感情について


 長々と校正の日本語の部分について語った。

 次に構成をチェックする段に移りたいのだが、そのまえに語らなければならないことがある。


 感情についてだ。


 なぜ、校正・構成について語るのに、感情について語る必要があるのか?

 それは、小説なりコンテキスト言外の意味の含まれるエンタメは基本的に感情を刺激し、感動させることで、読者、視聴者にお金をもらっているからだ。


 小説の目的は「感情を刺激し、感動させる」ことにある。

 そして小説の場合、その手段は文章となる。

 文章の機能としての目的が「説得」にあることは前にも述べた。

 その説得、それ自体の目的は、読み手を感動させることにある。


 しかし、感動させるには感情を知らなければならない。

 我々が持ち、いや、持て余している感情とは、一体何なのであろうか?


 ある一文を引用しよう。

 

『「感傷主義者」とは、代償を払わずに感情の贅沢を望む人のことです。』

  オスカー・ワイルド


 感傷主義者は「作品の消費者」と読み替えても良いだろう。


 さてはて、感情と結びつけられている、この感傷主義とは何か?

 具体的に説明しよう。


 例えば――ある倫理的な問題が表に出た時を想像して欲しい。


 中絶、貧困、疫病、災害、事故……。


 これらについて語る意見が、感情的な意見によって議論・反論されることを見たことがないだろうか?


 例えば、中絶反対論者が使う胎児の写真はどうだろう。外見上幼児とほとんど変わらない胎児の写真は強い感情的反応を引き起こし、そうした写真を前に中絶賛成を主張するにはかなりの心理的抵抗が生じる。


 もうひとつは、反戦運動をあげてみよう。

 この戦争に反対する運動においては、「戦争を続けるのはひどい事」という主張がまずもってあり、そうした感情を引き起こすような写真――爆弾や銃弾によって死亡した市民、ひどい怪我を負った子供の写真を見せつける。


 もちろん、哲学的な原理や、科学、社会情勢なりの根拠に基づいた議論もされる。しかし、現実でおきている論争を見て欲しい。


 人々が中絶の反対、戦争の反対という結論に達する上で、哲学的議論と感情的議論のどちらのウェイトが大きいだろう?

 断然、感情的議論の方が威力を持っているのではないだろうか。


 現に、あなたはこれらの反対運動に対して、論理的に「是々こういう事だから」と、きちんと説明できるだろうか?


 漠然と、なにか悪いことのようだから反対意見を受け入れる。

 もしくは、より悪いことになりそうだから、反対意見を受け入れない。

 そういった行動をとっていないだろうか。


 これはいったいなぜだろう?

 論理学や哲学、科学技術の見識は勉強しないと手に入らない。

 だが、感情、ことに優しい(とされる)心は誰でも持ち合わせているからだ。


 理性よりも、感情をもとにした決定を行う主義主張を、感傷主義という。


 そして、ワイルドの「代償を払わずに感情の贅沢を望む人のこと」

 この贅沢とは感情の起伏、「感動」を指しているものと思われる。


 代償を払わずにとは、金を払っていないということではない。自身の命や、人生そのものを賭け金にする、そういったことをしていない、ということだ。


 小説が売り物にする感動とはそういうもので、感情を描く理由はそこにある。

 全ては感情の贅沢、それの演出のためにあるのだ。


 本当に大事なことは、感情的な体験を読者に与えることにある。

 読んだ人の心がコロコロと変わり、水のように変化する。

 怒りでカッと熱せられて湯気になり、恐ろしいシーンでは凍りつく。


 ページをめくりたいと思うのは、スクロールしたいと思うのは、そういう体験を求めているからだ。クリックして10万字最後まで一気読みさせる作品と、1話でブラウザバックされてしまう作品の差は何なのか?


 それは、読み手の心と手を結ベたかどうかにある。

 見たい、理解したい、感じたい。という根源的な欲求にある。


 「見たい」は覗きたいと言い換えてもいいだろう。

 深夜、路地裏で何が起きているのか? 毎日駅で同じ時間にすれ違うあの人が、どう見てもカタギでない黒服の男と親しげに話をしていた。あの人は何の仕事をしているのだろう? そういった具合だ。


 小説の場合、どんな危険なことに首を突っ込んでも、読み手に危険は及ばない。

 次の瞬間、黒光りする拳銃を突きつけられるとしても、より深くその世界に入ることができる。(TRPGのキャラクターは、その最たるものだ)


 「理解したい」は、読者が小説の登場人物と同化したい、同じ気持ちを感じたいという気持ちを指している。親しみやすい主人公というのは、いつのまにか読者と合体する。越えられるかどうかも定かでない、はるか高い壁に立ち向かう主人公は、いつのまにか「私」の話になっている。同じ状況を追体験する。それが理解したいということだ。


 「感じたい」小説を読む人たちは息抜きにページをめくっている。頭をつかうよりも、心の方を使わせてほしいのだ。ふーん? ほう! ふむふむ……えっ!

 ムカ! ぴえん……ウッヒョー!!

 そういった気持ちを、理屈抜きで感じさせてほしいのだ。

 心を豊かにする刺激、体験がありさえすれば、損をした気にはならない。

 誰かに薦めたいという気持ちすら掻き立てられる。


 ここまででわかっただろうが、校正・構成でチェックするのは、決してキャラクターの感情ではない。読者はどう感じるのかな? という読者の感情なのだ。


 キャラクターが派手に泣き喚いても、読者のあなたがふーんとしか思わない。

 そんな経験は数多くあるはずだ。


 重要なのは、その場で何が起きるかではない。

 これを読んだ人に何が起きるかなのだ。


 さて、これまで通り、一つ一つやっていこう。

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