志を希う(水無瀬志希視点)

いつもなら、私はお弁当をむーちゃんといっしょに食べていただろう。


「あ…唐揚げだ、やった…」


「おー、美味しそうですね」


それなのに何故か今日は、マネージャーである灯織さんとご飯を食べることになってしまった。何故か昇降口の隅で。


トイレから帰ってきた灯織さんは、悪くなっていた顔色も元に戻って持参していたお弁当箱を取り出した。


学校の男の先生とかはコンビニ弁当でよく済ませてるって聞いたけど、灯織さんは結構家庭的な人なのかも知れない。


お弁当の中身はハンバーグ、卵焼き、きんぴらごぼう。ご飯にのりたまのふりかけがかかっていた。


「やっぱり野菜系がどうしても不足しちゃうんで、野菜ジュースは必須ですよね」


そう言って紙パックのジュースも取り出してランチタイムだ。


「あの……お仕事は?」


「学校との話し合いが長引いた場合を想定して特に仕事入れてませんよ」


「そうなんですね…」


ここ数週間で灯織さんに対して思ったことは、仕事ができる人という事だった。


いつもテキパキと話を進めるし、学生の私達にもわかりやすいように業界の仕組みを教えてくれたりする。


「……あの、もしかして俺のこと見てますか?」


「えっ?あ、ああ、すみません」


ただ、時折遠くを見るようにアンニュイな表情をする。その黒い双眸がすこし淀んだように見える。


「灯織さん…さっきは顔色が悪かったですけど、もう、大丈夫なんですか?」


今にも吐きそうになっていたし、パクパクとご飯を食べているが、本当に体調は悪くないのだろうか


「ん……ええ、もう大丈夫です。アレルギーみたいなものですよ」


「アレルギー…」


そう言って笑う灯織さんは少し弱々しかった。


「…もしかして、女の人が苦手だったり…?」


「…!驚いた。いや、そうでもないのかな。やっぱり分かっちゃいますか」


「ええ、まあ…」


私が曖昧に相槌を打つと、灯織さんはお弁当箱を地面に置いた。


「高校の頃、少々いじめを受けたことがあったので。それからああいう…ギャル系?の女の子は苦手です」


「そ、そうなんですね」


「あと地方の議員さんの娘系」


「そっちは特殊ですね……なかなかいませんよそんな子」


「え、ここってお嬢様学校って聞いたんですけど」


「私が通えてるんだからそれほど格式高いところじゃないですよ…?」


女子校を何だと思っているんだろうか、この人は。


「そういえば、今日は何の用事で?」


「少し校長先生と話し合いを。近く、あの子達と話し合いの場が設けられると思います」


「あ……そうですか。ありがとうございます。働きかけてくれて」


「いえ、その時俺はその場にはいません。あなたが自由に自分の意志を伝えてください」


「…はい!」


私のためにここまでしてくれたのだ。私もその行動に答えないと…!


「よく頑張りましたね」


「え?」


「いじめを受けている中で難しいのは、声を上げることだと思っています。もちろんその声の受け皿も必要ですが。俺の時は、声を上げられませんでした」


灯織さんは努めて優しく言葉を紡いだ。


「いじめを受け続けるとどうなるか、知ってますか?だんだんその非日常が日常になるんです」


灯織さんが自分の手を見つめる。


「殴られたこともありました。蹴られたこともありました。でもそれに対して何も感じなくなるんです。それで、ある時、壊れる」


手を握ると、顔を上げた。


「壊れてしまうとなかなか元には戻らない。だからね、貴女が助けを求めてきた時、俺はどんなことでもやってやろうと思ったんですよ。もう二度と、人が壊れるところは見たくないから」


「灯織さん…」


「もし話し合いに失敗したら、また俺に言ってください。俺にできる限りのことをしますから」


そう言って笑った灯織さんの表情を見ていると、胸の奥に勇気とあったかいものが流れ込んでくるのを感じた。


「…私、頑張ります!」


「そんなに気張らなくても大丈夫ですけどね」


「あれ、でも――」


「あ!見つけた!」


灯織さんの発言が気になって口を開こうとすると、いつの間にかむーちゃんが廊下から顔をのぞかせていた。


「火箱さん。こんにちは」


「こんにちは!ていうか、なんで灯織さんがここに?」


「いや、お恥ずかしいことなんですけど、水無瀬さんに渡す書類を今日まで忘れていまして…無理を言って学校に連絡して持ってきたんです。ちょうどお昼時でしたし、流れでこうしてご飯を食べてます」


「えーそうだったんですか!?教えてくれればよかったのに!」


「ご飯を食べたらすぐに退散しようと思ってたので…」


「むーちゃんはなんでこっちに?」


「図書館にもいなかったからどこに居るのか探してたんだよ〜!」


「そうだったんだ、ごめんね」


「二人共まだ食べてるの?私も一緒にいていい?」


「ええ、もちろん」


「わーい、じゃあ失礼しまーす」


そう言ってむーちゃんが灯織さんの隣に座る。


「二人で何の話してたんですか?」


「この学校って結構お嬢様学校だよなぁ、と」


「いやいや、そんな事ないですよ!あたしみたいなふつーの女の子も多いですよ?」


「むーちゃんはふつーの女の子だろうけど、お父さんがお金持ちだからお嬢様ではあるんじゃない?」


「お金よりも愛がほしいよ私は…トホホ…」


むーちゃんが大袈裟に凹む。むーちゃんのお父さんは海外での仕事が忙しいらしく、もともと一ヶ月に一回は帰って来る約束が、最近はめっきり顔を合わせることができていない。


「火箱さんのお父さん、今度はアメリカのスター俳優の邸宅を作ることになったらしいですね。ネットニュースで載ってましたよ」


「あー聞きたくない!愛をくれぬ父親など他人も同然!」


「そうですかね…?」


「あたしのことは置いておいて、じゃあ灯織さんのお父さんはどんな人だったんですか?」


「俺のですか…?えーっと、普通の会社員だったと思います」


「そうなんですね!お母さんは?」


「母は…昔銀行員をやってたと聞きました。・・・・・・あ」


灯織さんは急に私の方を見た。


「え?なんですか?」


「いや、ふと気づいたんですけど。俺の父の名前は人志ひとしで、母がのぞみなんですが……水無瀬さんの名前と同じだな、と」


「おおー!たしかに!すごい!」


「ほんとだ…すごい偶然ですね」


「志希っていい名前ですよね『志を希う』なんて、ご両親は夢を大切にする人なのが分かりますね」


「え?こいねがう?」


「希望の『き』に読み方の『う』で『こいねがう』です。強く願う、切に望むと言った意味合いがあります」


「知らなかった……」


「水無瀬さんの夢は一応武道館ライブですから、そう言った大きな夢を叶えるのにぴったりの名前ですね」


「そんなこと、考えもしませんでした…」


「もしかしたら名前の由来が少し違うのかも知れないので、お母様に聞いてみてください」


「はい」


そう言って話している内に、灯織さんがお弁当を食べ終えた。


「じゃあ、俺はそろそろ会社に戻りますね」


「あ、はい。わざわざ来てくれてありがとうございました!」


「またね〜」


2人で昇降口から出ていく灯織さんを見送る。


「どしたの、浮かない顔して」


「いや…なんでもない」


結局、話している最中に気になっていることは聞けなかった。


『壊れてしまうとなかなか元には戻らない』


もう灯織さんは壊れてしまったということなのだろうか。

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