前略、もう一人が見つかりません
「ほう……下着ドロですか………いやはや、こうしてみるのは初めてですね」
そう言って社長が俺の取った写真を興味深そうに眺める。
「わ、私の下着……」
俺の収納スペースに収められた女性用の下着(何かちょっと湿っている)を見て、火ノ川先輩がわなわなと震えている。
「ふ、ふふっ、誰ですかこんな舐めたことをする輩は」
隣では氷見さんが眼鏡を片手で何度もクイッと持ち上げている。
「うわぁ……正直、ドン引きだよ……灯織くん」
最後に砂原さんが全く状況を理解しておられない大変不名誉な発言を発せられた。
「砂原さん? この写真見ました? この人俺に見えますか? もしかして俺と――」
「もう、ちょっとした冗談だよ!」
「……はあ…心配させないでくださいよ。おすすめの精神科と脳神経外科を紹介するところでしたよ」
「にしても…これはひどいね〜。どうするイケジュン?」
「とりあえず呼び出しですね……灯織くん。袋とか持ってないですか? ジップロックみたいものだと嬉しいんですが」
「あ、回収ですか? ちょっと待ってくださいね」
そう言って俺は鞄からジップロックと医療用のゴム手袋を取り出す。
「え、灯織くんなんでそんな物を…」
「道端にカラスの死骸とか落ちてる時があるんですよ。勝手に処分するわけにも行かないので邪魔にならないところに寄せる時に使うんです。あ、真似しちゃダメですよ?」
俺は下着を摘んでジップロックに入れると、封をして社長に渡した。
「ありがとう。あとあの写真も送ってくれ」
「イエスボス」
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数時間後、俺たちは小さめの会議室に集まった。4〜5人位が入れるスペースの小さいものだ。
「さて、そろそろ集合時間だが…窓辺くんは無理していなくてもいいんだよ? 辛いだろうし」
「いえ。私も、見届けます。それにあの男性がしたことを認めて全て解決ってわけじゃないですし」
そう、あの男性社員に聞きたいのは、火ノ川先輩の下着を盗んだ犯人だ。あの男は使っていただけで、盗んだわけではないだろう。
「ふう、ふう、し、失礼します」
汗をかきながら、男が部屋に入ってくる。
「やあ、よく来たね」
「は、はい。それで話とは………!?」
男が、社長以外にも人がいることに驚く。そして大体の内容を察したらしい、段々と顔が青くなっていく。
「その様子だと、呼ばれた理由はわかったみたいだね」
「す、すみません…」
証拠を出すまでもなく、男は罪を認めた。以上、解散、閉廷! とはならない。
「ん? 謝る相手が違うんじゃないかな? まず冤罪を着せようとした灯織くん。そして下着を盗んだ火ノ川くんに言うべき言葉だよ」
「す、すみませんでしたぁ!!!」
男が土下座で謝る。頭の方は火ノ川先輩を向いているので、俺に対する謝意というのは一切なさそうだ。
「わ、私だけじゃなくて、灯織さんにも謝ってください…」
「そ、それだけは出来ましぇん!」
「ど、どうしてですか…?」
「ま、窓ちゃんが迷惑そうにしていたから……」
「は? 何いってんの?」
昨日そのようなことを言っていたが、ネタでもなんでもなく、思い込んでいるだけなのか?
「な、何言っているはお前の方だ! お前は気づいてないかもしれないけどなぁ! お前と話すときだけ明らかに窓ちゃんの反応が違うんだよ!」
そう言って火ノ川先輩のほうに顔を向ける。
「そうだよね窓ちゃん……ぼきゅはいっつも見てるからわかるよ。迷惑してたん、だよね? 急に現れて、窓ちゃんの迷惑も考えずに距離詰めてきてさぁ……正直気持ち悪いよ。だからね、ぼきゅが危険を冒してまでこいつから窓ちゃんを守ってあげないとって思ったんだぁ……」
もはや半狂乱としか言えないような状態で机に乗り出し、対岸の火ノ川先輩に近づく。
「や、やめてください!」
「おい、アンタ。一旦離れようか」
さすがに何をされるかわからないので机から引き剥がす。
「は、離せ! お前のみたいな厄介陽キャがいるから窓ちゃんに迷惑がかかるんだ!」
「迷惑をかけているのはどっちだよ。それが火ノ川先輩の下着を盗む理由にはならないだろ」
「ウルサイ! ぼきゅの窓ちゃんに手を出しやがってぇえええええ!!!」
「うおっ」
急に男が暴れ出し、押し倒される。
「灯織くん!」
社長が慌てて立ち上がるが、男は止まらない。
「ふ、ふひっ、そうだ、消しちゃえばいい。窓ちゃんに迷惑かけるやつは、死んじまえば……」
そう言って馬乗りになった男が俺の首に手を伸ばし、力を込める。
「おらっ、死ねっ、死ねっ! ぼきゅに楯突いたことを後悔しながら死ねっ! 窓ちゃんに手を出したことを後悔しながら死ねっ!」
死ね死ね言っているが、喉仏を押さえているだけで、頸動脈を締め上げているわけじゃない。脳が酸欠を起こすことなく、もし死ぬとしても長い時間がかかるだろう。
まあ、肺活量鍛えてるんで5分は息止められるんだけど。
特に抵抗することなく押さえつけられていたら、男の雰囲気が怒り一色から必死なものに変わっていった。
「何だよその目はぁ! お前もぼきゅのことを馬鹿にするのか!」
「……」
「ぼきゅの苦しみを知らないくせに! ぼきゅがどれだけ窓ちゃんに掬われてきたか、知らないくせにっ!」
「……」
ポタポタと、男の顔から涙がこぼれる。
手の力が緩んだな。思うところもある。言い返させてもらおう。
俺は男の手を振り払い突き飛ばすと、立ち上がって壁に押さえつけた。
「たしかに、俺はお前の言う苦しみを知らない。学生時代にいじめがあったのかもしれない。家庭内で無視されていたのかもしれない。それを窓辺先輩が救ってくれたのなら、たしかに特別な感情を抱くのも不思議じゃないな」
「でもな、俺が昨日、一緒に仕事をさせてもらってたのは公式スタッフの窓辺光璃じゃないんだ。ただの一社員の、火ノ川光先輩なんだよ」
俺は押さえつける力を強くする。
「お前は
更に力を入れる。男の関節が極まった。
「いだだだだだだ!!!!」
「お前が窓辺さんを守るとか言っているように、俺も、火ノ川先輩のことは守らなきゃいけない。大切な先輩だからね。俺の言いたいこと、分かるよな?」
火ノ川先輩に手を出したら、絶対に許さない。
そういうことを暗に示す。
「灯織くん。そこまでだ」
ここで社長から制止の声が入る。
「社長…すみません」
「君を呼んだのにはもう一つ理由がある。火ノ川くんによると彼女の下着を盗んだのは女性だったらしい。その女性は誰だい?」
「し、知りません! わから、無いです…!」
「……嘘は言ってませんね」
「分かるのかい?」
「前職では嘘を見分けられないとぼったくられたので」
「そうか…」
「お、一昨日の昼休みに『窓辺光璃の下着がほしいか』って匿名でメールが来て…『はい』って答えたら翌日の昼休みの終わりにぼきゅのデスクの引き出しに本当に入ってたんです」
「これも本当みたいです」
「ふむ……振り出しか」
「で、でも多分、ぼきゅと同じ部屋で仕事をしている人が怪しいと思います。ぼきゅのデスクの位置を知ってる人はそのくらいしかいないので」
「なるほど……なら、彼と同じ部屋で仕事をしている女性社員を片っ端から洗い出そうか。氷見くん、出来るかい?」
「10分で終わらせます」
氷見さんの眼鏡がキランと光った。
「さて、私から聞きたいことは以上だ。処分は追って伝えるよ。火ノ川くん、なにか、言いたいことはあるかい?」
そう言って社長が火ノ川先輩に水を向けた。
罵倒の言葉の1つや2つ飛び出すと思ったが……
「そう、ですね。えっと、まずは、窓辺光璃の事を好きでいてくれてありがとうございます」
感謝だった。
「あなたのその「好き」の形が何であれ、ファンとして応援してくれるのはすごい嬉しいです。そのうえで、今後、こういったことは本当にやめてください。私は事を大きくして、訴訟を起こしたり、そう言ったりするつもりは一切ありません。でも、あなたのやったことは、ファンのマナーというよりも、人としてやってはいけないことです。今後そう言ったことは一切しないと、誓ってください」
「は、はいっ! この度は本当に申し訳ありませんでした!」
「灯織さんも、放してあげてください。この人はもう、反省してると思いますから」
「……はい」
俺が男を放すと、男は何度も頭を下げて部屋を出ていった。
「よし! 確証は低いとは言え、手がかりは得た。あとは、火ノ川くんの下着を盗んだ犯人を見つけるだけだね」
「こうも社内に問題が多いと、他にも居るんじゃないかって疑いたくなっちゃいますね」
「まあ、人は誰しも黒い感情っていうものを持っているだろうからね。それが意図的か偶然か、表面化するから問題が起こる。今回は前者だね」
特定の個人が、他の人の黒い感情を表面化させた。
「さっきの彼もね。学生時代に酷いイジメに遭っていて、それをVTuberを支えにしてこの業界に興味を持ったらしいんだ。悪い人じゃないんだよ」
「俺も同じような感じなので、まあ分かりますね」
「さて、早速始めよう。善は急げ、だ」
そう言って社長が部屋から出ていった。
「私も、早急に該当人物をリストアップしてきます」
「私も手伝うよ〜」
氷見さんと砂原さんがそれに続く。
部屋には先輩と俺だけが残された。
「じゃあ、俺たちも行きましょうか」
「あ、はい。そうですね……っ」
「? どうしました?」
先輩の語尾が跳ね上がったので振り向くと、腰を抜かしてへたり込んでいる先輩の姿があった。
「だ、大丈夫ですか!? どこか痛んだりするんですか?」
女性特有のそういう日なのかもしれない! だがしかしその状態に関するケア知識を俺は持っていない! なんてこった!
「ご、ごめんなさい。今になって、恐怖が……VTuberになった弊害を直に感じてしまって…」
よく見ると手が小刻みに震えている。
そうだよな。さっきは毅然と相手のことを寛大な心で許していたけど、自分の下着をペロペロする変態に会った恐怖というのは、尋常じゃないはずだ。
「火ノ川先輩。立てますか?」
俺は手を差し出す。
「大丈夫です。さっきはちょっとカッコつけちゃいましたけど、先輩のことは俺が守りますから安心してください。これでも腕は立つんです」
「灯織さん…」
「あ、今度特大のエビフライでも作りましょうか? 衣のかさ増しとかしてない、本当に特大の身が詰まったエビフライ」
「……ふふっ、そうですね。今度、作ってください」
そう言って火ノ川先輩は俺の手を取って立ち上がった。
「…はい!」
「行きましょう!」
そのまま先輩は俺の手を引いて部屋の外に出る。
待ってろよ犯人。
貴様の余罪、扉の沓摺めくり上げ罪と不良ボルト混入罪、そして下着ドロ罪はしっかりと償ってもらうからな!
「きゃあ!」
「ぐえっ!?」
突然手を引いていた先輩がなにもないところで躓いた。
俺も引っ張られてその場に転んでしまう。
ちょっと、いまポンコツ属性出すところですか? せっかく内心でカッコつけたのに!
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たまに現実と非現実を混同する人、言っちゃ悪いけどいるじゃないですか。
これからの世界、どんどんバーチャルと現実の壁が低くなっていくと思うので、そこの分別はしっかりとしていこうね! オジサンとの約束だよ!
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