第2話

 知香が新生アイドルとなって、1年が過ぎようとしていたとき。

 世界では、とんでもないことが起こりつつあった。

「アイドル? それどころじゃないよ」

 いつの間にかライブも中止になり、街の人通りも少なくなっていた。

 その原因は、全世界で同時多発的に発生した奇病である。

「ニュースもSNSも、その話題で持ちきりだよ」

 ネットニュースに、ニューヨークからの中継画像映った。

 あちこちから火の手が上がっている。変わって、街角が映る。瓦礫の山。映像にところどころ入ったぼかし。それが転がるままの屍体であることはすぐに見当がついた。

 ヒトの腸内の細菌に感染し、死滅させるウイルス――バクテリオファージのパンデミックが発生したのだ。

 しかも、そのウイルスは、菌を殺す以上の能力を持っていた。

 菌の中では寄生されてもすぐには死なず、そのDNAにウイルスを溶かし込んだまま分裂して増殖するが、その菌には、とりついていたファージによって毒素を生産する遺伝子が仕込まれていたのだ。

 一定以上に菌が分裂すると、時限爆弾のようにファージが増殖をはじめ、死滅させる。そのとき菌から放出する毒素で、患者は激しい下痢を起こし、毒素が身体に回り腎臓を破壊し溶血性尿毒症症候群を起こす。さらに腎臓の破壊は毒素の排出を妨げて脳の麻痺を起こし、患者はつぎつぎに死んでいったのだ。

 世界中でほとんど同時多発的に発生が確認されたバクテリオファージは、すさまじい勢いで感染爆発を起こし、手の施しようがない。

 WHOは公衆衛生上の危機を宣言した。

 国境を越えた往来は禁止され、ウイルスのキャリアとみなされた渡り鳥や動物は片っ端から殺された。

 しかし、伝播を止めることは出来なかった。

 空気感染であったからだ。

 感染者の糞便に混ざって体外に放出されたバクテリオファージは結晶化し、埃となって風に吹かれる。呼吸や皮膚への付着ですぐさま体内に入り込み、腸内のウェルシュ菌にとりつく。

 結晶化したウイルスは長期間感染力を失わず、アルコールや塩素などの殺菌剤にも抵抗力を持つ。

 ヒト自身に感染するわけではないので、ワクチンは無意味なのだ。

 さらに、体外に放出されたウェルシュ菌も芽胞になり、休眠状態になる。それが飛散して感染を起こすのだ。

 パニックはこの国でも発生していた。

 政府は崩壊し、あちこちで暴動が発生した。

 感染者とみなされた者たちは、容赦なく殺され、死体は「汚物」とみなされて消毒され、ときには乱暴な方法で処分された。

 つづいて、未感染者だけのゲーデッド・コミュニティが作られ、厳重に隔離された。しかし、感染を食い止めることは出来なかった。コミュニティは次々に冒され、死滅していった。

 治安を守るべき警察も軍隊も、無力だった。病気はかれらのなかにも蔓延したのだ。

 一年もかからずに、人類文明は崩壊したのだ。


 知香と佳枝たちはかろうじて統制が取れている部隊の協力を得て、研究所に立てこもっていた。

 しかし、それも長くはないだろう。

 それに、感染の脅威から逃れられたわけではなかったのだ。

 根本的な解決策は、ひとつしかなかった。

 佳枝はある決断をした。

 パンデミックに対抗するには、知香のように腸内細菌を死滅させ、ナノマシンを入れるしかなかった。

「知香、ナノマシンの提供をお願い」

「いいわ。みんなが、アイドルになるのね」

 結索した直腸にカニューレを差し込み、ナノマシンを採取する。

「やっぱり、ちゃんと稼働してるのがいちばんいいわ」

 そして被験者につぎつぎに植え付けた。

「ここじゃ簡易的な措置しか出来ないから、成功したらお慰み、ってとこね」

 案の定、というか、成功率は高くなかった。

 それでも困難な条件を乗り越えて成功したのは、合計で12人。若い女性ばかりだった。

「おめでとう! あなたがたは、アイドルなのよ!」

 アイドルグループだ。

 当然、知香がセンターである。

 皆は、はじめは戸惑っていた。しかし、

正真正銘のアイドルである。地球最後のアイドルだ。

 佳枝も当然のように、アイドルになった。だが、彼女は裏方、プロデュースの道を歩むことにした。

 しかし、もっと重要な課題があった

 そこに、最悪のニュースが入ったのだ。

「某国が、攻撃を開始しました!」

 ついに全面核戦争になってしまった。

 地球上では安全が保障される状態ではなくなった。

「地球を脱出しなければ」

 佳枝はたたみかけるように、まくし立てる。

 決断した知香たちは、空港に向かい、手近なスペースプレーンに乗り込んだ。

 スペースプレーンは航空機と同じ滑走路を使って離陸し、大気圏上層部でロケットエンジンに点火し、地球軌道まで上昇する単段式宇宙往還機である。

 地球上のあちこちに光る火球と立ち上るキノコ雲を見ながら、宇宙ステーションにランデブーを試みた。

 しかし、沈黙したままだ。帰ってこない。

 地球上の混乱で放擲されたのか。

「どうすれば」

「あれは?」

 軌道上を周回している巨大な宇宙船が眼に入った。

「紅星3型ね」

 中国が火星航行のために建造していた新型の宇宙船である。しかし、現在は本国の混乱に伴い、放棄状態だ。

 強引にランデブーし、乗り移った。

「動かせる?」

「大丈夫」

 そして、知香たちは火星に向かった。

 船のシステムを把握した佳枝は告げた。

「およそ40日足らずで、火星軌道へ到着することになります」

 原子炉を電力発生源にした比推力可変型プラズマ推進機――ヴァシミールエンジンは、かつては年単位だった火星までの道行きを、ここまで短縮したのだ。

「まさか中国さんの科学技術は、ここまで進んでいたなんて」

「大胆ですね」

 原子力推進の大型宇宙船を建造するなど、ある意味傍若無人な国家だから出来たことである。

 しかし、軌道上の中国人たちも、パンデミックを逃れることは出来なかった。いつの間にか持ち込まれてしまった病原体によって、滅亡してしまったのだ。

 この船はカタログスペックによれば、100人を乗せて火星まで航行できることになっているようだが、現在の状況は、充分余裕がある。

 それに、この船に乗っているのは、アイドルだけである。排泄物を循環させる必要はない。一方通行になるが、その分効率がいい。船内のリソースも増えたのだ。

 放射線被曝を低減させるため、居住区は水タンクで包まれている。

 航行中もアイドル活動は、おさおさ怠りなかった。

 艦内は無重力状態で、身体が浮いてしまう。かといって居住区を回転させて人工重力を発生させると、地上では問題にならないコリオリ力が不均衡にかかってしまう。

 それでも知香たちは、ステップを磨き、振り付けの切れに、よりをかけた。

 変な癖がついていた歌の節回しを矯正し、歌詞を書きため、曲を作った。

 知香たちがアイドル活動にいそしんでいるうち、39日は瞬く間に過ぎていったのだ。

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