第10話 ファーストコンタクト
やることを済ませたヘンゼルマンは早々に部屋を後にした。
家令である彼は多忙を極める。休める時に休まねば、仕事に支障をきたしかねなかった。
三人になった部屋の中では、メリルが気遣わしげにディースに声をかける。一言も喋っていないのが気掛かりだった。
「ディース坊ちゃま、<
毒を盛られてすぐに何かを口にするのは怖いかもしれないが、食べなければ元気だって出てこない。駄々をこねられた時は辛抱強く説得しようと思いながら聞いた問いは、驚きと共に返された。
「食事は朝になってからでいい。それより、お前も部屋に戻って休め。僕と入れ違いで寝込まないようにな」
これまでと全く違う、子供のたどたどしさが一切ない、はっきりとした声。
お前なんて呼ばれ方をしたことはないし、落ち着き具合が尋常ではない。冷たさすら感じるほどだ。
慌てて呼びに来たパウ嬢が「とにかく大変なんです〜ッ」と手をブンブンしていたのは何だったのか。反射的に後ろを見てみれば、彼女も目を丸くしていた。
戸惑うメリルだったが、なんとか返事する。
「だ、大丈夫、です。自分の体調管理ぐらいは……」
「それは、この暗がりの中でも分かってしまう目の下のクマをどうにかしてから言うんだな。早く寝てこい」
ぐうの音も出ない正論。
前から顔色が悪いのは自覚していた。特にここ数日はディースを心配するあまり余計ひどくなっていたのだが、それを本人からストレートに言われると心にくるものがある。
ディースは前からメリルの体調を気遣ってくれるような言葉はかけてくれていた。しかしそれはもっと子供らしい、可愛い言い方だ。今はまるで、酸いも甘いも経験した成熟した貴族のよう。
困惑を隠せないメリル。ディースが正しいことを言っているのは頭では理解できているが、乳母としてこのまま「はい、分りました」と戻るわけにはいかない。
食事もいらないと言っている以上、何かできることが思い浮かぶわけではないが、ディースの傍に居たい気持ちから口を開こうとするも、それは完璧な妥協案によって封じられてしまった。
「どうしても心配だと言うのなら、せめて椅子に座って休んでいろ。それなら文句無いだろう」
「え、は、はい。そうですね……」
つい頷いてしまうようなタイミングだった。それに、言われて気づいたが、これではメリルの方が駄々をこねているみたいだ。気恥ずかしさから何も言えなくなる。
「よし。おい、メリル用の毛布と椅子を持って来い。……お前だ、早くしろ」
「え、あ、ひゃい!」
ディースのペースに飲み込まれる中、パウ嬢に向けられた言葉は完全なる命令だった。迅速に、且つ、さも当然のような態度に圧倒されたパウ嬢が駆け出していく。
本当に、一体どうしたと言うのか。
明らかに指示を出し慣れている姿はこれまでのディースとは別人だ。変わり果ててしまったディースにどう接すればよいのか分からず、話しかけられない。
パウ嬢が出て行ってからしばらくすると、目を合わせないまま静かに聞かれた。
「驚いたか。人が変わったようで」
「……はい。あの、ディース坊ちゃま……なのですよね?」
「……あぁ、そうだな。僕は、ディース・ドゥアルテだ。色々聞きたいことはあるだろうが、朝まで待て。今は余計なのがいるからな」
それはつまり、腹を割ってじっくり話すことがあるということ。今すぐ聞きたい気持ちと聞くのが怖いと言う気持ちが内混ぜになる。
複雑な心境だ。しかし、今は言われた通りにしておくのがいいのだろう。
今のディース相手にどこまで踏み込んでいいか分からないし、朝には話してくれると言っている。少し待つだけで、余計なリスクを回避できるならそうすべきだ。
今は無事だったことを喜ぶだけで充分。ドルイアお嬢様、ドルイア様もきっと喜ぶだろう。
このタイミングでの話だ。きっと重要なものになる。心構えだけはしっかりしておく。
その内にパウ嬢が戻ってきた。立場はメリルの方が上だが、身分はパウ嬢の方が上。きちんと礼は述べる。
接し方は令嬢たちの性格によって変えなければならないので気を遣うが、パウ嬢はあまりその辺りのことは気にしないようだったので楽だった。後はお皿を割ったりバケツの水をこぼしたりしなければ言うことはない。
椅子に座るとドッと眠気が襲ってくる。横になったディースの胸が規則正しく上下するのを見て安心しながら、メリルはいつの間にか眠りに落ちた。
微かに聞こえる寝息を確認すると、ディースはベッドの上で身体を起こす。
朝までにやっておくことがあった。メリルの問いで空腹を訴え始めた身体からの要求を無視し、集中する。
まずは言い訳作り。ただの子供に過ぎなかったディースが大人のように振る舞い始めた理由だ。
もうある程度は考えているが、この設定は今後の軸にすらなり得るもの。今一度、矛盾と見落としがないか、理由の強度は足りているか、見直す時間ぐらいは必要だった。
しかし、それもすぐに終わる。
如何せん、公爵家嫡男の毒殺未遂という丁度良い事件があった直後だ。そのインパクトの大きさを活かさない手はない。
今後の行動にも無理なく利用できることを再確認し、次は<
ヘンゼルマンとメリルの会話から<回復>を習得していると判明した時、ディースは密かに意表を突かれていた。何故なら、ゲームのディースが回復系統のスキルを使ったことは一度もなかったからだ。
ディースの戦闘スタイルは、馬鹿みたいなステータスにものを言わせた攻撃一辺倒のもの。正直<回復>なんて全くイメージに合わないし、覚えてなかったと思われる。
そしてそれこそが一番の問題点でもあった。
特定の人物を除けば『リベレーターズ・ストーリー』のキャラクターたちは覚えるスキルに偏りがある。集団戦故に役割が振り分けられているからだが、とりわけ、最初に覚えるスキルと言うのはその傾向が強い。
では、最初に回復スキルを習得してしまったディースはこれからどのようなスキル群になっていくのか。
将来を見越した時、ディースが欲しいのは攻撃スキルになる。ただでさえステータスが貧弱なのだから、スキルの威力補正で主人公の一太刀に対抗したい考えだったが、最悪の場合、この案は破棄しなければならないだろう。
もちろん何も覚えないよりかはずっとマシだし、回復呪文が重要であることも分かっているが、状況が状況なだけに裏で誰かが嗤ってる気がして怒りが溜まる。
弱体化するならするで徹底的にやればよかった。中途半端にスキルを与えたことは必ず後悔させる。
その鬱憤を晴らすためにも、魔力についての理解を深めなければならない。
ファンタジーお決まりの、奇跡を体現する不思議物質、魔力。ディースが生き残るために、エトナが鍵としてあげたものだ。
もはやファンタジー用語として当たり前のように受け入れられている魔力だが、では、具体的にどういうものなのかと聞かれれば、少なくとも今のディースに明確な答えはない。
ゲームの中ではMP、マジックポイントと呼ばれていたり、ステータスの一種として強さを示すものだったりとその解釈は様々だが、大体にして戦いに関係する事柄で使用されることが多い。
しかし、そんな魔力もリアルになったことで多岐に影響を及ぼすことが予想された。それは良い方向ばかりではなく、悪い方向にも言える。
『リベレーター・ストーリー』では、戦闘不能になる条件が二つあった。一つはHPの全損。もう一つが、MPの全損だ。
もはや懐かしさすら覚える初のボス戦。仲間に小っこい男爵令嬢を加えて、三人パーティーでの戦いにおいて、初めての全滅を喫した。その時の原因がMPの枯渇だ。
多くのゲームが、MP不足の場合、スキル発動不可なのに対し、このゲームは戦闘不能になる代わりに強化されたスキルを使えるという仕様だった。
運営曰く、『君は仲間たちのためにその身を犠牲にできるか。一瞬の判断力が戦いの命運を左右する、ドラマティックバトルシステム搭載!』らしい。
ちなみに、強化されたスキルは劇的に強くなるわけではない。割に合っていないことからプレイヤーたちには大変不評であり、ネットのコメント欄は大いに賑わっていた。
また、物語が進むほどに敵も当然のようにMPを削ってくるようになり、これによってMPが無くなっても戦闘不能になった。
これらの事から、魔力は生命維持活動に関して体力と同じぐらい重要なものなのだと推測できる。魔力を理解することは、この世界を生きていく上でも切っても切り離せなかった。
魔力とは何なのか。それを理解するには、実際に使ってみるのが手っ取り早いだろう。ディースは<回復>を発動してみることにした。
スキルとして覚えている以上、まさか一度の使用でMPが全て無くなったりはしないはず。自分が持っている魔力量は分からないが、<回復>は低位の回復スキルと言うこともあり、消費MP量も多くなかった。
後はリアルでスキルを使うにはどのようにすればいいのかだが、ふと思い至ることがありスキル検証を中止する。
ヘンゼルマンがスキルを使っていた時、魔法陣は仄かな光を放っていた。弱い光でもこの暗闇では充分に目立つ。
ディースはチラリと部屋の隅で眠りこくるメリルを見やる。せっかく眠らせたのに、もしかしたらその光で目を覚ましてしまうかもしれない。
そうなれば邪魔なのは言うまでもないが、今のメリルは少しでも休ませることが重要になる。それが翻ってはディースの為にもなるのだ。
メリルの隣でよだれを垂らしながら、幸せそうに寝ているメイドAが視界に入ってイラッとしながらも、スキル使用を後回しにした。
念のために朝まで時間をとっておいたが、一先ず済ませたい用事は終わってしまった。
朝まではもう少し時間がありそうだが、三日間寝ていただけあって眠くないし、このまま時間を無駄にするのも勿体ない。そこでディースは別の方法で魔力にアプローチしてみることにした。
要は、なんだっていいから魔力を感じ取れれば良いのだ。
用いたのは瞑想。自己理解にこれほど適しているものはない。
魔法を使うための条件として設定されていることが多い魔力感知は、ものによって難易度が大きく変わる。欠片も期待せずに行った結果、ディースはあっけないほど簡単にソレを見つけた。
頭のてっぺんからつま先までを薄く包む、もやもや。身体の中にも同じように存在する、元の世界では決して感じなかった異様なもの。
むしろ何の収穫もありませんでした、という確率の方が高いと思っていたので、これで本当に合っているのかどうか疑ってしまう。
ディースは自分に特別な才能があると思うほど楽観的ではない。そんな妄想を抱くのは、学生の頃にやめた。故に、自分が納得できる理由を探し出してあたりをつけた。
おそらく、逆なのだ。魔力が全く無い世界からいきなりこの世界に来たからこそ、明確にその差を感じ取れている。
元の世界の身体のままでは魔力を感知するのは叶わなかっただろうが、今の身体はこの世界で産まれ育ったディースのものだ。魔力を感知する何らかの器官を持っている身体に、魔力の感覚を知らない人間が乗り移ったから起きた現象。
産まれるところから転生が始まっていれば違和感を覚えることもできず、魔力を感じ取ることに苦労したかもしれない。
そしてディースは、この世界に来てからずっと身体が怠かった原因を知る。
これまでは身体が入れ替わった影響だとか、毒を盛られたからなどと思っていた。しかし認知できるようになれば一目瞭然。
魔力のせいだ。魔力がある感覚に慣れていないから、身体が不快に感じ、怠さに繋がっている。
それは例えるならば、高温多湿の中、ずっと雨具を着ている感じだろうか。普通に防水スーツを買えばよかったのに、好奇心から安物の雨具を購入した時の後悔が甦る。
動くたびに雨具の硬い抵抗感と、服と肌の間に入り込んだ生暖かい水分がピチャピチャとその存在感を主張してくる不愉快さ。あのじめじめ、じとじととした感覚が身体の表面と内側で絶えず蠢いていた。
端的に言って気持ち悪い。目覚めの気分が最悪だったのも頷けるというものだ。
これがこの世界の魔力。あまりにも夢がないが、何はともあれ目標は達成した。
どうせこの後もハードモード仕様の『リベレーターズ・ストーリー』の世界がディースに試練を課してくるのだ。細かいことにいちいち気を取られていたらキリがない。
強くなる方法があり、運命を変えられることも分かっているなら一つ一つやっていくだけだ。
空が明るみ始めるまで、理解度を深めるために、ディースは吐き気に耐えながら魔力と向き合い続けた。
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