第18話 母たちの苦悩 二
ディースの今については大体把握できただろうというところで、メリルは踏み込んだ。
ドルイアは母として知っておかなければならない。
ディースは決して完璧ではないことを。演技という壮絶な自己犠牲の選択が、何の上に成り立っていたかを。
自分次第でディースがどうなってしまうか分からないと言われたドルイアは、警戒感をはっきりと出していた。
「……穏やかじゃないわね。詳しく説明しなさい」
「はい」
問われたメリルは椅子から腰を上げると、床に正座のような形で座りなおす。意味の分からない行動に、ドルイアの表情は険しさを増した。
「……何をしてるの?」
「この件を説明するためには、まず懺悔する必要があるのです。どうか、聞いて頂けますか」
「えぇ……?」
メリルはその内容を言う前に、侍女に目配せした。それである程度の意思を伝えられるほどには付き合いが長い。
ドルイアも当然、二人のやり取りには気付いているだろうが、それぐらいで丁度良いのだ。
ディースが毒を盛られた時、ドルイアがどれだけ取り乱したかは聞き及んでいる。これはドルイアの身を案じればこそ、必要な措置だった。
「告白致します。私はディース様の前で、ドゥアルテ公爵家当主、ムロディール・ドゥアルテ様と教会を非難しました。ですがこれはそうしなければならないと思ったからであり、たとえ誰かに聞き咎められて殺されることになったとしてもとしても、僅かな後悔もございません」
メリルの懺悔を聞いていた二人は、その覚悟と事の大きさに息を吞んだ。内容を問うドルイアの声は、若干の震えを帯びる。
「何がメリルを、そうまでさせたの……?」
「……無力感です」
メリルは俯いた。
あの時ディースが浮かべた泣き笑いのような顔を忘れることは、きっとない。
「何も気付かず、自分のことだけに精一杯になって、見るべきを見ず、挙句の果てにディース様を失望させてしまった私は、叫ぶことしかできませんでした。駄目だと思ったんです。今ここで、何か言わないと駄目だと。ディース様にはすぐに諭されてしまいましたが、少しでも気持ちが伝わっていると幸いです」
罰を受ける前の罪人のようだった。メリル以外が息を殺す部屋に無念が響く。
「ドルイア様、これまでの話の中で説明を省いていたことがあります。それは、ディース様が何故、後継者争いから降りたのか、ということです」
「……それは、属性が無かったから、でしょ? 公爵家のためを想ってって、言ったわよね」
「はい。属性があること。属性鑑定の儀のことは、当時のディース様もご存知でした。ですが、考えて頂きたいのです。果たしてディース様に、貴族世界における、属性を持つ意味について知る機会があったかどうかを」
「貴族にとっての、属性……」
ドルイアたちは隣国からやって来たからこそ、ディースが何よりの宝だった。属性を持っていようが持っていなかろうが関係なく愛するという意識は、ディースの前で属性という言葉を使う頻度を極端に減らした。
その結果、不幸を生む
「ディース様にとって、属性とは『そういうものもある』という程度の認識だったに違いありません。私たちが愛情を持って接していたが故に、ディース様は属性の重要性を見誤ってしまった。そして、属性鑑定の儀の時に、いきなり真実を叩きつけられてしまったのです」
「儀式の、際に……? …………あ、……あぁっ」
気付いてしまったドルイアの顔から、血の気が失せる。
儀式に臨んだのはディースとドルイア、そして、もう一人いた。
「ムロディール様のお顔を見て、ディース様は、自分は『望まれない子』であると……」
「ッ! いけません、ドルイア様!!」
侍女が素早く動いた。
ベッドから身を投げ出そうしたドルイアを、
「離して! 離しなさいッ!! 私は、あの子のところに行かないといけない! 愛してると、望まれない子なんかじゃないとっ、今すぐ、直接言わないといけないの!!」
「なりません! そうやって、昨日まで体調を崩していたのをお忘れですか。ここは堪えてください!」
「構うものか!! 今ここで動かなかったら、私はあの子の母親ではいられないのよッ。いいから、離しなさいッ!」
「ドルイア様!」
押し問答が繰り広げられる。
ドルイアの護衛も兼ねている侍女だ。力では、弱っているドルイアなど及ぶべくもないが、負担を掛けないように力加減に苦労しているようだった。
「ン、の……ッ!」
「ドルイア様」
尚も激しく暴れようとするドルイアに、メリルは落ち着いた口調で言い放つ。
「今のそのお姿を、ディース様にお見せするつもりですか」
「ッ!! で、でも!」
「愛していると抱きしめてあげることは、とても良いことだと思います。ですが、そこに失敗を取り戻したいという、自己満足の気持ちは含まれていませんか」
「じ、自己満足ですって!? 言うに事を欠いて……ッ!」
ドルイアが激昂する。しかしメリルは目を見据え、態度を一貫した。
「ただの子供が相手であれば、それで済んだのかもしれません。ですが、ディース様はそうではない。押し付けられた感情で、ディース様が心動かすことは絶対にありません」
乳母の分際で偉そうなことを言っている自覚はある。だが、年齢も、かつて子供がいた期間を含めれば母親としての経験も、メリルの方が上だ。大切だからこそ、言うべき時は言わねばならない。
しかしドルイアとしては憎まれ口の一つでも叩きたくなるだろう。実の母でありながら、何もさせてもらえないのだから。
メリルは甘んじてその憎まれ口を受ける。そして、力ない笑みで返した。
「随分と、知った口を利くじゃない。たった一日しか接していないあなたに、何が分かるっていうのかしらっ」
「分かりますよ。私は、失敗してしまったので」
「あ…………」
メリルとドルイアにしか分からない気持ちが、そこにはあった。メリルは床に額が触れる程に頭を下げる。
「お願い申し上げますドルイア様。どうか堪えてください。もう、後がないのです」
「う……うぅ…………」
侍女から手を放し、泣き崩れるドルイアは見ているだけで心が痛んだ。
気休めにもならないと知りながら、メリルは声を掛ける。
「ドルイア様のお気持ちはちゃんとディース様に伝わっておりますし、ドルイア様が戻られる日まで、私たちが何としてもディース様を支えます。ですので、まずはお身体を治すことに専念してください」
「私の、脚は……」
「治ります。きっと」
「……………………そう、ね。いつの日か、必ず治してみせるわ。また普通に歩けるようになったら……ねぇ、メリル。私、皆でお散歩がしたいわ。付き合ってくれるかしら?」
「勿論です。その時は、皆様で御実家に顔を出しに行きましょう」
「ふふ。それは、散歩って言わないわよ」
本人の精神的な強さもあるだろうが、普段は言わないような冗談が功を奏したのかドルイアの顔に笑みが戻る。
それを見て、侍女もドルイアに気付かれないように胸を撫で下ろしていた。
「じゃあそれまでの間は、引き続きあなたたちには頑張ってもらわないとね。あぁ、ついでだから、例の専属希望の子の話もしてしまいましょうか。訳ありのようだけど?」
「はい。実は……」
メリルはパウの事情を説明した。
男爵令嬢であること。<
属性持ちであること。領主としての素質が無かったこと。教養の違いにより、嫁ぐことに抵抗を覚えていることなど。
一通りの事情を聞いたドルイアは、うんうんと頷いた後、メリルに白い目を向けた。
「ふーん。成る程ねぇ…………なんて、言うと思った? あなた、何か隠してるでしょ」
「滅相もございません。隠しているのではなく、まだ言っていないだけです」
「……今日はやけに口が回るじゃない。ま、いいわ」
ドルイアは苦笑いしながら、これ見よがしに溜息を吐くと続けた。
「いくら何でも決断が早すぎるわね。専属希望を出すにしても、もっと様子を見るものでしょう。我が子のことながら、普通とは言い難いんだから。もしかして人を率いる能力が低いだけで、人を観る力はずば抜けてるのかしら。男爵家から引き抜くのはたぶん大丈夫だと思うけど、メリルはそれが後々判明して、向こうが問題を起こすのを懸念している。そんなところかしら?」
メリルはこの時、傍から見たらそう映るのか、と変な感心を抱いていた。
話をここに持ってきている時点でディースの許可も得ていることになるので、そう考えるのも無理はないのかもしれないが、真実を知っている身としては気不味いなんてものじゃない。
送られる視線に堪えかねて、メリルは目を逸らす。
「……ねぇメリル。何その、見てるだけで『あ、私、間違えちゃった』って分かる反応。みじめだから、何か言ってくれないかしら」
「……パウ嬢は、ディース様の最初の標的でした」
「標的? あぁ、敵意を集めるっていう……」
「はい。ディース様のやり口は、的確で苛烈でした。毒味をしないなら使用人を辞めさせると言い放っては確認のために大口を開けさせ、無遠慮に顎を掴むと、あらゆる角度から口の中を覗き込みました」
「惨い……」
メリルの言葉に反応したのは侍女だった。ドルイアはというと、声も出ない様子だ。
貴族令嬢にとって、ディースのやったことはそれだけ酷かった。そこに込められた意味が分かる者ほど、衝撃は大きい。
「信じられないわ……ディースがそれをやったということも、その後に専属を希望したことも。何をどうしたら、そんな話になるの……」
「性癖です」
「…………は?」
「…………あ」
あまりにもこの場にそぐわない単語に、意味を捉えきれていない顔をするドルイアと、つい声が出てしまったという感じの侍女。
ドルイアは侍女を見るも、侍女も決して目を合わさない。二人の反応から、ドルイアもとうとう真実に辿り着こうとしていた。
「せいへきって……あの性癖? 有り得ないわ、だって、相手は五歳の子供よ……? そんなの、小説で見たことも、話に聞いたこともない……」
「事実は小説より奇なりとはよく言ったものですね」
「
「……あなたたち、ちょっと黙ってくれる?」
額に手を当てるドルイアは実に頭が痛そうだ。少しすると、おもむろに切り出す。
「取り敢えず、専属の話は無しよ」
「そんな!?」
「そんな!? じゃないわよ! あなたふざけてるでしょ!? そんな、あの子に悪影響がありそうな危険人物を近くに置くわけないじゃない!」
「しかし、ディース様もご納得しております」
「ぐっ、それも理解できないのよね。どうしてディースは……」
「それに、今のディース様にお仕えするにはパウ嬢ぐらいのタフさが無ければ厳しいと思います。私が見る限りではお二方の相性は悪くなく、性癖の問題だけで<解毒>持ちを逃すのは得策ではないかと」
「それはそうだけどっ」
ドルイアの浮かべる渋面を見れば心の葛藤を察するには充分だった。
しかしこれから先を考えればどちらを選択した方が良いかは明白。パウ以上の人材は望めないと踏んでいたメリルは諭すように告げた。
「ドルイア様。話はそう、難しくはないのです。一人の少女が少年の手によって才能を開花させ、自分の幸せを手にしようとしている。それだけの話なのです」
「なに遠い目をしながらイイ感じに締めようとしてるの!? 美化するにもほどがあるし、充分難しい話でしょう。現実を受け止めるっていう意味でね!!」
「それよりドルイア様。ディース坊ちゃまがお創りになった新たなジャンルに名前をつけるべきではないでしょうか。私、考えました。ペドフィリア・ド・マゾスティックで『ペドエム』なんて如何ですか?」
「あなたはあなたで何を言い出すの!? 如何ですかじゃないわよっ、引っぱたかれたいの!?」
「いえ、私はノーマルなのでそういうのはちょっと……」
「性癖から離れろボケメイドッ!」
「して、専属の件はどう致しますか?」
「あぁぁもおぉぉぉぉーーーーーーっ」
許可が下りた。
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