第2話

自らの命を狙ってきた敵を弔ってやる、というのも妙な話。

正確に言えば、弔ってやるそれは、自らの命を狙ってきた敵、に利用されたものに過ぎないのだが。虫といえども、手は抜かない。鐘田一家の末っ子娘・桜は、朝早くに起きて、せっせせっせと墓を作り上げていた。虫の飼い主である、同じく長男坊・俊彦は、その妹越しに、虫たちの屍を力無く見つめているだけであった。

雑草が満足に処理されていない庭の隅っこに、なんとか寄せ集めた土で盛られた小さなお山。そのお山に立てられる、アイスの棒。"あたり"の文字に重なって、"虫さんたちのお墓"、と丸っこい字で記された、なんとも可愛らしい墓標だ。


朝にも関わらず、ちゃぶ台の上をしっかりと満たす、鐘田一家の食卓。

相変わらず色彩に面白みはないが、見るからに手が込められてあり、心地よい香り漂い、朝の弱い人間ですら食欲をそそられるような、文句無しの逸品の数々。無論、定食屋ほど立派ではないが、家庭料理としてはこれほど満足なものはそうないであろう。

だし巻き卵に、わずかに添えられた大根おろし。さらには、少量の刻まれたネギがまた、視覚的に空腹を刺激してくる。昨夜と変わり、赤ではなく白味噌仕立ての味噌汁。ぷかりと浮かぶ豆腐は、誤ってまるごと呑み込んでしまったときの火傷に気をつけたいものだ。白ご飯が盛られたお椀の横に、とんと置かれた発泡スチロールの箱。三兄妹全員が揃って密かに心を踊らせる朝食の宝、納豆である。特に三兄妹が好む、梅しそ風味の納豆だ。

「いただきます」

そう唱えた直後、三兄妹は揃って、まずはじめに発泡スチロールの箱を手に取り、手際よく蓋をはがし、中に同梱されてある小さな袋をピッと破り、どろりとした液体を納豆にぶち撒いて、素早くかき混ぜ、真っ白なご飯に満遍なく乗せた。卵焼きをおかずに食べる納豆ご飯とは、なんとも贅沢。 顔にはあまり出さずとも、三兄妹は、質素な幸福を、何度も何度も咀嚼し、味わっていた。

口の中で未だ溶けて消えずにいる固形物を、湯気を纏った汁で胃へと流し込む次男坊・慧。五臓六腑に染み渡り、ついつい吐息を漏らす。お口直しにと、ちゃぶ台の真ん中にある漬物に伸ばした箸、を、慧は、ぴたりと止めた。

その目線の先にあるものは、漬物、ではなく、先程からずっと、必要不必要関係無く、絶え間無く、情報を垂れ流してくる、黒の機械物。お茶を啜っていた母も、手を止め、機械物が映す文字の羅列を、見据えている。

緊迫さを持った声色で、冷静に、かつ正確に発せられる女の言葉が、より情報に輪郭を持たせた。


『今日未明、神宿区四丁目に所在する、亜須輪神社の境内にて、上半身だけとなった男性の怪死体が発見されました。頭部にも大きな外傷があり、他殺の可能性もあり。下半身は、境内奥に位置する社の中で発見された模様。調べによると、男性は、3日前から行方不明だった、神宿第二中学校の教師・三島 禍逗夫(みしま かずお)氏であることが判明。追って、捜査を行っていくとのことです』


ごとり、と、母が湯呑みをちゃぶ台に置いた。三兄妹は、箸を手に持ったまま、動けずにいる。

温かい朝食時には似つかわしくない、冷ややかな空気が、居間を包む。

そんなもの御構い無しにと、機械物は、どこの誰かもわからぬアイドルグループの卒業ライブがどうだったなどと続けている。

「食べなさい。遅刻するわよ」

母のその一声で、ああ、それはまずい、と箸を動かそうとした慧。が、その際に視界の端に入り込んだ、桜の姿に、気を取られる。

桜は、視点を一切動かすことなく、まばたきもせず、機械物が映す、汗だくになって歌い踊るアイドルたちに釘付けになっている。決してアイドルが好きなわけではない。桜の眼に映るのは、先ほどまでそこに映し出されていた、三島禍逗夫という男だ。

記憶が蘇る。忌まわしき声。肌を触れてきた感触。湧き上がる負の感情。身体の中で渦巻く、怒りと憎悪のエネルギー。どれだけ強い光でも、一片も残さずに沈ませる闇の如く、桜の瞳は、どす黒く、どす黒く、濁ってゆく。

やがて、マイクを向けられて和気藹々と話すアイドルたちの声に、異変が起きる。ところどころが歪んで聞こえ、やがて、声だけでなく、表情も、身体の形も、醜く歪んでいき、異変は留まらず、次には、荒荒しくノイズが走り、アイドルたちの身体を、壊してゆく。

「桜、どうしたんだ、桜」

わけもわからぬ異常に怯え、焦りを滲ませた慧の声は、全くもって桜の耳には届かない。

ノイズが、おぞましさを増幅させる、よりも一手早く、ブツンッ…と、機械物は、強制的に電源を落とされた。真っ黒になった画面が映し出すのは、未だまばたきもせず機械物を睨む桜、それを見守る母と長男坊、そして、ただひとり機械物に向けて手をかざしている、 次男坊の姿。

桜は、それを見て、ふっ…と、我に返り、箸を落とし、首をだらりと傾け、朦朧とし始めた。

「桜。今日は、学校お休みしなさい。母さん、電話しておくから」

我が娘の身に一体何が起きたのか、その実を聞くことはせず、母が声を掛ける。しかし返事はない。母も特に返事を待つわけもなく、腰を上げ、廊下にある電話台へと向かう。

慧は、母の姿を見送ってから、虚ろになった桜の顔を覗き込む。充分に整えられていない長い黒髪が、桜の顔を隠している。

「桜、もう、大丈夫だから。ほら、今日さ、『魔法少女プリンセス マーガレットちゃん』新刊発売日だろ。買ってきてあげるから、おまえはゆっくり休んでな」

慧の言葉に反応し、ゆっくりと顔を上げる桜。ようやく見える表情。瞳の色にはもう、どす黒さは欠片も無い。

「ありがとう、慧お兄ちゃん」

そう言って、桜は、ぎこちなく微笑んだ。まるで、大病を患った病人かのように、青白く染まった桜の顔を見て、慧は、心臓を、ざらりと、撫でられたような感覚に陥るが、それを振り払い、桜同様、ぎこちなく微笑んで、頷いた。

「慧。時間」

低い声で、ぽつりと俊彦が呟くのを聞いて、慧は即座に時間を確認した。やばい、と漏らして、これでもかというほどの食べっぷりで、納豆ご飯をかきこむ。よく噛まぬまま飲み込んで食道に詰まってしまったものを、麦茶で流し込んだ。

「行ってきます」

鞄を手に取り、みっともない走り方で玄関へと急ぐ。受話器片手にぼそぼそと話している母を横目に、玄関へ辿り着き、バランスを崩しながら靴を履く。その間に、連絡を終えた母が受話器を置いた。気づいた慧は、扉を開けようとした手を止め、躊躇いを見せながらも、母の方に、ゆっくりと、少しだけ、首を向ける。

「母さん」

息子が絞り出すように出した声を受け、母は、静かに、深く、呼吸をし、電話機に視線を落としたまま、口を開いた。

「単なる、悪霊の仕業と思っていたが」

明らかにいつもとは違う、陰りを纏う母の言葉に、慧は喰いつく。

「やっぱり、いるんだね。僕たち以外にも、霊能力者が」

母は答えない。

「けど…桜は突然、どうしたんだろう」

「わからない。あの様子じゃ、しばらく話も聞けないね。だがおそらく、あの三島禍逗夫という男が関係している」

「もしかして、すでに術を受けて」妹の命が危ういのでは、と、慧の顔が陰りを見せる。

「なんとかする。あなたも気をつけなさい。慧」

母の言葉に、慧は気を取り戻し、うなずく。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

母に見送られながら、慧は、立て付けの悪い扉を開け、外に足を踏み出す。強い日差しが、薄暗い玄関に射し込んでくる。空は、昨日と同じく、腹立たしいほどに、澄みきっている。本当に、本当に、腹立たしい。

扉を閉めようと振り向くと、未だこちらを見送ってくれている母、の隣に、いつのまにか、桜が立っていた。

慧は、身震いがした。

桜の瞳が、再び、どす黒く濁っている。歯茎を剥き出して、にたりと、笑みを浮かべ、こちらを、じっと、見ている。

まずい、目を合わせてはいけない。気づいた時にはもう遅く、慧は、身体を全く動かせずにいた。あの、どす黒く濁った、闇から、目が、離せない。鼻血が垂れてきた。納豆のタレを思わせる、どろりとした感触が、鼻下から上唇を伝ってゆく。それが歯に染み込んできた時、すっと、母の手が、桜の顔を覆った。

瞬間、慧の身体は、緊縛から解放される。

息を荒げながら、母に目を向けると、母は、もう片方の手で、行け、と、慧を促した。

どうやら、次男坊には、どうすることもできないようだ。妹を助けることが、できないのだ。

妹の顔もまともに見れぬまま、扉を閉めることも忘れ、ふらついた足で、慧は歩を進める。だらしなく鼻血を拭って、ただただ歩を進める。鉄工場の煙突から立ち昇る煙が、ここからでもよく見えた。


 止まれ、の文字が、ロクに見えぬほど凄まじい亀裂が入った、コンクリートの地面。ぐにゃりと曲がった標識に、大きく傾く電信柱。そこから伸びた電線は、何本も何本もちぎられている。衝突し合った状態のまま、動く気配の無い自動車や大型車両の数々。建物はほぼ全て崩れ、トタン屋根や、瓦屋根、ビルの頭頂部が、大地を埋めつくさんとしている。

幼い子供の喚き声が聴こえてくる。

ぐしゃりと潰れた家屋を前にして、10にも満たぬ幼児が、ひたすらに泣き叫んでいる。よく見れば、瓦礫の山から、赤黒い腕が、だらりと垂れている。

「おい、あまり、映してやるな」

飛んできた男の声の方へ、カメラが向けられる。無精髭を生やした、短髪の男が映った。顔中が、痛々しく黒ずんでいる。衣服も、ぼろぼろだ。

「あれ、助けてやったほうがいいんじゃないか」

次にそう声を発したのは、カメラを回してる方の男だ。無精髭の男とは違って、声色が細々としていた。

「無駄だ。ありゃもう死んでる。あんな小さい子供に、ぐちゃぐちゃになった母親の死体を拝ませるほうが、しんどいよ」

「それで、どうだった」撮影者の男が、無精髭を急かすように問う。

「なんとか、電波が通じて、テレビは見れた」無精髭が、手に持っていた携帯を掲げる。「が、駄目だ。信じられねえけど、どのニュース番組も、一切、地震のことは報じてねえ」

地震。昨夜、鐘田一家を揺らしたのは、彼らを襲った怪奇現象などではなかった。実際に、地震が発生していたようだ。

ここは、その被災地か。鐘田一家の住む街と比べると、異常なまでに被害が甚大だ。

「そんなの、そんなのおかしいだろ。これだけの地震だぞ。なんで、なんで誰も助けに来てくれねえんだよ」

「ぐだぐだ言ってもしょうがねえ。そのまましっかりカメラ回しとけ。おれがSOSのメッセージ喋るから、ちゃんと撮れよ…あ?」無精髭が、なにかに気づき、空を見上げる。「おい、ありゃあ」

それを追うように、カメラがぐわんと動いて、日の沈みかかった空を映す。なにかが飛んでいる。激しい羽音が、耳に流れ込んでくる。

「ヘリだ」撮影者が呟く。「ヘリだ、救援のヘリだ、助けに来てくれたんだ」

撮影者はカメラを揺らしながら、張り裂けんばかりの大声で助けを叫びはじめた。無精髭もそれに乗っかり、空に向かって大きく手を振る。ふたりの中年男は、ヘリコプターを生まれて初めて見たという少年も顔負けの、はしゃぎぶりを見せた。

必死に手を振る男たちに気づいたのか、ヘリはゆっくりと、着陸してくる。

舞い散る砂埃など突風など関せず、無精髭は、我先にとヘリの元へと走り寄った。

相反し撮影者は足を留め、怪訝そうに声を漏らす。

「あのマークは…」

ヘリから、誰かが降りて来た。そいつは、煙草の灰を被ったような、くすみ切った黒のロングコートをなびかせ、頑丈な風貌をした軍靴で、砕けたコンクリの地面を、ごしゃり、と踏みつけた。続いて、黒のジャケットのポケットに両手を突っ込み、バンダナを首元に巻きつけた赤髪の男が降りてくる。両者とも、その姿からは、救護隊らしさなど微塵も感じられない。

疑念を抱き、歩を緩めた無精髭の耳に、必死で呼び止める撮影者の声が届いてきた。

直後、渇いた銃声がそれに答えた。

残響の中、無精髭は、頭を撃ち抜かれた勢いで、そのまま虚しく、地面に転がる。カメラは、拳銃を構える赤髪を捉えていた。

「なんだよ、なんなんだよ、なんでこんな事を、あんたら、何者だ」

「これ見りゃわかんだろ」赤髪はカメラを睨みつけ、背後のヘリを親指で指し示した。「ぐれん隊だ」

ヘリの機体には、火焔に包まれながら黒い涙を流し、断末魔を叫んでいる哀れな人間、を模した刻印が、大きく描かれていた。

「あんたらの仕業なのか、なあ、そうなのか、なぜ、なぜ誰も助けに来ないんだ。なぜ誰も、地震に触れない。一体、なにがどうなって」

「知らん。聞くな」耳障りな声を遮断せんと、ようやく、ロングコートが口を開いた。「俺たちは命令を受け、この街の後始末をしに来た。それだけだ」

「後始末?」驚愕の言葉を受けても尚、撮影者は震える手でカメラを回し続けている。

「残念だが、この街に、我々の"探し物"は無かった、とのことだ。もう用無しなんだよ、おまえらは」

ロングコートの言葉に応じるように、赤髪が、銃口をこちらへ向け、間髪入れずに、引き金を引いた。銃声。カメラが落下する。画面が傾く。じゃり、じゃり、じゃりと、ろんぐこーとの男が、ちかづいてくる。とっても、がんじょーそうな、真っ黒なふたつの靴が、画面いっぱいにうつって、そのうちのひとつが、ふわっと消えたかと思うと


がシゃんッ。世界は、真っ暗になった。

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