文を「文章」にする、主題の書き方(1)

 さて、ここまでつらつら「文」について校正するべきことを書いてきたので、次は文の連なり、「文章」に話をステップアップさせていこう。(内容もこれまでの物に比べて、難しくなっている。余裕のある時に読んで欲しい)


 文を文章にするのは、かなり難しい。

 簡単に思えるかもしれないが、とんでもない落とし穴があるのだ。


 まず踏まえてほしいのが、日本語は非常に主観的な言語だということだ。

 会話主の感情、見たもの、感じたもの、主観的な描写に優れている。


 多くのなろう小説は、話し言葉を中心に組み立てられている。そして一般的に、なろう小説は一人称描写が多く、読み手にもそれが好まれている。これは日本語が主観的描写の機能に優れている点と、まったくの無関係ではないだろう。

(これを深く掘ると、大学レベルの統語論になるので、この点について説明を省略するのをご容赦願いたい)


 日本語の基本文型は3つになる。


① 名詞文 > 犬だ。

② 動詞文 > 吠えた。

③ 形容詞文 > かわいい。


 見ての通り、これら述語だけでも十分に情景が伝わる。


 英語では必要不可欠な主語、それすら日本語では、述語を補うための強化パーツでしか無い。(実際、川端康成の『雪国』の冒頭「トンネルを抜けると雪国であった」の部分は英訳版だとThe Trainが追加されている)


 日本語は習得が難しい言語と思われている。

 だがその実、ものすごく単純な文でも、コミュニケーションは可能なのだ。


 日本語は基本的に主観的判断と事実の記述しか出来ない。


①❌あなたは楽しい。

②❌彼は楽しい。


 どちらも日本語として不自然だ。「楽しい」の主観的判断を判断しているのは、「あなた」や「彼」ではなく、隠された主語である「私」だからだ。


 ここがまずひとつ目の落とし穴だ。


 これらを自然な日本語に直すなら、きっとこうなるはずだ。


①✅あなたは楽しそうに笑っているね。

②✅彼は楽しそうに体を揺すっている。


 心情を直接書くのではなく、「私」から観測できるものを書く。

(余談だが『プロだけが知っている小説の書き方』に記されている「視点による表現の書き分け」は、ここに根拠があると思われる。)


 これまでのおさらいになるが、日本語の特徴は「発話環境依存」つまり周囲の情報に依存して短縮される傾向があり、だからこそ「述語中心」で文が単純であり、特に記述がなければ私の話、「主観的な言語」ということになる。


 日本語は「私」という主観を明示的に止めない限り、客観的に抽象概念を説明できないということでもある。だから、なろう小説は自ずと一人称視点で書かれるのだ。なぜなら、日本語的にはその方が「わかりやすい」からだ。


 逆に、抽象概念を日本語で取り扱う場合、「わかりにくく」なる。

 三人称視点より更に踏み込んだ、抽象的主語・無生物主語を使用して、名詞を中心として組み立てられた文章になると、読解がかなり難しくなる。

 そういった文章を理解するには、訓練が必要だ。


 日常会話ができる普通の人、なろう小説を読める読者が、「書き言葉」のある「内容のある文章」を読めないのは、なろう読者に限らず珍しいことではない。

(ぶっちゃけると、大学一年生でもザラに居る)

 なぜなら、「内容のある文章」を書くのはもちろん、その文章の読解に必要なのは、どれだけ日本語で会話したか、小説を読んだかではない。


 残酷なまでに問われるのは、どれだけ論理的、抽象的な思考に触れてきたか?

 これを試されているのだ。


 日本語は主観的判断か、事実しか書けない。


 抽象的な内容を伝えようとすれば、情報をバラバラにして、再構成する必要がある。そして、私やあなた、彼以外の抽象的な「無生物主語」が文の中心に立つ。


 これが理解出来ていないと「何を言っているのかわからない」となってしまう。

 文章に「書いてある」にも関わらず。


 抽象的なものを取り扱う文章は、その文を読んだ後、内容の翻訳が必要なのだ。それが出来ないから、そういったスキルのない読者には読まれない。


 そういったスキルの無い読者にも読めるよう、抽象的な内容を取り扱うにはどうしたら良いのだろう?


 「ファンタジー世界の魅力」といったような、抽象的なものはどう伝えたらいい?


 抽象的な主題に使うべき方法は「擬人法」「比喩」「オノマトペ」だ。

 それらを使い「具体性」「明確な主張」をする。ではやっていこう。


・例

❌このポンポコ大陸は素晴らしい場所だ。美しい自然の風景、独特のタヌキ亜人の文化。そして寿司や天ぷらという食べ物! どこをとってもこの大陸でしか見ることが出来ない魅力にあふれている。


✅ポンポコ大陸の魅力は、何よりも食べ物だ。肉みたいに脂の乗った赤身魚や、プリプリのエビを使ったお寿司や天ぷら! また、タヌキ亜人が化け力を競う、『化け比べ祭り』は、ここでしか見ることが出来ない。


 見ての通り、日本語は「形のないもの」を主題として表現するのが苦手なのだ。

 話の中心となる内容を「ヒト=モノ」触れられるものにするのがポイントだ。


 日本語での抽象的な説明は、そのまま読み手の疑問になってしまう。

 小説の文章は、ウソの世界を読み手に納得してもらう、説得のための手段だ。

 だからこそ、疑問が出てきそうな部分はすべて潰す。


 どんな些細な部分でも、「これって何なの?」と思われてしまったら、その時点で読み手の心は文章から離れている。

 せめて半分、5割の人が矛盾や破綻に気づかない程度の説得をしたい。



 そろそろまとめに入ろう。


・日本語は自分の主観を伝えるか、事実を伝えることしか出来ない。

・文を文章にするとは、文に「説得」という目的をもたせる事。

 


 次は文章とは何か、説得とは何か?

 それについてより詳しく書いていこう。

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