第7話命の差
シレンシオ
命の差
速度をあげるばかりが、人生ではない。
ガンジー
第七屋【命の差】
「何だと・・・?」
病院の検査後、ケンジは医者からガンを宣告された。
家に帰ったケンジは、肩を落とす。
ケンジは、官僚として働いている。
妻もいるし、子供も2人いる。
1人は大学生になったところで、もう1人は中学3年生で今年は受験の年だ。
官僚と言えば聞こえは良いかもしれないが、それほど良いものでもないのだ。
綺麗なことばかりをしてきたわけではない。
昔は、日本のためにと、懸命に働いていたのだが、次第に権力や金、自分のために働くようになっていた。
そんな中、次々に官僚の不祥事が発覚し、ケンジも色々と調べられている最中の、今回のガン宣告だった。
「あなた、今ならガンを治せるわよ。アメリカへいって、治してもらうことだって出来るでしょ?」
「だが、今アメリカへ行けば、私は逃げていると思われても仕方ない」
「そんなこと言ったって、自分の身体が大事じゃない」
ガンなんて、自分がなると思っていなかった。
官僚たちの黒い噂の中に、ケンジはいなかったわけではないが、不安の種が1つから2つに増えた。
確かに、今は治療法も沢山あるため、生存確率はぐっとあがっているのかもしれないが、ケンジはステージ4。
出来た場所が悪いらしく、色んな箇所に転移をしているため、手術はそうとう困難を極めると言われた。
手術をしようと思えば、それくらいの金は用意出来るのだが、ケンジは自分の身体にガタがきていることを知っていた。
歳をとってから出来た子供なため、これ以上は無理して働くこともないと。
ケンジも天下りをして、悠悠自適に暮らすのはどうかと誘われたのは、ほんの少し前のことだ。
それも良いなと思っていたこともあったが、子供たちに胸を張って生きている自分の背中を見せることと、その誘いに乗ることは、真逆なことのような気がして、なかなか返事をしないでいた。
周りは当然のように、早めに天下り先を決めて挨拶や根回しなどをしていたが。
「治療したら?」
「この歳になってか」
「そんなこと言って。まだまだこれからじゃない。ちゃんと治して、せめて子供たちの結婚式にくらい出たら?」
長生きすれば、それだけ自分が支払ってきた年金が意味を成すのだからと思っていたが、高齢者が増えてしまっている今、若者に負担をかけてまで、自分が長く生きる意味などあるのかと、ケンジは息を吐く。
この国をどうにかしなければと、自分なりには頑張ってきた心算だが、結局国も、自分のことが一番可愛いということだ。
口先ばかりの政治家たちに、暇つぶしが上手な官僚たち、こんな大人たちを見ている子供たちは、国のためになど働こうとは思わないだろう。
なぜなら、国は嘘を吐くからだ。
子供の頃、嘘を吐くとすぐに分かってしまうのに、大人になるにつれて嘘はどんどん上手になっていく。
しまいには、嘘を吐くことが平気になって、当たり前になって、嘘が本当になる。
こんなことをしていては、この国に未来等あるわけがない。
「ちょっと、出かけてくるよ」
「こんな時間に?どちらへ?」
「なに、少し歩いてくるだけだ」
「あまり遅くならないでくださいね。明日また病院に行って、治療について詳しく聞いてきましょう」
「わかった」
いつもならきちんとした格好、スーツなどで出かけるケンジだが、普通のシャツと動きやすいスウェットで家を出た。
希望に満ち溢れていた頃は、目をキラキラと輝かせて、自分が世界を変えるんだ、くらいの気持ちでいたものだ。
それなのに、いつの間にか汚い大人になってしまった。
自分はただ老いて行くだけなのだから、後の事は若い人に任せるしかない。
ふう、とケンジは適当な店に入ろうかと当たりを見渡してみるが、どこもかしこも人で並んで行列が出来ており、そこに並ぶだけの気力はなかった。
どこか空いている店は無いかと探してみるが、時間が時間だからか、仕事帰りのサラリーマンやOLたちで店はいっぱいいっぱいで、楽しそうに飲んでいる。
そんな中、1人憂鬱そうに飲むのも申し訳ないと思って、ケンジは他の店を探す。
ふと、視界の端の方に、ぼんやりと仄かに灯っている灯りを見つけた。
隠れ家のようにひっそりとそこにある灯りには、他の人は誰も気付いていないようだ。
「・・・やってるのか?」
物音ひとつしないその店の戸に手をかけ、そっと開けてみる。
すると、中には1人の若い男がいた。
青い目をしていて、さらには紫というなんとも奇抜な色の髪をしていたため、ケンジは戸を閉めようとしたが、止められてしまった。
「せっかくいらっしゃったのですから、どうぞお入りください」
「いや、別の店に・・・」
「きっと何処も混んでいますよ。なにしろ、今日は金曜日の夜ですから。みなさん、溜まりに溜まったストレスを解消するため、沢山お飲みになるでしょうね」
そう言われればそうかと、ケンジは男に勧められるがまま、カウンター席に腰を下ろした。
キョロキョロと辺りを見てみるが、席はどうやらここしかないようだ。
「何をお飲みになりますか?」
「ああ、焼酎を頼むよ」
「かしこまりました」
男はすぐに焼酎を出し、それからかぼちゃの煮物とサバの味噌漬けを並べる。
家政婦のものとも、妻のものとも何かが違うその味付けは、ついつい箸を伸ばしてしまうほど美味しいものだ。
調理をしている様子もなかったのだが、男はささっと料理を出していた。
こんな髪型やカラコンを赦すなんて、どんな親なんだろうと思って男を見ていると、男はケンジを見てにこっと笑った。
「僕はノアと申します。料理は口に合いましたか?」
「え?ああ、とても美味しいよ。妻に教えてやりたいくらいだ」
「それは良かったです」
名前を聞いて、ああ、そういうことかと、ケンジはぺろっと料理を平らげた。
「何かお好きなものはありますか?」
「好きなもの・・・」
「寿司でもステーキでも、それこそフォアグラでも何でもご用意出来ますので。御遠慮なさらないでください」
「いや、そういうわけではなくて」
ケンジは、ポケットの中に入っている財布の心配をしていた。
それほど多くは持ってきていなかったことと、ここはカードが使えるかという心配をしていると、ノアはそれを見通すかのように、小さく笑った。
「御心配なさらず。お代は結構ですので」
「いやしかし、そういうわけにはいかんだろう。君も商売だ。ちゃんと払うべきものは払わないと」
「律儀な方ですね」
大体の人間は、お代はいらないと言えば、御礼と言って済ませるものだ。
まあ、それはそこまで代金がかからないからかもしれないし、ラッキーくらいに思っているからだろう。
しかし、大きい店だろうと小さい店だろうと、利益というものがあって、代金を払わないということは、店に多大な損害を与えるということだ。
権力や地位を利用して、安く済ませようとしている輩を何人も見てきたが、ケンジにはそれが出来ないでいた。
なぜなら、自分の子供には、そういう大人になってほしくないからだ。
「よほどお疲れのようですね」
「え?」
「お仕事関係ですか?それとも、家庭の問題ですか?」
「ああ、まあ、仕事というよりも、自分のことで、ちょっと」
「何処かお悪いので?」
そう話しながら、ノアは何かを作りだしていて、あっという間にチャーハンが出来上がった。
普通のチャーハンではなく、横に大きなフォアグラが乗っかっているが。
「実は、ガンだということが分かって。妻は治療すれば良いって言うんだが、私としてはもういいかと思っているんだ」
「もういい、と仰いますと?」
「もうこんな歳だ。治療ばかりに時間を割くぐらいなら、死んでしまった方が迷惑をかけずに済むんじゃないかと思ってね」
「そうでしたか」
「長生き出来るものならしてみたいが、官僚なんて、いるだけ無駄さ。それは自分が痛いほどよく分かっているんだ」
「寿命を伸ばす、ですか。そんなことが出来れば、本当に良いですね」
「君はまだ若いから、長く生きようと思っているかもしれないが、私くらいの歳になるとね、何がなんでも長生きしてやるって意地になる人間と、もうそろそろいいかって投げやりになる人間といるんだ」
ノアの作ったチャーハンを口に運びながら、ケンジは話した。
どんな時代にも英雄がいるが、唯一いない時代があるとすれば、今なのかもしれない。
子供たちの為に生きるべきなのか、子供たちのために死ぬべきなのか、どちらが正しいとも言えない。
焼酎を飲み終えたそこに、新しい別の焼酎を注ぐと、ノアは笑みを保ったままこう言った。
「寿命を伸ばすことはできませんが、短くすることは出来ますよ」
一瞬、この男は何を言っているんだろうかと、ケンジは目を丸くする。
ノアはにこっと更に笑みを深めると、まるで麻薬のような声で、囁くのだ。
「僕、寿命屋を営んでおりまして、もし死ぬつもりなら、手助け出来ますよ」
「寿命屋?一体君は何を言ってるんだ」
「こちらの紙に、お名前と死にたい年齢を書いていただければ、苦しまずに寝ている間に死ぬことが出来ます」
「・・・・・・」
す、と差し出された紙は真っ白で、一緒に出されたペンでそこに名前を書けということだろうか。
「なお、一度書いてしまいますと、修正や訂正はききませんので、あしからず」
「ここに、書くのか」
「はい。ちなみになんですが、書かれた年齢が本来の寿命より長かった場合、その歳の差分の寿命が無くなるので、ご注意くださいますよう」
「本来の寿命なんて、分からんだろう」
「ええ、そうですね。あなた方は」
「?」
「ですから、本来の寿命を生きるか、自分で決めた寿命を生きるか、運任せというわけです。一種の賭け、ギャンブルのようなものですから」
「私は賭けが不得意でね。勝てた試しがないんだよ」
「ご安心ください。書かなければ書かないまま渡していただければ結構です。ただし、この選択は一度きりです。二度と、あなたはこの店に来ることは出来ないでしょうし、僕と会う事も出来ません。ですので、今日があなたにとって、人生の分かれ道、というわけです」
「・・・君は、綺麗な顔でむごいことを平気で言うんだね。まるで、我々のようだよ」
「お褒めの言葉として、受け取っておきます」
性質の悪い笑顔というのは、これまで何度も見てきたが、ノアの笑顔はそれとはまた別の影があった。
人間を騙そうとしているわけでもなく、見下しているわけでもなく、だが、純粋な笑みともまた違う。
例えるなら、悪魔のような悪巧みをした子供が見せる笑顔、といったところか。
そこに悪意があるのか、それともないのか。
「君なら、ここに書くかね?」
「僕ですか?」
「ああ、もし君が私の立場なら、ここに名前と書くかね?」
「そうですねぇ・・・」
何と答えるのかと、待っていた。
ここで書くと言えば、確実にケンジに名前を書かせようとしている悪魔なのだが、ノアは少し首を傾げただけで、特に考えた様子もなく、すらっと答える。
「僕なら書きませんね」
「え?」
予想とは違った返事に、思わずケンジは素っ頓狂な声をあげた。
それを聞いて、ノアは笑う。
「書く、と言うと思ってらしたんですか?」
「え、ああ、まあ・・・」
「僕は考えたこともありませんので、“死ぬ”なんて。そういった概念がないものですから」
「人生が充実しているんだね」
「いえいえ、人生云々ではありません。充実しようとなかろうと、僕はそちらの道を選ばない、というだけのことです」
ペンを踊らせようとしていたケンジだが、ノアの言葉に動きを止める。
それから少し考えて、何も書かぬまま、その紙をノアに渡す。
何も書かれていない紙を受け取ると、ノアは目を細めて微笑んだ。
「本当に、よろしいのですね」
「ああ、これでいいんだ」
「病気の治療をされるので?」
「そっちはこれから妻や子供たちと話すことにするよ。時間も金もかかることだからね。治る見込みがないのに、無駄に金を使うこともない。その時は、妻や子供たちと過ごす時間を増やすことにしようと思ってね」
「そうですか」
ケンジは残っていたチャーハンを綺麗に食べきると、財布を出して会計を求めてきた。
ノアが、代金はいただかないと言ったのだが、それはダメだときかず、これくらいかと諭吉さんを数枚だした。
それでも断るノアに、なんで受け取らないのかと聞けば、ノアは何も書かれていないその白い紙を口元に当てながらこう言った。
「趣味でやっているだけなので」
「趣味って、慈善事業なわけじゃないだろうに」
「あなたが生きることを決意してくださったのなら、それでいいのです。僕にとって、この店はルアーのようなものですから」
「ルアー?」
怪訝そうな顔をして見せれば、ノアはケンジをその綺麗な青い目で見てから、ゆっくりと細めて笑った。
「お気をつけて、お帰り下さい」
最後まで笑顔を向けてきたノアの店を出ると、ケンジは真っ直ぐ家に帰った。
翌日には、妻と子供たちを連れて病院に行き、医者から治療についての説明を受けて、治療は受けないといったのだが、妻も子供たちも、助かる見込みがあるなら治療すべきだと言っていた。
だが、ベッドで横になったまま生きるのは嫌だと言えば、自宅での治療と言う道も勧められた。
それから1年が経過した頃、病気の進み具合を調べていると、不思議なことが起こった。
ケンジのガンがほとんど無くなっているということだった。
どうしてなのかは、医者でさえ分からないということだが、とにかく、ケンジはこの時悟ったのだ。
あの時、こちらの道を選んだのは間違いじゃなかったということを。
「何が起こるか分からない人生に、光を見るか影を見るか。どちらを見たかで、人間は自分の運命を変える」
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