第4話罪という名の



シレンシオ

罪という名の



 逆境は真実への第一歩。


         バイロン






































 第四屋【罪という名の】




























 ケイという男は、刑務所にいた。


 ようやく刑期を終えて、そこから出ることが赦されたのだが、ケイの中には今なおふつふつとわき上がるものがある。


 なぜなら、ケイは無実の罪で捕まってしまったからだ。


 「お世話になりました」


 思ってもいないことを口にして、頭を下げる。


 冤罪を何度も主張した、あの頃が懐かしい。


 何で捕まっていたのかというと、まあ、なんというか、要するに“痴漢”だ。


 痴漢は無実を証明するのが難しい上に、最近では満員電車に揺られている時、ちょっと触れただけでも触っただの何だのと言ってくる女性が多い。


 確かに、痴漢目的で触っている男もいるかもしれないが、自意識過剰にもほどがある。


 こういう女性がいるから、本当に痴漢被害に遭っている女性が言いにくくなってしまうというのに。


 ケイも、いつものように電車に乗っていただけなのだ。


 その日も朝から混んでいて、ケイは押されて押されて、車両の真ん中あたりで窮屈な姿のまま立っていた。


 右手には鞄を持っていて、左手は吊革を握っていた。


 そんな時間に耐えて、なんとか自分の降りる駅に着いたと思って、人をかき分けながらホームに出ると、突然、見知らぬ女性に腕を掴まれてしまったのだ。


 何だろうと思っていると、女性は急に「痴漢したでしょ」と言いがかりをつけてきたのだ。


 やっていない、というよりも、痴漢なんて出来る状況ではなかったことを伝えるも、女性は絶対にケイに触られた、と言って聞かなかったのだ。


 その光景を見ていた駅員に事務所まで連れて行かれて、やっていないと説明したのだが、なぜかいつの間にか告訴されてしまった。


 幾らやっていないといっても、やっていない証拠がないと言われてしまい、やっていない証拠なんて逆に何があるんだと、叫んだことを覚えている。


 家族だっているのに、痴漢なんてするわけないだろう。


 だが、世間はそれを信じなかった。


 本当に女性が痴漢されたのかも分からないのに、ケイは知らず知らず犯罪者にされていて、しかも痴漢で捕まったことは、すぐに広まってしまった。


 当然のように会社はクビになり、近所からの白い目を向けられ、家族も引っ越しをせざるを得なかった。


 自分の父親が捕まった、それも痴漢で。


 「俺は本当にやってないんだ」


 どれだけ言っただろうか。


 だが、言われたことは、とても残酷だ。


 「やったかやってないかは、問題じゃないの。もうあなたがやったって、世間は思ってるの」


 無罪でも有罪になってしまっているのだと、どうしようもない気持ちに、何と言えば良いのか分からなかった。


 女性とは示談金の話も出たのだが、金で解決したとして家に帰っても、他人はケイを痴漢した男、として見続けることだろう。


 だから、刑務所に入って、その間に妻とは離婚をし、自分とは一切関係ない生き方をするようにと伝えた。


 自分から言ったものの、実際に刑務所を出て家に帰ると、そこにもう誰もいないというのは、とても寂しいものだ。


 当初はあれほどケイのことをテレビで騒いでいたというのに、今はもう別の話題で盛り上がっている。


 人1人の人生をめちゃくちゃにしておいて、なんて世の中だ。


 自分の身にふりかからないと、本当の辛さも苦しみも分からない。


 真実だろうと嘘だろうと、盛り上げれば良いというそういう考えが、簡単に人生を狂わせられるということを、奴等は分かっていない。


 きっとあの時、ケイの腕を掴んだ女性だって、あんな混雑している中、ケイがやったところを見ることなんて絶対に出来なかったはずなのだ。


 ケイが無実で捕まっても何とも思わずに、被害者面をして、今ごろ笑って過ごしている。


 仕事を探そうとしても、前歴のあるケイを雇ってくれる場所なんてそう簡単には見つからず、頭を下げてお願いしても、難しいところだった。


 「はあ・・・」


 転落人生とは、こういうことだろうか。


 ケイだって、自分がこうなるまでは、痴漢なんてする男、何を考えているんだろうと思っていた。


 しかし、自分が無実で捕まってしまって、きっと自分のように無実のまま捕まって、痴漢としてネットやニュースで取り上げられてしまった人がいるんだろう。


 そういう人たちは、今ごろどうしているんだろう。


 「はあ・・・」


 何度も何度も、深いため息を吐く。


 離婚した妻に連絡を取ろうとも思ったが、もしも新しい男性がいたら、新しい家庭を作っていたら、色んなことを思うと、電話一本出来ずにいた。


 無実だとしても、一度は痴漢として捕まってしまった夫など、妻は受け入れてくれるのだろうか。


 いや、家族が受け入れてくれたとしても、世間は受け入れはしない。


 「あそこの旦那さん、痴漢で捕まったんですって?」


 「やーねぇ。人は見かけによらないのね」


 「真面目そうに見えて、ストレスでも溜まってたんじゃないの?」


 「痴漢なんて卑劣よね」


 「もしかして、娘がされてたらと思うと、ぞっとするわ」


 ケイが捕まる時、近所の人たちがそんな会話をしていた。


 していないのに、やっていないのに、誰も信じてくれない。


 「はあ・・・」


 またため息を吐いていると、座っていた公園のベンチの隣に、男が座った。


 周りのベンチも開いているというのに、なぜか迷わずにケイの隣に腰掛けてきた男は、端正な顔立ちをして、紫の長い綺麗な髪の毛をしていた。


 そしてケイの方に顔を向けると、にっこりと青い瞳が細くなる。


 「良い天気ですね」


 「え?」


 今日は曇っているが、と思ったが、男はにこにこしたままそう言ってくるため、ケイは適当に合わせた。


 「ええ、そうですね」


 「明日は晴れるそうですよ。僕、晴れはあまり好きじゃないんですよね。あなたはどうですか?」


 「え?ああ、そうですね」


 変わった男だと思って、ベンチから立ち上がろうとしたとき、お腹が鳴ってしまった。


 「お腹空いてるんですか?」


 「す、すみません」


 「もしよろしければ、僕居酒屋をやっているので、いらっしゃいませんか?小さい店ですけど」


 そう言われると、なんだか断るのも申し訳ないと思って、ケイは男に着いて行く。


 男はノアというらしく、若いようにもみえるが、実際はどうだか分からない。


 連れてこられた店は、確かに小さくて、中に入ってみるとカウンター席が1つ、そこにあるだけだった。


 小さいにもほどがあるだろうと思ったが、誰にも邪魔されないと思えば良いだろう。


 男はカウンターの向こう側に入ると、手慣れた様子で何かを作りだした。


 「どうぞ、お召し上がりください」


 出されたのは親子丼とビールで、一口食べてみると、卵はふわっとしてとろけるし、肉は柔らかくてほろほろする。


 味付けも丁度よく、ケイは一気に食べ終えてしまうと、おかわりまでした。


 ビールもおかわりした後、ウォッカが飲みたいと言えば用意してくれた。


 「いや、こんな店があったなんて」


 「何分、ひっそりとやらせていただいておりますので」


 「まあ、ム所から出てきた俺から見れば、全部変わっちまったように見える」


 「ム所?」


 「ああ、刑務所だよ」


 痴漢をしていないにも関わらず、痴漢にでっちあげられて捕まってしまったこと、家族にも連絡をとらず、仕事も見つからない状況であることを話した。


 少し酔っているせいなのか、ケイは自分を陥れた女性のことも話し始めた。


 「あの女、絶対触られてねぇんだよ。なのに、俺のこと痴漢なんて言いやがって。だいたい、あんなに混んでるのに、どうやって触るって言うんだよ。なあ?」


 「そうですね」


 「あの女のせいで、俺の人生は終わったんだ・・・。もう守るものもないし、仕事も家もなくて、どうすりゃいいんだよ。痴漢した奴は、どこに行っても白い目を向けられるんだよ」


 「皮肉なものですね」


 「あれだけ騒いでた世間もよ、帰ってきたらどうだ。みんな忘れてんじゃねぇか。俺は一生忘れられねえってのに」


 「冤罪をもう一度主張なされたらいかがです?」


 「無理だろ。今ごろ無罪になるなら、初めからそうしてほしかったよ。無実であれ、一度実刑をくらった俺の言う事なんて、誰も信じちゃくれないさ」


 そう言うと、ケイはカウンターに伏してしまった。


 寝ているわけではなさそうだが、強く拳を握りしめている。


 「・・・これから、どうするおつもりですか?」


 「・・・どうするって、俺なんかもう生きてても仕方ねぇから、どこかでのたれ死ぬだけさ。まあそん時は、無実の手紙でも書いておくよ。そうすりゃ、テレビも放っておかないだろ」


 「・・・でしたら、僕も協力出来るかと思いますが」


 「協力って?」


 「副業として、寿命屋を営んでおります」


 長く生きる心算はない、そんな人間のために始めた寿命屋だという。


 嘘か本当か知らないが、自分の死にたい年齢をかけば、寝ている間に静かに死なせてもらえるらしい。


 半信半疑、というよりも、ほとんど嘘だろうと思って聞いていたケイだが、もうどうにでもなれという気持ちもあってか、ノアから渡された真っ白い紙を渡された。


 「これに名前書くのか?」


 「ええ。ですが、一度書いてしまいますと訂正がききませんので、じっくりと考えてからで構いませんよ」


 そう言うと、ノアは煮物を出してきた。


 久しぶりに食べた煮物は、味が深くしみ込んでいて、とても美味しかった。


 「俺みたいな人間て、他にもいるのか?」


 「と、仰いますと?」


 「寿命短くして、さっさと死にてェって思ってる奴。だって、自分の寿命なんて分からねえだろ?もしかしたら、案外すぐに死ねるかもしれねぇし」


 笑みをこぼしながら、ノアは答える。


 「ええ、勿論いらっしゃいますよ。自分の寿命云々の話ではないのです」


 「ん?」


 「ここにいらっしゃる方は、そのほとんどが、不幸の真ん中に立たされている方たちです。迷わずに名前を書く方が多いですね。しかし、時には書かない方もいますが」


 「へえ」


 「重要なのは、“今”死にたいと思っているかどうか、ということなのです。もしタイミングがズレたら、少しは生きようと思うかもしれませんが。世の不浄を感じ取り、消えたいと思う方は後を絶ちません」


 「・・・・・・生きようとした奴は、何て?」


 「そうですねぇ・・・。視えない希望を求めて、といったところですかね。もしかしたら、と微かな望みに懸けたのです」


 「そうか。俺なんか、もう希望も何もあったもんじゃないけどな」


 あっという間に煮物が無くなってしまったため、ノアは別の煮物をよそってケイの前に出した。


 それにも箸をつけると、美味しい美味しいといって頬張って行く。








 それから少し、ケイは白い紙と睨めっこしていた。


 ノアはその間何も言わず、ただ片づけをする。


 洗い物が終わると、ノアが話しかけた。


 「迷っていらっしゃるなら、止めておいた方がよろしいかと」


 「・・・いや、迷ってるわけじゃないんだ。ただ、俺が死んだとして、誰が悲しむんだろうな、って思ってただけだ。火葬は市かどっかでやってくれるだろうし、墓なんていらないが、所詮俺は、いてもいなくても、どっちでもいい人間ってことだ」


 「そうでしょうか」


 「ああ。だからこそ、俺が戻ってきても、ここに俺の居場所は何処にもなかった。俺1人いなくなっても、世の中成り立つんだよ。なら、どうして俺は生まれてきたんだ?冤罪で捕まるためか?」


 はあ、と何度目かのため息を吐いたあと、ケイは残っていた酒を飲み干す。


 「よし、書くか」


 「・・・・・・」


 さらさら、とペンで名前を書いたあと、下に年齢を書き、そこに血をなぞる。


 笑顔でその紙をノアに手渡すと、ノアはそれらを確認してから、ケイの髪の毛を名前の上に貼りつけた。


 「本当に、よろしいんですね」


 「ああ。これ以上生きてても、何も無さそうだしな。それに、痴漢で捕まった時点で、もう俺の人生は終わったんだ。死んでも構わない。あ、無実の手紙は書いておくか。そうしないと、妻と子供が可哀そうだからな」


 「こちらをお使いください」


 そう言って、ノアは便せんを渡してきた。


 そこには真っ赤なヒガンバナが描かれており、まるで冥府に誘われているようだ。


 ケイがその手紙を書いている間、ノアはただじっとその様子を見ていた。


 「よし、こんなもんか」


 「そちらの手紙は、御自分でお持ちになりますか?」


 「ああ。ポケットに入れておく」


 「かしこまりました。では、こちらはお預かりいたします」


 「ああ、ありがとう」


 「・・・・・・」


 す、と席から立ち上がると、ケイは少しよろけながらも戸を開けた。


 そしてにへら、と笑いながらノアの方を見たかと思うと、こう続ける。


 「最期にあんたと会えて、良かったよ」


 がら、と閉じた戸をしばらく眺めていたノアは、カツラを取って奥へと向かうと、ケイの名前が書かれた紙を見つめる。


 綺麗に畳んでから口に入れると、すぐには飲みこまず、口の中でころころ転がしていた。


 少しして飲みこむと、黒い服に着替えて、どこかへと消えて行った。


 その頃、ケイはビジネスホテルの一室で、シャワーを浴びて寝るところだった。


 「ようやく、静かになるのか」


 ただそっと目をつむれば、もう見たくない明日と会わずに済むのだと、ケイはホッとしたように微笑んで眠りについた。


 翌日、チェックアウトの時間になっても客が出てこないということで、鍵を開けて中に入ると、そこに1人の男性の遺体があったようだ。


 自然死とされ、ポケットの中には痴漢をでっちあげられ捕まっていたことが書かれており、マスコミにも公表された。


 当時の女性はもう一度聴取をされ、あれは嘘であったことが証明された。


 しばらくはそのニュースが続いていたが、すぐに別の話題で持ち切りとなったのは、言うまでもない。


 「他人の死など、所詮興味ない、ということだな」



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