おにぎりは美味しいな。

増田朋美

おにぎりは美味しいな。

その日は桜が満開宣言したとかで、学校の桜とか、いろんなところで咲いている桜が、美しい桜色の花を咲かせていた。ピンク色と言ってもいいのだろうが、それでは言い表せないものがある。いくら時代が進んだと言っても、やっぱり桜色は桜色なのだろう。だからこそ、桜は美しいのだ。そして、人間のすることは、まるで関係ないみたいに桜の花は美しく咲くものである。

その日も、製鉄所と呼ばれている、部屋を居場所のない人に貸す福祉施設の中では。

「もう!いい加減にしてくれよ。ご飯くらいちゃんと食べてくれ!なんで食べてくれないかな。このままだと、本当に体力なくなって、だめになってしまうぞ!」

と、杉ちゃんがまだまだおかゆがたくさんはいっている器を見てそういうのだった。改めてお匙でおかゆを取って、水穂さんの口元に近づけたが、水穂さんは、顔をそむけてしまった。

「だからあ、食べるんだよ。人間、食べることが何よりも大事なんだ。いくら、疲れているとか、体力が無いとか、そういうこと言っても、頑張って食べるようにするんだ。」

「すみません。食べる気がしなくて。」

水穂さんは、掛ふとんで顔を隠してしまうのだった。

「だからあ、食べる気がしないじゃないんだよ。あのなあ、人間の動力はガソリンでもないし、灯油でも無いんだよ。そうじゃなくて、人間は食べ物で栄養を取って、動けるようになるもんだ。それを守ろうとしないから、そうやって動けなくなっちまうじゃないか。無理してでも食べないと、本当にお前さんはだめになっちまうぜ。」

さすがの杉ちゃんでもヤケクソである。それと同時に、庭の掃除をしていた、今西由紀子が四畳半にやってきた。由紀子は、杉ちゃんが持っていたお匙をむしり取って、水穂さんの口元に持っていき、

「お願い!食べて!」

といって、お匙を無理やり突っ込んだが、水穂さんは、それを受け付けることはなく、咳き込んで吐き出してしまうのだった。由紀子は、すぐに水穂さんの背中をなでてやった。

「あーあ、今度もまただめかあ。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、返事の代わりに帰ってくるものは咳で、ごめんなさいでもないし、すみませんでもなかった。もうどうしたらいいのかなと杉ちゃんも由紀子も困った顔をした。

「本当に食べる気がしないというその一言だけで済む問題だろうか?」

杉ちゃんがそう言うと、由紀子もそうねとだけ言った。それ以外に何もわからなかった。医者に見せようと思っても、どうせ、銘仙の着物を着ているような人は来ないでくれとか、そういうことを言われて、追い出されるのが落ちであることは、杉ちゃんも由紀子もよく知っている。

「これから、どうすればいいんだろ。誰かに相談しようと言っても、相談に乗ってくれる人もいないし。ましてや、水穂さんのような人では、相手にしてくれないだろう。僕らは、水穂さんにご飯くれるたんびに、こういう思いをしなければならなくなるんだ。あーあ、介護というのは、そういうもんだとしなければ行けないというけどさ、それにしても、疲れるな。」

杉ちゃんが腕組みをして、そう言っている間に、出るものの本体がぐわっと姿を現した。由紀子が、それを手ぬぐいで拭き取ってやるが、こういうシーンに慣れていない人では、きっとびっくりするに違いないと思われた。

「いい加減にしろと言っても、意味がないんだよな。なんか食べさせたいけど、度々こうされるんじゃ疲れちゃうよ。あーあ、僕も疲れたな。誰か、ぐちを聞いてくれる人でもいないかな。」

杉ちゃんは、まだ咳をしている水穂さんを眺めながらそういうことを言った。

「それも、水穂さん本人のぐちではなくて、僕らのぐちだ。どっかの外国では、介護者のぐちを聞いてくれる相談所を開設している人もいるそうだが、日本には無いんだよなあ。」

杉ちゃんがそう言うと、水穂さんは咳き込みながら、

「ごめんなさい。」

と小さい声で言った。由紀子が水穂さんに咳止めの薬の入った水のみを渡すと、水穂さんはそれを受け取って、中身を飲み込んだ。

「薬だけは、忘れずにちゃんと飲むんだな。ごめんなさいじゃないよ。そんな事言ってるんだったら、それよりも、ご飯を食べるということを、ちゃんとやってくれ。誰にも相談できないってのは、辛いものがあるね。」

「そうね。」

由紀子も、杉ちゃんの言うことに同調して、そういうのだった。

「もし、可能であれば、誰かに相談したいけどさ、誰もいないよなあ。別に答えなんてなくたっていいよ。それより、誰か僕達の話を聞いてくれてさ。それで、お辛いですねえとでも言ってくれる存在がほしい。」

いつも強気なはずの杉ちゃんがそういうことを言うのだから、水穂さんがご飯を食べないという問題は重大なことであった。医者に見せても、何処か異常が進行したとか、そういうことがない限り、現状維持としか言われないだろうし、医者は患者さんのことを見る存在であって、介護者の事は見てくれない。

「本当に、僕らはどうしたらいいのやら。なんか介護って、底なしの溝みたいだね。あーあ、たまには、ガス抜きもしたいねえ。じゃないと、頭がパンクするよ。」

「本当ね。あたしも、水穂さんがご飯を食べてくれないのは辛いわ。」

杉ちゃんの話に、由紀子も同じように言った。それと同時に、由紀子の頭にあることを思いついた。

「もしあれなら、涼さんに聞いてもらいましょうか。あの人なら、お話、聞いてくれることだってできるわ。」

「でもねえ、涼さんは、目が悪いからねえ。」

杉ちゃんは由紀子にそう言ったが、

「もしかしたら、あたしたちの話を聞いてくれるのは涼さんだけかもしれないわ。そういう人であるから、やってくれることだってきっとあるわよ。あたし、電話してみる。もし、お話中であっても、ああいう人は、留守番電話に残すとか、そういう機能を持ってるはずよ。」

と、由紀子は自分のスマートフォンを取り出して、古川涼さんの番号をダイヤルした。ちなみに、普通の人であればメールをするとか、LINEをするなどの連絡手段があるが、涼さんは目が見えないので、電話しか使えるものがなかった。由紀子は、この時間帯だし、涼さんはカウンセリングとか、マッサージをしている真っ最中で、電話も繋がらないかなと思ったが、意外にも電話は繋がった。

「はいもしもし、古川です。」

「涼さんですか?あの私、今西由紀子です。今忙しいですか?」

由紀子がそうきくと、涼さんは今日は大丈夫ですよ、と言ってくれた。

「どうしても、相談したいというか、単なるぐちをこぼすだけなのかもしれませんが、聞いてほしいことがあるんです。水穂さんのことです。どうしてもご飯を食べてくれないんです。もうどうしたらいいかと思って。確かに、他人を誰も変えることはできないといいますけど、水穂さんこのまま食べない状態が続いてしまうと、あたしたちも、困った事になります。それでは困るから、水穂さんにご飯を食べてもらいたいと思うんですが、何度食べさせても食べる気がしないってそういうことを繰り返すばかりで。」

由紀子は、周りの人の顔など見ることもなく、文字通りガス抜きのつもりで涼さんに言った。

「わかりました、そういうときは、声だけではなくて、顔も見たほうがいいですよね。僕は、目が見えませんが、そういうことの効果は、口調を聞けばわかります。僕のところに来たときは、すごく沈んでいる顔をしているんだろうなと思った人が、お話をして、帰り際にはすごく明るいくちょいになった、という例はいくらでもありますよ。幸い今日は、特に予約も入っていませんので、今から伺ってもよろしいですか?」

涼さんは思ったことをなんでも口にするタイプだ。それはいいことでもあるのだが、逆に困ることを触発することにもなる。由紀子は、電話で話を聞いてもらうだけでも十分だと思ったのだが、涼さんがこちらに来ると言うことになって、また別の意味で困ってしまうなと思った。

「でも、涼さん、一人で移動できないでしょ。それなのに、わざわざ富士まで来ていただけるなんて。」

とりあえずそういうことを言うと、

「はい。そうかも知れませんが、電話のようなメディアに頼らないでちゃんと、話をすることも立派なセラピーですよ。移動のことは心配ありません。今から、車でそちらへ向かいますから、しばらくお待ち下さい。」

と、涼さんは言った。ということは、運転手でも雇ったのだろうか?それとも、ハイヤーでも借りてくるつもりなのだろうか?

「涼さん、電車ですよね?」

由紀子は思わず言ってみると、

「いえ、今日は車です。この春から、カウンセリングというか、療術師の資格を取る勉強をするために、こちらに来ている女性がいますので、彼女に運転してもらえます。心配は要りません。」

と涼さんは、即答した。つまり、弟子を取ったということだ。まあ確かに、このご時世だし、涼さんのような仕事をしたくなる人も居ることだろう。女性であればなおさらだ。

「今日は、遅くなってしまうから、一日先とか。」

由紀子がそう言うと、杉ちゃんが、善は急げで早く来てもらえといった。由紀子は杉ちゃんの言葉を聞いて、

「静岡からここまでですと、一時間くらいですよね。お待ちしていますので、よろしくおねがいします。」

と言った。

「わかりました。じゃあ、今から向かいますから、少しお待ち下さい。」

と、涼さんはそう言って電話を切った。由紀子が、電話アプリを閉じて、スマートフォンを鞄にしまうと、水穂さんは、薬が回ってしまったらしく、静かに眠っていた。とりあえず、由紀子は、水穂さんが吐いたものを雑巾で丁寧に拭いた。どうせ、また畳を張り替えなければならない。こんなに頻繁に畳を張り替えていたら、たしかに畳屋さんだって商売になるのだろうけど、畳の張替え代がたまらないと由紀子は思った。畳をとりあえず拭いて、乱れてしまった水穂さんの布団を丁寧に整えて、枕元を少しきれいにしてとかやっていると、

「こんにちは。道路が空いていたので、40分でこさせていただきました。」

と玄関先で声がした。杉ちゃんが、あ、涼さんが来たと言った。由紀子は急いで玄関先へ行くと、白い杖を持った涼さんと、一人の中年の女性がたっていた。

「こんにちは、約束通り、こちらにこさせていただきました。ああ、この人は、ちょうど今手伝ってくれている、加藤清子さんです。」

涼さんが紹介すると、隣にいた女性が、とても丁寧に、

「はじめまして、加藤清子です。よろしくおねがいします。」

と、由紀子に挨拶した。

「はじめまして、私の名前は、今西由紀子です。こちらこそよろしくおねがいします。それではお入りください。段差はありませんので、そのままお入りできます。」

由紀子はそう言って、涼さんが靴を脱いで、製鉄所の建物内に入るのを手伝った。確かに製鉄所の玄関は上がり框がないので、誰でも簡単に入れるようになっていた。それと同時に、製鉄所に設置されている柱時計が、三回なった。涼さんはいつもどおりに、

「玄関の土間から時計まで9歩、、、。」

とつぶやきながら、製鉄所の中に入っていく。目的のものまで歩数を勘定するのは涼さんの癖であった。加藤清子さんと名乗った女性も、お邪魔いたしますと言って、部屋の中に入った。そして、白い杖で廊下を探っている涼さんの腕を掴んで、由紀子の案内についてきた。

「こんにちは。」

涼さんが四畳半にやってくると、水穂さんはまだ眠っていた。

「ああ、来てくれたかい。いつも悪いねえ。遠いところから来てくれてさあ。」

杉ちゃんは涼さんに挨拶して、

「この女性は?」

と、聞いて、加藤清子さんを顎で示した。

「加藤清子です。先月から、療術師の見習いで、古川先生の側について勉強させていただいています。今日は私が運転して、こちらにこさせてもらいました。」

清子さんは、そう自己紹介した。杉ちゃんは、彼女を見て、

「はあ、物好きな女が居るもんだ。早速だけどさあ。僕達の話し聞いてくれよ。もう水穂さんが、何日ご飯を食べていないのか思い出せないほど、ご飯を食べてくれないだよ。本人に言わせれば、食べる気がしないって言うんだけどさ。それだけじゃないような気がするんだよね。なんか知らないけど、食事がまずいのか、それとも飲み込みがうまくできないのか、その辺も何も話してくれないから、もう困っちゃう。」

と、でかい声で言った。

「無理やり食べさせれば、咳き込んではいちまって、こんなふうに畳を汚すから、畳の張替え代もたまんないよ。まあ、介護ってそういうもんだって偉いやつはそういうんだろうけど、僕らはあまりに素人なので、もう嫌になってしょうがない。人間の動力は、食べ物だけで、ガソリンでも灯油でも無いのにね。それも水穂さんわかってくれないのかなあ。」

「そうなんですか。杉ちゃんそれはお辛いですね。確かに、高齢者を介護する人も言っていました。なんかもう進歩する余裕もないから、毎日同じことをするこんな仕事はうんざりしてしまうって。杉ちゃんそれと似ているのかな?」

涼さんは杉ちゃんに言った。

「そうだよなあ。僕らは、商売でもなんでもなく、趣味でやってるようなもんだけどさあ。商売で介護してるやつは、単に商売のためとして、患者さんを道具としか見ないだろうね。患者さんは患者さんで、そういうふうに見られているのも、感じているかもしれないな。大変だよね。介護の仕事って。看護師とはまた別の意味できつい仕事だな。僕はとてもそういう事はできないよ。」

「そうですよねえ。僕も目が見えないので、そういう仕事はできませんよ。最近ではお年寄りが増えてきているし、介護の仕事が人が足りなくててんてこ舞いの施設が多いようです。もう少し、こういう仕事が、やりがいがあるようになってくれればいいんですけどね。ただ、最後を看取る仕事では、離職者が多すぎるくらい多いのも仕方ないことですよね。」

杉ちゃんの話に涼さんは専門家らしくそう答えた。

「だからさあ。もう困っちまってさ。もう、どうしたら、水穂さんご飯食べてくれるんだろ。介護施設なんかでも居るのかな、こういうご飯を何も食べてくれない患者さん。」

「そうですねえ。病院などでは食事を拒否する患者さんには、ご家族に来てもらって、食事をさせている病院もあるようですよ。中には、腹話術の先生を呼んで面白い芸事をしてもらって、患者をおだてるところもあるようです。そういう事をして、病気の方にご飯を食べてもらうように、仕向けている医療施設もあるとか。」

杉ちゃんがそう言うと、涼さんはそう答えた。そんなことができるのは病院だからできるんだろうなと由紀子は思った。まさか水穂さんの前で腹話術をやって笑わせようとしてくれる人が、現れるはずもない。そんな現実離れしたことを杉ちゃんと涼さんが話しても仕方ないと思うのであるが、

「由紀子さんも、一生懸命やってくれるんだけどさあ。彼女が仕事で来られない日は、僕がずっと、世話しているからな。僕も由紀子さんも、水穂さんがご飯を食べてくれないので、もうしょうがないよ。どうにもならないんだよ。」

杉ちゃんが自分のことを言ってくれたので、由紀子は何か意外だった。

「あの。」

不意に加藤清子さんが発言した。

「もし、できればで構わないのですが、なにか作りましょうか?私、仕事を辞めるまでは、学校で給食を作る仕事をしていましたので、それでもよろしければ、作って差し上げても構いませんよ。」

「ああ、無理無理。いろんな料理作って食わしても、一度も食べてくれた試しがない。」

杉ちゃんがそう言うと、

「いえ、他の人が作ったものであれば食べる可能性もあります。私は、そういう現場も見たことあります。それに私ができることは、食べさせることだけですが、それを人に教えたりしたこともありましたから、なにか作って差し上げますよ。」

と加藤清子さんは言った。

「そうか。ほんなら何か作ってもらうかな。」

と、杉ちゃんがそういったため、由紀子はすぐに彼女を隣の台所まで案内した。冷蔵庫を開けてみたが、食料は何も入っていなかった。由紀子はなにか買ってきましょうかといったが、そのような時間もないので、あるもので作りますと、加藤清子さんは言った。由紀子があるものを確認してみると、あるものは炊飯器に入っている、お米だけであった。これだけしか無いと由紀子がいいかけると、清子さんはそれでも良いと言った。そして、手際よく、炊飯器の中のご飯を三角形に握り始めた。

「すごい、お上手ですね。」

と由紀子が思わずいうほど加藤清子さんの手付きは素晴らしかった。のりもなかったので、単に塩をかけただけの白いおにぎりが出来上がった。清子さんは、それをお皿の上において、四畳半へ戻った。

「おにぎりができましたよ。どうぞ。」

清子さんが水穂さんの前に、おにぎりを置いた。水穂さんは、杉ちゃんに、こらおきろと言われて目を覚ましてくれて、目の前に立派なおにぎりが置かれているのを見て、すごく驚いたようだ。

「ほらこの人が、作ってくれたおにぎりだよ。しっかり食べろ。」

杉ちゃんに言われて、水穂さんはおにぎりを手に取った。そして、ほんの少しだけ口にしてくれた。その時は咳き込むこともないし、吐き出すこともしないでちゃんと食べてくれた。由紀子はそれを見て、直立したまま号泣してしまった。まるで、甲子園で勝利した高校生みたいに号泣してしまったのだった。

「何、お前さんは、涼さんの見習いになるまでは、学校の給食のおばさんだったの?」

杉ちゃんがそうきくと、

「ええ。強引に言えばそれしか資格がありません。ですが、辞めるまで複数の学校を渡り歩きましたので、お料理なら自信があるんです。」

と加藤清子さんは答えた。

「ありがとうございました。水穂さんがやっと食べてくれて嬉しいです。」

まだ涙の止まらない由紀子は、そういったのであるが、

「いいえ、良いんですよ。食べ物を通して幸せになってほしいから、私は、こういう仕事を始めたいと思ったんです。」

加藤清子さんは、にこやかに笑った。

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