第22話 提案

「やはり、読めないな……」


 ディースは一冊の本を前にして眉間にしわを寄せていた。その様子を見た後、メリルは周囲に視線を移す。


 書庫の奥まった場所。専門的な本しか置かれていないことは、背表紙のタイトルを見るだけで分かった。たった数日で、本当にディースに教えられることが無くなってしまい、メリルは内心で悔しさを滲ませる。


 いちど教えれば、ディースは完璧にそれを覚えた。これまで分からなかったはずのことも再度確認すればきちんと覚えており、改めてこれまでは普通の子供を演じていたのだと思わされた。


 そんなディースが頭を悩ませているのを見て、早急に家庭教師の必要性を感じる。その点、最高峰の家庭教師が就いているイオが羨ましく感じた。


 ドゥアルテ家現当主、ムロディール・ドゥアルテの兄に当るニスティスは、当主の座を弟に譲った後、身分に胡坐をかくことなく後進の育成に力を注いできた人物だ。コツコツ積み上げてきた実績は今や国中の貴族が知るところであり、我が子の面倒を見てくれと依頼が絶えないと言う。


 あと数年もすれば教え子の中から国の要職に就く者も出始めるのでは、とさえ囁かれるニスティスの授業は競争率が激しい。だが賄賂等で靡くことはなく、依頼を受けるかどうかは飽くまでもニスティスがその子供を見て決めているとも聞く。


(今のこの子なら、ニスティス様の目に止まるのではないでしょうか)


 人気者ゆえに、日程が詰まっているのは分かっているが、そんな淡い期待を抱いてしまう。いずれ書庫に来ることはわかっているのだし、二人が会話する機会さえ準備できれば、等と考えていると、ディースが薮から棒に話を振った。


「おい犬、ここに書かれている内容を分かりやすく説明してみろ。魔導師から教えを受けていたならできるだろう」


「ディース様に分からないなら、私に分かるわけありませんよぉ!」


「……せめて中身を見てから言ったらどうだ。子供に知識で劣っていると自ら宣言して、恥ずかしくないのか」


「ディース様を子供扱いするのは良くないと思います!」


 ディースとパウのやり取り。これも、早くも見慣れたものになってきた。


 パウをこちら側に引き入れることができて本当に良かったと、今更ながらに思う。パウは、つい重くなりがちな状況において、緩衝材の役目を果たしていた。


 先程のこともそうだ。


 妹君の乳母に暴力を振るうディースを見たくない気持ち。そして、自分の中に湧き上がる黒い感情に一杯一杯になっている時、絶妙なタイミングで放たれたパウの一言はメリルを現実に引き戻した。こちらの事情と向こうが思っているであろう考えのギャップを思ったら、少し笑ってしまいそうになった程だ。


 二人の関係は日に日に馴染んできている。あの日、ディースが目を覚ました時の補助役がパウだったのは、神のお導きだったのではないかとそんな考えすら浮かぶ。


 <回復ヒール>の習得。最適な助っ人。


 根拠は無いが、これからもきっと大丈夫。そう思えるような時の運が、ディースの味方をしていた。




 メリルたちが居る場所は奥まった所とはいえ、静かな書庫で話していればそれなりに声は響いてしまう。


 その音を頼りにしたのだろう、一人の人物がメリルたちの前に現れた。


「久しぶりだね、ディース。元気そうでよかった」


 細身で長身。柔和な笑みに、髪をオールバックに撫で付けている男だった。


 突然の登場に、メリルは落ち着いて、パウは慌てて礼を取る。そんな二人にも手を挙げて挨拶するあたり、人の良さが表れていた。


「ニスティス伯父上。お久しぶりです」


「心配していたよ。一命を取り留めたとは聞いていたけど、やっぱり自分の目で確かめないと安心できないからね」


「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。あの一件は私も油断していたところがあったので、戒めとして次に活かそうと考えています」


「っ。はは、変わったとは聞いていたけど、これは凄いね。いや、『変わった』ではなく『止めた』が正しいのかな?」


「ご明察です。伯父上」


 最初こそ周りの者たちと同じ反応を示すニスティスだったが、その後の立ち直りは誰よりも早かった。博識なだけに、似たような話を知っていたのかもしれない。


 その後、メリルが思った通り、ニスティスはディースに強い関心を示した。


「うーん、これは……。色々と気になる、凄く気になるけど、まだ授業の途中だからね。あんまり話し込むわけにも……。でもなぁ、気が進まないんだよなぁ」


 ニスティスは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


 ニスティス程の人物ならば、この家の状況は完璧に把握している。毒なんかを使って、ディースを害した女の子供に勉強を教えなければならないことに葛藤を抱いているのだろう。もしくは、ディースに対して気配りを見せているのかもしれない。


 しかしニスティスはまだ相手を見誤っている。その証拠に、そんな心配は要らないとばかりにディースが軽く微笑み、言い放つ。


「毒の件とイオは関係ありません。どうか可愛い妹に、伯父上の貴重な教えを授けてやってください。それに話なら、伯父上の時間が許す限りはできますから」


「……そうか。ディースは、憎むべき相手を間違えていないのだね。大したものだよ」


 ディースの言葉に、ニスティスは驚くというよりも感嘆の表情を浮かべ首を振った。


「当の本人がそう言うのなら、私もしっかり授業をしないとね。……それはそうとディース、早速なんだけど、授業が終わった後、少し時間はあるかい? やはり話が…………その本は?」


 忙しいと言うのに時間を割いてディースと話をしたがるニスティス。その途中、パウが持っている一冊の古めかしい本に気付き、そちらに視線が移った。


「まさか、読めるのかい?」


「いえいえいえ!? これを読むのは私じゃなくてディース様ですぅ!」


「……ディース?」


「誤解の無いように言っておきますが、専門用語が多いので辞書の類は必要です。知りたいところだけに内容を絞るにしても、一体何日掛かることやら。気が重くなりますね」


「単語を調べるだけで理解できる本ではないと思うんだけどね……。言い回しが難解で読みづらいだろう?」


「あぁ……。似通っていて、ニュアンスの曖昧な言葉が連続して使われていることですか。この手の本のお決まりではありますが、単語の意味をしっかりと区別して、何を言いたがっているかを考えればどうにかなります」


「おぉ……」


 ディースの回答に感激した面持ちのニスティス。


 メリルはてっきり、ディースは本の内容が難しくて『読めない』と零していたと思っていたが、専門用語がちりばめられているだけで、読むこと自体に問題はないらしい。


 ニスティスをして、理解するのが難しいと言わしめる本ですら読めてしまうディースに舌を巻く。


「しかし、どうしてこの本を? これは、魔力に関して個人的見解が書かれているだけの本だよ。物好きしか読まないようなものさ。確かに内容はしっかりしていて、一見の価値はあると思うけどね。いや……今の君の頭脳。<回復>を覚えたとも聞いている……。まさか、母の病気を治すつもりかい?」


「ッ!?」


 ニスティスの推測に、メリルは音が鳴りそうな勢いでディースに顔を向けた。


 魔力障害の治療の確立。あながち間違っているとは思えなかった。


 魔力障害の治療法を見つけたとなれば、その功績は計り知れない。後継者争いにも大きな影響を与えるだろう。


 ディースにしてみれば、愛する母親も救える一石二鳥の妙手だ。ドルイアが魔力障害だと教えた時は淡々とした対応を見せていたが、心の内では苦しんでいたのかもしれない。だが当主を目指す者として、気丈に振る舞っていたのだろう。


 おそらく計画の本筋ではないだろうが、即座に行動に移すあたり、優しい性格が見え隠れしていた。


「…………無駄に希望を持たせるつもりはありません。ですが、全ては大事なものを守るため、と言っておきましょう。この本は、そのためのヒントをくれると思っています」


 やはり間違いない。ディースの言葉は、覚悟の宣誓の時と同じものだった。


 その想いの熱さに感化されたメリルは、差し出がましいと思いながらも口を開かずにはいられなかった。


「口を挟んでしまい申し訳ありません。ニスティス様、どうかほんの少しでも構いません。ディース様に、授業をして頂くわけには参りませんでしょうか。並の方では、ディース様の家庭教師は務まらないのです」


「ふむ…………」


 不躾なお願いだったが、ニスティスの表情は悪くなかった。


 メリルのお節介にディースも特に何も言わず、皆の視線がニスティスに集まる中、静寂は予想外なところから破かれる。


「お兄様! 伯父様!」


「あーっと、どうやら長話をし過ぎたようだね」


 通路から姿を現したのはイオだった。


 休憩中と言っていたが、いつまで経っても戻ってこないニスティスを探しに来たのだろう。小走りで駆け寄って来て、迷いなくディースに抱きついた。


「伯父様だけお兄様とお話ししててズルいです! イオもお話しします!」


「ははは。随分と好かれているね、ディース」


「ええ、できればこの関係を維持したいものです。ほら、イオ。休憩は終わりだ。頑張って勉強するんだよ。そうすれば遊んであげるからね」


「うぅ……」


 ディースに頭を撫でられるのが心地よいのか、イオはなかなか離れたがらなかった。そんな様子を見て、ニスティスは妙案を思いついたとばかりに、こんなことを口にする。


「そうだ。ディース、イオと一緒に私の授業を受けてみないかい? 内容について来られないと言うこともないだろうしね」

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