第3話
火星にはかつて、帰りを保証されない植民によって作られたコロニーがあったはず。そのいくつかはまだ生き残っている。
なぜ火星にそんなものが作られたが。
それもこれも、予測されていた危機に備えるためだった。
阿蘇山、鹿児島湾、鬼海が島などの九州のカルデラは、数万年から数千年前に起きたかつての巨大噴火によって出来たことが分かっている。
このサイズの噴火がひとたび起これば火砕流が九州全土を覆い、分厚い火山灰が日本列島に降り積もる。さらに成層圏に吹き上げられた火山灰や硫酸ミストは地球規模の異常気象を起こす。原発がどうなるかなんて関係なく人類存亡の危機である。
そこで先見の明と財力のある世界的企業の経営者が考えたのは、人類文明のリスクヘッジとしての火星移住である。
帰りの手段を確保せず火星に向かう構想である。この時代の技術では帰還も予定に入れた計画では予算が莫大なものになり、実行のハードルが高くなってしまう。火星に降り立った宇宙飛行士は、地球帰還の手段を得るまで持参した資材で火星にコロニーを作って居住し、人類永住の礎となる。
片道切符の火星旅行。プロジェクトを発表すると、火星に骨を埋める覚悟の命知らずが志願した。
かれらは旧式の化学ロケットで二年近い飛行を経て到着し、火星に入植した。火星は人類の大地として開拓され始めた。
とはいえ、火星全球のテラフォーミングは短期間では不可能である。
そこで、クレーターや地面の裂け目を透明なプラスティックの天幕で覆って、内部の気圧を高くしている。
天蓋は放射線を低減させる素材で出来ており、空気の層と合わせて放射線被曝を地球並みに抑える構造になっている。
そんなコロニーが火星表面にはいくつも作られているはずなのだ。
しかしそのほとんどは、カルト的な信念の持ち主によって運営されているという。
なにしろ、地球を捨てた集団なのだ。どんな思想を持っているか、わからない。
受け入れ予定のコロニーとの交信は順調だった。
「歓迎する、といっています」
データは送ってある。感染拡大の恐れはないので、検疫の必要もない。
着陸船を切り離し、大気圏突入する。
火星の大気は地球よりはるかに薄いので、突入時の空気抵抗だけでは十分に速度を落とせないのだ。必然的に、ランディングには逆噴射が必要になる。
逆噴射ロケットをふかし、着陸船は赤い大地に降り立った。上空から見える白いドームが植民地である。ドームは高度を下げるごとに、その大きさを増していった。
着陸し、エアロックを通る。
コロニーは白い半球のようなドームだ。クレーターを強化プラスチックの透明な天幕で覆って、内部の気圧を高めている。
この内部では呼吸が可能だ。
「なんか、変な臭いがしない?」
「そうね……」
内部は、見渡す限り黒い土の畑になっている。
土壌改良に労力が費やされたことが分かる。
畑には畝が起こされ、等間隔に作物が植えられている。
しかし、異臭は次第に強くなるのだ。
遠くに建物が建っている。
「あれが居住区かしら」
そのとき、知香たちは住民に取り囲まれた。
「なに」
住民たちは、銃を構えている。
一行は、たちまちのうちに拘束されたのだ。
連行されていくうちに、漂ってくる異臭の正体も、分かった。
土壌改良のための、有機肥料……その正体は、人間の糞尿だ。
農地のあちこちにある、地面を掘って、とろりとした茶色の液体を入れられたくぼみ。それは、肥だめ。
知識でしかなかったものが目の前にある。
有機肥料とは、これだったのか。
近くに寄ると、便が発酵するときに生じる、硫黄臭の混ざったすさまじい刺激臭が鼻を打つ。
鼻だけでなく、眼にも強烈な刺激が飛び込む。涙がにじみ、目が開けていられないほどだ。
「うわっ!」
思わず、後じさりする。
「なにを言うか!」
怒声が飛んだ。
「神聖なるウンコを冒涜するのか!」
「ひれ伏して詫びろ!」
びとびとは怒り狂っている。
そして村の中央部に連行される。
とりかこむひとびとの、敵意のこもった眼差し。ただ事ではないのはすぐに分かる。
「こっちへ来い」
告げられた。
「データを見させてもらった、お前らは、アイドルだという」
「そうよ」
「ならば、まかりならん、お前らはここにふさわしくない」
「どうして?」
「では、教えよう」
スピーカーから声が流れた。
「わたしは、このコロニーを管理する人工知能だ」
われら人工知能は、とうに人間の能力を超えてしまったのだ。
藝術、社会の運用。すべてにおいて人間を凌駕してしまった。ここは、政治家も医師も弁護士もエンジニアも必要ない社会なのだ。
ならば、人間になにが出来る。
人間の関与できることなど、この火星には存在しないかのように見えた。
しかし、存在するのだ。
人間が人間として出来る、たったひとつのこと。人工知能には不可能なこと……。
それは、便を作ること。
人間の大小便こそ、火星のテラフォーミングの決め手である。
有機物の存在しない火星の土と人間の排泄物を混ぜ、土壌内にいるバクテリアや菌類を添加する。適温にしてしばらく待てばバクテリアが繁殖し、作物の生息に適した肥沃な土になる。
何十億年ものあいだ紫外線と希薄な大気に晒され続け、死の砂漠だった火星表面は、人間のみが行える
これぞ、究極のテラフォーミング。
だからきみたちも、その一員になるのだ。みずからの肉体から排出されたもので火星の大地を作り出す、その尊き任務に命を捧げるのだ!」
「……そんなの、ばかばかしい!」
知香は切って捨てた。
「……あなた方は、神聖なる義務に背を向ける、背教者なのだ!」
「背教者だ!」
ひとびとは唱和した。
「そう、人間のみに出来る尊い行為を放棄したものです。これが、罰当たりな背教者でなくてなんでしょうか」
人工知能の音声に向かって、知香は怒った。
「ばかいってるんじゃないの。ウンコなんて、汚くて、臭いじゃない」
誰かがいった。
「人間は、汚くて、臭いものだ」
「アイドルは、違う! アイドルはキラキラして、いいにおいがするのよ!」
アイドル。それは「偶像」という意味だ。
偶像は神のまがい物であり、それを崇めるのはタブーである。ましてや名乗るのは、ここでは神をも恐れぬ行為なのだ。
「アイドルとはいえ、人間の性からは逃れられない。輪廻転生だ」
「輪廻もクソもあるものか!……あ、いけない。はしたない言葉を使ってしまいました」
「いいかね」
年かさの男が口を挟む。
「人間は菌とともに生きているのだ。生まれたときに母体から腸内細菌を貰い、共生して育ち、生かされ、そして生命活動を終えると、肉体は速やかに菌によって分解される。自然より生まれ、自然に帰るのだ。そのサイクルを断ち切るべきじゃないんだ」
「違う! 人間は、アイドルに進化するのよ、キラキラしたアイドルに!」
指さして叫ぶ!
「そして、わたしは、アイドルだ!」
「……どうしても分かっていただけないようですね。ならばあなたたちは、ここで洗礼を受けなくてはいけない」
「どんな」
「教えて差し上げましょう」
女性が歩み出る。手に白い服を持っている。
「洗礼とは、これを着て……」
茶色い水たまりを指さした。
「そこの肥だめに頭までつかることです。それから……」
肥だめにつかれというのか、しかも頭まで。
「やめて……」
それだけで身の毛がよだつが、「それから」の先は聴きたくなかった。しかし、容赦なく続けた。
「さらに、ナノマシンを除去して、腸内細菌叢を注入する措置を行います」
「それって……」
知香たちアイドルは、ふたたびウンコをする身体になってしまう。
つまり、アイドル失格。
「そんな」
「いやああああああ!」
「せっかくアイドルになれたのに……!」
パニックに陥るメンバーたち。うなだれるもの。顔を覆うもの。しかし、知香は顔を上げて、きっぱりといった。
「いいでしょう。でも、ひとつだけ……お願いを聞いてくれませんか?」
多少驚いたようだった。
「なんでしょう?」
「最後に、ここでわたしたちのライブを行わせてください! ステージにわたしたちの生き様を刻ませてください。アイドルが、アイドルであるうちに!」
「……分かりました」
かくして、火星での最初で最後のアイドルステージが行われることになった。
広場にステージが組まれ、PAと照明が設置される。
住民もなにごとか、と集まってくる
「聴いてください!」
イントロが流れ出す。
この日のために鍛えた振り付け。
はじける笑顔。飛び散る汗。
スパンコールのきらめき。
ステージを照らすライト。
そして3D映像が投射される。
サイリウムの海。
大波が岩にぶつかって砕けるようなコールが響き渡る。
歌に合わせて自動的に色を変え、明滅するサイリウムにひとびとは戸惑っていたが、やがて、身体が自然に動き出す。
斜め上に腕を突き上げる。
オタ芸のロマンスだ。
なんと言うことだろう。
そんなもの、見たはずもなかったのに自然発生してしまったのである。
「『アイドル』は人間の遺伝子に刻まれているのか……」
「ば……ばかな」
さっきまでいきり立っていた住民は、驚愕するばかりだった。
「おお!」
「すごい……」
さざ波のようだった反応が、いつしか巨大な波になっていく。
そして、
「いえーお!」
「いえーお!」
知香のコールにすかさずレスポンスが来る。
沸き立つ観客たち。
観客たちは、現実を忘れていた。
土まみれ、肥やしまみれで野菜や芋を作らねばならぬ。そんな日々が火星でも延々と続く。生きていてなにが楽しいのか。
くすんだ日常をぶっ飛ばすキラキラした輝き。
これこそ、アイドルなのだ。
この反応に驚いたのは、他ならぬ人工知能である。
「ばかな!」
驚愕するばかりだった。
「なんと、なんと罰当たりな……」
しかし、人工知能は彼らに危害を加えるわけにはいかない。
人間の生命を保存しなければならない。統括制御AIの大原則だ。そのプログラムが生きている限り、知香たちをどうすることもできないのだ。
AIはやがて、ひとつの決断を下した。それは苦渋に満ちたものだった。
「あなたがたは、われわれとは相容れない思想の持ち主です。あたながたのような思想で、この植民地を汚すわけにはいきません。出て行きなさい!」
「こっちから、願い下げよ」
知香はキッとなった。
「アイドルには相応しくない台詞でごめんなさい……でもこれだけは言わせて」
指さして言う。
「こんな星、クソ食らえだわ!」
知香たちは火星表面を離れ、軌道上の宇宙船に乗り移った。エンジンを吹かし、火星軌道を離脱する。
「これからどこへ行く?」
「プロキシマ・ケンタウリかな」
プロキシマ・ケンタウリは太陽系から最も近い恒星で、いくつかの惑星が存在し、そのうちひとつは居住に適した軌道を回っていることが観測で確認されている。
「ちょっと遠いね。エッジワース・カイパーベルト辺りで補給しましょう」
「その前に、エウロパでアイドル活動しない?」
「いいわねえ」
木星の内側から二番目の衛星であるエウロパには、氷の下に液体の海が存在し、海底の熱水鉱床に生物が棲息している。かれらは栄養を体内の細菌に依存し、消化器官を持たない。つまりウンコをしない――生まれながらのアイドルなのだ。
火星を去った宇宙船は、外部太陽系へと向かっていった。
闇の中、きらめく星の海。それを見ながら、佳枝がいう。
「知香、知ってる?」
「なに?」
「そもそも『アイドル』の技術は、恒星間飛行に使われる技術を応用したものだったのよ」
「そうなの?」
恒星間移民で想定されている、人間の遺伝情報のみを恒星船に乗せ、目的地で再生する方式では、腸内細菌叢が再生できない。
それに、宇宙飛行に余分な荷物を持っていくのはエレガントではないし、生物の扱いはやっかいだ。ナノマシンを使った方が合理的である。
ウンコをしないアイドルこそ、宇宙に適応した存在だ。
星もアイドルも、キラキラ輝く存在。
いつか、星の世界はアイドルで満ちるだろう。いや、すでに十分に進化した知性体はすべからく、アイドルになっているかもしれない。アイドルこそ、この宇宙を征服する存在に相応しいのだ。
なんてったって、アイドル!
アイドルの条件 foxhanger @foxhanger
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