夢に向かって、第一歩(3人称視点)
少女にとってそれは小さい頃からの夢だった。
――テレビの向こうにいるアイドルのように、大きな会場でライブをしてみたい――
しかし、夢は夢。現実とは非情なものだ。
彼女はあがり症だった。
陸上部に所属しており、練習では部で1番の記録を叩き出していた。
しかし、大会の場になってしまうと周囲の歓声や応援の声が肩に重くのしかかるように感じてしまい、十全の結果を残せたことは一度もない。
学校の演劇発表の時間。
容姿に優れていた彼女は演劇でヒロインを演じることになった。
ありきたりな王子と姫のラブストーリーである。
一番の見せ場は姫が王子に自身の想いを伝える場面。
リハーサルも頑張って練習した成果もあって完璧な仕上がり。
しかし本番で彼女はあがってしまった。
口をパクパクと動かしていても、声が喉の奥から出てこない。
幸いその時は幼馴染で同年代の中でも大人びて男女ともに人気の高かった幼馴染が王子役に抜擢されていたため、彼女のアドリブがあったおかげでなんとか乗り切った。
そんなあがり症の彼女が幼馴染とともにVTuber事務所のタレント募集に応募したのは、まだ自分の夢を諦めきれていなかったからだ。
VTuberであれば、リスナーが見るのは自分ではなくVTuberとして活動するガワだから多少はあがり症も克服できるのではないか。
もちろん自分は幼馴染ほど魅力があるわけでもないし、秀でたものがあるわけでもない。
ダメ元で送ってみたら、2人揃って合格してしまった。
そしてトントン拍子で話が進み、ネットの知識や配信の操作方法など。配信時の方向性などを決め、いざデビューというところでなんとマネージャーが産休に入ってしまった。
子供が生まれるのはとても喜ばしいことだが、デビューという大事な時期に信頼できる大人が離れてしまうのは心細い。
運営の対応は早く、すぐに代役を立てるということで、都合のつく時間に一度相性を確認するため顔合わせをしたいと言う流れになった。
そうしてこの日、少女は幼馴染とともに事務所にやってきた。
「だ、大丈夫かなむーちゃん…」
「大丈夫じゃないかな。そんなに構えなくても」
「か、かかかか構えてないもん。ちょっと緊張してるだけだし」
「緊張してるじゃん…」
むーちゃんと呼ばれた幼馴染は慣れた手つきで少女の背中をさする。
「ほら、リラックスリラックス。
その少女――志希が大きく深呼吸をしていると、コンコンと扉を控えめにノックする音が響いた。
「新任のマネージャーの方を連れてきました」
「はいっ!」
「入っていいですよ」
「失礼します」
前任のマネージャーとともに、新任である男性のマネージャーが部屋に入る。
「火箱さん、水無瀬さん。こちら、灯織さんです」
「は、はじめまして。灯織漣です」
青年はおずおずと頭を下げる。
「はじめまして。今度ホロエコ3期生としてデビューさせていただきます。
「は、はじましてっ!
「そ、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。俺も緊張しているので」
そう言って漣が軽く口角を上げるが、わずかにぎこちない動作となる。
「では、私はこれで。夫が入院の準備をしてくれているので」
「あ、はい。元気なお子さんが生まれることを願ってます」
大きくなったお腹を擦りながら、前任のマネージャーの女性は部屋から出ていった。
「今日は顔合わせということなんですけど、どういったことをするんですか?」
「あ、そうですね。じゃあまず、お二人の夢や配信の方向性なんかを教えてくれますか?じ、じゃあ、水無瀬さんから」
「は、はい!えっと、私の夢は武道館でライブをする…ことです。歌は上手いって、むーちゃんからよく言われるので、歌枠を積極的に取っていきたいです」
「アタシの夢はチャンネル登録者数100万人です。VTuberの中でも数人しか立っていない場所に立ちたいと思ってます。配信はゲーム枠や雑談枠、歌枠も取っていきたいです」
そこで陽夢がチラと志希を見た。
「あとは志希ちゃんと積極的にコラボしたいです。二人組っていう強みを活かしたい」
「なるほど、しっかりと見通しを立ててるんですね」
漣が手帳にメモを書き込んでいく。
「水無瀬さんは得意な歌のジャンルとかありますか?」
「J-POPとボカロ曲なら…」
「ふむ…デビューと同時に歌ってみた動画を出してみてもいいかもしれませんね。」
自分の強みを一番初めに知ってもらうことで、初配信時に来るリスナーの離脱率を下げる。
「ひ、火箱さんはなにか得意なことは?」
「志希ちゃんと同じで、歌うことですかね。一緒にカラオケに行ったりもするので」
「……いっそのこと二人で歌いますか?」
「ありだと思います。運営の方も負担が減るでしょうし…」
「あ、でもデビューまでそれほど時間ないんですよね?やるとしても、間に合うんですか?」
「イラストは桐藤さんに頼めばすぐに書いてくれると思います。後は2人の歌唱力次第なんですが…」
「一番得意な曲だったらそれほど時間はかからないと思います」
「ならこの話を上に持っていきます。通るかどうか怪しいですが……」
漣がメモを書き込んでいると、志希がおずおずと口を開いた。
「ひ、灯織さんは、メモ、取る派なんですね」
「え?」
「あっ、えっと、前の人は常にノートパソコンでメモをしていたので」
「ああ…身の上話になるんですけど、前職では貿易会社に勤務してまして。世界中を飛び回ってたんです」
「そうなんですか…」
「そこがなかなかブラックな企業でして。本当に危ない国とかにも行かされたんですよね」
「あ、危ない国、ですか?」
「そこではパソコンなんて持ってるだけで強盗の対象なんです。だから手書きでメモしてるんですよ」
「そ、そうなんですね」
「語ろうと思えば数時間は話せるんですけど…」
「ぜひ聞かせてください!」
高校の講話などで警察官や弁護士の話を聞いたことがあるが、海を渡って仕事をした人と話すのは2人にとって初めての経験だった。
「わ、私も聞きたいです。海外は家族でハワイに行ったきりなので。色んな国のこと、知りたいです」
年相応の好奇心を輝かせ、漣の話の続きを待つ。
「ちょ、ちょっとまってくださいね」
引っ込み思案な志希はともかく、積極的に話を聞こうとする陽夢は若干身を乗り出して話を聞こうとするため、若干顔を青くしながら椅子を引く。
「えーっと、じゃあ俺がトルコに言った時の話から――」
こうして好奇心旺盛な生徒たちに質問攻めをされながら、漣のよもやま話は約2時間に及んだ。
「――というのがカザフスタンで武装勢力の車に検閲をかけられた時の話です………もうこんな時間ですね」
「あ、ホントだ、そろそろ帰らないと」
「必要であれば車で送りますけど、大丈夫ですか?」
「はい。今日は志希ちゃんのお母さんが車で迎えに来てくれるって言っていたので」
「むーちゃん…お母さんから鬼電来てる…」
「げげっ、怒らせたら怖いから、早く連絡して!」
「うん!」
「では出口まで見送ります」
3人で部屋を後にし、漣は2人を会社の出入り口まで見送った。
「今日はありがとうございました。貴重な話もたくさんしていただいて」
「いえ。それほどでも」
「あの、灯織さんが迷惑でなければ、アタシたちのマネージャー。やってもらえませんか?」
「…俺は構いませんけど、水無瀬さんは?」
「私も、灯織さんなら大丈夫です」
「……なら、喜んで担当させていただきます」
「よろしくお願いします!灯織さん!」
「お願いします!」
こうしてホロエコ3期生は夢に向かっての第一歩を踏み出した。
2人を見送り、漣が会社に戻ろうと振り向くと
「……」
「ん、灯織さん」
「…ん、どうも」
眼の前には無表情の葵が立っていた。
無表情であるが、その雰囲気は怒りと悲しみに満ちている。
「…説明して」
「……御意」
彼女たちは新たな一歩を踏み出したが、この男はもう少し時間がかかるようだ。
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