第11話 始まりの宣言

 既に夜明けが近かったのか、さほど時間もかからずカーテンの隙間から明るい光が差し込んできた。


 まだまだ魔力の感覚には慣れないが、休憩の意味合いも込めてこの辺りにしておく。そろそろ本当に吐きそうだった。


 メリルはまだ休ませておきたいところだが、朝の時間は周りと合わせなければ手間になるだろう。ディースはやむ無く、目覚まし時計の役割を果たすために、ベッドから降りて身体を伸ばし始めた。


 物音に意識を浮上させたメリルが目を覚ます。


「っ、おはようございます、ディース坊ちゃま。すっかり寝入ってしまって申し訳ありません。お加減はいかがでしょうか?」


「何も問題は無い。むしろ、ずっと動いていなかったから走りまわりたいぐらいだ」


 慌てたように椅子から立ち上がるメリルに、背伸びしながらそっけなく返す。


 身体を伸ばす気持ちよさで魔力の不快感がいくらか和らいでいった。


「それよりも、未だにグースカ寝ているそこの阿呆をさっさと起こして朝の支度をさせろ。さすがに腹が減った」


 不便だ。単純にそう思う。


 何も言わなくてもエトナが全ての準備を整えてくれていた昨日までと、一から十まで何度も再設定し直すことになるだろう今日これから。


 落差があり過ぎて溜息しか出てこない。


 メリルに肩を揺さぶられて起きた駄メイドは、朝の支度と朝食の準備を指示されてバタバタと部屋から出て行く。


 不出来なメイドなのだろう。だからこそお荷物ディースの世話係に回されているのだろうが。


 しかし、世話係に回すのはもう少し優秀な者にするべきだ。大方、弟派がメリルの負担を減らすために送ってきているのだろうが、これでは大して効果が無い。


 メリルが倒れて困るのは自分たちなのだから、もっとしっかり選定しろと言いたかった。


「この館には馬鹿しかいないのか。メリルが倒れたら、それなりの位にいる誰かが代わりに僕の面倒を見なくてはならなくなるのに、寄越してくるのがアレなのだからな。実際に問題になってからじゃないと危機意識が働かないのか。公爵家の使用人が、聞いて呆れる」


「…………」


 愚痴りながらもストレッチが終わったディースはベッドに腰かけた。


 雑に体重をかけられた布団がバフっと抗議する。ベッドもそうだが、昔をイメージして作られたものとしては悪くなかった。この辺はさすが貴族、良い物を使っているのだろう。


「さて、話を聞く心構えはできているか? まだ目が覚めていないようなら、もう少し時間を置いてもいいが」


 メイドAを部屋から追い出して二人きりになったところで、話を持ちかける。


 時間を置いてもいいとは言ったが、メリルの答えなんか決まっている。大分知りたい様子を見せていたし、ディースの気分次第では次に教えてくれるのはいつになるか分からない。


 主導権を握っているのは実に楽だった。


「いえ、大丈夫です。話を聞かせてください」


 案の定、メリルは話に乗ってくる。寝る直前まで考えていたのだろう。答えに迷いがなかった。


 その様子は一見してしっかり目が覚めていそうだ。だが、慢性的な疲労で鈍っている頭で、どこまでディースの話の真偽を確かめられるか。


 勝負は始める前から決まっていた。しかし、大事な場面で手を抜いたりはしない。


「そうか。なら、あれが戻ってくる前に済ませてしまおう。とは言え何から話したものか……」


 ディースは敢えて過去を思い出すかのように時間を置く。じりじりと経過する時間に、メリルが固唾を飲んでその時を待っているのが分かった。


 充分に注目させ、これから大事なことを言うと印象づけるために強く見つめ返す。目を離さないまま、理由を語り出した。


「まず、大前提にして結論を言ってしまうが、僕は何も変わってなんかいない。むしろ今までがただの演技であり、偽りの姿。本当の僕は、元々こういう人間だ」


 メリルの目が大きく開く。


 まぁ、そうだろう。ディースが産まれた時から世話をしているのだ。こんな話、到底信じられるはずがない。


「そっ、そんな!? そんな訳……。これまでのディース坊ちゃまが、ただの偽り……? そんな風には……」


「見えなかったか? 無理もないな、いくら頭が発達していても身体は未熟なままだ。まともに動かせなかったから、そこらの子供と見分けはつかなかっただろうな」


 理解が追いつかずに混乱しているメリルに堂々と言い放つ。ここでディースは追い打ちをかけたりはせず、メリルが事実を頭の中でしっかり噛み砕くまで待った。


 疑念が渦巻いているはずだ。何かの拍子に焦っているなどと思われるのは業腹だし、話が面倒になる。


 しっかり考えた上での答えを真っ正面から否定すること。カウンターで仕留めるのが一番簡単で手短に済んだ。


「……いえ。たとえそうだとしても、見分けがつかないのは精々一歳、二歳まではいかないはずです。しかし、それ以降もディース坊ちゃまに変わったところはありませんでした。……そもそも、です。どうして、演技などなされたのですか? どうして、そんなことをする必要があったのですか。ご自分を偽ることに、何の意味があったのですかッ」


 メリルの口調に抑えきれない乱れが見える。


 大層ディースを大事にしていたメリルのことだ。突然の告白に、癇癪を起こしかけているのかもしれない。


 実に良い反応だ。


 想定通りの応えにディースは内心で嗤い、実際に口元だけ笑みを形どった。


「メリル、お前は子供のことをよく分かっているな」


「え……?」


 ディースの予想だにしないリアクションにメリルは戸惑う。落ち着いた様子を見せる小さな子供を前にして、激しかけていた感情は鎮火してしまった。


 それが、意図的に操られたものだとも知らずに。


「そう、一歳だ。貴族の子供、もしくは裕福な平民の子供であれば、そのタイミングで受ける儀式があるだろう」


「……属性鑑定の儀、でしょうか?」


「そうだ」


 属性鑑定の儀。


 教会で行われるこの厳格な儀式に、乳母でしかないメリルは同席を許されていない。ドルイアからどんな様子だったか伝えられているかもしれないが、それでも限度がある。


 つまり、まるっきり嘘を言うのは不味いとしても、ディースに都合が良いように脚色することはいくらでも可能だった。


 ディースは顔を少し俯き加減にしながら続ける。


「僕は儀式を受ける前から、それが何をするものなのかを理解していた。でも所詮は一歳児。産まれた時から考える頭を持っていたところで、その儀式が何を齎すかまでは分からなかった。特に、僕に対してメリルと母上は優しかったから、大事なことを知らないままだったんだ」


「い、一体、何を……」


「今でもよく覚えている。属性無しだと言い渡された時の…………残念そうな父上の顔を」


「ッ!」


 口を両手で覆うメリル。


 息を呑む音がここまで聞こえてきそうなほど劇的な変化だった。


「少し考えれば分かることだ。どうしてあそこまで面倒な準備をしてまで大々的に儀式として行うのか。それだけ重要だからだ。属性を持っているかどうかで、人間としての価値まで変わってしまうからだ。父上の顔を見てそれに気づいた僕は、悟ったんだよ。『あぁ、僕は望まれない子なんだ』ってな」


「ち、ちがッ! 御当主様は、そのような方では……!」


「違わない! 貴族にとって属性持ちであることは明確なメリットだ! 有力貴族との関係強化、民衆からの支持の得やすさ、今後も領地が盤石であることによる人口の流入。利用法はいくらだってある! ……むしろ、父上の反応は当然のものだ。公爵家と言う高位貴族だからこそ、嫡男である僕に属性持ちであることを期待なされていた。僕は、その期待を裏切ったんだッ」


 反論しようとするメリルを捻じ伏せる。


 ディースを言い負かすことなどできるわけがない。ここで大事なのはディースがどう思ったかであって、実際に父親がどんな顔をしていたか、どんな人物なのかは関係ないからだ。


 少し強めに言い放った後、再び目を伏せるディース。


 親に愛されず、自分を責めるいたいけで可哀想な子供の完成だ。メリルは感情が振り切れたように叫ぶ。


「属性持ちであるかどうかは! ただの運ですッ!! ただの運に過ぎないものを子供に期待して、思い通りにいかなかったからと残念がる親がいたなら、それは親の方が間違っています! ディース坊ちゃま、あなたは何も悪くありません。だから、そんな悲しそうな顔をしないでください……」


「メリル……」


 ディースは驚いたように顔を上げる。


 目と目が合った時のメリルの顔は真剣で、泣きそうな顔をしていて。ディースは表情を抑えるのが大変だった。


 とても順調だ。しかし、少しやりすぎている感も否めなかった。


 特に、教会と貴族家当主を一挙に批判するような言葉を口にし、身分社会の不文律を臆面もなく破ったメリルの言動は行き過ぎている。何らかのフォローする言葉をかけてくるだろうと思っていたが、あの発言はディースの予想を悪い意味で上回っていた。


 ここが別館でよかったと思う。もし誰かの耳に入っていたら、メリルは殺されていてもおかしくなかった。


 ディースはメリルの取り扱い方に修正を加えると、一呼吸置いて話を続ける。


「メリルの気持ちは分かった。その上で、先程の言葉は聞かなかったことにしておく。ただ、メリル。お前は勘違いしている。今は良い悪いの話はしていない。あの時は確かにショックだったが、僕は悲しみを引きずっているわけでもなければ、父上に対して悪感情を抱いているわけでもない」


 自分でも失言だったと分かっているからか、メリルは大人しく耳を傾けるばかりだ。


 もはや疑うことを忘れたメリルを相手に懇々と聞かせる。


「話を戻すぞ。ここからが本題だ。僕がどうして、これまで自分のことを偽ってきたのか。それは、僕にはこの家の一員として公爵家のことを第一に考える義務があるからだ。公爵家の跡継ぎとなるのは、属性持ちの子供が望ましい。ならば僕にできることは、今後産まれてくる妹や弟が属性持ちであることを願い、望みを託すことだけだった。だから、僕はただの子供を演じ続けた。時が来た時に争いの種にならないように。妹や弟がすんなりと後継者の枠に収まるように。中途半端に頭の良い僕がいたら、邪魔になってしまう恐れがあったからな」


「――――……」


 絶句とは、まさに今のメリルを示した状態だろう。半開きになった口からは、僅かな音すら聞こえてこなかった。


 その反応に満足感を覚える。しかしながら、ここに至るまで少し興が乗ってしまい時間をかけすぎた。メイドAが戻ってくる前に終わらせる。


 ディースは無表情になると、雰囲気を一変させた。


「だが、そう思っていたのもあの日までだ」


 急激な変化にメリルの肩がビクリと動く。


 どこを見ているのか分からない不気味さを醸し出しながら、独白した。


「僕の願いが通じたのか、産まれてきた可愛い妹と弟はどちらも属性持ちだった。しかも二属性以上だ。素直に嬉しかったよ。兄として誇らしくもあった。ドゥアルテ家はこれからもきっと繁栄していく。そう思った。だけど、違ったッッ」


 一転して怒りを示すように強い口調で言い切る。


 ディースはいつの間にか立っていた。座ってなんかいられなかった。


 演技の怒りに引っ張られるように、煮えたぎるような本心の怒りがシンクロする。


 どうせ我慢する必要は無い場面だ。溢れ出た感情は、滑らかに口を動かした。


「僕は甘かった。いや間違えていた。誇り高き公爵家の人間たちが、まさか誰を後継者にするかで、ここまで醜い争いをするとは思わなかったッ。見ろ、既得権益に群がろうとする亡者の群れを! まるで死んだ虫に集るアリのようじゃないか!? どうして自分の利益を優先しようとする? 何故公爵家のことを第一に考えない!? 僕は、僕はなぁ、この家のことを考えて、これまで自分を律してきたんだッ!! なのに、何故それを台無しにしようとする! どうして僕が殺されなければならない!? こんな糞共が蔓延っている状態で、純真無垢な妹や弟が後継者になったらどうなる……? 周りにいいように利用されるに決まってる! 操り人形にされて、搾取され続ける未来しか待っていないんだ! そうなれば、ドゥアルテ公爵家は終わる。愛する家族が崩れていく様を、ただ指をくわえて見ているだけでいいのか? そんな訳がないだろう!? だから僕は、決めたんだ!!」


 メリルを睨みつける。そこに怨敵がいるかのように。


 ありったけの力を込めて握った拳は胸の位置へ。


 肺に溜め込んだ空気が熱い。全てを燃やし尽くす竜の息吹が如く、世界に向けて一気に吐き出した。


「僕が、当主になる!! 当主になって、ドゥアルテ公爵家を、家族を、大事なもの全部、守ってみせるッ!!」


 言い終えてみれば、その建前はどこかの誰かを想起させた。


 それもそのはず。ディースは言い訳を作る際、ディースとイチコの境遇を照らし合わせていた。共通項を取り入れることで、より自然な振る舞いを可能にしたのだ。


 その結果生まれたのは、演技の枠を超えた『偽りのない嘘』。


 言っていることは虚実入り混じり、込められた気持ちは本物。これを欺瞞だと見破るのは困難を極めた。たとえ体調が万全の状態だったとしても、メリルがその嘘に気づくことはなかっただろう。


 痩せた頬を、一筋の涙が伝う。


 まずは一つ。


 ディースの計略が完了した瞬間だった。

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