第4話 少し先の未来 四

 自分のパートナーAIとこんな明け透けな言葉遣いを交わすニコは、他の人たちが見たら大半は驚くものだがネノヒ家ではもはや慣れたもの。


 イチコと同じようにニコニコしていた母だが、アクリの『地上に落ちる』と言う言葉を聞いて表情を曇らせる。


「冷静になって考えてみると、私たちが事故を起こしていたとしてもおかしくなかったのよねぇ。万が一、地上に落ちたらどんな目に遭っちゃうのかしら。想像もつかないわ」


「そうだな、決して他人事じゃない。そんなことにならないためにも、原因が分かるまで飛行車に乗るのはやめておこう」


 不安がる母を安心させるために肩に手を回す父。


 ネノヒ家はその立地上、周囲に天空都市形成に必須の反重力物質『ジーシス』がまだ敷設されていない所があった。安全と言えるほどに距離は空いているし、普段はそちらの方面に行くことはないが、予期せぬトラブルで運転中に制御不能にでもなればそこから落ちてしまう恐れもゼロではない。


 最悪の場合でも安全機構によって地面や海面に激突して死ぬということはないだろう。しかしだからと言って、それで身の安全が保障されたと言う話にはならないのだが。


 それこそがイチコの母がどんな目に遭うか分からないといった理由であり、イチコが地上に関することから遠ざけられている理由。


 地上は、犯罪者たちを収容する天然の監獄だった。


 かつて全ての人々がまだ地上に住んでいた頃。人類は、時代の経過と共に進む環境破壊を止められず、当時示唆されていながらも実現性は低いとして無視され続けていた、とある最悪のシナリオを引き起こした。


 このままでは地上で生きていくのが困難になるのも時間の問題だと、追い詰められた人類が活路を見出したのは上空。数々のいざこざを起こしながらも、国の垣根を越えて世界に七つの巨大な塔が建設されるに至った。


 それがバベルだ。天を衝くと見紛うほどに高い守護の象徴に人々は挙って逃げ込み、新しい時代の生活基盤が形成されていった。


 そこから更に時が経つと、天才たちによって開発されたジーシスによって、閉塞感が否めなかったバベルでの生活から逃れるように天空都市が造られていくことになるのだが、イチコを悩ませている問題の発端は、このバベルに人々が逃げ込むタイミングに起因する。


 いくら巨大な塔だと言っても当時はまだ未完成であり、尚且つ世界に七つしかないものに世界の全人口が収容できるはずもない。我が身可愛さに抜け駆けする国も出てくる中、真っ先に犠牲となったのは自由を拘束されている収監中の犯罪者たちだった。


 理性をかなぐり捨てた生存本能の前に、人類平等と言う甘い言葉は、砂上の楼閣が如く。


 粗方の一般人たちの避難が完了すると、犯罪者たちの動向や地上の様子を監視するためのセキュリティーロボットを残して、バベルの門扉は硬く閉じられた。そして現代になってもその扉は開かれておらず、彼らの子孫は今も厳しい環境下で生きている。


 そのような時代背景があるので、地上に対して『好意的な』興味・関心を抱いているイチコは、エトナから再三注意を受ける羽目になっているのだ。


 実際、地上を「下界」と呼び蔑む、地上に対して否定的な感情を抱いている人々は、いくら地上を眺めていたってパートナーAIから警告を受けることはない。今日も今日とて、同じ想いを抱いている者同士で、地上の資源回収をまたゴミ共に邪魔されたと言うニュースでも肴にして悪し様に罵っていることだろう。長年続く対立構造を考えれば、彼らの反応こそ正常なのかもしれない。


(でも、綺麗なものは綺麗なんだよ。そう思っちゃうんだから仕方ないじゃないか……)


 イチコは内心で溜息を吐く。


 きっと、各バベルの中央管理局上層部では、イチコのような考え方の人間が増えるのは歓迎できないのだ。


 地上に対して好意的な印象を抱いてしまえば、ゆくゆくは、地上に残されている人々をバベルに迎え入れても良いのではないかと言う話になりかねない。だが、そんなことをしてしまえば様々な問題が発生することは火を見るよりも明らかだ。


 それを防ぐために偏ったニュース報道や、罪を犯した者をバベルの最下層送りにしたり、その重さによっては地上に放逐するなどして印象操作を頑張っているのだろう。


 バベルに住む人々は皆、ワーカーになるために教育的潜在能力開放プログラムを受けた身であり、過去の時代の人々よりも高い能力を有していると言われているが、これらの影響を受けている感じは否めない。自分たちの生活が脅かされる危険性があるともなれば、反抗心を抱く理由もないので流されるままだ。


 イチコだって別にそれが悪いことだと言うつもりはない。イチコは聖人じゃない。見ず知らずの他人よりも、自分や家族たちの幸せの方がずっと大事だ。


 ただ、他者の意見に流されて、いつの間にか美しいものを美しいと思えなくなったり、意味もなく他人をゴミだのカスだのクズだのと、汚い言葉で呼びたくはない。犯罪者だったのは彼らの祖先であって、彼らではないのだから。


 ともかく、自分ではそれとこれとを分けて考えられているつもりなので興味指数の是正をお願いしたいところだが、あまり行き過ぎた行動をして周囲に目をつけられるのも困る。


 地上に興味を抱いているイチコは、一般的な感性をしている人たちから見れば犯罪者予備軍だ。家族に迷惑をかけないために、イチコは我慢し続ける。


(そういえば、『リベレーターズ・ストーリー』も時代が違うとは言え地上を舞台にした物語だったな。今じゃ考えられないよ。売り上げが見込めないからか、はたまた制約があるのか、そういう舞台設定にしてるゲームって無いからね。昔のゲームならではだ)


 イチコが最近エトナから警告を受ける回数が増えているのは、もしかすると無意識の内にゲームから影響受けているからかもしれない。そう考えれば、中央管理局上層部のやり口が如何に効果的なのか分かると言うものだ。


 思考が脱線するイチコが一人で変な感心をしていると、ヒソヒソ話が聞こえてくる。


「ちょっとアクリ、あんたのせいで暗くなっちゃったじゃん。責任とって一発芸で皆を盛り上げてよ」


「メイドの失敗は主人の責任では?」


「コイツ!? よくもまぁいけシャーシャーと……。さっきまでニコのことを何と言っていたか、忘れたとは言わせないよ!」


「私はエトナよりも性能が劣るので覚えておりません」


「自分で性能に差は無いって言ったやろがい! このポンコツぅ、後で躾し直してやるからな!」


 小さめの会話とは言え、一室に集まっていては普通に聞こえる。家族の視線が自分に集まっていることに気づいたニコは、誤魔化し笑いを浮かべると立ち上がった。


「んんっ、仕方ないなぁ。不安がってる皆を勇気づけるべく、お兄でも分からなかった今回のミステリーを、この名探偵ニコが解き明かして見せましょうぞ!」


 腰に手を当てて胸を張るニコに「おぉー」という声と拍手が送られる。ネノヒ家は今日も平和だった。


 頑張って推理するらしいニコを後押しするため、イチコはリアクターから謎明かしにピッタリな音楽を流す。


「エトナ、お願い」


「はい」


 短いやりとりで思っていた通りの演奏が始まる。阿吽の呼吸を見せる二人をニコが呆れたように見ていた。


「いつもの事だけどさ、ホントどうなってんの、ソレ? まぁいいけど、お兄だし。……では、気を取り直して。今回の一件! 飛行車事故のインパクトが大きすぎてあまり話題になっておりませんが、実は宅配ドローンなどの故障や配達違いなんかも増加傾向にあるのです!」


「へぇ」


 初耳だった。イチコは視線を両親に移すと頷かれる。


 どうやら知らなかったのはイチコだけのようだ。ゲームを取り寄せてから宅配サービスを利用していなかったので、そのせいかもしれない。


 イチコの反応を見て興が乗ったのか、ニコの演技に力が入りだす。肘を組み、顎に手を当てながらウロウロと歩き出した。


「飛行車。そして宅配ドローン。これらが機能停止すれば、物流や経済に大打撃を与えるのは必至です。……果たして今回の異常事態は偶然なのでしょうか? まるで人々の生活を混乱に陥れるために意図的に引き起こされた。そのように感じませんか?」


「妄想乙」


「やかましい。……もし今回の一連の騒動が悪意を持って引き起こされたものならば。ニコにはそれを可能とするだけの人物に心当たりがあるのです。万全のセキュリティーが敷かれているAIの領域に侵入でき、時にはワーカーたちの能力すら超えることがあると言うその人物は、ズバリ……」


 ニコはそこまで言って溜めを作ると、ビシッとポーズを決めた。


「『異端の天才』です!」


「……異端の天才?」


 聞いたことのない単語に頭に疑問符が浮かぶイチコ。しかし要領を得なかったのはこれまたイチコだけで、両親は劇的な反応を見せた。


「ハッハッハ! 懐かしいな、異端の天才か。俺がまだ学生だった頃によく聞いたもんだ!」


「確か、義務教育課程が終わった後に才能が開花したはいいけれど、それを悪い方向に使う人のことだったかしら? そんなことも知ってるなんて、ニコちゃんは物知りねぇ」


「えっへん!」


(あぁ、要するにゴシップの類ね)


 ワーカーの能力すら上回ると言うものだから、結構真剣に耳を傾けていたイチコは肩の力を抜いた。そして母の簡単な説明を聞いて、そのゴシップが生まれた理由に理解を示す。同じ立場になったと仮定した時の悔しさが分かるだけに尚更だった。


 ワーカーになるために通う必要がある高校や大学は、これまでたったの一度たりとも途中入学を認めていない。たとえ、ある日突然能力に目覚めた者がいたとしてもそれは同様だろう。それぐらいなら実際にありそうなのに前例が無いのだから、明確な決まりがあるはずだ。


 能力があるのに認められない。そのやるせない気持ちや自分の力を誇示したい欲求が向かう先は、自ずとワーカーたちが手掛けたものになる。その代表例が人類の知の結晶、AI領域というわけだ。


(よくもまぁそんなネタまで拾ってくるよ。でも、それができるなら確かに『異端』で『天才』だ。可能性としては……無くもない、のかな?)


 実際に異端の天才がいたとしたら大変なことなのだが、イチコは自分でその可能性を考えておきながらあまり真剣味はなかった。


 AI領域への干渉は殺人罪を上回る大罪だ。死刑が認められている唯一の罪であり、それだけの能力を持っている危険人物は世界中が血眼になって探し出す。


 個人が逃げ切るのは不可能であり、一時の欲のために命を投げ出す者がいるだろうかと思えば、頭を傾げざるを得なかったからだ。


 しかし、火のない所に煙は立たぬとも言う。イチコは今回の件に繋がる何かがあるんじゃないかと思い、一応尋ねた。


「父さんが学生だった頃って、大体三十年ぐらい前だよね。その時実際に何か問題でも起きたの?」


「ん? あぁ、確かにあったな。あの時も今みたいに、AI関係の一部が調子狂っちまったんだよ。だがこれは原因もはっきりしてる。事前にマザーAIの大規模アップデートが行われるって言う告知がされてたからな。それが思っていたよりも長引いたもんで、色々憶測が飛び交ったんだ」


「しかも、事前って言っても知らされたのは当日だったんでしょ? だからリアクター持ってない学生中心に周知が遅れて噂が広まったって書いてあったよ」


「おっと、そうだったか? ……あぁそうだ、告知自体が配信遅れしてたんだった。そんなわけで、余計に話が盛り上がっちまったわけだな」


「パパよりも詳しいなんて、ニコちゃんは凄いわねぇ」


「えっへん!!」


「ふっ。チョロ」


「あん?」


(成る程ね……)


 再び始まったニコとアクリのバトルを尻目に、イチコは思う。結局真相は闇の中だな、と。


 AIありきの生活が確立している現代において、たとえ三十年前の話だとしても、マザーAIのアップデートをするから、システムに異常が発生するかもしれないなんて話が果たしてあるだろうか。


 AIの異常は時に人命を左右する。


 医療現場や交通機関。万が一があってはならない場所はいくらでもあるのだ。ワーカーたちの威信に賭けて、アップデートは滞りなく行われるはず。それなのに、実際は問題を起こしてしまったどころか、告知が遅れた中での強行作業だ。どう考えてもおかしかった。


(時間が経って色褪せたかな。たぶん、当時の混乱はそんなもんじゃなかったはずだよねぇ)


 所詮どれだけ疑ったところで、イチコに真相を知る術はない。やはり今回も、過去に倣って騒動が収まるまで大人しくしているしかないのだろう。


(犯罪に繋がることや機密情報系はエトナに聞いても教えてくれないしなあ。他の人たちも自分のパートナーAIに聞いて分からなかったからこそ、ゴシップが生まれたわけで。やっぱり中央管理局からの情報を待つしかないか)


 答えの望めないものを無理に調べようとして、エトナに見限られでもしたら普通にヘコんでしまう。長年の会話のキャッチボールが、今のイチコとエトナの息の合った連携を生み出しているのだ。


 人間に例えるところの信頼を失わないためにも、イチコは気遣いを忘れない。

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