第23話 問答
有り得ない光景が広がっていた。
一つの長机に対し、ピッタリ隣同士に座るディースとイオ。後継者争いが始まってから距離を遠ざけられていた二人が、奇跡的に以前のような姿を取り戻していた。
それを見守る周囲の面々は、イオの乳母を除けば全員がニコニコ顔だ。ニスティスが出す問題にイオが溌剌と答え、正解するとディースが頭を撫でるということが繰り返されている。
(なんだ、これは。どうしてこうなった……)
全てはニスティスの勘違いから始まったように思う。
設定の都合上、母親を蔑ろにするようなことも言えず、曖昧に返した結果メリルにも勘違いが伝播した。そして余計なことを口走ったのだ。
ディースは確かに知識を求めているが、誰かに教えを乞うつもりはなかった。
ディースが求めているのは強くなるための、おそらく抜け道のようなもの。世界でも気づいている者がごく僅かだからこそ、逆転の可能性を秘めている、そんな方法だ。
そこいらの人間が知っているとは思えず、家庭教師でしかないニスティスも同様だと思われる。故に、適当に相手をした後は距離を取ろうと考えていた。
しかし、話している内にその考えが変わる。
なかなかの洞察力と柔軟な思考。ディースが読もうとしている本も読破済み。もしかしたら、目的を果たすまでの時短になるかもしれないと思ったのだ。
メリルも暴走してしまったことだし、抜け落ちている知識が無いとは言い切れない。新しい発見を齎してくれる人物として、ニスティスは悪くなかった。
ディース個人としても、このニスティスという人間には悪感情が湧かない。
属性に恵まれず、当主の座も弟に取られ、高位貴族という立場に居たのに、それでも腐らずに自らを高め続けてきた存在だ。自分の力で何かを掴み取ろうと努力してきた人間を悪く思えるはずもない。そんなニスティスだから、このような世界であっても教わってみても良いかもしれないと思えた。
(……いや、待て。この世界の人間たちに、プラスの感情を抱く必要なんてないんだぞ。いつの間にか、絆されてきてないか?)
振り返ってみれば、この世界に転生してから予想外の連続だ。
変人がいたり、優しい人間もいたり。エトナがあれだけ警告してきた割には大したことがなくて、気が緩んでいるのかもしれない。
(馬鹿か、僕は。厳しい現状には何も変わりは無い。命も狙われているし、絶望的な未来を打ち破る方法が見つかったわけでもないのに、早くも油断してるって言うのか?)
絶対的な信頼を置くエトナが、方法を選んでいたら生き残れないとまで言ったのだ。甘い考えは捨てなければならない。
「ディース? どうしたんだい?」
「いえ、なんでもありませんよ。ただ、イオはこんなに可愛い上に頭も良いなんて、将来は期待できるなと思っていただけです」
ディースの僅かな変化に鋭敏に反応したニスティスによって視線が集まる。そんな中を、こちらも不思議そうに見上げてくるイオの頭を撫でることによって誤魔化した。
さらさらの金糸のような髪だ。触り心地が良くて、撫でられる方も気持ちが良いのか、イオが無邪気に笑う。
「本当ですかお兄様!? イオはもっと頑張って、お兄様のお役に立ちます!」
「そうか。ありがとう、イオ。嬉しいよ」
(何の悩みも無さそうな顔だ。羨ましいな、こちらはどうやって生きるかを考えるだけで精一杯だというのに。僕が愛する妹は、お前じゃないんだよ)
手先に力が入りそうになってしまうのを、意思の力で抑え込む。しかし、完璧には制御できなかった指先がイオの髪に差し込まれ、掬い上げてしまう。
側頭部にはまだ真新しい、青く変色した痣が隠れていた。
(…………だから、どうした)
「……ディース。お兄様の役に立つ、とは?」
「あぁ、言ってませんでしたね。伯父上、僕は当主になることにしました。イオは、その補佐に回ってくれると言っているんですよ」
「なっ……!?」
ニスティスに話しかけられたので、強制的に思考を中断して答えるディース。
涼しい顔で言うディースと驚愕に染まるニスティスの顔は対照的だった。ニスティスにとって、この発言がどれだけ衝撃的だったかが窺える。
「……本気なのかい? それがどれほど難しいことか、君なら分かるはずだ」
自分が経験してきた道だからだろう。ニスティスの表情は真剣そのものだった。
属性の差を覆さなければならない兄。奇しくも、ディースとニスティスの状況は酷似していた。
「勿論です。ですが、僕は成し遂げなければならない。僕が当主にならないと、公爵家を守れないからです。どうやらこの家には、碌でもない女狐が入り込んでしまっているようですからね」
ディースは目を眇めてイオの乳母を見る。終始居場所が無いように立っていたが、それによって更に身体を縮こまらせた。
「言いたいことは……分からなくもないよ。でも、公爵家を守るだけなら他にも方法があるだろう。その……兄弟を裏から支えるとか、それでも目的を達成できるはずだ」
「伯父上。これは、贖罪の意味も兼ねているのです。僕の決断が遅かったせいで、事態はここまで拗れてしまった。もっと早いうちから動いていれば、メリルがここまで傷つくことはなかったし、イオも寂しい思いをしないで済んだ。ウィンディも何も心配することなく、何も背負わず、元気に成長できたことでしょう。僕は今一度、嫡男としての責任を果たしたいのです」
「君は……そこまでの、覚悟を……」
呆然と呟いたニスティスは、目を閉じて一呼吸置く。そして落ち着きを取り戻すと、何がしかを決心したかのように目を開いた。
「成る程……成る程ね。メリル女史が優秀な師を望む訳だ。……ディース、今まではただの見学で退屈だったろうけど、これから出す問題は君にも答えてもらう。大事な問題だ、よく考えて答えるんだよ。いいね?」
ニスティスの雰囲気が変わった。余程のことなのだろう、心の中で警戒心を上げるディースにその質問は放たれた。
「ディース。イオ。君たちは今、一人で森の中にいる。そんな君たちは、おかしなことに気付くんだ。地面が揺れている。雄叫びが聞こえる。何と、森の中をゴブリンの軍団が進んでいたんだ。ゴブリンは知っているね? 一体では弱いモンスターだが、繁殖力がとても強くて数が増えるとすごく危険なモンスターだ。そんなゴブリンたちが進む方向、森を抜けた先には二つの村がある。一つは五十人ほどが住んでいる小さな村。もう一つは三百人ほどが住んでいる村だ。ゴブリンたちはきっと、その村々を襲うに違いない。しかしゴブリンの軍団に気付いているのは君たちしかいない。そしてこの危機を教えられるのは、時間的にどちらか一つの村だけだ。さぁ、君たちなら、どちらの村を救う?」
(ッ、そうきたか。これがニスティスの教育法……優秀な教え子に育つわけだ。懐かしいな、学生の頃を思い出す……)
一瞬驚かされて、色々と納得がいったディース。
ニスティスが家庭教師としても地位を築けたのは、教え子の資質を伸ばすことに長けていたからだ。
このような正解の無い問題は、多様な考え方を生み出す訓練として散々やらされた。現代の教育プログラムに用いられていたのだから、その効果は折り紙付きだ。
力が重要視される世界。おそらく短絡的な教育が横行している中で、これほど進んだ授業を受ければいずれ台頭していくのも理解できるというもの。
柔軟な発想の下で力を振るえるのだから、当然の結果だろう。
「はい! そんな悪いゴブリンたちは、イオがやっつけちゃいます!」
「ははは、勇ましいねイオは。三属性持ちの君なら、そのうち出来るようになるかもね」
「はい!」
(子供の模範回答といったところか)
ディースが考え事をしている間にイオが即行で答える。それに対し、ニスティスの受け答えは手馴れている感があった。
属性持ちの生徒を抱えることが多いだろうから、力に慢心した意見を言われることなど日常茶飯事なのだろう。まさしく想定内という対応だった。
しかし、それもそのはず。この問題は、明らかにディースだけに向けられたものだからだ。
イオはまだそこまで考える力が育っていないし、何より子供に出す問題じゃない。リアルに考えれば考えるほど、この問題の事態想定はエグい。
ニスティスも言っていたように、本来ならばもっと大事な、何かしらを見極めるために使う問題ではなかろうか。そしてそれは、会話の流れからして当主としての器かどうかの判断材料にされる可能性が高い。
そこまで考えた時、ニスティスの目がディースに向けられる。
待っていた。自分の想定を超える答えを。
その視線には、真剣さの裏に隠しきれない期待感が滲み出ている。
(……真面目に答えるか。思い出せ、あの頃を。リアクターが無くて一人で考えるしかなかった、中等部までの自分を)
ニスティスはムロディールの兄。言うまでもないが、ここでの結果はほぼ確実にムロディールの耳に入る。当主の座に近づける機会になると思えば、手を抜く訳にはいかない。
目を閉じる。
たっぷり五秒間熟考した後、ディースの最善を口にした。
「僕は、大きい方の村へ危機を知らせに行きます」
「ほうほう……より多くの命の救う、と。とても合理的だと思うよ。でもその代わり、五十人の村人たちを見捨てるわけだ」
ニスティスは意味深な表情で、意地の悪い返しをする。
様々な想定を繰り返しながら進めていく問題形式だ。こう返してくることは予想の範囲内だが、それでも思っていたものの中では一番『重い』。それだけニスティスの本気具合が窺えた。
(良心の葛藤と周りからの心象低下で発言を躊躇する場面。…………面白い。付き合ってやるぞ、ニスティス)
生憎と、ディースは良心も心象も気にする必要がない。
我が道を突き進むディースもまた、一切遠慮せずに言い返す。
「待ってください伯父上。僕は危機を知らせに行くと言っただけで、大きい方の村を救うとは言っていません」
「……? はて……」
「結論から先に言えば、僕が見捨てるのは『両方の村』です」
「ッ!!」
ニスティスの目が大きく見開かれる。周囲も固唾を飲む中、ディースの持論が述べられる。
「先ず以て、子供一人が未曾有の危機を知らせに行ったところで、それを鵜呑みにする大人はいません。仮に相手が公爵家の子供だと分かっていたとしても同様です。苦労して開墾した村。今までの生活。それらを全て捨てて逃げろと言われても、すぐさま従えるものではないからです。伯父上はどちらを救うかと言いましたが、どちらも救えない。それが僕の答えです」
「……思い切ったね。まさか両方なんて……。しかし、それなら何故大きい方の村を? そして、小さい方の村なら救える可能性はゼロではないと思うけどね。大きい方の村は、三百人という数で気持ちが大きくなっているのかもしれない。でも数が少ない小さい方の村なら、案外言うことを聞いてくれるかもしれないよ?」
「確かにそうかもしれません。ですが、そうではないかもしれない。この場合、避けなければならないのは、起きてしまったことに対してなるべく被害が少なくなるよう欲をかいて、取り返しがつかない事態を招いてしまうことです。その上で、説得に失敗することを前提とした時、小さい方の村にはできませんが、大きい方の村なら期待できるものがある。だから僕は大きい方の村を選びました」
ニスティスの喉仏が動く。ディースの狙いに見当がついたからだろう。
しかし、それはあまりに冷酷で無慈悲。そんな言葉を甥に言わせていいものか、逡巡しているようにも見て取れる。
だが心を決めたのか、ニスティスは一言、続きを促した。
「…………それは?」
「時間稼ぎです」
ざわっ、と空気が揺れた気がした。周囲からの動揺が伝わってくる。
とりわけその度合いが大きいのは、未だディースの人物像を捉えきれていないイオの乳母だ。もはや得体の知れない何かを見るような目をディースに向けていた。
しかし、これを見越していたニスティスが素早く手を挙げて視線を巡らせる。場を制すると、静けさを取り戻した空間をディースに明け渡した。
「続けます。今回の想定で必ず避けるべきは、ゴブリンたちの勢力を更に拡大させてしまうこと。僕が一人で森の中にいた理由は分かりませんが、まあ子供一人、人間の生存圏からあまり離れた場所までは行かないでしょう。少しでも防衛体制を整えた村人三百人に時間を稼いでもらっている間に、僕の言うことを信じてくれる可能性がある騎士団、もしくは身分を証明できる何かを持っていれば、最寄りの冒険者ギルドに討伐を依頼する。これが最善だと考えます。ちなみにですが伯父上、ゴブリンの繁殖に掛かる日数はどれぐらいですか」
「…………人間の女性なら約二、三週間といったところだね」
「早い……。やはり、躊躇している時間はなさそうです」
ファンタジー世界でも同じとは限らないが、通常、人間が生まれるまでには十ヶ月程度掛かる。実験動物のイメージが強いモルモットでも七十日だ。それを考えればゴブリンの繁殖スピードがどれだけ早いかよく分かる。
(想像以上だ。頭数で割ればモルモットと同じぐらいになるとは言え、驚異的なことに変わりはない。それほどの繁殖力があるのに、所詮一モンスターに留まっているのは、それだけこの世界で生き残っていくのがシビアだからか……)
少しでも自分の今後に活かせる情報はないかと、顎に指を添え思案するディース。しかし視線を集めたままであったことに気付くと考えるのを止めて締めに入った。
「今回の件は、そもそもゴブリンの軍団を発生させてしまったのが過ちであり、その地を治める領主に責任があることを忘れてはいけません。村人たちの命を奪うのはゴブリンではなく、いつだって無能な領主ということです。森の中にいた子供はその尻拭いをさせられただけであり、最善だと思う手を打った子供が責められる謂れは無いし、そんなことがあってはならない」
静かな書庫にディースの毅然とした声が響き渡る。
ただの理想論だ。しかし、自分の意向をはっきり示すならこれぐらいで丁度良い。甘ったるいことを言っていると分かっていながら、ディースは最後まで言い切った。
「ですが、得てしてイレギュラーというものは発生するもの。いつか本当に、この公爵領でもそのようなことが起きるかもしれない。その時は無辜の民三百五十人、死なせてしまった罪を背負いましょう。勇気ある行動をした子供に感謝と敬意を払いましょう。そして僕は前に進み続ける。それが僕の、
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