わかりにくい文は、〇〇がもつれている

「文を短くする」

 これは校正を通して、文をわかりやすくするテクニックの一つだ。


 日本語を明瞭に記述するには、単文を使うのが良い。

 文章の長さと語順に気を使えば、「わかりやすさ」についてはクリアできる。


 では、わかりにくい文、「悪文」とはどういったものだろう?


 歴史に残る悪文を引用しよう。


『わたしたちの概念の対象が、けだし行動への影響を有するどのような効果を持つことができるとわたしたちが考えているのかについて、よくよく考えてみよ。そうすれば、これらの効果についてのわたしたちの概念こそは、その対象物についての私たちの概念そのもの全てである。』

 — 『ポピュラー・サイエンス・マンスリー』1878年


 うん、全く意味がわからない。


 これはプラグマティズムの※格率というのだが、この悪文のせいで、当時も今も全く評判にならなかった。


※格率:行為の規則、論理の原則などを簡単に言い表したもの。準則。


 これはなぜか? そもそも言わんとしていることが複雑すぎるのだ。


 文章が長くなり、内容を読む解くことが難しくなるのは、作者の考えていることが複雑で、「もつれている」からだ。


 文章を「短く書く」ことは、けっして、単語を、このように、細かく、区切ることを、意味して、いない。


 思考の流れがあり、それを垂れ流しているから長くなるのだ。

 だからこそ文章を切ることができなくなる。それは切れなくて当然だ。


 思考は話し言葉と同じだ。それを書き言葉に置き換えるには、先ず思考を言語化してやらないといけない。


 単文を書くということは、思考に節目、切れ目を入れて区切り、ハサミで切ってノリでつなぎ合わせるような行為が必要なのだ。(奇しくもそれは先に述べたキットバッシュによく似ている)


 ただ、長い文を書いてから、それを短くするほうがやり易いのであれば、それはぜひともそうするべきだ。下書きとするなら、いくらでも悪文を書いて構わない。


 さて、実際に先程の悪文を修正する場合、どうしたらいいだろう?

 とりあえず堅苦しい文章を平易にしてみよう。


『わたしたちの概念の対象が、けだし行動への影響を有するどのような効果を持つことができるとわたしたちが考えているのかについて、よくよく考えてみよ。そうすれば、これらの効果についてのわたしたちの概念こそは、その対象物についての私たちの概念そのもの全てである。』


 最初の一文の最後の方に、『~わたしたちが考えているのかについて、よくよく考えてみよ。』とある。述語だし、おそらくこれが主題だろう。

 なのでこれをまず主題として読み取れるようにしよう。


 そして全文のごちゃごちゃしたものを、いったん代名詞に置き換えて整える。

 こんなもの「それについて」で十分だ。すっきりさせてやろう。


 そして、「考えている」が連続しているので、どちらを類語に置き換える。これはとくにひねらず、「思考」でいいだろう。


『~という私達の思考、それについてよく考えてみよう。』


 まずはこうだ。

 そして結論を探す。


『これらの効果についてのわたしたちの概念こそは、その対象物についての私たちの概念そのもの全てである。』


 どうやらこれが結論のようだ。だいぶゴチャゴチャしていて理解しづらい。

 まずは余計な修飾や助詞を取っ払おう。


『これらの効果について、私達の概念は、その対象物について、私達の概念そのもので、全てである』


 取っ払ったおかげで、内容が少し見えてきた。

 どうやら結論では、「概念」について説明しているらしい。

 よくよく考えてみよという主題は「概念」についてのようだ。

 いったん代名詞にした「それについて」は「概念の機能」としよう。


 概念とは平たく言えば、現実の事象を人が認知し、考えることで形作られたものを「言葉」という道具で括ったものだ。


 この悪文はその事を言いたいらしい。

 思考がまとまらなくて、こんな悪文になっているのだろうか?

 ほんとにヒッデーなコレ。


 ここまでタフな悪文と接する人は哲学者くらいしかいないだろう。

 だが、一応直そう。


『私達が使う概念の中身、おもうに行動に影響するようなものは、どのような効果を持ち得ると私達は考えているのか? それについて思考してみてほしい。

 そうしてみるとわかるが、行動に影響する私たちの概念は、概念の中身そのものが、私たちの概念そのものであり、全てである』


 一応わかりやすくはなった、だが依然としてメチャクチャ難解だ。


 これは何故だろう?


 答えは簡単だ、作者の考えの「もつれ」を正していないからだ。

 いくら言葉をこねくり回しても、これでは理解できる文章にならない。


 「言葉だけ修正する」これがやってはいけない校正の仕方だ。

 直すべきは、考えの「もつれ」なのだ。


 この長文を直すには、作者の主張を抽出し、真っ直ぐにしないといけない。


『思考という行為は、目的を達成するよう導く働きをする。思考は概念の理解を獲得するというやり方で、概念と私達を結びつける。』


 この悪文が言いたいことはこれだけだ。


 そしてこれをさらに平たく、限界まで考えの「もつれ」を取るとこうなる。


『人間の思考とは、単に生きるための道具にすぎない』


 これをプラグマティズムという。興味があれば調べてみてほしい。


 そして、考えのもつれを取ると、自然と文章は短くなっている。

 校正でわかりやすくするために「文を短くする」のは、けっして内容の省略をしているのではない。考えのもつれを取ると、自然と思考は短くなるのだ。


 さて、長々と説明したが、腑に落ちただろうか?

 まとめよう。


 ・文章の分かりづらさは「考え」のもつれに起因している。

 ・考えがもつれていたら、文章をいくら修正しても良くならない。


 だが、どうしても複雑な内容を書かねばならない時がある。

 そういうときは、以下のテクニックを使おう。


 ① これから書くことの内容を予告する。

 ② 箇条書きにする

 ③ 「ようするに」等、まとめの文を作る。


 特に小説で①は効果的だ。

 ここから一体何のシーンが始まるのか? それを簡単に説明するだけでも、読者はずっと世界に入りやすくなる。


 説明は以上だ。


 次は文の並べ方、語順や文法的な展開について述べようとおもう。

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