文を「文章」にする、主題の書き方(2)

さて、文章とはなんだろう?

 これをまず定義しよう。


 芸術的な文章、実用文、文章には様々な種類がある。


 しかし根本的な部分ではどれも変わらない。文章とは書き手の思考を著述し、他者に伝達して理解・納得させるための手段だ。


 一言で言えば、文章とは「説得」するために存在する。


 文章とは「人を説得できる≒するために書かれた言葉」である。

 これが文章の定義だ。文章の目的は他者の説得にある。


 考えても見て欲しい。なぜ自分の内側の思考を外の世界に出す必要がある?

 自分のことは、自分だけが知っていればそれで十分。

 普通に考えれば、そうではないか。


 だが、そうでないから外に出している。


 面倒くさがりながら、言葉を使って、思考、心を外の世界に出す目的はなんだ?

 自分の考えを伝え、説得し、誰かの心や体を動かそうとしているからだ。


 語弊を恐れず言えば、文章を書くことの根源はラブレターにある。


 まず、文章には届けるべき「相手」がいる。

 そして読み手に細やかな気配りをし、相手にこちらの考えを受け入れてもらう。

 ラブレターなので、同意してもらうと言ったほうが適切だろうか。


 どんなに立派な文章を書いても、恋が叶わなければ意味が無い。

 自分の作品、テーマに対する熱い想いを綴り、読み手もそれを想ってくれるように仕向けないといけない。


 だ、これをしないといけないのだ。


 先に上げた要素を、箇条書きにしてまとめるとこうなる。


① 何を伝えるのか、曖昧でないこと。(誤読・曲解を誘わないようにする)

② 難しい言葉を使わない(難解な表現、特殊な専門用語を使用しない)

③ 人を不快にさせない(勝手な思い込み、自己中心的な主張をしない)


 ネット小説にかぎらず、文章の作法を調べた事がある人なら、一度は見た覚えのある内容だと思う。

 私がする校正では、文章にこういった要素がないか、チェックをしている。


 しかし、読み手の気持ちになって書けというのは、具体的に何をするのだろう?

 読み手をイメージすることだ。何がほしいのか、どう探しているのか……。


 君が小説を描く時、論理的な策略や、専門的な技術、そういった内容を入れるなら、それを読み手に伝えられるタイトルとあらすじにしないといけない。それなら知識レベルの高い人達が読むので、難しい描写もすんなりと読まれるだろう。


 そこからさらに啓蒙的な文章となると、宗教、心理学、哲学のテーマが含まれていることをタイトルやあらすじで示唆しないといけない。だって、そういう人に向けているのだから。


 逆に砕けた内容にしたいのなら、タイトルからして雰囲気を「わかりやすく」伝えないといけない。漢字を適切に開き、熟語を使わず、ストレートに感情を書く。楽しむ邪魔になるものは、極限まで排除する。だって、そう言う人に向けているのだから。


 自分の文章がどういう読み手に読まれるのか、どうやって手に取られるのか、どういう先入観を持って読み始めるのか、そして、どういう印象を持たれるのか。これを理解した上で書き始めないといけない。


 言い換えれば、いったん書き手の立場から離れ、自分が小説を探す人になればいい。何を手がかりに、どんな雰囲気のものを探すのだろう?

 相手の身になって考えるというのはそういう事を意味している。


 そして、悪文というのは、下手な文章だけを意味しない。読み手に心理的負担を与え、「読む」ことに、少なからず努力を必要とする文章のことを悪文という。


 一読して、すんなりと文章が頭に入ってこない。

 欲しい時に欲しい感情が書かれていない。なんかスカッとしない。

 無料で読める文章があふれている今日は、たったそれだけでも悪文とされる。


 読み手の身になっていない文章は、まず誰にも見向きもされない。

 君の小説が誰にも見向きもされないのは、自分以外の誰も見ていないからだ。


 誰も見ようとしていないのに、どうして自分を見てもらえるだろう?


 読み手が誰のモノかもわからない文章を読む時、母親のように君の思考を読み解こうとしてくれるのは、最初のほんの10数秒だけだ。

 与えられた時間はたったそれだけだ。それを無駄にしてはいけない。

 

 さて、これより後の「構成」の部分で再度説明するが、小説を読み続けてもらうには、作品世界での現象や、事実、キャラクターたちの行動や思考をただ陳列するだけではダメだ。それは空がきれいですね、海が青いですね。と、感想を言っているだけに過ぎないからだ。なぜそう思ったのか? 根拠が無くてはならない。


 「何かの主張」には「そうする理由」が必要だ。

 何度も言うが、文章には「目的」が必要なのだから。


 芸術的な文章と、実用的な文章は、「感動させる」「情報を与える」といった目的の違いはあれど、主張と理由が必要だという構造自体に変わりはない。


 どちらも相手の同意や共感が必要となるからだ。

 読み手は作品世界の人物の気持ちに共感するから感動するのだし、こちらの考えに同意するから情報を受け入れるのだ。


 それなりの理由もなしに、世界の全てに感動し続けていたら……?

 きっと、それは何かの病気だ。


 何事にも根拠を用意する。

 これはすべての会話、文章における鉄則だ。

 けっしてこれを考えることを抜かしてはいけない。


 ラブレターは、できることなら「〇〇だから好きです」の一文で済ませたいところだが、実際にはそうは行かない。


 たくさんの文章をつづり、まとめ合わせ、段落にして配置しないといけない。

 なので、次は段落、文章の配置について書くとしよう。

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