第2話分かれ道
シレンシオ
分かれ道
涙が出そうになるくらいに、生きろ。
アルベール・カミュ
第二屋【分かれ道】
人生の分かれ道とは、一体何処にあったんだろうか。
こんなはずじゃなかったと、何人の人間が思っていることだろう。
「あー、決まらねえ」
この男はそんな人間の1人だ。
名はシンディーといって、仕事を辞めてからというもの、次の仕事がなかなか決まらずにいる男だ。
同期でも、同じように辞めた者もいれば、まだ続けている者もいる。
シンディーのように、仕事をしないままの人はいないようだが、シンディーとて、仕事をしたくないわけではない。
まあ、正直なところ、宝くじでも大当たりして大金が手に入り、一生仕事をしなくても済むようになるなら、それが一番なのだろうが、どうせ当たりっこないと、買う事もしない。
仕事をしている間、貯蓄しておいて良かったとは思うが、それでも次の仕事を探さないといつか尽きてしまう。
以前の仕事も、真面目にやっていたのだ。
どうして辞めてしまったかというと、会社の上層部の人間のやり方が気に入らなくなってしまったからだ。
そこは我慢するべきだろうと言われてしまうと、何も言い返せなくなってしまうのだが、シンディーとしても考えがあるため、自分たちのことしか考えていない上のやり方は、どうも納得出来ないものであった。
仕事が楽しい人なんて、きっとほとんどいないだろう。
生きるだけでも金が必要だから、みななんとか仕事をしているだけであって、心からやりがいを感じたり、自分のやりたいことをしている人は、ほぼいない。
真面目に生きて、懸命に働くだけ馬鹿を見るなら、こんなところすぐに辞めてやると、シンディーは辞職した。
結婚していて、妻や子供がいるならもう少し頑張れたのかもしれないが、生憎、シンディーには失う者はなかったため、こうしてすぐに辞められたのだ。
結局は、下っ端の人間は地べたを這いつくばりながら、泥でもすすって生きろと言われているようだ。
唯一の楽しみといえば、昔から好きなドラマを見ることくらいだろうか。
両親には仕事を辞めたことを伝えられずにいるが、そのうち仕事を見つけたら顔を出しに行こうとは思っている。
自分とは違って、1つの仕事をずっと続けている両親はすごいと思っている。
到底真似出来ないことだ。
どれだけ自分を犠牲にして働こうとも、賢く生きている人間には敵わない。
自分の方が仕事が出来るとしても、ゴマをする能力が高い奴の方が上に行ける。
シンディーは、暇つぶしにスマホを指でなぞりながら、どんな仕事が良いかと探していた。
その時、母親からなぜか電話がかかってきた。
いつもなら休憩の時間だから、きっと分かっていて電話をしてきたのだろう。
シンディーは電話に出てみると、元気か、という何でもない内容だった。
元気にしてるのか、ちゃんと食べているのか、仕事は上手くいっているのか、まだ彼女は出来ないのか、などなど。
電話を切ってから、考える。
シンディーとて、結婚を考えていないわけではないし、出来ることなら今すぐにでも彼女を見つけて結婚したいくらいだ。
お見合いをしようか、合コンにでも行こうか、結婚相談所にでも行った方が良いのかと、色々と考えてはいるのだが、結局面倒臭くて行けていないのだ。
「あー、どうしよ」
小さい頃は、未来が待ち遠しかった。
どんな未来が待っているのか、どんな大人になるのか、どんな仕事に就いて、どんな女性と出会うのか。
毎日が希望に満ち溢れていて、早く明日になってほしいとさえ思っていた。
それが、今はまるで違う。
明日なんか来なければいいと思う様になっているし、未来なんて碌なものじゃないと思っている。
こんなはずじゃなかったんだ。
もっと、輝いているはずだったんだ。
どこで何を間違えて、どこで狂ってしまったのか、何も分からない。
躓いたことが沢山あったけど、そのどれもが今の自分を築き上げてきたといっても過言ではない。
両親のせいでもなければ、祖父母のせいでもない。
単に、自分自身のせいなのだから。
シンディーは、本日何度目かになるため息を吐いた。
もう全てが面倒だし、生きているだけで金が消えて行くし、長生きしても良いことなんてあるわけない。
そもそも、どこまで生きられるのかも分からないのに、どうして今懸命に生きようとしているのかも分からない。
まだ陽が沈みきっていない時間だが、シンディーはやることもないため、布団を敷いて横になる。
何かメールが届いたみたいだが、見ずにそのまま眠りについた。
翌日、シンディーは身体を起こすと、考えなくても動く日々の行動に移す。
顔を洗って歯を磨いて、モーニングコーヒーを飲み干すと、スマホを持ってニュースを見ながらテレビをつける。
大したニュースが無いと分かると、昨日録画しておいたドラマを再生させる。
CMを飛ばしながら見ていたらすぐに見終わってしまって、またやることがなくなってしまったシンディーは、久しぶりに外に出かけることにした。
仕事を辞めてからというもの、無駄遣いをしないためにも、ほとんどアパートから出ることがなかった。
久々過ぎて、外のあまりの眩しさに、シンディーは目を細める。
特に見るものはなかったが、適当に時間を潰すには丁度良かった。
帰り道、シンディーは少し小腹が空いたため、何か食べ物がないと探していた。
美味しそうな匂いがあちこちからするが、シンディーはそれらの匂いをすり抜けて行く。
「お」
気付けば、一軒だけそこにぽつん、と佇んでいる小さな店があった。
周りにも人がいないが、灯りがついているところを見ると、店は営業しているのだろう。
こう言うところの方が、知り合いとも合わなさそうだと、シンディーはその店の戸をがらっと開けた。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
小さい店だとは思っていたが、中は本当に狭くて、カウンター席が1つ、そこにあるだけだ。
だがまあ、客が自分だけだと思えば気が楽だと、シンディーはそこに座って、この時間から蒸留酒を頼んだ。
「こんなところに店があるなんて知りませんでした。1人でやられてるんですか?」
「ええ、何分、独り身ですので」
「へえ、あなたみたいな綺麗な男性でも、独り身なんですね」
「そんなことは。申し遅れましたが、店主をしております、ノアと申します。よろしければこちらを」
そう言って出されたのは、3本の焼鳥串だった。
「砂肝と軟骨とネギ間です」
「ありがとうございます」
口に頬張れば、今まで食べたことがないほど美味しくて、シンディーは思わず頬を緩ませる。
「美味しいです。こんなに美味しいの初めてです」
「それは良かったです。他に何か召し上がりますか?」
「じゃあ、つくねを」
「かしこまりました」
あまりに居心地が良くて、シンディーはついつい居座ってしまった。
「良いですねぇ、俺もこういう店をだそうかなぁ」
「ご興味がおありで?」
「まあ、無いわけではないですね。実は今無職なんですよ。仕事辞めちゃって」
「そうだったんですか。色々あったんでしょうね」
嫌な顔ひとつせずに、ノアは話しを聞いてくれる。
それだけで、シンディーはなんとも言えぬ安心感で身を委ねていた。
先程まで日本酒を飲んでいたシンディーの御猪口の中身が少なくなってきたことを確認すると、ノアはバーボンを開けて新しいコップに注いで渡す。
それから、おつまみ用にと作ったセロリのマリネとキムチとチーズの付け合わせも並べて出した。
「どうして世の中って、上手くいかないんでしょうね」
「どうしてでしょうねぇ」
「ノアさんは、理不尽に感じたことありませんか?」
「僕ですか?そうですねぇ。あるんでしょうけど、忘れちゃいましたねぇ」
「俺はもうダメです。何のために生きてるんだか、なんでこんな俺が生かされてるんだか、理解不能です」
「御自分のことが、お嫌いですか?」
カチャカチャと、きっと食べ終わったお皿を洗っているのだろう音が聞こえる。
その音がまた心地よいものだから、シンディーは少し眠たそうな目をなんとか開けながら、答える。
「好きではないですね。嫌いかは、分からないです。いや、嫌いなのかもしれないですけど、嫌いって言っちゃうと、両親に申し訳ないような気がして、言えません。こんな俺を育ててくれたんですから」
「それなら、頑張ってみれば良いんじゃないですか?」
「うーん・・・。俺、もう頑張るのは嫌なんですよね」
「どうしてですか?」
「・・・正直、小さい頃から無理してました。本当は優等生じゃないのに、親の期待に応えようと必死で頑張ってきて。勉強だって嫌いなのに、もっと他にやりたいことあったのに、親が喜ぶ方ばかり選んで生きてきました」
だから、苦しくなってしまった。
いつからか、こんな自分は自分じゃないと叫びたくなっていた。
本当の自分は、もっと別のことが好きで、夢だって沢山あったのに、それを棄てて今日まで生きてきた。
「それなのに、親を恨むことも出来ずに、こんな自分をどうにかしたくて、どうにも出来なくて。どうすればいいんでしょうね」
「頑張れ、ではなく、頑張った、という言葉が欲しかったんですね」
「そうかもしれません」
自嘲気味に笑ったシンディーは、そろそろアパートに帰ろうかと、財布を出す。
「良い店ですね。また今度来ます」
「気紛れで開けてますので、絶対に開いている保証はありませんが」
「え、そうなんですか?」
「実は、もう一つ、仕事をしてまして」
「仕事・・・?」
店以外に副業でもしているのかと思って聞いてみると、ノアは今日一番の笑みを浮かべてこう言った。
「寿命屋、を営んでおります」
「へ?」
どういうことかと聞いてみると、ノアは一枚の真っ白い紙を出してきた。
「生きることに疲れた方を楽にしてさしあげようかと、始めました。まあ、それは口実としても、自分がいつまで生きていなければいけないのか、不安ですよね。そこで、こちらに名前と自分がいつ死にたいのか書いていただければ、苦しまずに、逝かせてさしあげられるのです」
「・・・いつ死にたいか」
「ええ。ただ、一度その寿命を決めてしまうと、訂正はききませんので、ご了承ください」
「・・・・・・」
シンディーは、迷っていた。
確かに、自分が生きていても、正直言って良いことなんか何もないだろうし、親にも迷惑をかけるくらいなら、死んでお金でも残した方が良いのだろうかと。
その真っ白な紙を眺めているだけで、心が揺れ動くのが分かる。
名前を書くことなんて、簡単だ。
だが、その簡単な行為でさえ、今躊躇っている自分がいることに気付く。
「あの、これって、持ち帰って考えるとかは、ダメですか?」
「申し訳ありませんが、そちらは普通の一般的なものではないので、持ち出しは厳禁とさせていただいております」
「そう、ですよね」
「迷われているんですか?」
すぐに名前を書くと思っていたのか、ノアは首を傾げて聞いてみる。
人生なんてどうでも良くなっていると言っていたわりには、今のシンディーに覚悟がまだ足りないようだ。
「・・・どうして、迷っているんでしょうね。自分でも分かりません」
早くこんな世界から消えたいと、何度思って生きてきたか分からない。
これを逃してしまったら、後悔するかもしれないというのに、どうして自分の指は動かないのだろう。
「ノアさん」
「はい、何でしょう」
シンディーは、その紙をす、とノアの方に突き出してきた。
「すみませんが、ここに名前を書くことはできません」
「・・・残念です。あなたなら、書いてくださると思っていたので」
ノアの言葉に、シンディーは困ったように笑った。
「書こうかと思いました。でも、やっぱり何があっても両親より先に死ぬことは、何よりも親不幸だと思って。こんな俺のことを、ずっと心配してくれているのは、親だけでしょうから。それに、これから先、楽しいことが見つかって、良い人にも巡り合えて、幸せな家庭を作れるかもしれませんから」
「未来を夢見て、ですね」
「はい。不安で仕方ありませんけど、きっと悪い状態がいつまでも続くわけじゃありませんから。だから、俺、もっと頑張ってみます。自分の人生を誇れるように。子供が出来たとき、ちゃんと、話せるように」
「そうですか。それが良いかもしれませんね」
「ありがとうございました。とても良い一日になりました」
「いえ、とんでもない。お気をつけてお帰りください」
シンディーが店を出て行ったのを確認すると、ノアは店の外の灯りを消し、それから紫のカツラをうざったそうに取り払う。
何も書かれていない白い紙を見つめた後、その紙をコンロの火で燃やした。
「つくづく、人間とは分からない」
それからしばらく、シンディーは職がないままだったが、ひょんな出逢いから仕事が見つかり、そこで研修をしているようだ。
真面目な性格だからか、評価も良く、給料も少しずつではあるが上がって行った。
そして何より、その仕事場である女性と出逢い、結婚を前提にお付き合いを始めた。
両親にも挨拶に行くことになっており、シンディーは今までの無駄な時間を取り戻すかのようにして、これからを生きて行く。
絶望しか見えなくなっても、歩いていれば、いつか出口が見えてくる、ということだろうか。
何にせよ、彼は二度と、あの男と出会わないように生きるのだから。
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