第8話 落ちて欠けたら
「エトナ! 本当にエトナなのか!?」
『そうです。……イチコ、あなたの置かれている状況は理解しています。ですが、どうか落ち着いてください。残念ながら今は時間がありません』
エトナからの要請に、そういえば『効果時間の減少』といった文言があったことを思い出す。
感情の波を、喉を震わせながら何とか我慢し、話を聞く態勢を整えた。
『……さすがですね、イチコ。助かります。ではこれから重要事項をお伝えします。まず第一に、元の世界に帰る方法ですが……存在します』
「!!」
帰れる。
エトナが言うからには、それはディース・ドゥアルテの呪われた運命から逃れて、生きて帰る方法があると言うことを意味する。
『帰れるかもしれない』と『帰れる』では全く違う。しかもその言葉をエトナから聞かされたとなれば尚更だ。
力強い言葉がイチコの心を打つ。だが、厳しい状況であることに変わりはない。それを裏付けるようにエトナの言葉は続く。
『その具体的な方法については……申し訳ありませんが、今の私には分かりません。イチコのスキルとして生まれ変わった私には、方法があるということは分かっても、その詳細までは分からないのです。ですが、これはスキルレベルが上がれば判明していくものと思われます』
「スキルレベル……。レベルはスキルを使っていれば上がる?」
『いえ、私の場合は習熟度のタイプではなく、どうやらイチコの強さに直結しているようです。詳細な帰還方法を知るために、どの程度の強さが必要になるかまでは分かりません』
「……そっか」
トントン拍子とはいかないようだ。しかしイチコの気持ちは明るい。
帰る方法があると分かった上に、エトナまで戻ってきたのだ。こんなに心強いことはない。
ユニークスキルというのは『リベレーターズ・ストーリー』には無かったはずだが、今更だろう。発動条件には多少の制約がついて回るだろうが、それは仕方ないのこと。
エトナの力は、おそらくこの世界の攻略情報みたいなものだ。普段使いできてしまっては強力すぎる。
そんな力が、今となってはイチコのもの。弱体化も甚だしい現状に希望を見出せずにいたが、これならまだ何とかなるはず。
二人で力を合わせながら元の世界への帰還を意気込む。だがその矢先、エトナから衝撃的なことを告げられた。
「でも、エトナが傍にいるって分かっただけでもだいぶ助かったよ。エトナも力をつけられるように頑張るね。……ところで、効果時間の減少って言ってたけど、まだ大丈夫なの? しばらくスキルが使えなくなるから急がせたんでしょ?」
『はい。それもまた重要事項の一つに位置づけられています。スキル<エトナ>の再使用までの時間ですが…………三年です』
「………………え?」
『信じられないかもしれません。それほど長いクールタイムを用するスキルなど、他のゲームでも存在しませんから。ですが、これは冗談ではありません。もう一度言います。スキル<エトナ>を再び発動できるのは、三年後です』
「…………」
想定を遥かに上回る制限の厳しさに、イチコは口を開けない。仮に最後のイベントを目安とした場合、エトナに頼れる回数はたったの四回しかないということだ。
結局はほとんど自分だけで何とかしていかなければならないことに変わりはない。再び感情に波が発生しかけるイチコをフォローするようにエトナは言う。
『イチコ。酷なことを言っているのは理解しています。ですが、飲み込んでください。残された時間はもう僅かしかありません。……それに、三年という期間は意外に妥当なのかもしれません。イチコが強くならなければ、私もお役に立てないのですから』
「エトナ……」
イチコとしては、ただエトナと会話できるだけで精神的に助かる。しかし、既に気遣いをされている手前、泣き言を言って貴重な時間を無駄にするわけにもいかない。
決して前向きな気持ちからではないが、生き残るために判断を仰ぐ。
「どうすれば強くなれる? どうすれば、モブが主人公たちと肩を並べられる程の強さを手にできる?」
『ゲームの時のように、ただレベルを上げるだけでは到底アルスたちを相手取れるだけの強さにはなれないでしょう。ですが、ここは現実となったゲーム世界。リアルならではの強化方法があります。――魔力について、深く理解すること。それが元の世界に帰るための唯一の道となるでしょう』
リアルならでは。つまり、ディースが弱体化しているように、ゲーム通りにはいかないことが当然のようにあると言うことだ。抜け道の先の諸刃の剣には警戒しなければならない。
「魔力……。具体的にどうすれば?」
『申し訳ありませんが……』
「……ううん、分かった。あとは……とりあえずこれから先の三年間、僕はどう生きていけばいい?」
知らないものは仕方ないし、エトナに謝らせたくない。イチコが気をつければいいだけなので、話題を移す。
『ゲームのシナリオに準拠できるようにしておくのが無難だと思われます。ディース・ドゥアルテがシナリオに与えていた影響力は大きく、また、変わってしまったディース・ドゥアルテの代わりとなる存在がいるかどうかも分かりませんから』
「まぁ、そうだよね……」
ディースの役割を放棄した瞬間に、世界の滅亡が確定するおそれも充分にある。
それでアルスに殺されてしまっては元も子もないが、最初から選択肢を狭めて、いつの間にか取り返しがつかないことになっていたと言う事態は避けなければならない。
それに、ディースの存在はアルスの仲間たちが共に行動する切っ掛けにもなっていた。
婚約者であるレイシアは、傲慢なディースに気を病んでいたところをお人好しのアルスが学園で声を掛けたのが始まりだし、ドゥアルテ家と敵対関係にあった侯爵家の令嬢が仲間になったのも、彼女個人がディースを蛇蝎が如く嫌っていたからだ。
そういう意味でも、ディースがディースであることは非常に重要な意味を持つ。
「そうなると、
ただでさえ強くなるのに全力を尽くさねばならないと言うのに、変な役回りもこなさないといけないのだから大変だ。
第一、ディースが傲慢な性格となった原因である属性が一つも無い状態で、何をもって傲慢になれというのか。
波風立てない人間関係を好んでいたイチコにとって、後ろ指を刺され続ける人生は正直辛い。帰るために必要なこととは言え、気が重くなってしまうのだった。
エトナが話を切り出したのは、そんな時だ。
『イチコ。まもなく時間です。ですが、最後にお伝えしたいことがあります』
「……?」
エトナがこういう言い方をするのは珍しい。大体の場合において、優先事項は先に伝えてくるからだ。しかし極稀にではあるが、このような言い回しを使うこともあった。
それは、本当に大事なことを伝える時。まだ何かあるのだろうかと、イチコは注意して耳を傾けた。
『イチコ……あなたは優しい。今のままでは、この世界で生き残れないほどに』
「っ!」
心臓が跳ねるのが分かった。息を呑むイチコにエトナは続ける。
『お伝えするかどうか迷いました。ですが、私はイチコに生き抜いてほしい。だから、その可能性を少しでも上げるために、あなたが忘れてしまっているだろう情報をお教えします』
「忘れている……?」
ディースの記憶を遡った時に全て思い出したと思っていたが、まだ何かあっただろうか。見当がつかないイチコは次の瞬間、目を見開き、己の迂闊さを呪った。
『イチコが大きな手に襲われて半死半生になった後、私の録音データには複数の足音が土足で家の中に侵入してくる音と、『ムラサキ・シン』という言葉、そして、苛烈な銃撃音が残されていました』
「な……あっ!!?」
エトナに言われてあやふやだった記憶が甦る。
意識が朦朧とした後のことは、さながら目を覚ましたら消えてしまう夢の記憶のようで、今の今まで忘れていた。
「僕って奴は、こんな大事なことをッ! 皆は、皆は無事なのか!?」
『こちらから向こうの情報を取得することはできず、今となってはそれを知る術はありません』
「そんな……。どうして、そんなことに……」
自分のことに精一杯で考える余裕が無かっただけで、家族の安否については心配していた。
しかし、忘れていた情報を与えられても今の自分にはどうしようもない。歯がゆさから、そうなってしまった原因について目が向いたイチコは、そこですぐに不可解な点に気づいた。
「おかしい……。いや、そこでムラサキ・シンが出てくるのがもう意味分からないけど、あのタイミングであそこに居合わせているのは、不可能だ」
緊急避難信号が発せられてから事が起きるまで、当事者の体感時間としては結構あったように感じるが、実際はあまり時間は無かったはずだ。
仮に、ムラサキ・シンが事故の調査のために下層に来ていて、その直後に起きた飛行車事故を自分の目で確かめるためにネノヒ家方面に向かっていたのだとしても、あの瞬間に立ち会えたとは思えない。何なら、緊急避難信号が出たのだから逃げるのが普通だ。
それを逆に向かってくるどころか、ピンポイントで場所を特定し銃撃戦まで行っている。まるで、何が起きるのかをあらかじめ分かっていて、初めから目的地がネノヒ家だったかのようではないか。
「ムラサキ・シンは……いや、中央管理局は、こうなることを全て知っていたのか……?」
『ネノヒ・ニコも、ムラサキ・シンのボディーガードが不必要に多かったと証言しています。護身のためではなく、戦力のためだったとしたら、辻褄が合います』
イチコの、ディースの手が震える。それはとある感情の発露だった。
「……偶然起きた、超常現象じゃ、なかったのか? 分かっていたのなら、どうして教えてくれなかった!? 事前に避難指示をくれれば、こんなことにはならなかったのにッ」
『あるいは、事前に知らせてしまうと都合が悪かったのかもしれません。偶然でないのなら、何らかの目的で超常現象のターゲットが決まっていた可能性があります。ネノヒ家は立地上、他人を巻き込む心配がありませんから』
「中央管理局はアレに対処するために、僕たちを生贄にしたってことか!?」
『更に言えば、あの一連の現象が一般に知れ渡るのが不味いものだった場合、後始末も容易でしょう』
「あ、と、しまつ……………………ぁぁあああああ、アアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
銃口は、果たして誰に向けられたものだったのか。
発狂しそうだった。頭を掻きむしりながら、イチコは床に向かって吼える。
「誰だッ、一体誰だッ!! こんなことになる原因を作ったのは、誰なんだよ!? 許さないッ……ニコたちに何かあったら、絶対に許さない!! 自分の身勝手で、僕たちの平穏な日常をぶち壊しやがって!! ふざけんなッ!!」
一呼吸で言い放ち、背中を上下させるイチコ。息は乱れ、それでも感情は収まらず、続く声は怨念の籠った悪霊のようだった。
「それとも何か。僕か? 僕が悪いのか? ターゲットって、僕のことだもんな!? 黒い手にグシャっとされて、こんな意味の分からないことになってるんだからさあ!? 僕が一体何をしたって言うんだよ! 家族に迷惑をかけないように、ちゃんと身の程を弁えていたじゃないかっ! 犯罪者予備軍は普通に生きることも許されないのか!? そんなことも許されないって言うなら、僕は、僕は……ッ!!」
『……時間です。イチコ……三年後に、また会いましょう』
その言葉を最後に、今まで胸の内に感じていた感覚が消える。
しん、と静まり返る暗い部屋の中、ややあって身体を起こしたイチコの心は、ひどく冷えていた。
「……よく分かったよ、エトナ」
エトナの消失は、イチコをイチコたらしめていた大切な何かを、一緒に連れ去っていた。
俯きながら呟いた声はとても無機質で、その裏に隠れた感情は恐ろしくて覗けやしない。
月光の影に隠れた両の瞳は今この時、人知れず鋭さを宿す。捻じ曲がった倫理観には、もはや配慮も手段も残されていない。
生まれてしまった特異点の姿を、鏡だけが写し取る。
この小さな子供が世界に何を齎すか、知る者はまだ誰もいない。
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