校正で真っ先にすること=伝わる文章にする
この論で目的とすることは、ごく単純な内容になる。
校正で真っ先にしなければならない事について語る。
まずやるべき事は、伝わる文章にすることだ。
車が真っ直ぐ走る。電気が点く。それらと同じ事を文章でやる。
文章も所詮道具だ。意味を伝達するために使う道具だ。
文章の用途は、意味を伝えることにある。だから伝わるようにしよう。
これが校正で真っ先にしなければならないことだ。
「個性的な文章」「美文」「品位のある文章」
そう言ったものを求めるのは、もっと後で良い。
まずは自分の考えが、まず相手に届くようにする。
意味が通じてないというのは、野球で例えれば、バッターに「言葉」というボールが届いていない状況だ。
ここで変化球、「美文」の練習をはじめるのは、アホのすることだ。
そんな事を言われても、どうしたらいいのだ? 疑問はもっともだ。
なので使うものをよく知ろう。小説を著述するのに使用するのは日本語だ。
だから、日本語をよく知ろう。
「外国語を知らない者は、自国語に対しても無知である」
これはドイツの詩人ゲーテの言葉だが、外国の言葉を知ることで、自国の言葉を客観的に見ることができるようになる、という意味だ。
要するに、外国語を知ることで、私たちは日本語を理解できる。
比較対象となる外国語を知らない場合、自分の国の言葉の良さ、特徴を知ることはできない。文法はもちろん、表現の幅についても言える。
品詞は言語によって異なる。動名詞、名詞の格変化、男性名詞、女性名詞は日本語に存在しない。外国語を学ぶとなれば、そういった事を知らなければならない。
この差異の知識を自分の用いる言語に活かすのだ。
これは文章の執筆に大きく影響する。言葉を書いて伝達するには、まずは言語として機能するルールに従わないといけない。だから言語を学ぶことが重要なのだ。
これは、日本語を外国語として学び直すことを意味する。
夏目漱石を始め、日本の文豪は海外留学の経験を持つものがいる。彼らの文章に、言語を比較して得られた知識が影響していても、なんらおかしくはない。
外国語という、外の視点を得ることで始めて見えてくるものがある。
(ここで勘違いしないでほしいのだが、言語に優劣はない。あるのは差異だけだ)
英語と比較すると、日本語は非常に柔軟な言語だ。言葉を入れるだけ入れても機能するし、捨てまくっても機能する。
極端な話、外国語を入れてとしても、なんとなく機能してしまう。
「ユーとアイでトゥギャザーしようぜ」でも、英語の知識が少しある人なら、これでも意味が通じてしまう。信じがたいが、これは文法的にも完全な日本語だ。
また、言葉を捨てる場合であれば、とある品物を指さして「買った」だけでも文法的には成立する。述語があるからだ。英語なら、買いたいのか? 買ったのか? 買わせるのか? 判断がつかないので身振り手振りを交えるターザン口調となる。
日本語を極限までかき乱したとしても、最低限守らないといけない文法はなんだろう? それは以下の2つだ。
① 名詞、動詞、形容詞、形容動詞など「述語」が最後に置かれる。
② 修飾語が、被修飾語の前に置かれる。
②を詳しく説明すると、「こうなる説明すると詳しく」だ。
明らかに日本語として怪しい文章なので、言わんとすることがわかるだろう。
語順が自由なのは、日本語に「てにおは」という助詞があって、語と語の関係を示してくれるからだ。ラテン語では格変化で、関係性が名詞から離れてくれないので、こうはいかない。(これがラテン語の表現の奥深さなのだが、割愛する)
さて、伝わるように書くという点では、日本語にはもう一つ大きな特徴がある。
それは周囲の状況で意味が補完されるという点だ。(これは英語にもある)
暗黙の前提、話の流れ、身振り手振り、表情に助けられる。こういった助けがあればあるほど、言葉の数は少なくてすむ。
これはストーリーとしての含意、説明しない感情描写に用いられる。
例えば、こういうのはどうだろう。
「ちゃんと見たわ、最高だったわよね!!」
(幼い娘の演劇を見にいくと言った親が、娘が失敗したにもかかわらずの発言)
次に何がおきるのか? 大体シーンが想像できる。
しかし待って欲しい。
これは……「会話」だ。「話」をしているのだ。
我々が「書く」執筆するということは、こういった環境によりかからず、なるべく全てを言語化しようする試みになる。
これは非常にわずらわしく、執筆に重くのしかかってくる。
頭の中ではストーリーがちゃんとまとまっていたのにもかかわらず、いざ書いてみると、まるでとりとめの無いものになる。
場面で何が起きているのかわからない。
キャラクターが何をしたいのかわからない。
これって、一体……何の話?
これは発話と著述の違いに起因している。
話し言葉と書き言葉は別の言語だ。
頭の中に浮かんだ言葉は基本的には「話し言葉」だ。
だから、いざ書いてみるとまるで伝わらなくなってしまう。
小説という「書き言葉」には、お作法がある。
無論、話したように、思ったように書く「話し言葉」だけでも書けなくはないが、会話というのは基本的にまとまりのないものだ。
全てを会話で済ませようとすると、違和感しか無い説明セリフを、延々と読み手に爆撃しないといけなくなる。それはちょっとひどいと思わないか?
では、「書き言葉」として伝わる文章にするにはどうしたらいいのか?
次はそれを示していこう。
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