シレンシオ
maria159357
第1話肩の荷
登場人物
ノア
レオナルド
シンディー
アンネ
ケイ
ゴンゾウ
ヨウコ
ケンジ
トキコ
チャンスが二度も扉をたたくと思うな。
シャンフォール
第一屋【肩の荷】
男は、真っ暗になっている街を歩いていた。
これから向かうのは自分が金を出し、自分が建てた家なのだが、これほどまでに家が窮屈に感じるとは思っていなかった。
レオナルドは、一家の大黒柱である。
結婚当初は、それはもう幸せだった。
美しい妻が、いつだって帰ると家にいるし、美味しい料理が並んでいる。
少しすると子供も出来て、なんとも言えない気持ちになる。
残業して家に帰ると、妻が眠たそうにしながらもレオナルドを待っていて、ミルクを飲みたいと泣いている子供にミルクをあげていた。
それでも笑顔を絶やさない妻の手助けをしたいと、レオナルドも出来るだけ早く家に帰って、子供の面倒をみるようになった。
子供がもう1人出来て、大きくなっていくと、学校の寮で1人暮らしをするという。
応援したい気持ちと、少し寂しい気持ちとがあるが、それでも元気でいてくれるならそれでいいと思っていた。
それからは、レオナルドは残業を少しずつするようになっていた。
ある日、レオナルドが家に帰ると、子供たちが珍しく帰ってきていた。
嬉しくなって顔を見ようとドアを開けるが、子供たちはレオナルドを見ると、とても嫌そうな顔をする。
思春期だからなのかもしれないが、レオナルドの隣にいるのも嫌だと言い、親父臭いなどと言い、部屋に勝手に入るなと言われる。
疲れているからレオナルドを先に風呂に入れようと妻が言えば、レオナルドが入った後には一度湯を抜いてから入れ直してくれと言われ、仕方なくレオナルドは最後に入る。
娘だからなのかもしれないが、あんなに可愛がって育てていたのにと、レオナルドは愕然とする。
それからは仕事に集中するようになって、娘たちはいてもいなくても、帰りが遅くなることが多くなっていった。
ある大事なプロジェクトで、レオナルドは大きなミスをしてしまった。
先方には謝罪をして、また新しく始めるということで赦してもらえたのだが、会社としてはレオナルドを降格させるが、減俸にするか、などという話が出ていた。
そのミスを挽回するかのようにして、レオナルドは必死になって働いた。
朝方に帰ってきて、またすぐに仕事に出かけてしまうレオナルドを心配して、妻は何度も休むようにと言ったのだが、なかなか育たない新人たちの分も仕事を請け負っていたため、なかなか休めずにいた。
レオナルドがこれほど頑張っているということも知らず、新人は体調が悪いので休みます、と平気で電話をかけてくる。
ため息しか出ないが、やるしかなかった。
そんな日々が続き、珍しく連休がもらえたレオナルドが家でぐっすり寝ていると、何やら声が聞こえてきた。
それは、帰ってきた娘たちのものだった。
嬉しくて会いに行きたかったのだが、疲れていたのと、何か言われるだろうと、大人しく寝ていることにした。
「お父さんは?」
「最近仕事続きで、疲れて寝てるわ」
「やった!お父さんいると臭いんだもん」
「そういうこと言わないの。一生懸命働いてるんだから」
「だって、友達のお父さんなんて、社長だよ!?みんなお小遣い沢山もらってるのに、私は少ないし。安月給のくせにさ、お父さん」
「家に帰って来なくても良いのにね」
「本当本当」
「あなたたち、止めなさい」
「お母さん、お腹空いた―」
「今用意するから、待ってて」
そんな会話を聞いてしまっては、このまま一日寝ているしかないなと思った。
少し眠ってしまったレオナルドが目を開けると、またしても会話が聞こえてきた。
「お母さん、私が結婚したら、一緒に暮らそうね」
「えー、お母さん、私と暮らしてよ」
「馬鹿、あんたはお父さんよ」
「えー!!絶対嫌だ!!お父さんは1人で暮らせばいいじゃん!!」
「お母さん、よくあんな人と結婚したよね」
泣きそうになってしまった。
小さい頃はよく抱っこ抱っこと腕を広げてきたというのに、大人に近づくにつれて、こうも穢れた人間になってしまうのか。
ベッドの中で蹲っていると、仕事場から電話がかかってきた。
それは、明日使うプレゼンの資料が、全く出来ていないというものだった。
それは確か部下に任せたはずだと伝えると、その部下は頼まれたのだがずっと忘れていて、今日まで1頁も手をつけていない、というものだった。
あれほど、早めに作っておけ、作り終ったら確認するから連絡しろ、分からないことがあったら聞いてこい、と言ったのに。
とはいえ、レオナルドも仕事に追われていて、そっちを確認出来ずにいた。
これはいけないと、レオナルドは休みにも関わらず仕事場に向かった。
すぐさま資料を作り始め、なんとか深夜には出来上がったのだが、その間、もともと作る予定だった部下はただ見ているだけだった。
ふう、と一息ついて家に帰ると、鍵がかかっていた。
鍵を開けて入ろうとしたが、チェーンまでしっかりとしてあったため、中に入れなくなってしまった。
仕方なく、レオナルドは車の中で寝ることにした。
翌日になり、レオナルドが車の中で寝ている姿を見た娘たちは、その車をちゃんと除菌しておいてくれと妻に言っていた。
レオナルドはショックを受けて、妻に家に入るように言われたのだが、今日はこのまま散歩でもしてくると言って、鍵と財布を持って出かけた。
とは言っても、地元ではないため、知り合いもいなければなじみの店もない。
ただフラフラ歩いていたレオナルドは、ちゃんと前を見ていなかったため、誰かにぶつかってしまった。
「あ、すみません」
「こちらこそ、すみません」
レオナルドの方を見た女、かと思っていたら男は、紫の長い髪を黒のゴムで1つに結び、右目の下にはホクロ、色白で端正な顔、白のシャツの下には黒の服を着ている、青い目をした男だった。
にっこりと、仕事場でもまず見ないだろう素敵な笑顔を向けてきた。
「僕はノアと言います。近くで居酒屋をしているんですが、よろしかったらいらっしゃいませんか?」
「居酒屋?」
「ええ。小さい店なので、あまり人も来ませんし、ゆっくり出来ると思いますよ」
まるで1人でいたいというレオナルドの気持ちを読んだかのようにして、人通りの激しい道から逸れた場所を歩きだす。
こんなところに店などあるのだろうかという場所を歩いていると、そのうち、ひとつだけ灯りを見つける。
「どうぞ、おはいりください」
ノアに案内され、店内に入ってみる。
すると、そこは本当のこじんまりとしており、カウンター席が1つ、あるだけだった。
「何か飲まれますか?」
「じゃあ、生を」
「かしこまりました」
すぐに出てきた生をぐいっと飲むと、弱くはなかったはずなのだが、最近飲んでいなかったからか、少しくらっとしてしまった。
それから何回かおかわりをした後、ノアが話しかけてきた。
「実は僕、寿命屋も営んでおりまして」
「寿命屋?」
「生きていると、早く寿命がこないかと思ってしまうこと、ありますよね。そこで、寿命を短くしてさしあげるのです」
「そんなこと出来るのか?俺を騙そうとしてるんじゃないか?」
「とんでもない。お金は一切いただきませんので」
「・・・・・・実は」
レオナルドは、家でのことを話した。
どれだけ懸命に家族のためにと働いていても、それを分かってくれるのはずっと先のことだろうと。
ビールから焼酎へとかわると、レオナルドは頬を赤らめながらも泣きそうな顔になる。
「俺なんかいなくなったって、どうせ誰も悲しんでくれないんだ。死んで保険金が手に入れば、そっちの方が良いだろうさ」
「こちらをどうぞ」
「なんだ、これ?」
す、とレオナルドの前に差し出されたのは、長方形の真っ白い紙と、ペンだ。
「こちらの真ん中に、御自分のお名前を書いてください。その下には死にたい年齢を」
年齢のところには少しだけ血を垂らしてほしいということだったので、ピアスをあける機械のようなもので指先をぷち、とすれば、そこから出てくる血をすりつけた。
それをノアに渡すと、にこりと笑う。
「確かにお預かりいたしました。ああ、念のために言っておきますが、こちらは訂正が聞きませんので、あしからず」
「戻せないってことか?」
「はい。家に戻って、やっぱりなかったことに、という方も時々いらっしゃいますので」
「これって、伸ばすことも出来るのか?」
「残念ながら、寿命を伸ばすことは出来かねます」
「そうか。まあいい。君と会えて良かったよ。これで、俺がいなくなって、娘たちも喜ぶんだろうな」
「どうでしょうかねぇ」
「お代は」
「いえ、そのままおかえりください」
「え?でも、結構飲んだしな」
「これから死ぬゆくまでの時間を、どうか、ひとときでも幸せでありますように、願っております」
レオナルドはノアの店を出ると、足元をフラフラとさせながら家に向かって歩き出した。
「あら、おかえりなさい。お酒飲んできたの?」
「ああ。良い店を見つけてね」
「珍しい。まあ、たまにはいいわね」
「ちょっと寝るよ」
「はい。そういえば、あの子たち長期休みに入ったから、友達を旅行に行くんですって。お土産何がいいだろうって悩んでましたよ」
「どうせお前だけに買ってくるよ」
「昔は2人揃って、お父さんと遊ぶってきかなかったのにね。あの子たちにも子供が出来れば色々わかるわよ」
レオナルドはベッドに横になると、目を瞑った。
その頃、ノアは紫の髪の毛を掴むと、ぐいっと引っ張っていた。
そこから出てきたのは真っ黒な髪で、白のシャツを脱ぐと、黒のタートルネックを着た。
レオナルドが書いた名前の上に、レオナルドの髪の毛、落ちていたものを拾い上げてそこにくっつける。
それを無表情で眺めていた。
「・・・生きているだけで体力も金もかかる。それでもなんとか生きているのは、愛する者や家族のためのはずなんだがな」
紙を持って奥に向かうと、綺麗に折り畳み、それを口に放り込んだ。
お湯か水か分からない、透明な何かの液体でそれを流し込むと、男は唇を舌でぺろっと舐める。
「さて、俺の本業といくか」
トントン、と規則正しい包丁の音が響く。
換気扇を回しながら、妻は料理を作っていた。
夕飯には起きてこなかったレオナルドだが、朝くらいは食べてもらおうと、まだ起きてこないままのレオナルドを起こしに、二階へとあがっていく。
ノックをしてみるが、レオナルドの返事がないため、妻はドアを開ける。
「まだ寝てるの?」
そっと近づいていき、まだ横になったままのレオナルドに声をかけてみるが、一向に起きる気配がない。
風邪でも引いたのだろうかと、妻はレオナルドの額に手をあててみる。
「え?」
熱があるどころか、逆に暖かさを感じなかった。
「ちょっと、ねえ?」
身体を揺さぶってみるが、レオナルドはまったく起きないし、呼吸もしている気配がなかった。
妻は急いで救急車を呼び、レオナルドは病院へと運ばれたが、すでに呼吸が止まっていて、死亡しているとだけ伝えられた。
病気もないし、だからといって事件の様子もなかった。
葬式はひっそりと行われることになったのだが、旅行に行っていた娘たちが慌てて帰ってきて、レオナルドの遺体と対面する。
手には、レオナルド用にと買ってきた、ネクタイと靴下が入った袋が握られていた。
どうして急に亡くなってしまったのか、こんなに早く死ぬなんて思っていなかったと、娘たちはレオナルドに向かって涙を流す。
すでに感覚も意識もないレオナルドの身体は、冷たくなっており、返事もしなければ目を開けない、声だって発さないというのに。
後悔したのは誰なのか。
家族だけの葬式が終わると、遺骨の入ったソレを娘が抱きしめる。
それを遠くから見ていた男は、煙突から出ている煙を仰ぐ。
「願わくば、この世界から忌まわしき祈りが無くなることを」
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