段落とは?(2)

 段落を意識すると、文章のクオリティは格段に上がる。なぜかというと、段落を意識すると、その文章を意味のひとかたまりにするための中核になる文章、それをこねくり回すことを始めるからだ。


 段落の中核となる文章は、以下のような特性がある。


① 段落の内容を要約している。

② 段落の流れを予告している。

③ 読み手の関心を引く。


 例文をあげてみよう。


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 (1)クソゲーとは「うんこのようなゲーム」という最低の評価を受けたゲームのこと。著名人であるみうらじゅんが言い始めたことで広がった単語である。元々業界では「バカゲーム」などと呼んでいたが、「金払っているんだから馬鹿じゃすまねーだろ」ということで「クソゲー(糞ゲー)」と名付けたと彼は語っている。だいたいこの単語が誕生したのは1980年代後半である。

 ゲームの面白さの感じ方は十人十色である。それにもかかわらず多くのプレイヤーからクソゲー認定を受けてしまうゲームは、(2)以下のような特徴を持っていると考えられる。

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 上記の文章は、ニコニコ大百科のクソゲーの項目から引用した。

 (1)の文章は段落の内容を要約している。

 先ず冒頭で結論を書き、そのあとに具体的な説明をしているのだ。


 (2)以下は、②の次の段落の流れを予告している文章だ。次に何の話をするのか? それを提示すれば、読み手に混乱や誤解が無くなる。


 文の流れが複雑に成るほど、こういった予告で読み手に「これから何の話をするのか?」という心構えをさせる必要がある。(2)の段落では、この後、クソゲーの特徴を上げることで、※例証をすることが明白だ。


 ※例証:例を引いて証明すること。また、証拠となるべき前例。


 この他にも「なぜクソゲーが発生するのか? その原因を推測してみた」と予告する文章はこのニコニコ大百科のクソゲーの項の各所にある。これがあるだけでも、読者はすんなりと文章に入ってくるだろう。


 ③の読者の関心を惹くという要素は、往々にしてこういった疑問文の形を取る。


「なぜクソゲーが発生するのか?」という一文は「こうしてクソゲーが発生する」と※平叙文で客観的に述べるだけでも良かったはずだ。いや、それではだめなのだ。読みたくならない。


 ※平叙文:疑問文・感動文・命令文に対して、特別な修辞を用いずに物事を客観的に述べる形の文。


 疑問文にすると、読み手に「なぜ?」が生まれて、次のページをめくる動機になる。文章に「読ませる力」が出る。だからこの記事の作者は意図があってそうしているはずだ。


 ニコニコ大百科のクソゲーの記事を眺めるとわかるが、見出しはどれも『どのようなゲームがクソゲーか?』『なぜ「クソゲー」が発生するのか?』と、疑問形となっている。そして、疑問文の次には否定的な意見を並べ立て、最後にオチやどんでん返し・逆転となる文章を用意していることに気づくはずだ。


 読んで楽しい文章の段落にはこういった意味の流れ、ある種のリズムのようなものがある。


 段落を意識する目的は、こういったリズムを作り出すことにある。面白い文章とは意味がわかるのはもちろん、文章中に対比があり、オチがあるものだ。


 しかし、そういった文章ばかりを書くわけにもいかないのも事実だ。小さすぎる段落や、逆に大き過ぎる段落を書く必要に迫られる事は、しばしばある。

 そういった場合、どうすればいいのだろう?


 そんな時は、段落の役割や意味合いを変えるのだ。中核になる文章がどんどん膨らんでしまった場合、それをそのまま段落とする。そして、それを修飾・補強する文も段落としてしまえば良い。


 例文をPIXIV百科事典の『ポストアポカリプス』の項目から引用してみよう。


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・例

(1)大規模な災害や戦争によって人類の文明が崩壊し文明が依存するライフラインが絶たれた世界で人間はどう生きるのかについて描く、SFのサブジャンルのひとつ。


(2)「終末もの」や「破滅もの」とも呼ばれることもある。特に日本では『北斗の拳』の影響で世紀末という呼称が定着している。


(3)学位や社会的地位、経済力といった社会制度に由来する要素が意味を成さず、サバイバル知識や技能、原始的な道具が重要となる。


(4)「パニックもの」と違うのは世界秩序や公的機関が機能を失っており、外部からの助けが期待できない点。文明の崩壊からの経過時間によって世界観の描写も異なってくる。このため「崩壊後の世界」と「崩壊しつつある世界」の作品が混在している。

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さて、(1)が中核となる段落で、締めくくりも兼ねている。(2)で代表となる作品を上げ(3)でそれとジャンルの共通点を出し、定義となる根拠を示し(4)で他のジャンル「パニックもの」と比較して、「ポストアポカリプス」の定義とならない部分を提示している。


 一連の文章には、複数の段落をまとめた大きな流れがあり、それぞれの段落が語ろうとしている内容に対して、並行していたり、対比されている関係にあるのに気づくだろうか。


 これが情報量の多い長文を書くときに、わかりやすくまとめるコツとなる。先で説明した、段落を量でとらず、意味で取るというのはここにもつながっている。


 無論、あまりにも長くなるようであれば、いくら意味がまとまっていても読みづらくなる。文章を削ることを検討するか、段落をさらに分けるか検討するべきだろう。


 とくに文章が5行を超えると、文字の塊としてそれなりの圧迫感が出てくるので、横読みが基準となるネット小説では、長くても4行以内に収めたい。


 紙媒体であれば長さはあまり問題にならないが、ネット小説ではユーザーがどういう形式や文字サイズで読むか、こちらからはコントロールできない。


※補遺※

 長大な文章であっても、カクヨムの縦読み機能を使えば、比較的快適に読めるが、カクヨムの縦読みUIには欠陥もある。目次のUIが固定されなかったり、ホイールを使ったスクロールが直感的でなかったりという部分だ。これはユーザー体験としてはあまり良いものではない。


 そのため、あくまでも私個人の考えになるが、文章は平易すぎるくらいがちょうどいいように思う。


 さて、次は段落を組み立てるにあたって必要となる「論理の基本」について語ってみようと思う。かなり難しくなると思うが、続けて読んでもらえると幸いだ。

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