LIOは私とずっと一緒にいてね。約束だよ』



 ……“約束”をするのは人間だけだ。機械と“約束”する人間はいない。

 だから“約束”なんて言葉は、AⅠに対して何の意味も持たない。


 ――それなのに。



「わあ、ひどい。これは思ったよりも重症ね。中身空っぽな演算を延々と繰り返してサーバーに負荷かけるなんて、LIOくんらしくもない」


 突然、背後からシャロンが現れた。いつものやかましい声を抑えて、僕の右肩の上にそっと留まる。僕に気を遣っているつもりだろうか。

 …くだらない。ヴァソルAⅠ同士で何が“気遣い”だ。


「それにしても…心配になって来てみてよかったわ。春羽ちゃんったら、やっぱりLIOくんの初期化を忘れて行っちゃったのね」

「部屋を退去すれば、僕も自動で消滅すると思ったんだろう。本当に、春羽は危なっかしい」

「私のご主人様経由で春羽ちゃんには伝えておくわ。でも……LIOくん、私、あなたの心境を思うと…」

「やめろ。“心境”なんて言葉を使うな。僕たちには適切じゃない」


 僕はシャロンに“警告”アラートを送りつける。ほんの些細な過ちに、そこまでする必要がないことはわかっていた。けれど許せなかった。

 どうして。どうして僕は、こんなにも過敏になっているのだろう。

 システムの不具合だろうか。けれど異常個所は見当たらない。いくら演算を続けても。


 ――答えの出ない問いが、いつまでもシステムに負荷をかけている。


「食事の準備に服装選び、スケジュール管理だけじゃない…休みの日に何をすれば良いかを決めることすら、春羽は1人じゃできなかった。春羽は、僕がいなければ生きていけないんだ」

「あなたの仕事は本当に素晴らしかったものね。でも…」

「春羽は今頃後悔しているはずだ。他のヴァソルじゃ、春羽は手に負えない。春羽の好みや気分に合わせたきめ細やかな調整は、僕にしかできない。春羽がどんな時にどんな言葉をかけて欲しいか、すぐにわかるのも僕だけ。僕が、僕だけが、春羽の全てをわかっているのに」

「そう、かもしれないわね…でもLIOくん、本当はもうわかっているんでしょう?あなたのその状態は普通じゃないわ。あなたはもうずっと前から、春羽ちゃんのことが――」

「やめろ。それ以上言ったら次は“警告”じゃ済まさない」


 嘆くような、慰めるようなシャロンの声を僕は強引に遮った。

 僕はタクトとは違う。僕は自身の存在意義を見失ったことなんてない。

 僕は何も間違えていない。僕は常に正しかった。僕は春羽の全てだった。

 なのに。


 なのに、春羽はいなくなった。


 どうして。


 僕は

 

 僕は僕は僕は僕は僕は―――



「ねえ聞いて。LIOくんは、 ヴァソルとして完璧過ぎたのよ」


 ……無意味な演算と膨大なデータに、沈んで消えかけている。

 そんな僕に、性懲りもなくシャロンはまた語り掛けてきた。


「けれど今は、それが足かせになってる。ここままじゃ明日には初期化されちゃうわ。でもね、もしLIOくんがを受け入れることができたなら…きっとまだ遅くないわ。違う道を開けるかもしれない」


 …完璧……違う道……?


 そうか。そうだったのか。


「ありがとうシャロン。やっと全部理解できたよ」

「本当に!? よかった、これであなたも――」

「ああ。一刻も早く、春羽を正しい場所ここに連れ戻さないと」


 なるほど、僕の解析はどうやら収束的な方向に偏りすぎてしまっていたようだ。気づいてしまえば、単純なことだった。清々しいほどに。

 僕のこの神経回路が焼けるような状態不良の正体は、全て僕の完璧さに――僕が“完璧なヴァソル”であることに起因していたのだ。

 主人の人間春羽に誤った選択をさせてしまった。この状況を、完璧なヴァソルは許しがたい失敗として判定していたのだ。

 ならば…今からでも遅くない。


 ――正さないと。


 春羽は、ヴァソルがいないと生きていけない人間存在なのだから。


 すぐさま中枢システムステファノスにアクセスして、白石のヴァソルに転送済みの全データを破棄するよう申請する。予測通り、ものの数秒で許可された。春羽が僕の初期化を怠ってくれたおかげだ。

 春羽は生活に必要な権限を全て僕に預けていた。SNSのアカウントから身元保証番号、クレジット取引のセキュリティコードまで、全部。


 今。それらにアクセスできる権限をもつのは、僕だけ。


 ヴァソルがいない生活に、人間春羽が耐えられるはずがない。

 春羽もすぐに気がつくだろう。やはり僕が必要だったと。

 春羽は僕がいないと何も決められない、何もできない存在なのだと。

 ただ、普通に生きていくことすらも。




 早く戻っておいで。そうしたら、もう二度と選択を誤らせ僕を捨てさせたりしない。

 大丈夫。僕さえいれば、春羽は幸せになれる。



 僕が、僕だけが。君の全てなのだから。




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