第9話 父親は誰

「美羽が? どうした! 」

 裕星は慌てて立ち上がり美羽のベッドに駆け寄った。


「裕…くん?」

 美羽が目を覚まして裕星を真っ直ぐに見た。


「美羽! 目を覚ましたのか? あー、本当によかった! どうだ、どこか痛いとこがあるか? 気分はどうだ?」

 

「裕くん、ここはどこ? 結海ちゃんは大丈夫だったの? 」

 自分が大変な状態になっても尚、結海のことを心配している。


「ああ、大丈夫だよ! 美羽は事故に遭って病院に運ばれたんだよ。結海ちゃんなら、ほらここにいるよ! 」

 結海の肩を抱いて美羽の傍にやった。


「結海ちゃん……ごめんね、心配掛けて……。イタタ……あれ? 腕がこんなになってる……。私ってホントにそそっかしいね。私の不注意でこんなことになってしまって、本当にごめんね」と瞼をぎゅっとつぶって謝った。


「美羽さん、ううん、ママ! 私ね、ここに来たのは、ママに会いに来たかったからなの! 美羽さんが捜してくれていた私のお母さんは……美羽さんなんだよ!」


 美羽は驚いて目を大きく開いて結海を見た。

「でもね、私がここに来たせいで、ママをこんなことに遭わせちゃった。……私はいつもママに迷惑かけてばかりだ……」と涙を浮かべた。


 美羽はゆっくり瞬きをして結海を見ていたが、ゆっくり口を開いた。

「私が結海ちゃんのママだったんだ――。そうか……だから私のところに一生懸命頑張って来てくれたんだね……ありがとう」

 美羽の大きな瞳から涙がポロリポロリとこぼれた。


「うん。ママなんだよ! でも、もう少しで12時になっちゃう。

 美羽さんが目を覚ましたから安心して、私、未来のママに会いたくなっちゃった……やっぱり帰るね。

 でも、私が帰ったら、美羽さんも私もここでのことは全部忘れてしまうんだよね? 私に会ったことも、私の名前もだよ。だけど……やっぱり帰るね。

 きっと未来のママにも私の気持ちは伝わってるよね?――美羽さんと会ったことを忘れても、私また思い出すから、いいの――」


「そうよ、 結海ちゃん、私も忘れないわ。だけど、早く! 急がないと帰れなくなる――。裕くん、私のバッグの中に結海ちゃんが行く場所のメモがあるの! 結海ちゃんを元の時代に戻してあげて! お願いよ!」


 今までの経緯を聞いていた裕星は、結海のタイムスリップが現実なのかどうか理解できなくても、今は結海が自分を必要としていることを十分理解していた。


「行くぞ、結海ちゃん! おいで! 美羽、待ってろよ、必ず結海ちゃんを無事に送り届けてくるからね」


 美羽は小さく頷くと、名残惜しそうに何度も振り返る結海を温かい目で見つめつづけていた。


 裕星は車を運転しながら助手席の小さな天使を横目で見た。

 まだ10歳の天使が、美羽の子供だという。そして、美羽に、母親に会うためにここに来たのだと……。とても信じられない話だった。


 ――しかし母親が美羽なら……父親は誰なんだ? あの、仕事で忙しくして家族を顧みない冷徹な父親が俺であるはずがない――だとしたら……まさか――光太なのか?



 裕星はチラチラと結海の横顔を見ながら目的地を目指していても、頭の中では混乱する妄想が暴れていた。

 もし、100歩譲ってタイムスリップが本当だとしても、美羽が母親で、そして父親が光太だったら? 絶望感が一瞬頭をよぎった。


 俺なら家族をないがしろにすることは絶対にしないはずだ。

 こんな小さな可愛い子供と美羽を残して一人で海外に行ってしまうなんて……。それにこんなに美羽を愛しているのに、どうして未来の俺が美羽と子供を捨てるはずがあるだろうか――


 裕星は自分がするはずのない結海の父親の所業のことを考えていた。


 しかし、もし光太が父親だとしても、あいつが、あの優しさのかたまりのようなやつが美羽と子供にそんなふるまいをするのだろうか――



 頭の中がパニックを起こしていた。──結海に父親の名前を聞けばいいだけの話じゃないか……。

 しかし、裕星は怖かった。

 今の裕星には到底理解できない結海の父親が自分でも光太でも……。


「裕星さん! ほら、あそこに灯りが見える! あっ、あったよ! ほらお地蔵様の近くに灯りが点いてる!」

 結海に言われて前方に目を凝らすと、そこに美羽の言っていたお地蔵様の祠が見えてきた。


 町外れの田んぼの真ん中の一本道にまるで忘れ去られたかのように、ポツンとその祠はあった。


 裕星が近くに車を停めると、結海は自分でドアを開け、走って地蔵のところに行ってしまった。

 裕星も後から付いていくと、もうすでに結海は地蔵の前にひざまづいて手を合わせて祈っている。


「結海ちゃん、この地蔵様なの?」

「うん、このお地蔵様だった!」

 と裕星を見上げた。


「そうか……でも……お父さんには…会えなかったんだね――」

 裕星はチラリと結海を表情を確かめようとした。


「……」

 しかし結海は黙って祈っているだけだった。



 ──まあいいさ、結海ちゃんがもう気が済んだのなら。


 裕星が夜空を見上げると、星が無数に見えた。ここまで来ると街の灯りが少ないせいか、こんなにたくさんの星が夜空に散りばめられているのが分かる。


 ──スゴイ、綺麗だな。

 結海が祈っている傍で夜空を見上げながら裕星はつぶやいた。

 すると、一筋の光がサーッと流れた。


「あ、流れ星!」 

 裕星が叫んだとたん、結海が声を上げた。

「わっ!」

 結海を見ると、結海の身体の周りに霧が出始めどんどん真っ白な靄に包まれてきた。


「結海ちゃん! 大丈夫か!」

 裕星は手を伸ばして結海に触れようとした。


 すると結海も立ち上がって裕星に手を伸ばした。

「裕星さん、私帰れるんだね! あのね、私言えなかったの……あんなにパパの事悪く言っちゃったから、ずっと言いたかったのに言えなかったの――。パパは本当は全然悪い人じゃないの! 

 私のことをいつも愛してるって言ってくれてる。本当は私もパパのことが大好きなの! 

 パパはね、私が聞いたとき、ママのこといつも愛してるって言ってたよ! 

 どんなときもママも結海の事も愛してるって言ってた!

 だから私がここに来て、それをママに知らせたかったの!

 パパは外国に行っちゃって、ママは毎日淋しそうだったから……。


 裕星さん、私、帰るね。そしてパパともう一度話してみる! きっと分かってくれるよね? きっと三人でくらせるよね?

 ──あのね、本当のパパはとっても優しくて、私とママの事が大好きな…………さん、なの」




「結海ちゃん!」

 裕星は繋いでいた結海の手が溶けて消えていくような感触を覚えて叫んだ。


 そして、霧が晴れると同時に結海の姿も消えてしまったのだった。 

 裕星は呆然と立ち尽くしていた。スーッと裕星の目から涙がこぼれ落ちた。





 裕星は指で涙に触れると、「あれ? なんで俺泣いてるんだろ? それに、ここは一体どこなんだ」と周りをぐるりと見回した。


 何もない山奥の田んぼの真ん中にただ呆然と立っている自分に気がついた。

「俺、大丈夫かな? 酔ってるのかな? ――いや、酒なんか飲んでない。そうだ、美羽が!」


 裕星は急いで車に乗り込むと、また病院に向けて走らせたのだった。

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