第25話 野望
「何をやってんだよ、お前はッ!! あのガキに舐められるなんて、あたしの顔に泥を塗るんじゃないよ!!」
「も、申し訳、ございません、ドマ様。申し訳ございません……」
「止めてお母様! これ以上やったらチーリが死んじゃいます!」
ここにいたら目が悪くなるんじゃないかと思ってしまう程に贅の限りを尽くされたドマの居室において、ある意味でお似合いの光景が繰り広げられていた。
ドマは髪が乱れるほどに棒を振り回し、鮮血が舞う。血の出所であるイオの乳母チーリは、それにジっと耐えながら謝罪を繰り返していた。
事の発端は、ニスティスが急遽アーティファクトを使って外出したことに起因する。材質不明の竜を模したゴーレム、『竜艇』まで引っ張り出したものだから、ドマは一体何があったのかと二人を呼び出したのだ。
すると明らかに挙動不審な様子を見せるチーリ。これは何か知っていると事情を聞く内に、出てきたのはニスティスの外出理由ではなく、ディースにいいようにやられたという事実だった。
腹の虫が治まらないドマは一心不乱に暴力を振るい、その矛先はイオにも及ぶ。
「お前もだよ、イオ!! 当主になるんだから、もうディースには近づくなって言ったでしょ!? どうして言いつけを守れないの! 痛くしないと、分からないの!?」
「ッ!!」
興奮したドマの横薙ぎした棒が、イオの側頭部に当たる。声も無く倒れたイオを見て、さすがのドマもハッとした。
「あぁ、イオ! なんてこと……回復できる者! 早くしなさい!!」
居室に待機させている使用人たちに怒鳴り散らす。慌てて掛けられた<
「あぁ、よかった。ごめんねイオ。でもね、あなたも悪いのよ? 言うことを聞かないから……。お母様だって痛いの。心が、痛いのよ。あなたを殴る度に、お母様だって苦しい思いをしていることを分かってちょうだい。だから良い子にするのよ、いいわね?」
「…………はい、ごめんなさい。お母様」
その後、使用人に連れられてイオが退出すると、ようやく怒りも治まったのかドマはお淑やかそうに着座した。
「ふぅ、全く困ったものだわ。お義兄様はイオに何を教えているのかしら。親の言うことをちゃんと聞くように言ってくれないと……いくら優秀な家庭教師と言えど、独り身の男。こういうところには気が回らないのねぇ」
肩をすくめて溜息をつくドマ。その態度は明らかにニスティスを下に見ていた。
「で? お義兄様はどこに行ったの、チーリ」
「も、申し訳ありませんドマ様。ニスティス様はいつもより早めに授業を切り上げた後、足早にどこかに向かわれてしまったので見当もつきません」
「チッ、契約違反じゃないの。これはいちど言わないと駄目かしら。……あら、そういえば……」
イオのついでに<回復>で軽く回復してもらったチーリの答えを聞いて再びイライラし始めるドマだったが、そこで自分がニスティスとすれ違っていたことを思い出した。
「ムロディール様に会いに行った? その後、竜艇で外出……。分かんないわね、どういうこと、ショナー?」
行き先が分かっても、そこで何があったのかは分からないドマは、大して考えることもなく問題を放り投げる。その先にいたのは執事服に身を包んだ三十歳にも満たない男。細い目が特徴的な、ドマの頼れるブレーンだった。
ショナーはドマの実家から送られてきた使用人の一人だ。通常であれば男の使用人の帯同は認めらないところを、伯爵家が無理矢理ねじ込んでいた。この事からも、今の公爵家の影響力に翳りが見える。
「んー……状況から考えるに、激怒して帰ったか、ディース坊ちゃんに関わることで急用でもできたってとこやろ。でもニスティス様が激怒する姿って想像できんからな、ディース坊ちゃんが関係してると思うで」
「何よそれ……まさか、お義兄様は裏切ったの!?」
「裏切りってか……まあ落ち着きや、お嬢。答えは結局ムロディール様しか知らんのやから」
「チッ、どのみちあのガキのせいってことじゃない。素直に死んでおけばよかったものをッ」
ディースの毒殺失敗後、ドマの求心力は若干下がっていた。恐怖で部屋に引っ込んでいれば良かったのだが、まるで自分の健在ぶりをアピールするかのようにディースが堂々と過ごしているからだ。
ドマ派が有利な状況を決定づけるためにやったのに、それが裏目に出てしまっていることが気に入らない。それでもドマにはまだまだ余裕があった。
「まあいいわ。あのガキが生きていたところで、今更何かできるわけでもないし。こっちにはイオっていう最強の手札があるからねぇ」
初産で三属性を産んだという事実。ドマは自分を特別な存在だと信じて疑わなかった。
「ムロディール様も、私をもっと抱いてくだされば、三属性と言わず四属性でも五属性でも産んで差し上げるのに。たかだか二属性までの子供しか産めない女とか、属性なしのガキなんて居たってしょうがないでしょ? あんなのが正室だなんて、ムロディール様がお可哀想だわ」
守るべき順序というものがある。ムロディールは貴族を体現する男だ。だからこそ自由が利かず、なかなか自分を抱けないのだとドマは考えていた。
そこでふと、含み笑いが出る。
「そういえば、いつ思い出しても笑えるわね。あのガキが毒を盛られたと聞いた時、ドルイアはベッドから転げ落ちて、床を這いずってでも部屋を出ようとしたって言うじゃない。まぁ悍ましい! 辺境の蛮族はこれだから……。品性の欠片も無いわ。ねぇ?」
壁際に控える使用人たちに同意を求めると、クスクスとした笑い声が返ってきた。ドマは気分を良くすると想いを新たにする。
「やっぱり、私が正室にならなくちゃ駄目なのよ。この、私が……!」
属性も無く、伯爵家の次女として産まれたドマには何の才能も無いように思われた。しかし運が味方し、公爵家に嫁ぐとそこで貴族の女として最高の能力を持っていたことが判明する。
属性持ちを産む力だ。世界広しと言えど、おそらくこの力を持っているのはドマしかいない。
更に、天が後押しするようにドルイアが魔力障害を患うと、自分が表立って仕事をすることが増えた。
仕事を重ねていく内に満たされていく自尊心。加速する欲望。周囲が自分に媚びへつらってくる気持ちよさ。
今更この地位を退くことなどできなかった。
「ふふふ、皆死ねばいいのよ。ドルイアもディースもウィンディも、皆、私のために死ねッ! アーッハッハッハ!!」
部屋に高笑いが響く。
ドマの暴走を止める者は、誰もいなかった。
「今回はまだ随分とぶたれたもんや。大丈夫かいな、チーリ?」
「大丈夫、ではないわね。本当に痛かったわ……好き放題殴ってくれちゃって。それより、だいぶ暴走してるみたいだけど、あれこそ大丈夫なの?」
使用人たちと一緒に、ムロディールのご機嫌取りという名の誘惑をしに行ったドマが居なくなった部屋で、ショナーとチーリが話を交わしていた。その内容と態度からは、ドマに対して敬うような気持ちは見られない。
「まあ、なるようになるやろ。どうせ止めることなんかできひんしな。それよりや、ディース坊ちゃんと会ったんやろ? チーリから見てどうやった、脅威になりそうなんかいな?」
「…………」
ディースという名を口にした途端、明るくなかったチーリの表情が更に曇る。それでショナーは大体を察した。
「頭がおかしいとしか思えなかった、あのガ……ディース坊っちゃまは。……ねぇショナー。イオ様の乳母役なんだけど、誰か適当に見繕っておいて。私は降りるわ」
「!? ホンマに言っとるんか? あんだけ色々手を尽くして勝ち取った座やろ!」
チーリがあまりにも未練なく口にした言葉が信じられなかった。
イオの乳母役は一度代わっている。三属性だと分かった時に陰湿な戦いが起き、そこで後釜に収まったのがチーリだった。
その時の争いは、見ていて『女って怖いわぁ……』と思うほどのものだったため、ここにきてそれを手放そうとしているのが殊更信じられなかったのだ。
「もう、関わりたくないのよ。旦那と子供にあの手が伸びるって考えると……。宜しくね」
唖然とするショナーから目を逸らすように、必要なことを告げたチーリは部屋から出て行ってしまった。絶対の拒絶を示す後ろ姿を見せられて、ショナーは思案する。
「あの業突く張りが保身に走ったか。代わりはいくらでも見つかるやろうけど……。なんや、雲行きが怪しくなってきたなぁ」
ここからドマ派優位の力関係が覆るとは思っていないが、ニスティスの動きも気になる。一回で殺し切れなかったのは不味かったかもしれないと、妙な焦りを覚えるショナーだった。
ニスティスが家庭教師に就くことが決まってから数日。どこで何をやっているのか、竜艇を繰り出して外出したニスティスはまだ戻ってきていない。
(まさか竜艇を持っていたとはな。各地に教え子がいて、偶に掛け持ちなんかもしているようだから、どうやっているのかと思っていたが……納得だ)
竜艇は、いわゆる移動救済用アイテムだ。
広大なMMORPGの世界を徒歩で移動し続けるのはプレイヤーにとって面倒なことこの上ない。時にはイベントで最初の方の街や場所に行かなければならないこともあったので、その際に使用するものだった。
主人公たちが見つけた竜艇は破損していて、それを修理するのにかなり手間が掛かったものだが、ニスティスは運良く状態の良いものを手に入れたようだ。竜艇が解禁されるのはストーリー後半のため、修理の難易度もそれ相応になる。金を積めばどうにかなるものでもなかったので、そのような答えに行き着いた。
(しかし、竜艇って他にもあったのか? ゲーム内では主人公たちしか使ってなかったから考えたことがなかったな。もしくは……ニスティスが今使っているものが破損して、か)
様々な推測が頭の中を飛び交う。しかし今考えるべきことではないと意識を改めて、それらを一旦外に放り投げる。
ディースは広い自室で木剣を振っている途中だった。
(魔力もだいぶ馴染んできたか)
暇さえあれば魔力操作の訓練に勤しんできた甲斐あって、最初に比べれば格段に良くなった。その上で剣を振るえば、五歳児の肉体では考えられないような鋭さを宿す。
やはり魔力が肉体に多大なる影響を及ぼすという考えは間違っていなかったようだ。
「あの、ディース様? まるで騎士みたいな素振りですけど、もしかしてそこまで演技してたんですか……?」
「さてな。どこかの馬鹿があまりにも物覚えが悪いから、これを叩きつけるために急に上達したのかもしれないぞ」
「!?」
パウに適当に返事しながら色々と試していく。
身体の感覚の鈍さが少なくなってきたのもよかった。まだ未発達な肉体なので、末端に行くほど神経が行き渡っていないような気持ち悪さがあったのだが徐々に良くなってきている。さすがは成長期といったところだった。
(もしかすると、レベルアップの影響もあるのかもしれないな)
コツコツとパウを小突き続けた成果だ。
メリルの反感を考慮して威力軽めに抑えていたが、パウとディースにはレベル差がある。その分だけ効果が出やすかったのだと思われた。
このまま続けていけば、いずれはコレが日常の風景となる。威力を上げても受け入れられ、与えるダメージが増えれば経験値効率も良くなるだろう。
しかしそのためにはパウとのレベル差を保つ必要がある。このままディースがレベルを上げていけば、そのうちパウも経験値を得られるようになるかもしれないが、早く強くなることを考えれば、今の状態を続けることが望ましい。
そのための一手は既に考えているが……と思っていたところに、丁度良くメリルから朗報が届いた。
「ディース様。ドルイア様の容態が安定しました。ご面会をお願いします」
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