第17話 母たちの苦悩

(濃い一日でした……とても)


 日が沈まりかける時間帯。ディースから「さっさと休め」と部屋を追い出され、一応本日の業務を終了したメリルは、とある一室を訪れていた。


 扉をノックすると、すぐに馴染みの侍女に招かれる。


 辺境という土地柄からか、あまり煌びやかな装飾を好まない性格に育った部屋の主の意向を受けて、落ち着いた色合いに整えられた空間にいたのはメリルのもう一人の主。


 ベッドの上から視線を送るディースの実母、ドルイア・ドゥアルテその人だった。


「ご苦労様、メリル。待ってたわ」


 まだ少女だった頃は日に焼けていた肌も、今では不健康な白さに染まり、浮かべる表情も活発な笑みからその地位に相応しい、たおやかな笑みに変わった。


 しかしいくら上っ面が変わっても、深いところまではなかなか変わるものではない。相手がメリルということもあり、その清楚な化けの皮はすぐに剥がれた。


「ずっっっと待ってた。ヘンゼルマンから話は聞いてるわ。早くあの子の様子を伝えて頂戴! さあ早く!」


「ディース様は毒の後遺症なども無く、健康そのものです。ですから、少し落ち着いてください」


 ディースがようやく目を覚ましてから初の報告とあって、ドルイアは随分と興奮している様子だった。


 早口で捲し立てられるが、メリルも伊達に長い付き合いではない。慌てることなく結論だけまず伝えた。


 とは言え、本番はここからだ。


 なにせ、今回は話すことが多過ぎる。どういう順番で伝えていったものか、未だに纏まらずにいた。


「あら……? メリル、そういえば顔つきが変わったわね。何というか、弱々しさが無くなっているわ。ね?」


「そうですね。相変わらず目の下の隈は濃いですが、少なくとも倒れてしまいそうな雰囲気は受けません」


 メリルが悩んでいると、ドルイアがお付きの侍女と何やら確かめ合っていた。


 自覚は無かったが、しかし言われてみれば当然かと思う。侍女が持ってきてくれた椅子を受け取りながら答える。


「弱っている暇など無くなってしまったので。ドルイア様、今日はお話しすることがたくさんございます。少々長くなってしまいますが、ご了承くださいませ」


 不思議そうにしている二人に、メリルは少しだけ笑って告げた。ついでだから会話の流れに乗って話していくことにする。


「……そう。なんにせよ、喜ばしい変化だわ。心配していたから。それで、あなたの変化と私たちのディース、どう関わってるのかしら?」


「その前に一つ、確認させてください。ドルイア様、失礼を承知でお伺いします。たとえ何があっても、ディース様を愛する気持ちに変わりはない。そうです……」


 言い切る前に、ドルイアの鋭い眼光がメリルを射貫く。その迫力に、これ以上喋ることは許されなかった。


「愚問ね。本当に今更で、本来なら罰を与えるところだけど……それだけの何かがあったってことよね。いいでしょう、許します。前置きはいいから、もう本題に入りなさい」


「承知致しました」


 貴族としての姿を見せたドルイアに、メリルは慇懃に頭を下げた。


 少し怒らせてしまったが、これぐらい言っておかなければ、これから話すことは受け止めきれないだろうと判断してのことだ。メリルは満を持して口を開く。


「毒殺未遂事件を受けて、ディース様は別人のようにお変わりになりました。子供らしさは消失し、その堂々たる振る舞いは今や熟達した貴族をも凌ぐ程です」


「……………………はい?」


 厳しい表情も、あっと言う間に豆鉄砲を喰らった鳩のように変化したドルイアを見て、メリルはやっと仲間ができた心地になった。


「冗談を言っているわけじゃ……ないのよね。えっと、あれかしら。死に瀕した人間が劇的に変わることがあるっていう……」


「いえ。ディース様曰く、産まれた時からそうであったと。今までは、ずっと演技をしていたと仰っていました」


「演技……? 今までずっと? まさか、そんな……どうしてそんなことを」


 ドルイアの様子を見ながら、自分もこんなに狼狽えていたのだろうな、とメリルは思った。気持ちは痛いほど理解できるため、一先ずあまり負担を掛けないように事実だけ述べておく。


「全ては、お家のためです。属性鑑定の儀の際に、ご自分に属性が宿っていないと分かったディース様は、後にお産まれになるご妹弟に後継者の座を譲るため、無知な子供であり続ける選択をしました」


「う、嘘でしょ? 属性鑑定の儀って、一歳の時じゃない!? そんな歳で、そんな難しい判断できるわけないでしょう!?」


「信じられないお気持ちはよく分かります。しかし、実際にお会いになれば理解されることでしょう。確かに、この子なら可能だと」


 ドルイアの顔には一切の余裕が無かった。それは、メリルと同じで何も気付いていなかったことを意味する。


 しかし驚きの度合いはメリルよりも大きいことだろう。辺境伯家に生まれ、生きてきた経験を持ちながら、それを凌駕されていたのだから。


「あなたの言っていることが本当なら、あの子は神童なんてものじゃ……」


「はい。日常的に騙し合いが行われる貴族の世界でも、ほぼ最上位に位置する公爵家の人間たちが今日この日まで、誰一人ディース様の違和感に気づけなかったのです。神童、天才、あらゆる言葉で飾り付けても、ディース様を言い表すには不十分でしょう」


 とにかく凄いと言えてしまえばどれだけ楽か。だが、その才覚は冗談を口にする気すら奪い取っていた。


 そこで今まで聞きに回っていた侍女が当然の疑問をぶつける。


「しかしドルイア様、やはりおかしいのではありませんか? 私たちは子供がどういうものであるか知っていますが、産まれたばかりのディース坊ちゃまが知るはずがありません。それでは……」


「こちらの対応を見て、子供というものを割り出した。何ができて何ができないのか、褒められたら修正し、時にはわざと間違えてこちらの反応を窺い、『普通の子供』を創り出したのよ。誰も気付かない内に、迅速かつ、的確にね」


「…………恐ろしい、ですね」


 出てきた感想は、素直すぎるものだった。


 凄い、じゃない。恐ろしいだ。理解の範疇を逸脱した才能は、人に恐怖を抱かせる。


 ドルイアも、我が子に対する失言をした侍女を𠮟ることはなかった。


「あなたが釘を刺してきた理由がよく分かったわ。いつの間にか呼び方が変わっていた訳もね。悪かったわ、メリル」


「とんでもないことにございます。出過ぎた真似をした事実に変わりはありませんので」


「ふぅ、じゃあ続きをお願い。どうしてあの子が偽ることを止めたのかを、ね」


 これまでの話から、ドルイアならば既にある程度の予測はついているのだろう。真剣な顔がそれを物語る。


「ディース様は、自らが当主を継ぐ決意をされました。当主となって、大事なものを全て守るそうです」


「そう……やはり、そうなるのね。でも、とても立派だとは思うけど、難しいと言わざるを得ないわ。せめてウィンディに味方するという選択は無かったのかしら?」


「ドルイア様。ディース様にとっては、イオ様もウィンディ様も守る対象なのです。可愛い妹と弟に擦り寄る、権力に目が眩んだ有象無象が許せない、と仰っていました」


「可愛い、ね。昔はイオとも仲良く遊んでいたけど、あれは嘘ではなかったのね。というか、だいぶ言葉が激しくないかしら? あの天使のように可愛いディースが、本当にそう言ったの?」


「概ね間違ったことは申しておりません。むしろ、柔らかく表現しております」


「…………」


 額に手をやるドルイア。ギャップがありすぎて想像できないのだろう。


 そして、想像できないのはその姿だけではなかったようだ。


「一体、どうやって後継者争いを制するつもりなのかしら。属性無しが、三属性持ちや二属性持ちに勝つというだけで有り得ないような話なのに、それを守りながらなんて。手段を選んでいる余裕なんか無いと思うのだけど」


 貴族の後継者争いは非情だ。親兄弟の殺し合いだって枚挙に暇がない。


 甘いことを言っていたらたちまち足元を掬われてしまうだろう。


「どんな神がかり的な策を考えているのかしら。メリルは知ってる?」


「いえ。ですが……もしかすると、行おうとしていることは、そう難しいものではないのかもしれません。やり遂げることは、とても困難だと思いますが」


「……どういうこと?」


「自分の存在を周囲に見せつけること、とでも言いましょうか。実はここに来る前に、ディース様に少し早めの夕餉をお出ししたのですが、その際に新しく専属希望を申し出た使用人に対し、食事に<解毒ニムゲイル>を掛けるよう命じまして……」


「え、待って? 専属希望? 今の状況で、あの子の専属になりたいって言ってる使用人がいるの?」


「仰りたいことは分かります。そちらも報告することの一つに含まれていますが、少々込み入った事情がございまして。長くなるので、後回しにさせてください」


「……たった一日で色々あり過ぎじゃないかしら? はぁ、まあいいわ。それで、食事に<解毒>? ディースはその意味を知っているのかしら?」


 こと貴族の世界で、食事への<解毒>はタブーとされている。それは、主従関係を疑うものだからだ。


 使用人は誇りを持って食事を用意し、主は受け入れることで器の大きさを示す。食事に<解毒>を掛けてまで身の安全を確保しようとすることは、臆病者だと後ろ指を指され、仕える者たちからの信頼を著しく損なうものであった。


 それとは反対に、使用人の毒見は忠誠心を主に示す神聖な行いとして許されている。


 似ているようで、全然意味が異なることだ。メリルは、この貴族として大切な常識をディースに丁寧に説いていた。


「いえ、さすがに知らないようでしたのでお教えしました。鼻で笑われてしまいましたが」


「鼻で……私の、ディース像が……」


「そして、知った上で尚も<解毒>を掛けさせようするディース様にお聞きしたのです。使用人が離れてしまうような行為は、目的を達成するのに逆効果ではないですか、と。するとディース様はこう仰いました。『風見鶏の頭はどちらを向く』、と」


「風見鶏……つまり、結局のところ使用人たちは風の吹く方、力ある者の下につくと言いたいのね。ご機嫌伺いなんかしたところで意味は無いと」


「おそらくは」


「……的を射ているわね。正直、食事に<解毒>なんて裏で平然と行われていることだし、そんなの律儀に守ってるのは糞真面目か馬鹿だけだわ。大抵の貴族は、自分の都合が良くなるように利用する暗黙の了解だけど、でも話を聞いてるとディースにその気は無いように思えるわね?」


「そうですね。ディース様はむしろ周囲に悪評を広めようとすらしています。ですが、申し訳ありません。ディース様がそのような手段を取ったのは、私にも原因の一端があるのです」


「……どういうことかしら」


「私が不甲斐ないばかりに……。私が倒れてしまわないようにと、ご自分に敵意を集めて、私の負担を軽くしようとなさっているのです」


「……それ、要するに、今まで何もしてこなかった私のせいじゃない!? あれ……? もしかして私、ディースに無能だと思われてる!?」


「い、いえ! そんなはずはございません。ディース様は、母上はとても優しいと……。ともかく、悪いようには言っておりませんでした!」


「なにその微妙なフォロー!? 性格と能力は別でしょ、傷つくから止めて!!」


 さめざめと崩れ落ちるドルイアを前に、メリルはオロオロするしかなかった。


 ドルイアは悪くない。出来る範囲で手助けしようとしていたのを、意固地になって一人でディースの世話を願い出ていたのはメリルだからだ。


「ところで」


 しかし、幾らか大げさに演じている部分もあったのだろう。ドルイアが立ち直るのは早かった。


「これであの子の狙いはおおよそ掴めたわね。とにかく生き残って、自分の健在ぶりをアピールすること。あの子に毒を盛った糞アマが誰かは、まだ公になっていないけど実際のところは皆分かってる。既に賽が投げられた以上は、あの子が生きている分だけ、自分たちの無能さを晒し続けることになるわ。じわじわと効果を発揮する、中々嫌らしい手と言えるでしょう。でもね、そのためには絶対に必要なものがあるのだけど、それが分かるかしら?」


 メリルは頷くにとどめた。その質問は、ドルイアの自問自答に見えたからだ。


「あの子は、どうやって自分の身を守ろうとしてるの? もう失敗が許されない以上、向こうは躍起になって暗殺してくるわ。それが分からないわけではないでしょうに……」


 それは毒殺などに限らず、手段を問わないようになるということだ。最悪、暗殺者を招き入れて実力行使に出てくる恐れだってある。


「情けない限りですが、ディース様にそういった意味で人を頼りにしている様子は微塵もありませんでした。毒を再び盛ってくることは暫く無いと仰っていましたが、それと同じように考えているということでしょうか……」


「確実性に欠けているわ。そもそもドマが、って、あぁもういいか、ドマがこうも早く、しかもディースに仕掛けてくるとは思わなかったもの。イオが三属性持ちだったことで、よほど野心を燻らせていたのでしょうね。そんな奴が、いつまでも手をこまねいているだけだと考えるわけにはいかない。……ねぇメリル。あの子は何か言ってなかったの? これは、いくら本人の頭が良いとは言えどうにもならないことだわ」


 問われてメリルは懸命に今日のことを振り返る。


 自分に、他にできることがあるならしてあげたい。指をくわえてただ見ているのは嫌だった。


 そして、思い当たる節を見つけ出す。あの時はただ疑問に答えるだけだったが、どうしてそんなことを聞いてきたのか、今にして思えば不思議だった。


「ディース様は、スキルを使った時の魔法陣の有無について熱心に聞いておりました。普通なら『そういうもの』で済ませてしまいそうなところを、私たちが答えられないようなところまで深掘りしていましたので、何かあるのかもしれません。……そう言えば、身体強化系のスクロールにも興味を示されておりました」


「身体強化系? 数あるスクロールの中で、身体強化系と言ったの? ……いえ、まさかね。そんなはずないわ……」


 ドルイアは侍女に目を向ける。その意図を察した侍女は自分の見解を述べた。


「確かに、身体強化系のスキルは使う者が使えば化けます。下手な攻撃スキルなどより、よっほど効果を発揮するでしょう。ですが、ドルイア様がお考えのケースでは当てはまりません。ディース坊ちゃまの頭が良いことは分かりましたが、戦闘経験も無ければ未発達な身体ではどうしようもないでしょう」


「……そうよね。ええ、そうだわ。あの子がここに遊びに来ていた時を思い出しても、身体の動かした方が、こう何というか、子供だったもの。私の考え過ぎ……」


「……ディース様の所作は、とても洗練されておりました。以前の子供らしさは、言動、行動、共に見る影もありません」


「…………一回、あの子を連れて来てくれるかしら? 色々確認と、あと単純に会いたいから」


「畏まりました。ですが、その際はどうか、温かくお迎え頂きますよう、お願い申し上げます」


 メリルからの忠告じみた発言。だが、もう茶番はいらない。


 ドルイアは速やかに聞く体勢を整えると、先を促した。


「何故かしら」


「ディース様の御心は、深く傷ついております。そして、現状でそれを癒せるのはドルイア様しかおらず、対応を間違えれば取り返しがつかなくなるかもしれないからです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る