第5話デリート



シレンシオ

デリート


空を道とし、道を空とみる。


          宮本武蔵






































 第五屋【デリート】




























 ああ、なんでこんなことになってしまったのかと、ゴンゾウは考えていた。


 こんな歳になって、まさか騙されて金を取られるなんて、思ってもいなかった。


 いや、用心していなかったわけではもちろんなくて、息子や娘、孫から電話がかかってきたとしても、声で分かると思っていた。


 そしたら、慌てた様子で泣きながら電話をかけてきたその人物に、思わず、息子の名前を呼んでしまったのだ。


 金を急いで引き落として、知り合いの男に渡した。


 それからすぐ、今度は孫からかかってきた。


 だから、またお金を渡してしまった。


 大丈夫だったのかと心配して、息子や孫に電話をかけてみたら、何のことだと言われてしまった。


 顔が青ざめたのを覚えている。


 ああ、自分は騙されたのだと、すぐに気付いた。


 しかし、渡してしまった金は戻ってこず、結構な大金を渡してしまったため、貯蓄がほとんどなくなってしまった。


 騙されるような年寄りではないと、騙されていた他の年寄りの話を聞きながら、情けないと思っていたのに、まさか自分が詐欺に引っ掛かってしまうとは。


 妻は数年前に他界してしまったため、1人で生活をしていた。


 寂しくなかったと言えば嘘にはなるが、それでも息子や娘たちの声を間違えるようなことは絶対にないと思っていた。


 だからこそ余計、ゴンゾウは激しい絶望感に襲われていた。


 しかし、それだけでは終わらなかった。


 ゴンゾウのもとに、セールスマンのような男がやってきて、地域のためにということで、サインが欲しいと言われたのだ。


 それなら良いかと、ゴンゾウはサインをし、ついでにハンコも頼まれたため、そこに押した。


 すると、見知らぬ請求が届いたのだ。


 なんだろうと思って、書かれていた番号に電話をかけてみると、金を借りただろうと言われてしまった。


 身に覚えなどないと説明するも、書類があるから確かだと言われてしまった。


 サインもハンコもあるということで、ゴンゾウはありったけの金を渡したが、それでも足りなかった。


 年金を取りに行く度金を渡して、また年金で渡して、しかし利子の方がどんどん膨らんでいって、まともに追いつかなかった。


 どうして良いか分からず、詐欺のこともあって息子たちにも相談できずにいた。


 「婆さん、もうワシも歳かねぇ」


 仏壇に飾られている亡くなった妻に手を合わせながら、ゴンゾウは肩を落とす。


 次々にくる請求書に、ゴンゾウは首でも括ろうかと考えていた。


 もともと、仕事一筋で生きてきたゴンゾウは、近所との付き合いもしてこなかった。


 人と話すことも苦手なため、こうしたとき、誰に何をどのように相談すれば良いのかも分からず、また、変なプライドが邪魔をしてそれが出来ない。


 洗濯も料理も掃除も、何一つ手伝ってこなかったためか、何処に何が置いてあるのかもわからない始末。


 それでも1人になってからというもの、少しずつやるようにはなったため、なんとかお茶を入れることは出来るようになった。


 生命保険で借金は返せるのだろうかとか、そんなことを考えていると気が滅入りそうになるため、ゴンゾウは珍しく外に出ることにした。


 家にいても、あの借金取りたちがやってきて、ドアをドンドン叩くだけなのだから。


 逃げるように外に飛び出すと、目的もなくただ散歩する。


 自分と同じくらいの歳の人が、孫たちと楽しげに買い物をしているところを見ているだけで、ため息が出てしまう。


 自分だって、あんな風になっていると思っていたのだ。


 それなのに、この歳になって、今まで味わったことのない絶望を味わう事になるなんて、思ってもみなかった。


 ゴンゾウは目的もなく歩いていると、ふと、目の前に小さな灯りが見えた。


 なんだろうと思って近づいて行くと、居酒屋の灯りであることが分かった。


 長年この辺りに住んでいるが、こんなところにこんな店があっただろうかと、ゴンゾウは戸を静かに開けてみる。


 中には誰もおらず、ただ店主のような紫の髪をした若い男が1人、奥から出てきたところだった。


 「どうぞ、お入りください」


 覗いていたのがバレていたのかと、ゴンゾウは戸を開けて中に入る。


 「こちらへお座り下さい」


 「いや、金持ってなくて」


 「構いませんよ」


 カウンター席が1つあるだけの小さな店だが、今のゴンゾウからしてみれば、これほど居心地の良い店はなかった。


 まあ、店主が怪しい若い男ということ以外は。


 「僕は、店主のノアと言います」


 何も言っていないのに、男はゴンゾウの前に熱燗を差し出してきた。


 「え?」


 「寒くなってきましたからね」


 「いや、だから金を」


 「ですから、お代はいただきませんので、ご安心ください」


 「・・・・・・」


 そう言われても、疑心暗鬼になっているゴンゾウは、それを飲めずにいた。


 すると、男はにこやかな笑顔を振りまきながら、こう言った。


 「タダより高いものはないと言いますが、本当にお代はいただきません。僕も飲みたかったところなので、お付き合いしていただきたいだけですので」


 ぶる、と身体が震えたこともあって、ゴンゾウはそれを飲んだ。


 五臓六腑に沁み渡る、と言ったら言い過ぎかもしれないが、色々あって酒など飲める状況ではなかったため、久々に飲む酒は酷く喉に焼きついた。


 「こちらも召し上がってください」


 「ああ、悪いね」


 ちょっとしたおつまみを出してもらうと、どんどん酒もすすんだ。


 ほろよいになったところで、男はゴンゾウに何かあったのかと聞くと、ゴンゾウは情けなさそうに話した。


 「情けなくてね、どうしたもんかと。テレビで年寄りは気をつけるようにとか色々言ってて、そんな情けない歳寄りにはなるもんかと思っていたが、歳を取るとダメなもんだね。まともに判断が出来なくなる」


 「息子さんたちに話されてはいかがです?助けてくれると思いますよ」


 「迷惑かけられんよ。自分のことだからね。あの借金取りたちが、息子たちの家にまで行くことになったら、それこそ、取り返しがつかなくなっちまう」


 「警察に届けてはいかがです?」


 「そうなんだがね。どうも、恥ずかしくて言えないよ。自分が騙されたなんて」


 「プライド、ですか」


 「ああ。仕事だけやってきて、家のことなんて全部妻に任せっきり。だから、息子も娘も、妻には優しくしていたが、私には冷たくしてるんだ。小さい頃だって、遊んでやった記憶がないからね」


 妻は、仕事に対して理解があった。


 だからこそ、ゴンゾウがどれほど家庭を犠牲にしても、文句1つ言わずにいた。


 1人で2人の子供を立派に育ててくれた。


 大きくなって結婚しても、ちょくちょく実家に帰ってきたのはきっと、妻がそれほどまでに子供たちを愛情もって育てたからだ。


 自分に会いに来ていたわけではない。


 妻が亡くなってから、めっきり来る回数も減ってしまった。


 それは仕方ないと思っている。


 自分だって、同じようなことをしてきたのだから。


 「自業自得なんだよ。こうなってしまったのも。間違えないと自信はあったが、よく考えてみれば、子供たちとまともに会話もしたことがない、孫たちとだって尚更だ。そんな自分が詐欺に遭わないわけがなかったんだ」


 沢山話しをしていれば、間違えなかったかもしれない。


 もっと歩み寄っていれば、すぐに連絡をしていたかもしれない。


 「こんな老いぼれになってしまって、本当に情けない」


 「・・・・・・」


 規則正しい寝息が聞こえてきたかと思うと、ゴンゾウは寝てしまっていた。


 ノアは奥から毛布を持ってきて、ゴンゾウの肩からそれをはおらせる。


 呆けているわけでも病気があるわけでもないというのに、たった1つボタンをかけ違えてしまっただけで、人生というのは大きく左右されてしまう。


 ゴンゾウとて、真面目に仕事をしてきたのだから、それを称えてあげても良いくらいだ。


 しかし、年頃の子供からしてみれば、どうして父親は自分たちよりも仕事を優先するのだろうかと思ってしまう。


 塩梅が難しいところだが、致し方ない。


 しばらくすると、ゴンゾウは目を覚ました。


 「あれ?寝ちゃってたか」


 「お身体寒くありませんか?」


 「ああ。すまないね。長居してしまって」


 「いえ。ここはゆっくり過ごしたい方に来ていただくための小さな店ですので」


 温かい味噌汁を出され、ゴンゾウは自分では決して作らないソレを、口に運ぶ。


 ずず、と啜れば味噌の深い味わいが鼻と喉を通り過ぎ、わかめと豆腐という王道の具材も安心するものがある。


 ふう、と一息つくと、ノアがゴンゾウに笑いかけてきた。


 「手助けしてさしあげましょうか」


 「手助け?なんのだ?」


 「寿命屋という仕事もしておりまして、あなたのように苦しんでいる方を救済するものです」


 「・・・どういうことだ?」


 ノアは一枚の真っ白い紙を見せると、それをゴンゾウの前に出した。


 「こちらにあなたの名前と、死にたい年齢を書いていただくだけです」


 「死にたい年齢?」


 「ええ。苦しまず、死ぬことが出来ます。生きていても苦痛ばかり感じるなら、安らかに死ぬ道を選ぶ、ということです」


 「・・・・・・」


 「ですが、そちらは訂正がききませんので、気長に悩んでいただいて構いません」


 そう言うと、ノアはカチャカチャと食器を洗いだした。


 家に帰っても、借金に関する電話が鳴り響き、ドンドンと近所迷惑も考えない取り立てが来るだけ。


 残すだけの遺産もなければ、あるのは山積みになった借金だけ。


 遺産相続を拒めば、借金だってなくなるのだ。


 これまで、子供たちには何もしてやれなかったが、最期の始末くらいは自分でした方がいいかと、ゴンゾウはペンを取る。


 名前を書こうとしたその時、ふと、ゴンゾウは以前、子供たちに渡されて、ほとんど使っていないガラケ―を取り出した。


 結局、メールもしなければ電話も固定電話でしていたため、ただの孫たちの写真を撮る道具だったのだが。


 そこの画像が入っているファイルを開くと、何枚もある、可愛らしい孫の写真と、大きくなった息子と娘の写真がある。


 それを眺めているうちに、涙が出てきてしまった。


 ノアが黙ってティッシュを差し出すと、ゴンゾウは頭を下げながら、何度も何度も鼻をかむ。


 「私は一体・・・何の為に働いてきたんだろうか・・・」


 家族の為にと働いてきたはずなのに、振り返ればそこには誰もいない。


 一生懸命やってきた心算だが、仕事よりも大事なことが、全く見えていなかった。


 「・・・可愛らしいお孫さんですね」


 ひょいっと顔を覗きこませて、ゴンゾウが開いている画像を見たノアの言葉に、顔をあげたゴンゾウは目を擦りながら頷いた。


 「ああ、本当に」


 自分に似ていなくて本当に良かった。


 こんなこと、息子たちに言えば、当たり前だと言われそうだが、こんな自分にも笑顔を向けてくれる、本当に天使のような存在だ。


 泣き喚いても走りまわっていても、何をしていても可愛らしい。


 きっと昔の自分なら、すぐに怒ったり行動を制限してしまっていたのだろうが、今は違う。


 好きなことを好きなようにさせてやりたいと、家の中でなら自由になんでもしていいと言ってある。


 一枚一枚、そんな思い出のある写真を眺めたあと、ゴンゾウは再びペンをとる。


 そして、渡された白い紙に名前をかき、下に年齢をかくと、血をすりつける。


 ノアに紙を渡したあとも、しばらく鼻を啜っていたゴンゾウだが、なにやらスッキリした様子で、残っていた味噌汁を飲んだ。


 すっかり冷めてしまっていたが、それでも飲み干した。


 「では、お預かりいたします」


 「ああ、頼んだよ」


 「最期に、お子さんたちに会わなくてもよろしいのですか?」


 「会ったら、決心が鈍ってしまうだろ」


 「・・・そうですか。では、お気をつけておかりください」


 戸が閉まると、テーブルの上に落ちているゴンゾウの髪の毛を拾い上げ、名前の上に被せて飲みこんだ。


 「自らを守る為に、戦場に乗り込む哀れな兵士たちもまた、視えぬ誇りと信念のために戦うか」


 ゴンゾウが家に帰ると、家にはなぜか灯りがついていた。


 泥棒でもいるのかと思って戸を開けると、そこには沢山の靴が並んでいた。


 「父さん、何処に出かけてたんだよ?」


 「お寿司買ってきたの。食べよう」


 そこには、孫を連れて帰省していた息子と娘がいた。


 「どうしたんだ、急に帰ってきて」


 何事かと、ゴンゾウは定位置の座布団の上に胡坐をかいて座った。


 「父さん、詐欺とか遭ってないか心配で来たのよ。旦那のお母さん、先日詐欺に遭ってね、旦那ったらすごく怒ってたんだけど、責めるのはお母さんじゃないじゃない。だから、一緒に警察に行って、事情を説明したらしいの」


 「今なら、そういう弁護士いるだろ?払いすぎた分を取り戻せるってやつ。だから、父さんも何かあったら、すぐに俺達に言えよな。母さんいなくなって、父さん1人じゃ心もとないんだから」


 「父さんは、大丈夫だ」


 「本当?悪知恵働く奴等が増えてるから、気をつけてね」


 「ああ、わかってるよ」


 「それより、寿司食おうよ」


 それほど大きくもないテーブルを囲むと、ぎちぎちになってしまうが、それでも1人では決して感じないだろう温もりというのか、そういうものがある。


 なぜだが、涙が出てきた。


 それもちょっと滲んだどころではなく、ボロボロとだ。


 「ちょっと、父さんどうしたの?」


 「ワサビでもきいた?」


 目頭を押さえながら笑って誤魔化したが、ゴンゾウは涙が止められなかった。


 家族の縁を切られたと勝手に思っていたのはゴンゾウだけで、子供たちからしてみれば、ゴンゾウはずっと父親なのだ。


家に灯る灯りを遠くから見ていた男は、ゴンゾウが書いたその刻まで、ただ見守ることしか出来ないが。


 「もし俺と出会っていたのが明日なら、生きようと思ったのかもしれないな」


 冷たい風が、男を切り裂いた。


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