第1話 アイドルの買い物事情

 5月に入り、春なのに少し蒸し暑い初夏のような日だった。綿雲わたぐもをあちこちにのんびりただよわせた清々しい青空が、まるで地上のゴチャゴチャしたミニチュアの人間たちを暇に任せて眺めているような穏やかな天気だ。



「暑いなぁ~、まだ5月なのにな。このままだと6月にはもう真夏になるんじゃないの? I want to go back home.あぁカリフォルニアが懐かしい」

 リョウタが恨めしそうにピーカン晴れの良い天気に悪態をついている。


「でも、夏になれば海に遊びに行ったりできるだろ? そういう裕星もそろそろサーフィンに行くのか?」

 光太はギターの調律をしながら斜め向こうの裕星に聞いた。


「――ああ、そうだな、去年よりは少し時間が取れるから、今年は早めに海に行こうかな――」

 裕星は今まさにキーボードで作曲しながらペンを走らせている最中で、光太の顔も見ずに答えた。


「みんな〜、 ごきげんよう~!」

 陸がドアをバタンと開けて入ってきた。


「お前、ごきげんようじゃないだろ!

 今何時だと思ってんだよ! もうお昼だぞ!」

 リョウタが珍しく声を荒げた。



「――へいへい」

 陸は全然こたえてないどころかふざけた返事だ。


「まあまあ、今日は練習初日だし、リハも無いからまだ大丈夫だよ。陸、今度からはちゃんと時間を守れよ! でないと、他のやつと代わってもらうぞ!」と光太が笑った。

 陸は年上の光太に言われて流石に神妙な顔で、はーい、と頭を下げた。


 裕星は横目で陸をチラリと見ただけで全く動じもしない。



「あ、そ~だ、今年も夏休みが取れたらさ、メンバー皆でまたどっか一緒に行こうよ!」陸がはしゃいでいる。


「――まだ先だろ? 夏休みって言ったって、俺らの夏はライブが終わる9月ごろだからな」光太が冷静にさとした。



「そうだ、裕星さん、今度はぜひ白浜の別荘に招待してよ!

 あそこは海も近いし見晴らしもよさそうだしさ、美羽さんも連れてって一緒に海で遊べるよね?」

 ウキウキしながら提案した陸だったが、裕星は全く反応していない。



「ね~、裕星さん、聞いてる?」

 陸が声を大きくした。


「うるさいな……俺の別荘には誰もれない。あそこはそんなとこじゃないから――」裕星が不機嫌そうな顔をした。


「じゃ、じゃあさ、あそこはどう?

 裕星さんのお母さんの別荘! あそこは山の中だけど車で行けば近くに海もあるし、避暑地だからきっと涼しいよね?」


「――他を探せ。あそこはあの人にいちいち許可を取らないといけないのが面倒だ」


「も~っ! 裕星さんのケチ!」


 陸がふくれていると、光太が「陸、お前何でもかんでも裕星の関係の場所に行こうとするからだよ。今年もし全員一緒なら、新しい所に行ってみないか? 海外でもいいし、日本の避暑地でも良いんじゃないか?」と提案した。


「あ~、ちょっといい?」

 リョウタが言葉を挟んだ。

「僕は集団行動は苦手だなぁ。みんなが行くなら仕方ないけどさ、夏休みは僕は一人がいいな――」


「も~、せっかく皆で行こうと思ったのに、リョウタはホントにマイペースだよな!」

 リョウタは陸に言われて笑ってごまかした。


 裕星は皆には黙っていたが実は美羽と二人で旅行を計画したいと思っていた。

 メンバーみんなで一緒に夏休みを過ごそうという流れになっているが、今年はご免こうむりたいと思っていたところだ。

 何度も美羽との旅行を計画しては計画倒れになっていた裕星だったが、今年は出逢って5年目、そろそろ美羽との将来のことを真剣に考えていた。


 美羽は相変わらず天使で無邪気だから、裕星の焦りなど一向に気にもせず、いつも明るい屈託のない笑顔で今の状況に満足しているようだ。


 どんなときも自分を信じてついてきてくれる美羽を大事にしたい……美羽の事を想うだけで、今は忙しくてなかなか逢えない現状だが、それでも裕星は満足していた。



 裕星はライブの練習の帰り、買い物客でごったがえしている街の中を運転しながら信号で止まってふと歩道を見た。デパートのショーウィンドウが目に留まった。

 特に代わり映えのないショーケースの中のマネキンが、夏の装いに変わっていて涼やかに見えた。


「あれ美羽に似合いそうだな――」

 裕星の頭の中では美羽がマネキンとなってそこに立っているかのように美羽に水色のワンピースが似合って見えた。


 ──買って行ってやろうかな。美羽ならあのマネキンより似合うだろうな……。

 サングラス越しに見ながら、ふふ、と口元が緩んでいると、通りを歩く女性と目が合ってしまい慌てて視線を外してアクセルを踏んだ。


 思い立ったまま交差点で左折し、デパートの駐車場に入れると、裕星はサングラスのまま颯爽さっそうと例のワンピースが売られている売り場へとまっすぐ向かって行った。

 結構な買い物客がウロウロしていたが、皆自分の服を探すのに夢中で、その近くに超有名人の海原裕星がいるなどと想像すらしていないのか、誰も裕星に気づくものはいない。

 裕星にとっては好都合だった。


 女性服のフロアに来ると、一刻も早く用を済ませたい裕星は、店員に例のショーウィンドウのワンピースのことを尋ねた。

 店員はすぐにストックルームから同じものを持ってきて、これですか? と裕星に広げて見せてくれた。


「ああ、いくらですか?」

 裕星がプラチナカードを出し、さっと品物を入れたショッピングバッグとレシートを受け取ってすばやく駐車場に戻ろうとしたとき、近くで声が聞えてきた。


「あれ? あの人、海原裕星じゃない?」

 ヒソヒソと話しているようだが、結構声のトーンが大きく、耳をそばだてずとも聞こえるほどだ。


 ──しまった、見つかったか。


 裕星が急いでエスカレーターに向かうと、後ろからぞろぞろと女性達が付いてくる。

 案の定、裕星の素顔を見ようとして走り寄って前に回りこもうとしてみたり、「裕星くん!」とワザと大きな声で名前を呼んでみたりする者もいた。


 ──これじゃ駐車場まで無事に辿りつけないな……。

 裕星はとっさに近くの業務用のドアからスタッフルームに駆け込んだ。


 驚いたのはデパートの店員たちだった。今までお茶をしながら休憩していた女性達が、ドアから入ってきた侵入者に驚きキャーと声を上げたが、それが裕星だと分かると、今度は違う意味でキャーと悲鳴を上げた。


 シーッと裕星が人差し指で自分の唇を触ると、店員たちは呆然としながらも、うんうんと頷いて状況を察してくれた。

 しばらくして入ってきた責任者らしき年配の女性が、裕星を見てキャッと声を出したが、「あ、あの、え? どうして? 海原さん、ですよね?」と両手で口を押さえながら聞いた。



「はい、そうです。すみません、今ちょっと他のお客さんに見つかっちゃって、少しの間かくまってもらえないですか?」


「ええ。あ、それなら、こちらにどうぞ、こちらからなら従業員用のエレベーターがありますので、そのまま地下駐車場に降りれるようになっていますよ」と丁寧に案内してくれた。


「すみません。ご迷惑掛けます」

 裕星も丁寧に周りの店員に挨拶すると、店員たちはハァ~とうっとりしながら裕星に向かって笑顔で手を振っている。

 責任者の女性は、これに懲りずまたいらしてください、とエレベーターまで案内してくれた。接客のプロ対応をしてくれたお蔭で、裕星は駐車場の自分の車まで無事に辿りつき、事なきを得たのだった。

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