第7話 淵の光

「…………帰りたい」


 雑多な考えが頭を埋め尽くして正常な流れを邪魔する中、やがてイチコの願いは一つの答えに辿りついた。


 元の姿に戻れるか、自分が気を失った後、家族はどうなったのか。考えることは山ほどあれど、今は一旦脇に置いておく。何か希望にすがっていなければ頭がおかしくなりそうだった。


 こんな時にサポートしてくれるエトナもいない。イチコは努めて帰ることだけを考えた。


「まず、この世界にやって来れたんだから、絶対に帰る方法もある。その手掛かりになるのは、やっぱり……」


 思い出したくもない、現実に紛れ込んだ非現実。謎の巨大な黒い手。


 勿論これまでに見たことなんかない。けれど、あの後に『リベレーターズ・ストーリー』の世界に来てしまったことからして、ゲームに関係している何かだと思われた。


(あの大きさ……。もしかして、あれが魔神? 何がどうしてそうなったのかは、全然分からないけど)


 イチコが魔神に関して知っているのはデカいということだけなので間違っているかもしれないが、暫定そのように考えておく。ならば、とにもかくにも魔神に会う必要があるが、これは充分に可能だろう。


 最後のイベントシーンが行われたのは魔神戦の直前だ。バックボーンが明らかになっているわけではないので、ディース・ドゥアルテがあそこで待ち構えていた理由は知らないが、大方、敵に主人公たちとの関係性を利用されたといったところだろう。何にせよ、敵側に迎えられるなら都合が良かった。


「そうなると、敵に目を掛けられるように最低限強くなっておくことと、ゲームシナリオに準拠する必要があるな。でも、いちいちそんな事をしていたら時間が掛かる。アルスたちの年齢から考えれば……一三年後。そんなに待ってられるか」


 一刻も早く帰りたいイチコは他にも魔神と会う方法を模索するが、その内にとあるゲーム設定を思い出して嘆息した。


「そもそも時間が経たないと目を覚さないんだった……。結局待たないと駄目なのか。こんな文明の遅れた世界で一三年? 気が遠くなる……」


 どんな不便で面倒くさい日々が待っているのだろうか。高位貴族だからいくらかマシなんだろうが、想像もできなかった。


「いや……貴族だからこそ、とも言えるか。変な決まり事が沢山ありそうだし。そう言えばメイド少女が毒がどうこうとも言ってたか。五歳でもう命を狙われているなんて、ディース・ドゥアルテ君も大変だな」


 まるで他人事のように乾いた笑みが出る。


 幼い頃にそんな経験をすれば性格が歪んでしまうのも仕方がないだろう。彼が傲慢だったのは、てっきり恵まれ過ぎた才能のせいかと思っていたが、彼は彼で苦労していたのかもしれない。


「一体誰に狙われているんだか。こっちをそれどころじゃないんだよ。僻みか? 嫉妬? まあとにかく、そんな誰もが羨む才能を持っているディース君の能力チェックでもしますかね。この先強くなっておく必要があるわけだし、確認は必須だ」


 転生したのが作中きっての強キャラだったことだけは幸いだった。


 ディースの人生で一番の問題点と言えば、やはり最後のイベントシーンでアルスの強化パーツとして死んでしまうことにあるが、当然イチコはそれに付き合うつもりなどない。


 戦いの前に魔神に会って帰れるなら帰る。アルスが覚醒せず、魔神に負けて世界が滅びようとも、知ったことではない。


 どうせゲームの世界だ。元の世界に帰ることに比べたら、優先順位は揺らぎようがない。


 たとえイベントシーンが回避できなかったとしても、今からであればいくらでも強くなることは可能だ。才能に胡坐をかいていたゲーム中のディースが鍛錬を積んでいたとは思えない。まだまだ強くなる余地を残していたはずだった。


「ステータスとかが見られるなら言うことないんだけど……無理っぽいか。何かとリアル重視だったあのゲームの世界だと考えれば納得だけど、もはや嫌がらせに近いな」


 できれば簡単に、労力を掛けることなく済ませたかったが、あのゲームが楽をさせてくれるというのも変な話だ。仕方なく過去の記憶を遡ることによって、比較検証することにした。


 こんな状況とは言え、イチコはディース・ドゥアルテの能力がどんなものなのか、一人のプレイヤーとして単純に興味があった。


 単騎で主人公パーティーと渡り合うスペックだ。元の能力が高ければ高いほど、想定外の事態にも対処しやすくなる。


 この安心材料の存在は殊の外大きく、イチコの心の奥底にあるディースの強さに対する信頼は、冷静さを保つのに多少なりとも寄与していた。


 そして、改めてディース・ドゥアルテの記憶を洗い出した結果、イチコの余裕は本当の意味で無くなる。


「…………え?」


 四歳、三歳、二歳。自分自身の記憶すら、こんなはっきりとは思い出せないと言うレベルで観られるディースの過去を順番に振り返るが、いつまでたってもイチコが望むものは見つからない。


 本当にただの子供だ。運動能力、学習能力、何をとっても特別だとは言い難い。


 このゲームにおける能力を裏付けるものは属性だ。


 属性とは火・土・風・星・水・黒の六つがあり、レベルアップ時にそれぞれ対応したステータスに補正が掛かる仕組みになっている。


 火なら物理攻撃力。


 地なら物理防御力。


 風なら素早さ。


 星なら魔法攻撃力と魔法防御力。


 水は、それら全てに薄く広く補正。変わり種として黒属性が状態異常付与率と状態異常耐性に特殊な補正が入るが、これはステータスには表示されないといった具合だ。


 後は補正という点で言えば、スキルを使う者とスキルを掛けられる者の属性が一致した時に、補助技の効果に上乗せが入ったりするので、それがより一層ディースの強さを引き出していた。


 属性は他のゲームと違って相性を示すものではなく、特に弱点が増えるわけでもなかったので、星属性以外を網羅していたディースは単純にそれだけ強かった。


 ともかく、そんな属性の特性上、子供の内は特徴が出づらいのは分かるのだが、それにしたって普通に過ぎる。何より、ディースの能力に突出したものが無くとも、周りにいる人間には自分の将来を考えた時の保身的反応が見られるはずだった。


 それが何もない。ゴマを擦ってくるどころか、むしろディースを遠巻きにしている様子すら窺える。


 中には見下すような視線を送ってくる使用人すらいる始末だ。思いもしなかった境遇に、イチコに再び焦燥感が生まれてくる。


 そして一歳の頃の記憶に到達した時、これらの理由を突きつけられた。


 『リベレーターズ・ストーリー』の世界では、子供が一歳になった時、属性持ちかどうかを調べるために教会において『属性鑑定の儀』というものが行われる。


 それなりの費用が掛かるため、貴族や、平民層でも裕福な家庭に生まれた赤子しか受けられないものだが、ディースはこの儀式において属性無しの判定を下されていた。


「……嘘だろ。何かの間違いだよね? ディースだぞ? 世界でただ一人の五属性持ちとして、神の子の異名すら持っていた、あのディース・ドゥアルテだぞ!?」


 質の悪い冗談だ。


 言わずもがな、ディースの圧倒的な強さを支えていたのは属性の多さだ。特別な血を受け継ぐ者しか取得可能性のない、星属性以外の全てを持っていたから、ディースは人並み外れた存在でいられた。


 しかしそれは逆に言えば、属性を持っていなければディースと言えど一般人と変わりないと言うこと。普通に考えればボスとしてのベース値、元々の高いステータスを持っているはずだが、そんな気配すらない。


「…………」


 イチコは頭が真っ白になる。


 前提条件の崩壊。一瞬にして、全ての計画が泡と消えた。


 属性を持っていないディースに価値なんか無い。弱いディースではアルスたちの前に立ち塞がれない。


 アルスたちと敵対関係になければ敵側から誘いを受けることもないし、そうなれば魔神と会う機会だって無くなる。


 帰れない。


 そんな言葉が、イチコに重くのしかかった。


 カチカチと音がする。恐怖にイチコの口が小刻みに震え、音を打ち鳴らしていた。


「やだ……嫌だ! わけの分からないことに巻き込まれたまま、こんなところで死ぬっていうのか!? そんなの嫌だ!!」


 属性が無ければないで、努力すれば主人公たちを上回れる希望が残されているならまだいい。


 しかし、一三年という期限が決められている状況において、属性無しのハンデはあまりにも大きかった。


 『リベレーターズ・ストーリー』には属性を一つでも持っていれば特別視されるという設定があったが、それは伊達ではない。特別な目で見られるに足る充分な理由があるのだ。


 数値にして、一・四倍。それがステータスに係る属性補正値だ。そこに水属性も所持していた場合、ここに一・一五倍がする。


 最終的なステータスはレベルアップ時の上昇パラメータや自由に割り振れるカスタムポイント、ベース値など、様々な要素や計算によって決定するが、何にしろ、補正無しの数字と比べた場合、絶望的な差になるのは言うまでもない。


 寄り道をせずに、真っ直ぐラスボスまで突き進んだイチコのセーブデータで、主人公アルスのレベルが五四。おそらく推奨レベルを若干下回っていると思われるので、この世界でアルスたちと戦う時には、レベル六十程度と考えた方がいいだろう。


 仮にディースのレベルを成長限界の百にしたところで、向こうのステータスに追いつけるかどうかは微妙なところだ。


 アルスはゲーム性を考慮してか、最初に火・土・風・水の中から三つを好きに選択できたが、もし火と水を取られていたら、ほぼ間違いなく攻撃力は劣る。そして攻撃力が劣ると言うことは、最後のイベントシーンで鍔迫り合いにならず、アルスの覚醒イベントが起こらない可能性が高いと言うことだ。


 その時点で世界の滅亡は確定。帰るために魔神が関係なかったとしても、とりあえず生き延びて他の方法を探すという手も無くなる。


「…………」


 文字通り、死ぬほど頑張っても、それがただの徒労に終わった時の絶望感はどれほどだろうか。


 リアルになった世界でレベルを百にするのと、ゲームの中でレベルを百にするのとでは訳が違う。


 体調がある。情報が要る。武器、防具、食料、その他諸々の入念な準備。


 モンスターを探すのに時間がかかる。戦えば一戦毎に精神は擦り減る。怪我をしたら休むことだってあるだろう。必要な休息なのに、その間タイムリミットが心を圧迫し続ける。心も身体も、死と隣り合わせの毎日を過ごせるだろうか。


 レベルアップに定番の低HP、高経験値のモンスター。物語の序盤に雑魚敵を倒しまくってレベルカンスト。『リベレーターズ・ストーリー』に、そんなものはない。レベルを上げたければ、常に自分を殺せる相手と戦い続ける必要がある。


 そんな日々を繰り返して、ようやく至れるレベル百。けれど、それが報われるかどうかは運次第。


 運命の女神がディースに微笑んで、ようやくステータスになれる。

 

 アルスと一騎打ちするのはあの一幕だけ。それ以外は、通常のパーティー戦闘だ。


「殺しに来てる……この世界が、僕を殺しに来てるッ」


 逃げても死。立ち向かっても死。


 待ち受ける先の無い未来に、イチコは恐慌状態に陥る。


 碌な考えも浮かばない頭が、或いは死ねば元の世界に帰れるんじゃないか、などと提案してくるが、じゃあ死ねるかと言えばそんなわけもない。


 絶望感に打ちひしがれるイチコに、走馬灯のように思い出が流れる。


 両親、妹との幸せだった日々。そして、かつて今と同じような気持ちだったイチコを、一番傍で支え、立ち直らせてくれた声だけの姿なき存在。


 藁にも縋る想いだった。イチコの口から、その名が紡がれる。


「助けてよ…………エトナ」


 孤独の闇に泣きそうな声が溶けていく。


 パートナーの名前を最後に、悲愴感に埋め尽くされる寸前。イチコの救いを求める声は、彼女に届いた。


『ユニークスキル<エトナ>を強制発動します。なお、不完全な発動のため効果時間が減少します』


「え…………?」


 安心感すら齎す聞き慣れた声に、思わず顔を上げるイチコ。耳ではなく、直接頭に響いてくるような声が話しかけてくる。


『……ようやく名前を呼んでくれましたね。イチコ、聞こえていますか?』


「エトナ!?」


 それは、もう二度と聞けないと思っていた声。溢れ出した感情は、一筋の涙となって頬を濡らした。

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