第24話 気苦労

 ニスティスは廊下を進む。その歩幅はいつもより大きく、隠し切れない興奮を表していた。


(見つけた。ついに見つけた! まさか、こんな近くにいたなんてッ)


 今思い出しても身震いする。


 五歳にして完成された、徹底的な現実思考と素晴らしいまでの本質を見抜く目。これまで多くの生徒を請け持ってきたが、ディースの能力は比べようがないほど優れていた。


(ディースなら本当にやってのけるかもしれない。属性持ちを押しのけて公爵家の当主に。いや、更にその上だって……)


 ニスティスはずっと求めていた。属性持ちなどという、集めればそこそこいるような運だけの者ではなく、卓越した真の才能を持つ者を。


 優秀な子供がいると聞けば確認しに行った。しかし、大抵の場合は属性頼りのものに過ぎなかった。


 属性が才能と認識される構図は古くから続くものであり、一般的な考え方だ。しかしニスティスはずっとその考えを疑問視していた。


 結局のところ、属性の有無にかかわらず王は王族から選ばれるし、貴族は貴族で平民は平民だ。そして世の中に影響を与えているのは、力に優れる属性持ちに見えて、実のところ知恵の回る者である。


 言葉を選ばずに言ってしまえば、馬鹿は利用されるだけと言うことだ。そこを分かっておらず、属性に恵まれたと言うだけで浮かれている者たちのなんと多いことか。ニスティスはそのような者たちを見るたびに内心で哀れみの目を向けていた。


 期待しては裏切られる。そんなことを何回も繰り返してきた。しかし、鬱屈とした日々ともようやくおさらばできる。


(ディース、嗚呼ディース! 今すぐにでも教えを授けたい! そして君から新しい刺激をもらいたい! こんなに心が踊るのはいつぶりだろうか……もう全てを投げ出してディースだけに集中したい!!)


 既に依頼を受けた子供たちがいる以上、叶わないことではある。だがそう思ってしまうぐらい、ニスティスはディースにのめり込んでいた。




 現在、足早にニスティスが向かっているのはムロディールがいるであろう執務室だ。


 ムロディールもディースの変化については小耳に挟んでいるだろうが、正しい情報までは掴んでいないだろう。ニスティスはディースの才能がどれほど凄まじいものか詳細に伝えるつもりでいた。


 しかしその道中、向かい側から見覚えのある人物と取り巻きたちがやってきて、歩みを止められてしまう。


「あらニスティス様、ご機嫌よう。イオは今日もしっかりと学んでいましたか?」


「やあドマ。勿論さ、イオはやる気もあって物覚えも良いから教えがいがあるよ」


 ゴテゴテした装飾品に、過度に華美なドレス。キツイ香水を匂わせながらやってきたのは公爵家の第二夫人にしてイオの母親、ドマ・ドゥアルテだ。


 最高に気分が良かったのに急降下する。


 こういう人間とは品性が合わないのだ。盛大に冷水をぶっかけられた形となり、ニスティスは心の中で嘆息した。


「まあ! ニスティス様からお墨付きをいただけるなんて、あの子の将来は安泰ですわ。そしてゆくゆくは……ふふふ。あの子のこと、よろしくお願いしますよ、ニスティス義兄様」


(まるで天下でも取ったような顔だ。愚かな……眠れる竜を呼び覚ましてしまったというのに、全く気づいていない)


 急に義兄様呼びしてきたことも気持ち悪かった。


 自分の側につけば良い思いをさせてやるとでも言いたいのだろうか。それとも既に自分の味方だと思っているのか。思い上がりも甚だしい。


(イオも、悪くはないんだけどね。三属性がそもそも類稀だし、その割には素直に教えたことを吸収していく。でも……大成はしないだろうね)


 才能を持っていながら能力が開花しない子供たちがいる。


 ニスティスが手を抜いているわけではない。ニスティスが居ないところで、子供に余計な口出しをする親がいるせいで台無しになってしまうのだ。


 貴族は基本的に子育てに関心を示さない。しかし、子供がいざ優秀だと分かると、途端に自分の色をつけたがる親がいるのだ。ドマはその典型だった。


(ただでさえ子供は周囲の環境に影響されやすい。限られた時間しか傍に居られない私よりも、ドマの息のかかった者たちに染められてしまうのは必然。とても残念だよ)


 これは久しぶりに、教育の何たるかも知らない癖に勝手な真似をした挙句、苦情を言われるパターンかな、などと考える。しかしニスティスはこれを許せた。


 何故ならば、この愚かな女のおかげでディースを見つけられたのだから。


 だが、感謝するのはそこまでだ。これ以上ディースにちょっかいを出せないようにするためにも、ニスティスは会話を切り上げて先を急いだ。




 目的の部屋に辿り着いたニスティスは軽くノックして名乗る。小気味良い音を立ててすぐに、丁度部屋を訪れていたらしいヘンゼルマンが顔を覗かせ、招き入れられた。


「すまない、兄上。少し待っていてくれ」


「構わないよ。それにしても、難しい顔をしながら仕事をする癖はなかなか治らないようだね」


「……書類仕事は、いつまでたっても慣れない」


 奥の机で溜息混じりにそう零すのは公爵家の当主であるムロディール・ドゥアルテ。短く切り揃えられた髪に精悍な顔つきをした、なかなかガタイの良い男だった。


 本来であれば、兄弟と言えどここまで砕けた話し方はしない。しかしここにいるのは二人以外では事情を理解しているヘンゼルマンだけであり、周りの反応を気にすることなく話せていた。


 待っている間にヘンゼルマンが用意してくれた紅茶を楽しむ。何気なく部屋を見渡して、良い執務室だと思った。


 広さはあまりないし派手さも無いが、家具の材料となっている素材の良さが引き立てられ、全体的に品の良い仕上がりとなっている。無駄な物も置かれておらず、自然と気が引き締まってまさに仕事をするための部屋という感じだ。


 誰に見せるわけでもないのだから飾りつける必要もないのだが、貴族の中には金に支配され、場所関係なく装飾を施す者もいる。


 自分で書類仕事をすることもなく、何のための執務室だと思ったことは一度や二度ではない。それに引き換え、自分の立場を自覚し、頑張っているムロディールの姿は好ましかった。


 ややあって、疲れた顔をしたムロディールが待機スペースへとやってくる。普段は見せない、雑な座り方で席に着いた姿を見て苦笑いが出た。


「だいぶお疲れのようだね」


「ああ、全くもってその通りだ。どうしてこう次から次へと問題が舞い込んでくる? 俺の頭じゃ処理しきれない。……やはり、兄上が後を継いでいた方が」


「はい待った。その先は言わない約束さ」


「…………」


 かつては後継者争いをした二人だが、その関係は良好だった。


 属性持ちが当主になった方が利があることを理解していたニスティスが、さっさと引き下がったことによって拗れなかったからだ。しかしムロディールはムロディールで、逆立ちしたって勝てない頭脳を持っているニスティスが当主になった方が良いのではないかと言う考えを持っていた。


 結局のところ、頭脳労働は補佐する人間がいるから問題ないと説得されたが、ここのところその考えが再燃し始めていた。

「納得いっていないようだね。状況のせいで安易に仕事を任せられない鬱憤もあるんだろうけど……全く、そんなこと言ったら駄目だろ? 私が当主になっていたら、ロディはドルイアとは出会えなかった。それでもいいのかい?」


「う、それは……」


 ムロディールとドルイアは政略結婚の末に結ばれた。だがその内実は、顔合わせの時にお互い一目惚れするという、胸やけがするような奇跡的な結婚だったのだ。これを言われてはムロディールも口を紡ぐしかない。


(難儀なものだよねぇ、貴族っていうのも。せっかく愛し合っているのに、他の女も迎え入れないといけないんだからさ)


 数こそ少ないものの、一夫一妻の貴族家もある。しかしこの公爵家に限ってはそれができない特殊な事情があった。


 代々受け継がれてきた秘密が、今の公爵家を雁字搦めにして苦しめている。


「それでも、考えずにはいられないんだ。兄上が当主になっていれば、もっと上手くいっていたんじゃないかと」


「それは違うよロディ。誰が当主になってもこの状況は避けられなかった。そういう流れ、そういうタイミングだったんだよ」


 今の公爵家には力が必要だ。だから急速に力をつけてきていた伯爵家からドマを側室として貰い受けたし、ディース毒殺未遂事件の際に強く出られずにいた。


「ロディ……一つ確認したいんだけど、ディースが可愛くないわけではないんだよね?」


「あ、当たり前だ! ドルイアとの間に初めてできた子供が可愛くないはずがない。だが立場もあるし、俺が不用意に動けば周りを刺激する。……苦しめてばかりだ。俺は、属性鑑定の儀の時から……」


「……属性鑑定の儀? 何かあったのかい?」


 深く悔恨の表情をするムロディールを前にして、申し訳ないと思いながらもディースの新しい話を聞けると思うとワクワクしてしまうニスティス。当然ながらそれを悟らせることはないのだが。


「最近になってドルイアから伝えられた。ディースは、産まれた時からとんでもなく頭が良かったらしい。そうとも知らずに儀式をやったもんだから、属性無しの結果を受けた時の俺の顔を見て、あらぬ誤解をしたと」


「ほう……つまり、ディースは自分を期待外れの子供なんだと認識したってことかな」


「っ、顔を動かしたつもりはなかった。属性なんか持っていないのが普通なんだからな。だが、心のどこかで期待していたのかもしれない。ディースはそれを見分けてしまった」


「成る程……いや、凄いね」


 ムロディールは器用な男ではないが腹芸ぐらいはこなせる。一歳で貴族の顔を見分けてしまったと言うのだから、相当だ。ニスティスの胸は更に高鳴った。


「……兄上。自分で言っといてなんだが、こんな話を信じるのか? とても信じられるような内容ではないと思うんだが」


「そりゃ信じるさ。なんたって、つい先ほど自分の目で見てきて、肩入れすると決めたんだからね」


「そうだった……肩入れ?」


 驚きながらも疑問を呈すムロディール。ニスティスは具体的に何をするつもりなのか説明した。


「私はこれからディースにも授業を行う。しかしせっかく教えを授けても殺されてしまっては意味がない。あれほどの逸材を、こんなくだらない争いで失ってはならないんだよ。そこで提案だ。ディースの婚約者だけど、王家から迎え入れるのはどうかな?」


 ムロディールの目が大きく開かれる。その反応は有り得ない話を聞いとた言っているようなものだった。


「王家!? 馬鹿な、今更王家と関係強化なんて……。兄上だって、この家の役割は知っているはずだ!」


「勿論だよ。でもねロディ、さっきも言ったけど、時代が変わったんだ。今の体制をずっと続けていても、いずれ破綻するのは目に見えている。柔軟に考え、動く段階にきてるんだよ」


 それは歴史を積んできたドゥアルテ公爵家当主として、なかなか受け入れられる提案ではなかった。それが分かっているからこそ、ニスティスは少々強引に攻める。


「ロディも、ディースは大事に思ってるんだよね。この婚約は、ディースを守ることにも繋がる。連中がこれからどんどんエスカレートしていくのは目に見えてるんだから、早めに手を打たないと本当にディースが死んでしまうかもしれないよ」


「ぐ、しかし……。年齢的に、第四王女か。王がかなり溺愛しているとも聞く。この話が通るとは思えない」


「そこはそれ、私が言い出したんだから、私が何とかするよ。教え子だから気軽に行けるしね。ロディが承諾すればすぐにでも打診してくるけど、どうする?」


 突然舞い込んできた話にムロディールの心は大きく揺れた。


 思い出されるのはディースが毒を盛られた時のこと。ディースのことも心配したが、話を聞いたドルイアは取り乱し、酷く衰弱してしまった。


 もう二度とあんな姿は見たくない。その想いが、ついに公爵家の歴史を動かした。


「婚約の話は某伯爵家と進めていたが……兄上、宜しくお願いする」

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