アイドルの条件
foxhanger
第1話
「知香、アイドルの条件って、なんだと思う?」
「え???……笑顔?」
「違う」
「キラキラした輝き?」
「そうじゃない」
「みんなを笑顔にすること?」
「うーん……惜しいけど」
「じゃあ、なんなのよ!」
佳枝はにやりと笑って、いった。
「それは……」
どうしてふたりが、そういう会話をしているかというと、ここで時間は少々遡る。
週末の午後6時。仕事帰りの女性はライブハウスを探していた。
「ここね」
目的地は、私鉄の駅にほど近い商店街の路地裏にあった。
店頭に掲げられたホワイトボードには、今日の出演グループの名前が書かれている。地下アイドルのライブが行われる日だ。
彼女、甲本佳枝はワンドリンクを貰って中に入る。さほど広くない店内。立ち見席を占めている客は、男ばかりだ。
やがて照明が落ち、ライブが始まった。
どこかで見たもののコピーめいたグループが二組続いたのち、佳枝が目当てのグループは、三番目にステージに上がった。
「こんばんわー!」
センターポジションの少女が口火を切って挨拶する。
しかし佳枝は、右から二番目の、少し背の高い女性に注目していた。ツインテールで思いっきり若作りしているが、いちばん年かさのように見えた。
自己紹介、彼女の番がやってきた
「チカでぇす。よろしく!」
挨拶をしたが、反応はセンターの時より鈍い。
ステージに立つ彼女は、本名、花村知香。
佳枝の古い知り合いだった。
もう「少女」と呼ばれる年齢を過ぎているのは、知っている。でも、アイドルへの夢を捨ててはいなかったようだ。
「昔と変わらないわね」
ステージを見ながら、佳枝はひとりごちた。
「じゃあ、聴いて下さい」
そして歌が始まるが、知香の動きも他の出演者に比べて、格段に垢抜けなかった。
みんなはコンサートライトを振り回し、コールを叫んでいるが、どこかおざなりで乗っている印象も、なくはない。
彼女のイメージカラーのライトが、いちばん少ないように見える。
知香はこのステージに全てを賭けていた。
この日のために練習を重ねてきたのだ。ダンス、ステップ、笑顔の作り方、すべてはステージで輝くため――のはずだったが。
しかしどこか熱気に欠けているようにも見える。
3曲を歌い終わって、グループは舞台から下がった。
ステージがはねて、物販の時間になる。
ある意味、こちらが地下アイドルの本番なのだ。
売り場の台に並ぶのは円盤やオリジナルグッズ、それにツーショットチェキ。握手やサインをねだるファンたちが、推しのアイドルの前に列を作る。
その行列の長さは、地下アイドルの人気のバロメーターであり、生命線だ。
しかし、知香のところだけは、あからさまに列が短かった。
そのありさまを、遠巻きに見守る佳枝。列が捌けて手持ち無沙汰になっても、知香は愛想を振りまき続けた。
「お疲れ様ー」
すべてが終わって、知香は狭い楽屋で普段着に着替える。
どっと疲れがやってきたようだった。疲労がなかなか取れないのも、年を取った証だろうか。
駅までの道を急ぐと、声をかけられた。
「知香」
その声に振り向いた。
「佳枝じゃない」
甲本佳枝。彼女は古い友人だった。そしてかつては「同志」だった。
高校時代、同じクラスになったとき、アイドルの話題で意気投合し、アイドル研究部に入部した。
知香とユニットを組んでスクールアイドルとして活動した。
しかし大会では目立った成績も収められず、彼女はアイドルから足を洗って、大学に入学した。
結構成績もよかった、と聞いている。
「今日のライブ、見た」
「そう」
「気がつかなかった」
知香は見え透いた嘘を言った。恥ずかしかったのだ。
「今晩付き合える?」
「いいよ。明日は、休みだから」
ふたりは駅前の、24時間営業のファミレスに入った。
「お疲れさま」
まずはねぎらってから、本題を切り出した。
「今何やってるの?」
「研究員よ」
「すごいじゃない……」
ドリンクバーのドリンクに口もつけず、佳枝は切り出した。
「ちょっとね……知香の顔が見たかったの」
「どうしたの? 今日は」
「あんたこそ、どうなの? アイドルになれた?」
知香は絶句した。
知香は高校時代からアイドル一筋だった。
ネットのアイドル動画を見まくり、アイドルのコンサートを追いかけ続けた。アイドル研究部に入り、スクールアイドルとして活動した。卒業後はオーディションを受けまくり、地下アイドルとしてステージに立ち続けた。
でも。
そんな日々が10年以上も続いて、もう若くはないことは分かっていた。何度もオーディションを落とされ、プロデューサーに引導を渡されても、目指し続けていた。
アイドル活動に力を入れていたら、就職など出来ない。結果、時間に余裕を持てるアルバイトを転々とすることになる。当然金など貯まらない。
年を食ったアイドルは「色物」として売る手もあったが、彼女じしんのプライドが許さなかった。
「あたしは、アイドルになりたいのよ!」
「わかってる」
「歌だって頑張ったのに……」
コーヒーをブラックで啜って、佳枝は言った。
「ステージでずっと聴いてたんだけど、歌声に変な癖がついてる。素人のカラオケ名人みたい。自己流でトレーニングしてたんじゃないかな」
「……」
「ギャラは?」
「ないよ」
「……」
「チェキの売り上げの何割かをもらえるけど。小遣いにもならない」
「たしかに、あの売り上げじゃ」
佳枝は腕を組んだ。
「……八方ふさがりね。いつまでこんなこと、やってるの?」
「違う!」
知香は声を荒げた。
「あたしは運が悪いだけ。運が悪いだけなのよ……」
涙目になる。
「一緒にやってた子が3人もメジャーデビューしたし……次はあたしの番よ」
「ほんとに信じてるの?」
「頑張っていれば、きっときっと、誰かが見ていてくれる……」
それは、負け惜しみだった。自分でも信じていないようなことを口に出している。それは端から見ても、明らかだった。
そして、知香は顔を上げた。
「でも、あきらめられないよ。今更あきらめたって。あんたみたいに大学に行って新卒入社できるわけじゃない。わたしの人生はアイドルに全振りしてるから」
今さら人生の失敗を認められない、のだろう。
「佳枝、あんたも、アイドルなんかあきらめろっ、て言いに来たの? 耳にたこができるほど聴いたわ、そんな言葉。実家の親もバイトの上司もハローワークの係員も!」
テーブルを叩いた。
「違うわよ」
冷静に言った。
「わたしが来たのは、違う理由……あなたを、アイドルにしてあげる」
はっとした。
「出来るの?」
つかみかかるように、にじり寄った。
「どうやって? 事務所に知り合いでもいるの?」
「そんな方法じゃないわ」
佳枝は首を振った。そして、知香を指さして、いった。
「形から入るの」
「形?」
いきなり言われても、ピンとこない。
「知香。アイドルの条件って、なんだと思う?」
「それは……」
佳枝はにやりと笑って、いった。
「それは、ウンコしないことよ!」
「……!」
知香は頭を殴られたような衝撃を受けた。
「そ、そうよね」
とりあえず、相づちを打つしかなかった。
「アイドルはウンコしない。つまり、ウンコしない身体になれば、知香はアイドルなのよ」
「ば、ばかな」
にわかには、信じられなかった。
しかし、その方法しかないようだった。知香は佳枝の提案に乗ることにした。
「話は分かった。で、どうすればいいの?」
「明日ここに来て。あなたはアイドルになれるわ」
そういって、佳枝はスマホにメッセージを送ったのである。
翌日。
知香は言われたとおりに、教えられた住所へ向かった。
電車に揺られ、山奥のはるか山奥まで向かう。さらに、熊でも出そうな山道をバスで揺られながら、不安だった。
いい加減疲れた頃、白い建物が見えてくる。そこは、ある製薬会社の研究所だった。
「ようこそいらっしゃいました。花村知香さんですね」
ずらりと並ぶスタッフ。ただごとではない感じだ。
「こんにちは」
甲本佳枝は白衣を着ていた。
「あなたには、ナノマシンの注入措置を受けてもらいます」
「ナノマシン?」
腸内細菌を、ナノマシンに置き換えるということだった。
食物を分解するナノマシン。人体に必須の栄養を合成するナノマシン、老廃物や寿命を迎えたナノマシン自身を水と酸素、窒素にまで分解するナノマシン。
複数のナノマシンを大腸に注入する措置は、滞りなく終わった。
大腸内に定着したナノマシンは大便の材料である未消化の食材や、剥がれ落ちた大腸内壁、さらに自らの残骸も余すところなく分解してしまう。残るのは水と空気のみである。
彼女が受ける措置や投与される薬剤、予想される副作用など、半日かけてレクチャーを受けた。
否も応もなかった。
いよいよ本番の手術だ。
手術台で全身麻酔をかけられる。
知香はいったん腸内細菌叢を死滅させ、代わりにナノマシンを大腸に注入する処理を受けることになった。
腸内を洗浄したあと放射線を照射して、菌類を死滅させる。
肛門から内視鏡を挿入する。佳枝は絨毛の襞の中まで確認してから、ナノマシンの注入措置を行う。
「わたしがやるわ」
内視鏡の画像を見ながら、佳枝は感無量だった。
(ふふふ、ファンだってここまでは見れない)
興奮で手が震えそうだった。それを必死に堪え、措置を完了した。
数日後、ナノマシンが体内で増殖していることが確認された。
「生着したみたいね。仕上げに直腸を結索します」
佳枝は告げた。
処置の後、彼女の肛門は飾りものになった。もはや、彼女の尻は汚いものをひり出す器官を隠すものではなく、ピンク色の愛らしいふくらみに変貌したのだ。
これで知香は、名実ともにアイドルになったのである。
そして、地下アイドルとして現場に復帰した。これまでとはなにも変わらないように見えたが、彼女の内面は違っていた。
なんてったって、知香は正真正銘のアイドルなんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます