第19話 一日の成果

「パウさん、遅いですわね。何かあったのかしら……」


 グノ・ベンシーは待てど暮らせど戻ってこない、同じ部屋に割り振られている同僚を心配していた。


 所謂、『ハズレ』の仕事を言い渡されていたパウは朝方にはお勤めを終え、翌日の通常勤務までは自由時間になっていたはずだ。


 自由時間とは言え調整するためのものであって遊ぶための時間ではない。花嫁修業に来ているグノたちの行動は制限されていることもあり、日が完全に沈む今の時間帯には部屋にいるのが常だった。


 遅めの朝食を取っている姿は見かけている。今日のお勤め中に聞いたことだが、どうやらディース坊ちゃまが目を覚ましたらしいのでその影響だと思われた。そういう間の悪さも、心配に拍車をかける。


 一つ年上だとは思えない、あの気弱そうな姿が頭に浮かんだグノは、とうとう居ても立っても居られなくなり探しに行こうとする。するとそのタイミングでドアノブがカチャリと音を立てた。


「つ、疲れましたぁ…………」


「パウさん!?」


 倒れこむように入ってきたパウに、グノは驚きの声を上げる。


 パウはメイド服のままだった。誰かに無理な仕事でもさせられていたのだろうか。


「こんな遅い時間までどちらにいらしたの? 心配したんですのよ?」


「あぁ、グノさん。いえ、ちょっとお勉強をですね……」


「お勉強、ですの?」


 いまいち状況が分からなかった。メイド服のまま、こんなクタクタになるまで何の勉強をしていたというのか。


 不思議に思うグノは、次のパウの言葉に合点がいく。


「ディース様が目を覚ました話は聞いてますかぁ? 実はですね、目を覚ましたディース様は人が変わったみたいに凄いやる気で、後継者争いにも加わるって言ってるんですよ。その関係ですねぇ」


「まぁ!」


 この瞬間グノの頭の中に、壮大なるサクセスストーリーが描き上げられる。


 毒殺されかけたディース坊ちゃま。そこから不屈の闘志で這い上がり、当主になるまでの軌跡を。


 ただ、そのためには力が必要だ。武力もそうだし、知力だって含まれる。そこでパウの出番というわけだ。


 グノは、ロマンスの同志だからこそ教えてくれたパウの秘密を知っている。パウには、当主になるための教養が備わっているのだ。


 つまり、お勉強というのはパウがしていたわけではなく、ディース坊ちゃまがしていたもの。可愛らしいディース坊ちゃまにせがまれて断れず、今の今まで教えていたのだろう。


「それはそれは、大変でしたわね。でも良かったんですの? いくらディース坊ちゃまの願いだからと言って、貴重な知識を教えてしまっても」


「あ、いえ。お勉強を教えてもらっていたのは私の方でして……」


「どういうことですの!?」


 五歳の子供に勉強を教わるパウの姿が想像できず混乱しかけたグノだったが、そこは持ち前の柔軟な発想力で軌道修正を図る。


「あぁ、そういうことですの。わたくしったらつい早とちりを。メリルさんに熱心に勉強をせがむディース坊ちゃまと一緒に、パウさんも学びを得ていたということですのね」


 普通に考えればそういうことだろう。あの人の授業なら確かに聞いてみたい気持ちはある。


 状況のせいで誰も口にはしないが、メリルには学ぶべきところがあると思っている人はそれなりにいる。そういう雰囲気を、肌で感じるのだ。


 あの人はプロだ。使用人なら言わずもがな、嫁いでいく令嬢たちにしても、誰かに尽くすということにかけてメリルのそれは手本にすら成り得た。


 中には隣国の辺境出身というだけで偏見を持っている者たちもいるが、グノからすれば目が曇っている。そういう人たちの割合が多いドマ派を、グノがいまいち好きになれない理由でもあった。


 花嫁修業に来ているだけなのだから、派閥がどうのこうのと言うのはあまり関係ないようにも思えるが、そうもいかない。公爵家ともなれば上級使用人の中に貴族出身の者だっている。グノが変なことをすれば、その使用人を通じて実家に迷惑をかけることになってしまうかもしれないのだ。


 ただこの辺、グノは花嫁修業に来る前に、父親からあまり関わらなくていいと言われているので適当に躱している。


 正直、ここまで精神を擦り減らすことだとは思っていなかったので、父の判断には感謝していた。未熟なグノにはまだまだ荷が重い。


 しかし貴族の世界のなんと面妖なことか。グノには理解できないことがたくさん残っているらしく、完全に解釈したと思ったことをパウに否定される。


「そういう場面も確かにありましたけど、それだとやっぱり違いますねぇ。私が、ディース様に勉強を教わっていたんですよ。何ならメリルさんも一緒に教わる側でした。でも話が難し過ぎて、あんまり分からなかったんですよねぇ」


「……私にはパウさんの話が分かりませんわ」


「アハハ。まぁ、そうですよね。自分でもおかしなこと言ってるのは分かってます。でもですね、グノさん。常識に囚われてはいけないんですよ! ここは、私たちの大好きな小説の世界に置き換えて考えてみましょう!」


「小説、ですの……?」


 決まりを守ることを徹底して教え込まれてきたグノにとって、常識に囚われるなと言われたことは生まれて初めてだった。その言葉は衝撃となってじわじわとグノの心に染み込む。


「そうですねぇ……まずディース様は、第一印象最悪な、失礼で嫌味ったらしいけどクールで知的なイケメン貴公子。その子供時代としておきましょう」


「よく見かけるタイプの殿方ですわね。ディース坊ちゃまに当てはまるかはさておいて」


「当てはまるんですよ! それで、そういうキャラクターって、大体思わず同情してしまうような秘密や過去があったりするものじゃないですか。ディース様にとってはこの前の事件がまさにそれで、怒っちゃったわけですねぇ。もうプンプンですよ、今のディース様って迫力凄いんですから! 本当は昔から頭が良かったみたいなんですけど、それも隠すのを止めちゃったくらいですからね。今のディース様はあれです、控えめに言って最高なんです!」


「は、はぁ……」


 途中から話が変わってしまっていたような気もするが、要するにディース坊ちゃまは神童だったということだろうか。そして、そんなとんでもないことであっても、何でもありな小説に置き換えてしまえば受け入れやすくなると。


 成る程、確かにそうかもしれないと納得するグノだった。


 しかしながら、鼻息荒く力説するパウに、グノは困惑する。


「パウさん、殿方の趣味がだいぶ変わっていませんこと……?」


 百歩譲って全てパウの言う通りだったとしても、ついこの間まで、理想の男性のタイプは『優しくて包容力があって怒らない大人な人』とか言っていたではないか。話を聞いている限りでは、好みが真逆になってしまっていた。


 グノの質問に対し、パウが後ろ手に頭をかきながら苦笑いで答える。


「あー、そこは私もびっくりしてるんですよねぇ。どうやら自分の好きなタイプっていうのを分かってなかったみたいで、今日気付いちゃった感じです」


「そんなことが……。ですがパウさん、同志として言わせて貰いますわ。狙いに行くにしても、ディース坊ちゃまは立場的にも年齢的にも問題が……」


「ちち、違いますよ!? そういう『好き』ではないです! そんな大それたものではなくて、近くにいるだけで良いというか何というか……犬です!」


「ワンちゃん?」


「そうです! ディース様も、お前は一度あんいんすと? して、設定し直す必要があるな。手間の掛かる犬だ、って言ってましたから!」


「それでいいんですの!?」


 まさか人扱いすらされていないとは思っていなかったグノは、ハードすぎるプレイに恐れ慄く。知らぬ間に遠くに行ってしまったパウは尚も止まらない。


「でもですね、今日一日色々と教えられて、私は思ったんです。ただの犬のままでいいのだろうかと」


「……」


「ディース様が求める犬は可愛がるやつじゃなくて、もっとお利口さんなやつだと感じたんですよねぇ。だから私は狼のような、そう、猟犬を目指そうと思うんです!」


「そこは人間を目指してくださいまし!」


 正気に戻って欲しい一心で冷たく言い放ってみるも、パウの心に届いた様子はない。


 もう手遅れなのかと諦めかけたその時、グノは疑問が浮かんだ。


「……あら? でもメリルさんの補助係は不定期で、誰が指名されるのかも分からないのですから、そんなに頑張る必要があるとは思えませんのけど?」


「あ、言ってませんでしたね。専属希望を出したので」


「専属!? そこまで……」


「私って、嫁ぎに行くのが嫌だって言っていたじゃないですか。ディース様の専属になれば、その話も躱せるかもしれないってメリルさんに言われまして」


「確かに言ってましたけど……。メリルさん……」


「後はドルイア様からの承認が下りれば晴れて専属です!」


「はぁぁ……」


 とっくに手遅れであったことを知り、グノは肩を落とす。しかしパウの表情は前向きなもので、そこに関して言えば以前よりずっと良かった。


(パウさんがここまで変わったのは、常識に囚われなくなった結果、なのかしら)


 パウは、元々そんなことを言う人間ではなかった。これもおそらくはディース坊ちゃまの影響なのだろう。


 たった一日。


 たった一日で人をここまで変えてしまうディース坊ちゃま。その影響力は、本当に後継者争いに波乱を巻き起こすかもしれない。


 そしてグノは同時に思う。もしかしたら自分も偏った考え方に囚われていて、本当の自分を見つけられていないのかもしれないと。


(私が小説を好きなのは、本当の自分を探しているから……なんて、考えすぎかしら?)


 ただ、言われた通りに生きていればいいと思っていた。いや、そういう疑問すら抱いたことがなかった。新しい視点を得て、前に進んでいこうとするパウはなんだか眩しく見える。


 目指す先に共感はできないが、グノはせめて友としてエールを送ることにした。


「何はともあれ、自分の道を見つけたパウさんを私が止めることはできませんわね。勇気ある決断をしたパウさんの背中を押して差し上げるだけですわ」


「いやぁ、勇気ある決断なんてそんな。私は自分の欲求に従っただけで……」


「これ以上ディース坊ちゃまの味方をする使用人が現れないように、見せしめとしてドマ派に襲われるかもしれませんのに」


「え?」


「え?」

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