前略、迷探偵が付き纏ってきます

「ん゙ん゙ーー…っ。はぁ、こっちの仕事は終わり。あとは…」


慶光院さんとのコラボを終えた翌日、確か慶光院さんは配信も会社での撮影も特にないので休日を謳歌しているだろうが、こちとら社会人である。土日まで休みはありゃしないのだ。暇さえあればタレントのために働け〜!


「暇さえあればタレントのために働け。という顔をしているね」


「ッ!?」


馬鹿な、いつの間に背後に…?!


「君も驚いた顔をするんだね。女性が苦手だと聞いていたのに結構落ち着いているからデマなんじゃないかと思ったよ」


いつの間にか背後にいた慶光院さんが声を抑えて笑う。


「……居たんだったら、声、かけてくださいよ…。てかいつからいたんですか…」


激しく脈打つ心臓を抑えるために努めて2度3度少し深く息を吸う。


「探偵たるものいつ尾行をすることになるかわからないからね。抜き足差し足忍び足、犬走狐走、深草兎歩、なんば走りは習得済みさ」


「忍者か何かですか?」


「忍者は諜報員だから、情報を集める点で探偵と似たようなものだろう?」


もし煌々院さんの新衣装予想大会があったら忍者装束を桐藤さんに描いてもらって応募しよう。


「…ひとまず、呼吸を落ち着けてくれ。酷い汗だ」


「…あ、ああ、すみません。最近暑くなってきましたからね…」


空調の効いた部屋で汗が冷える。


「それで、なんで慶光院さんがここに…?」


気を取り直して、普通ならこの場にいないはずの慶光院さんの目的を聞く。


「実はね、僕は探偵という仕事柄か、ありとあらゆる職業のことを知っておきたいと思ってるんだよ」


「確かに俺も取引先のことは念入りに調べたりしますね」


「それで、まぁ、探偵として恥ずかしいことなんだが、自分の一番身近な職業たる『マネージャー』については、調べてみたことがないんだ」


「ふむ?」


なんだか嫌な予感がしてきた。1度配信をコラボしただけだが、彼女の次の台詞が何となく分かる。


次の台詞はッ!『だから君の仕事ぶりを1日見させてもらおうと思ってね』だ!


「だから君の仕事ぶりを1日見させてもらおうと思って」


「…やっぱりか…」


正直俺からすると邪魔でしかないのだが。


「ああ、もちろん邪魔なんかは一切しないよ。ただ、どういった仕事を今やっているのかを教えてくれるとありがたいかな」


「一応他の人に見せられないような資料とかもあるんですけど」


「僕はちゃんと約束を守るさ。約束するよ、ここで見た資料や聞いた企画の話は誰にも話さない」


力強い口調で言い切った。


「…ここまで来ると図々しいというよりいっそ清々しいですね」


「君とは円滑な友人関係を築いていきたいと思っているからね。友人が嫌がることはしない。常識だろう?」


「……わかりました。今日は会議も特に何も入っていないので、気が済むまで好きに見てください」


「君ならそう言ってくれると思っていた」


そう言うと慶光院さんは椅子を取りにその場を離れた。


その間に俺は一応彼女のマネージャー担当の人に連絡を取る。


『仕事中すみません。慶光院さんが私の仕事が見たいとおっしゃっていまして、社外秘等の書類を見ないことを条件に承諾しました。事後報告となってしまい申し訳ありません。慶光院さんに緊急の用事があれば私の方を訪ねてくだされば隣りに座っていると思います』


「……怒られるか…?」


「さあ灯織くん。君の仕事振り、しかと見届けさせてもらうよ」


「…はぁ、分かりました」


普通の会社でやったらこれは大目玉じゃすまないだろう。だがまぁ、ここはホロウエコーだ。多分大丈夫。多分。


「で、最初の仕事は何をするんだい?」


「最初は、まぁ、書類諸々です。実は、3期生のお二人のPRのお誘いが何件か来ているんですよ」


左隣から時折飛んでくる質問に答えながら、俺はいつも通りを意識して仕事を続けた。



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意外にも慶光院さんは大人しく俺の仕事をただ見ているだけで、時間はあっという間に過ぎていった。


「ん゙ん゙ーーっ……灯織くん、そろそろお昼休みだが…いつ休憩にするんだい?」


「このメールを出し終えたら、ですかね。はい、午前の業務はこれで終わりです」


「せめてもの礼に、何か昼食をご馳走しようか」


なぜか上機嫌な慶光院さんがそう言う。


「いいんですか?だったら駅前に高級カツ丼屋が最近オープンしたんですけど」


「あ、あまり高いものはやめてくれ?せめて休憩室の食堂のメニューで……」


「冗談ですよ。俺は毎日弁当を作ってきてるので奢って貰う必要もありません」


「自炊するのかい?」


「ええ。慶光院さんは?」


「……かのシャーロック・ホームズも、私生活は研究漬けか麻薬漬けか壁に銃痕でエリザベス女王のイニシャルを描いていただろう?」


「できないんですね…」


まあ、完全な偏見だが、動画配信者という職業はあまり自炊ができるイメージがない。生活は不規則だし、特に慶光院さんら人気配信者は毎日宅配を頼んでも問題ない収入を得ているはずだし。


「少しは健康に気を使ってくださいね」


「善処するよ」


改善する気がないセリフで俺の心配を躱すと、「先に休憩室の席を取っている」と言って部屋を出て行ってしまった。


「はぁ…」


しかし、俺がただ書類とにらめっこしているだけの様子を見て満足できていたのだろうか?



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午後の業務が始まった。休憩室で俺の弁当箱を見た慶光院さんは、年甲斐もなく味見をさせてくれと騒ぎ立てて周りからの注目を買っていた。本当にやめてほしい。


「いやぁ……あのハンバーグは絶品だった。機会があればまた今度食べさせてくれ」


「そう言う機会があればですがね」


満足気に席につく慶光院さんに流し目を送り、俺はすぐに残りの仕事に取り掛かる。


「灯織くん。残りの仕事は?」


「あと3割と行ったところですかね」


「僕の記憶が正しければこの会社はフレックスタイム制を導入しているはずだ。後々君が残業することになることを受け入れてくれるなら、仕事が終わったあとに少しお茶でもしないかい?」


「……あー、ここ、フレックスタイム制でしたっけ」


「?知らなかったのかい?」


「…えぇ、基本的に定時に帰ってました」


「じゃあ結構時間に余裕がありそうだな。どうだい?」


「…まぁ、時間が余れば」


「君の仕事のペースならすぐに終わるだろう」


その後は、午前中と変わらずに度々仕事について質問をされながらも、順調に仕事は片付けられていき、16時には今日やる予定の仕事が全て片付いた。


「さ、お茶に行こうか」


「はい。お供します」


タイムカードを切って、俺は慶光院さんに連れられて1件のカフェに向かうことになった。



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「マスター。いつもの」


「はい、お連れの方は何にしますか?」


「ブレンドコーヒーで」


「かしこまりました」


2人用の席に腰を下ろす。慶光院さんが連れてきてくれたカフェはいわゆるモダンカフェというやつで、俺が3期生の二人とよく打ち合わせをしたりするカフェとは対照的だった。


「このカフェ、実は僕が1期生のオーディションを受けた場所でね。あの席で池谷社長と面接をしたんだ」


「そうだったんですね」


「さて、今日は1日、仕事風景を見せてくれてありがとう。煩わしかったろう?」


「いえ、そんなことは。ちゃんと仕事の合間を縫って質問をしてくれましたし、逆に刺激がなさすぎて飽きてしまわないか心配でしたよ」


「そんなことはないさ。君の丁寧な説明で、マネージャーというものを初めて深く理解できた気がしたよ」


コーヒーが運ばれてくる。慶光院さんは一口飲んで唇を湿らすと、言葉を続けた。


「実はね、灯織くん。僕が今日こうして君の隣に居座らせてもらったのは、職業を理解するためだけじゃないんだ。君というものをしっかりと理解するために、こんなことをした」


「俺を?」


「君の性格、癖、特に女性恐怖症という悪癖についてね」


俺はコーヒーに入れた角砂糖をかき混ぜる手を止める。


「先日、うい、葵、こはくが君の元を訪れ、間違い探しをさせたはずだ」


「…良く知ってますね」


「あぁ、洗いざらい全部話してもらったからね。その時、彼女たちはある違和感を覚えたらしい。仮説を立て、社長のもとに向かい詳しい事情を聞こうとした際、僕が居合わせた。そこで僕が答え合わせ、いや、更に現実的な仮説を組み立てた」


俺はコーヒーを一口飲み、彼女の言葉に耳を傾ける。


「僕の記憶の中で顔が認識できない、という症状が現れる相貌失認というものがあり、それを提唱した。しかし30秒後には社長にバッサリ切り捨てられたよ。相貌失認は外傷性脳損傷や脳腫瘍によって発生し、心因的な発症は起きないとね。それでも君は現に、彼女たちの顔の変化に気づくことが出来なかった。……僕はその謎を解くために、君に近づき、こうして話しているわけだ」


「…はい。それで、慶光院さんはどう考えてるんですか?」


「君は僕と話すときも、社員の誰かと話すときも、必ず相手の顔を見て話す。一見するとしっかりを顔を認識できているように振る舞っているが、僕が眉間にシワを寄せながら普段の口調で話しかけてみても、特に反応がなかった。だから、やっぱり君は相貌失認だ。今僕が、どんな表情を浮かべているかわからないだろう?」



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シリアス回はもう1話だけ。勢いで書いてるのでなんか変な所あったら教えてください

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